「体調よさそうだね。じゃあ行こっか!」
 月曜日の朝。いってきますと告げて開けた玄関の向こう。
 (れん)くんが、家の前で待ち構えていた。
 高校入学を機に通学用で買った黒い車体にまたがり、小さいころから変わらない八重歯をニカッとさせた笑顔でこちらを見て。
 彼は開口いちばんに、そう言った。
 私はこの光景を見て、なんだか久しぶりだなと思った。
「送ってくれるんだ。ありがとう」
 彼と顔を合わせるのは、すこし久しぶりだった。それは私が体調を崩していたからだ。
 だから、こうして言葉を交わすのは、おそらく数か月ぶりくらいで、久々に見る彼の姿に見とれてしまった。
 がっちりとした肩幅に、女子の中では大きめの私よりも頭二つぶんくらい高い身長。
 そして周りを明るくさせるキミの太陽のような笑顔に、私はどんなに落ち込んでも表情筋は自然と上がり笑顔になってしまうんだ。
「なにぼーっとしてんだよ。まだ寝てるのか?」
 ぼけっとしていた私に、蓮くんのなげつけるような声が飛んできた。 
「ごめん、ごめん。すぐ行くから」
 私は小走りで蓮くんのほうに向かい、自転車の荷台に跨った。
「準備はいいよね?」
 蓮くんはこちらを見ずに告げる。
「うん。大丈夫! じゃあ朝日高校まで出発進行!」
 私がそういうと、蓮くんはペダルを扱ぎはじめた。グラっと揺れる車体に、私は少しバランスを崩し、蓮くんのがっちりとした脇腹を抱きかかえるようにつかまった。
 私は蓮くんの温かさを感じるとともに、なんだか懐かしいなと感じた。
 朝日高校は私たちの通う高校で、家が近所で幼馴染の蓮くんにはよく通学の時に送ってもらっている。
「あれ? 蓮くん、緊張してる? まさか、私に抱き着かれたから」
 普段とは違う。なんだか筋肉が硬直をしている感じがして、これは抱き着いたことによって緊張しているのではないかと思い、からかうような口調で言った。
 すると、蓮くんは私のほうをちらっと見て「フッ!」っと馬鹿にしたような笑いをした。
 その表情にムカついて、私は右手で蓮くんの背中を叩いた。
「違うよ。抱き着くって通学してた時はいつもそうだっただろ」
「いや……久しぶりだからさ。それに年頃の男子は女子に抱き着かれても平静でいられるの?」
(れい)ちゃん以外なら緊張するんじゃない」
 蓮くんのその言葉に私はどんどん背中を叩く。すると、蓮くんは笑いながら「事故る!事故る!」と言いながら少しだけ蛇行運転をする。私たちはそんなふざけあいをしながら楽しんだ。
「それよりなんで、今日は緊張しているの? 今日はなんかあったけ」
 久しぶりのふざけあいを楽しむと、私は蓮くんに質問した。
「今日、カレンダー見てなかったのかよ」
「カレンダー?」
 首を傾げる私の表情を、少しだけ確認するために後ろをちらっと見た蓮くんは、ダメだこいつというような表情をしてまた正面を見る。
「今日はドラフトの日だよ」
 蓮くんの言葉に、ハッとした。そしてもうそんな季節になってしまったのかと、驚いて固まる私の体を秋の風が優しく通り過ぎて行った。

 高校に着くと、好奇な視線を浴びた。まぁそれでも視線を浴びているのは私の隣にいる蓮くんなんだけど。
『うわ! 桑原蓮だ!』
『ドラフト何位で指名なんだろう?』
『上位らしいよ。昨日ニュースで桑本先輩の特集やってたよ』
 そんな声が周りから聞こえるのに、蓮くんは気にせずに歩き進め下駄箱に入っていく。
「すごいね。蓮くん! 有名人じゃん!」
 私が声をかけると、蓮くんは少し困ったような表情をして、上履きを取り出しローファーから履き替える。
「なんか注目を浴びるのは得意じゃないから、どうしていいかわからないんだよね」
 その様子を見てなんだか私は安心した。
 てっきり注目を浴びすぎて、慣れてしまったのかと思い。遠い存在だと感じていたが、その言葉と表情で蓮くんは変わっていないんだと安堵した。
「なんかうれしそうだな。俺、なんか変なこと言ったか?」
「ううん。違うよ。なんか蓮くんは蓮くんだねって思っただけ」
「ふーん。そっか」
 蓮くんは首を傾げ、よくわかってない表情をして歩き出したので、私もすぐに上履きに履き替えて、そのあとを追った。
『あっ、あの……桑原先輩!』
 教室に向かうため廊下を歩いていると、一人の女子生徒が蓮くんの前に飛び出してきた。
 女子は少し恥ずかしそうにスマホを持って、もじもじとしている。周りを見渡すと、曲がり角の隅のほうに女子生徒の友人二人が見守っている。
『写真を撮ってもらってもいいですか!』
 女生徒の提案に、蓮くんは「いいよ」と軽く返して、写真を撮り始めた。
 女子生徒は自撮りをするように片手で持つ。画角に収まるように蓮くんは密着する。
「その写真、私が撮ろうか?」
 蓮くんの身体が、ほかの女子生徒と密着することに耐えられず、私は無意識のうちに声を上げていた。
 思っていた以上の声に、二人は少しびっくりした表情でこちらを見る。
 だが、すぐに女子生徒が「お願いします」と言いながらスマホを渡してきた。
 私はスマホ受け取ると「じゃあ、撮りますよ!」と必死にテンションを高くして二人を撮影した。
 後ろめたさだった。私は写真撮影のたったあの密着に耐えられなかった。蓮くんはドラフトにかかるくらいの有名人でこんなのは当たり前の出来事なのに、それすら許せない自分の器の小ささが嫌になりそうだった。
 撮れた写真は、私が撮ることで密着せずとも画角に入るので、二人の間には数センチだが距離が取れていて、それを見て安心する自分になんでこんなにも卑しい人間なんだと自己嫌悪に陥った。
「なんかごめん。気を使わせて……」
 撮影が終わって、二人で廊下を歩いていると蓮くんは申し訳なさそうな表情で告げてきた。
「ぜんぜんっ! 大丈夫だよ。それに蓮くんはドラフトにかかる有名人なんだから! こんなこと起こるのは想定内だよ」
「そっか……。ありがとう玲ちゃん」
 蓮くんには私が無理をして言っているのかと感じ取ったのか、申し訳なさそうな表情のまま言った。そして二人の間にはなんともいえない空気が流れたまま、教室にへと向かった。

『おーい! 蓮が来たぞ』
『今日だな! ドラフト会議』
 教室に入ると、私と蓮くんは一気にクラスメイト達に囲まれた。そして囲み取材ばりに蓮くんに向かって話しかけられる。
 やっぱり、同じクラスとなると距離感がすごいな。私はそんなことを思いながら、よろよろと人混みから脱出する。
「おはよう。玲! 久しぶりだね」
 脱出した私の目の前に友人の美香(みか)が立っていた。
「久しぶり! 美香! 会いたかったよ」
 私は美香に抱き着いた。嗅ぎなれた美香の甘いシャンプーの香りに私は戻ってきたんだど感じた。
「体調は大丈夫なの? ふらつきとかない?」
「大丈夫、大丈夫。通学も蓮くんが送ってくれたから」
「そうよかったね」
 美香は優しく微笑んで言うと、私を席まで案内した。さすがに三か月ぶりの学校なので私の席は変わっていた。
 窓側の一番後ろの席で、前の席は美香で私は当たりの席順だった。
 私たちは席に座ると、教室の前で囲み取材を受けている蓮くんの様子を見ていた。
「すごいね。蓮くん、三か月前まではこんなんじゃなかったのに」
「甲子園まで行ったからね。しかもエースで、そしたら一気にこれだよ。すこし前までは桑原のことなんて野球部くらいの認識しかなかったのにね。みんな調子いいよね」
「フフッ、そうだね。甲子園まで行ったんだもんね。見たかったな……」
「そっか……玲は地方大会で優勝したところを見て……。なんかごめんね。そういえば……」
 美香は玲が見ていないことを思い出し、申し訳なくなったのか話を変えようとした。
「わたしこそごめんね。気を使わせちゃって、それより聞かせてよ。蓮くん活躍を。私が見れなかった、蓮くんの姿」
 私がそういうと、美香はじゃあと言って、私の知らない蓮くんの活躍を教えてくれた。
 蓮くんの活躍は凄まじいもので一回戦、二回戦と野球の名門高を破り、三回戦で敗れたもの延長までもつれ力尽きた姿に、新聞やネットで大きく取り上げられた。さらに部員二十名の公立高校をエースで引っ張るという漫画のような設定に、端正な容姿も相まって一気にスターダムへと駆け上った。そして甲子園の力投で実力も証明されてドラフトの目玉候補にまで上がったみたいだ。
 それを聞いてやっぱり、蓮くんはヒーローなんだと私は思った。

※※※
 蓮くんと出会ったときを今でも思い出す。
 小学四年生の春だった。
 近所に引っ越してきた蓮くんは、今とは違って小柄で私よりも背は小さかった。瞳はくりくりっとして綺麗で、端正な顔立ちに幼いながら存在感を放っていた。
「綺麗な瞳。すごくかっこいい顔してるね」
 私の家に挨拶にしに来た時だった。私は無意識のうちに声に出していて、蓮くんはなんだコイツというような目をしていた。
 今思うとそりゃそうだろというリアクションだ。もしも私が男の子で初対面の相手にそんなことを言われたら、同じリアクションをとっているだろう。
 だが、あの時出た言葉は本物でこんな綺麗な男の子がこの世界にいるんだと思った。
 それからは蓮くんは学校に転校してきて、蓮くんはすごい勢いでクラスに溶け込んでいった。あんなキモイことをした私とも少しずつ仲を深めていき、普通に会話する程度まで仲良くなった。
 そんな時にある出来事が起こった。
 それは体育の授業でドッチボールをしていた時だった。
 運動神経ゼロの私は必死に避けながら、いつボールを当てられてもおかしくない状態だった。
 トロいながらも必死にボールを目で追って、ポンコツな体を動かしている。すると、運動神経ゼロあるあるだが、自分は避けていても自分からボールにぶつかっていくことがある。
 その日もそんな運動神経ゼロあるあるの固有スキルが発動して、私はボールに当たった。そして最悪にも顔面にヒットした。
 目の前は真っ白になって、私は崩れ落ちた。痛いとかの感覚はなくて、もう何が起こったのかわからない状態だった。
『大丈夫か! 鼻血出てるぞ』
 周りではそんな声が聞こえ、その声を聞いて私はいま鼻血が出てるんだと理解した。
 私が茫然自失になっていると、急に体を持ち上げられた。
 えっ? なんで? と思っていると、そこには蓮くんが肩を貸して立ち上がらせてくれた。
「今から保健室いくよ」
 私よりも小さい蓮くんに体を持ち上げられて、その時強く蓮くんは男の子なんだと意識した。
「ありがとう。蓮くん」
「いいよ。それより鼻抑えなよ」
 蓮くんに言われて私は左手で鼻の根元を抑えた。そして私は蓮くんに保健室まで連れていってもらった。
 保健室までの道中、蓮くんとの顔が近くしかも、体が当たっているため私は鼻血を出しているのに、心臓のドキドキが蓮くんに伝わらないかのほうが不安で仕方がなかった。
 保健室に着くと、先生にバトンタッチした。私はソファーに座り先生に手当を受けている。
 すると、蓮くんが私の隣にやってきて「あいつら、やり返してくるから!」と少し怒気をはらんだ声で伝えると、保健室を出て行った。
 やり返してくる? 私はその意味が分からず、蓮くんの小柄な背中を見送った。
 幸い大事には至らず少し保健室で休んで、血が止まったら次の授業に私は復帰した。
 教室に戻ると、なんだかすごい賑わっていて、私はいつもと違うので友人に話を聞いた。
 すると、この雰囲気を作ったのは蓮くんだった。
 私は気づいていなかったが、私を当てた男子は「あいつトロすぎ」と友人数人と嘲笑いながら話していたようで、そいつらを蓮くんは保健室から戻ってくると、立て続けに当てまくりそのままチームを勝利に導いたようだ。
 そんな話を聞き、私は保健室で言われたやり返してくるの意味を理解した。
 そして私の中で、蓮くんはヒーローなんだという思いが生まれた。

※※※
 放課後、時刻は六時を回ったころ、普段なら部活動の生徒以外はほとんど下校しているしている時間帯だが、教室には私含めおおくの生徒がスマホを握りドラフトの動向をチェックしている。
 蓮くんは校長室で結果を待っているようで、私は蓮くんの緊張する表情が頭に浮かんだ。
 ドラフト一位、二位と発表されていく中で、まだ上位のはずなのにクラスの雰囲気は少し重くなっていた。
『ほんとうに指名されるんだよな』
 一人の男子が周りに聞き始めると、ざわざわと雑音が池に水滴を落とした時の波紋のように周りに広がる。
『ドラフト一位とかじゃなかった?』
『ニュースだとドラフトの目玉とか言ってたけど、やっぱり実際は違うのかな?』
 ネガティブな気持ちが教室を包み込む。
 私はそんな言葉に、イライラして机の下で握りこぶしを強く握っていた。
 それはついさっきまであれだけ蓮くんをチヤホヤしておいて、少し指名が遅れたらグチグチと言い出す。なんでもっと蓮くんを信じてあげないのと怒りが募っていった。
 そして指名が三巡目が終わろうとしている頃だった。
『はぁー、三位でも無理か……』
 ぼそっと誰かがつぶやいた声に、私の体は反応し椅子から立ち上がった。
「なんでみんなそんなあきらめてるの! みんなは蓮くんの活躍を見たんでしょ。もっと蓮くんを信じてあげてよ」
 クラスでも大人しい私が珍しく声を荒げたことに、クラスは一気に静まり返った。
 周りの視線を浴び、時間が止まったのかというくらい張り詰めた空気が教室を包む。私は内心やってしまったと思いながらも、思ったことを正直に吐き出すことができた満足感みたいなものを感じていた。
 そんな時だった。校舎の下から歓声が聞こえた。
 みんな一斉にスマホをチェックしだす。
 私もスマホをチェックすると蓮くんが四位で指名されていることがわかった。
『うぉー! すごっ! ほんとうにプロ野球選手が生まれた』
『きゃー! 早くサインもらわないと!』
 沸き立つクラスの中で、私は蓮くんが指名された事実をかみしめていた。
 本当に蓮くんはすごいなぁ。私じゃ到底できないことを軽々とこなしてしまう。
 あの日の約束とおりに、いつも私にすごい光景を見せてくれる蓮くんに私はどんだけ支えられているのだろう。

※※※
 あの日からだった。急に体がおかしくなったのは、まだ春先の肌寒いころだった。
 睡眠時間が急に伸び始めた。最初は寝すぎかな?と思っていた。だが、ある日丸まる二日間眠り、しばらく普通の睡眠時間が続くと、今度は三日間、そして普通の睡眠時間が続き、今度は四日間と眠り続けた。
 家族がどうやっても起きることはなく、四日間寝て起きた時にはお母さんと、お父さんが心配で泣きはらした目で喜んでいた。
 そのためこれは何かの病気だと思い、私は家族と一緒に病院に向かった。
 だが、近所の病院で検査をしたが異常はなかった。
「目立った症状はみられません」
 どこに行ってもお医者さんからはこの言葉ばかり、次第に自分自身がただ怠け者なんじゃないかと思い始め不安にかられながらも、数日に挟んでからくる長期の睡眠に体は元気なのにメンタルはやられていた。
 そんな時だった。「もっと大きな病院に行こう」と父から提案されたのは。
 私はどうせ結果は同じだと思っていた。そしてまたその診断によって、自分自身が怠惰だという烙印を押されるような気がして行きたくはなかった。
 しかし、父と母は私の気持ちを察してか「絶対になにか原因があるはず。だから、自分を責めないで」と言ってくれた。
 その言葉に私は一人じゃないんだと思えた。そして再び私は病院へと動き出した。
 病名が分かった時は今でも思い出す。
 診療室に入ると、医師はまだなにも話していないのに深刻そうな表情をしていた。
 私はこのときなんとなくだが、かなり重い病なのだと悟った。あれだけいろんな病院を回って見つけられなかった病名がなぜかここではわかると感じてしまった。
 椅子に腰をかけると、医師は重そうに口を開けた。
「吉田玲さん、あなたの病気は眠り姫症候群です」
「眠り姫……症候群? なんですかそれ」
 その名前を聞いて、拍子抜けした。こんなにも苦しめていた病気の名前がこんな間抜けな名前だとは思わなかったからだ。
 そんな私をお構いなしに、医師は病気について説明しだした。
「これは非常に珍しい病気で、国指定の難病とされています。今のところ治療法は見つかっておらず、症状を緩和する方法も見つかっていません」
「はぁ……。それで症状はどんな感じなんですか」
「玲さんはもう嫌というほど体感していると思うのですが、普段は数時間の睡眠なんですか、急に長期間の睡眠が始まるんです。しかも、その長期間の睡眠は回数を重ねることに長期化するんです。例えば、最初は二日でも、次の長期睡眠では二日半だったり、三日だったりと徐々に伸びていくんです」
「えっ! じゃあ、これから寝続けたら一か月や一年ということもあるんですか」
「はい……。そしてここから覚悟をして聞いてほしいのですが」
 急に医師の瞳が変わった。話す内容の重さからなのか、銀縁の眼鏡の奥の瞳から迷いや躊躇いが現れる。
「こんな若い吉田玲さんに言うのは心苦しいのですが、このまま長時間の睡眠を続けると徐々に筋肉が弱っていき、そして最後には心臓の筋肉が弱っていき死に至ります」
「えっ……そんな……。まだ……わたし十七なのに……そんな……」
 突然の死亡宣告に私は頭が真っ白になった。何もかもが一瞬にして消えたような感覚が広がり、瞳からは涙がひたすらに流れ落ちた。
 その後も医師からの説明や、検査入院のため様々な手続きをしたのだが記憶にない。あの瞬間私の体は電源が落ちたようにすべての機能を停止した。
 完全に意識を取り戻したのは、翌朝の個室の病室で目覚めた時だった。
「あれ、今日は何曜日!」
 焦りながら近くにあった、スマホを確認して翌日だったことに安堵した。
 また長期の眠りに入ってしまったのではないかと不安になった。
 昨日、医師からの話を聞き、眠ることが怖くてたまらなくなった。
 もし、起きたら日付が大きく動いてたら……。
 そしてこの眠りは徐々に私の体を弱らせていく……。
 不安が体を駆け巡り、私はもう一度布団をかぶった。
「あっ! ダメだ。もしこのままうっかり眠ってしまたら……」
 ガバっと体を起こして、私は頭を抱えた。
 あぁ……どうしよう。苦しみから逃げられない。
 私はそばにある窓を見た。外はどんより曇っていて、まるで私の心の中と同じようだ。
「ここから飛び降りて、死んじゃったら楽になれるのかな……」
 初めてだった。外を見て自殺を考えるなんて。今まで普通に通ってきた日常が恋しくてたまらない。
 そんな気持ちがマイナス方面に傾いている時だった。
 病室の扉がガラッと開いた。
「玲ちゃん、大丈夫」
 なんと扉を開けて、現れたのは蓮くんだった。
「えっ! なんで蓮くんが……」
「昨日の夜、おばさんから連絡がきて聞いたんだ。玲ちゃんが病気だって、だから急いで来た」
 蓮くんは高校の制服姿で、しかも肩で息している。本当に急いで来たんだろう。病室の中に入ると近くのパイプ椅子を広げて、ベッドに近づいて座った。
「えっ……なんで蓮くん……。あっ、そうだ。高校は大丈夫なの」
「大丈夫だよ。遅刻して行くって担任に伝えたから、それより玲ちゃんこそ大丈夫なの」
「い、今のところは、なんでもなくて……。でも、こ、これから……ウッ、ウッ」
 蓮くんに病状を伝えようとしたら、途端に込み上げてくるものがあり、涙が止まらなくなった。
 口に出して話そうとした瞬間、病気と直接対面するような感じがして、涙が自然と出てしまう。
 私は涙と鼻水でつっかえながらも、眠り姫症候群について説明した。
 蓮くんは説明の間、ジッと噛みしめるように真剣な瞳を私に向けて聞いていた。
 そして説明が終わると、蓮くんの美しい二重の瞳からポロっと涙が垂れた。
「な、なんで蓮くんが泣いてるの……」
「だって……。玲ちゃんから聞くとなんか、しんどくて……。おばさんからざっくりとは聞いたけど、必死に説明する玲ちゃんの不安な表情見ていたら、なんにもできない自分が無力すぎて……情けなくて……」
 蓮くんの言葉に、さっきまで自殺したら楽だと思っていた自分を殴りたくなった。こんなにも私のために泣いてくれる人がいるのに、簡単に死ぬという選択を取ろうとした自分が最低だと感じた。
「もう、蓮くんは私の力になってるよ」
「えっ?」
「さっきまで不安で、自殺したら楽かなって考えてた。でも、蓮くんが私のことを考えてくれてうれしくて、残りの時間をちゃんと生きようって思ったんだ」
「玲ちゃん……」
「すごく怖いよ。これからどうなるんだろうって、先もわからないし……。でも、必死に生きてみるよ」
 言い終わると晴れやかな気分だった。不安が完全になくなったわけじゃないが、口に出して今の気持ちを伝えたことで、不安な感情が一掃されたような感じがした。
「玲ちゃん……俺……」
 私の話を聞いた蓮くんは何かを決意したようにガラッとパイプ椅子を鳴らして立ち上がった。
「これが玲ちゃんの力になれるかわからないけど、もしも玲ちゃんが長期の眠りについても、起きるのが楽しみになれるように、玲ちゃんが起きた時にすごい景色を見せれるように約束するよ」
「すごい景色?」
 私が首を傾げると、蓮くんは真剣な表情でなんだか誓うように話し始めた。
「地方大会で優勝して、甲子園に出場する。そしてプロに行くよ」
「えっ? それはさすがに無理じゃない?」
 野球にそこまで詳しくない私でも蓮くんの夢の無謀さぐらいは承知していた。朝日高校の野球のレベルは県内では中堅クラスだが、さすがに強豪を破って甲子園出場はキツイのではと感じた。しかも、さらにプロにまで行くなんて無謀な夢の三段弁当だ。
「絶対に行く! 今、約束したから」
 蓮くんは手を差し出し、そのまま指切りげんまんをした。その際、力強い瞳で私を捉えていてその目があの日小学校の保健室で見た瞳と同じ感じがして、私は本当にこの人は叶えてしまうんじゃないかと思った。
 だって、蓮くんはヒーローだから。
 いつの間に曇り空は消えて、窓からは指切りを交わす二人をライトアップするように太陽の日差しが差し込んでいた。

※※※
「玲ちゃん、ごめんね。待たせて」
 待っていた聞きなれた声に私は顔をゆっくりとを上げた。
 夜、晩御飯を食べ終わりゆっくりしていると、蓮くんから連絡があった。
 ”これから公園で会えない?”
 私はすぐに ”いいよ” と返信をした。
 さっきまでドラフトをやっていてたので、指名された蓮くんとは今日はもう会えないなと思っていた。一応、ドラフトおめでとうと連絡はしていたが、まさか会えるとは思えなかった。
 ベッドで横になっていた私はすぐに準備をして、外に飛び出した。月明り照らす住宅街をしばらく歩くと、公園が見えてきた。
 公園にはまだ蓮くんは着いてなくて、私はベンチに腰を下ろした。
 一言目はなんて話そう、やっぱりおめでとうが一番いいかな? などを考えていると、蓮くんがやってきた。
 結局、蓮くんと会ったらうれしくて、さっきまで考えていた言葉は一瞬にして脳から消えた。
「女の子をこんな時間に呼び出して、ごめんね。でも、今日は玲ちゃんに会いたくて……」
 蓮くんの言葉に私は顔が真っ赤になった。照れくささが胸いっぱいに広がると共に、幸福感が身体全体に満ちる。私をこんな風にさせてしまう言葉を簡単に吐く天然イケメンにたじたじだ。
「私は大丈夫だから……。ま、ま、まぁ立ってるのもなんだし座りなよ」
 完全に蓮くんの言葉に照れてしまい、言葉はボロボロだった。
「じゃあ、座るね」
 そういうと蓮くんは私の隣に座った。蓮くんは制服姿で、おそらく今の時間まで取材など色々あったのだろう。そのせいか表情からは少し疲労を感じられた。
「取材とか大変だったの?」
「まぁ、そうだね。でも、ある程度は覚悟していたから」
「そうなんだ。もう、大スターだね」
 私の言葉に蓮くんは「フフッ」と笑った。急な笑いだったので、私はなにか嫌なことを言ってしまったのか不安になった。
「ごめんね。本当にすごいと思って言ったんだよ。別に嫌味とかじゃないからね」
「わかってるよ。玲ちゃんがそんなこと言わないことくらい」
 蓮くんは赤ん坊をあやすように優しい口調で言うと、私の方へ顔を向けた。
 真剣な表情の蓮くんに見つめられ、なんだか雰囲気がピリッと緊張感が増していくのを感じた。
「全部、玲ちゃんがいたからできたんだよ」
「えっ? わ、わ、わたし? 私はなにもしてないよ。蓮くんが努力をしたから、えっっ!?」
 突然話している途中で、蓮くんが抱きしめてきた。
 私はパニックになり、言葉をうまく紡ぐことができない。
「玲ちゃんのおかげだよ。玲ちゃんのことを想うだけで、どれだけキツい練習だろうが、プレッシャーだろうが、跳ねのけることができた。玲ちゃんが俺をスターにしてくれたんだよ」
「そ、そ、そ、そんな恐れ多いよ。蓮くんをスターにしたなんて。それに私こそ蓮くんにお礼を言わないと」
「お礼?」
「いくら眠っても蓮くんがすごいもの見してくれるんだって思えるだけで、病気に立ち向かえたんだ。甲子園に立つ姿は眠ってしまって見れなかったけど、県予選の優勝を見て、今度起きたらどんな景色を見せくれるんだろうって思わせてくれた。蓮くんは私にとってヒーローだよ。本当にありがとう」
 私の言葉を言い終わると、抱きしめていたのが解かれた。そして向き合い蓮くんが私の瞳を一点に見つめる。なんだか彼の心の奥底にある決意が目を通して入ってくるようだ。
「玲ちゃん、俺と付き合ってほしい」
 ずっとほしかった言葉を言われて、私は時が止まったように感じた。
 そして数秒経過して私はゆっくりと口を開けた。
「本当にいいの……。私なんかで……」
「玲ちゃんじゃなきゃダメなんだ」
 蓮くんの言葉がうれしい。それなのに私は素直にその言葉を受け入れられない。
 素直にお願いしますと言いたいのに、頭の中では病気のことが脳裏にちらつく。
「わたし病気なんだよ。ほとんど寝てるし、蓮くんのこれから活躍をちゃんと見れるかわからないし、もしかしたらすぐに死んじゃうかもしれない。それにこれから蓮くんはプロ野球選手になるんだよ。私の何百倍も綺麗な女子アナウンサーとか、アイドルとかと付き合えるかもしれないんだよ」
「俺は女子アナやアイドルよりも、玲ちゃんと付き合いたい。それに病気とか、先に亡くなるとかどうでもいい。だって、ずっと前から玲ちゃんのことが好きなんだから」
 その言葉に私の頭から病気のことが頭から消えた。目からは自然と涙が垂れてくる。
 人から全力で好きだと言われることの尊さを初めて知った。こんなにも喜びに満ち溢れ、胸は高鳴り幸せの光が身体中を満たしていく。
「私も蓮くんが好き。ずっと前から蓮くんが好き。与えてもらってばかりで、情けない自分ですがよろしくお願いたします」
 その言葉を告げると、再び蓮くんが私を強く抱きしめた。
「そうやって自分を卑下するのは、玲ちゃんの悪いところだよ。俺はたくさんのものを玲ちゃんからちゃんと受け取ってるから」
「うん……ありがとう……蓮くん」
 なんて優しい人なんだろう……。
 いつも私の支えてくれるような言葉をくれる。
 この人と共に歩む未来が、宝石のように輝いて楽しみでしかたがなかった。
 
※※※
 あれから、時は経過して十年後。
「蓮くん、すごいメジャーリーグに行くんだ」
 私は個室の病室のベッドに寝ながら、タブレットで蓮くんのメジャー挑戦表明の動画を見ている。
 長期の眠りから目覚めた私は寝ている間の蓮くんの活躍をチェックするのが恒例だ。
 あの告白から蓮くんは素晴らしいものをたくさん見せてくれた。プロに入って新人賞、沢村賞、シーズンMVP、日本代表、そして今回はメジャーリーグ挑戦と蓮くんの活躍に、私はもし長期で眠ってしまっても大丈夫と思わせてくれた。
 そして野球のことじゃなく、結婚も経験させてくれた。妊娠はさすがに無理だったけど、ウェディングドレスを着ることができて満足だった。
 私の人生は自信をもって百点だと言える人生だと自分でも思う。
 でも、さすがに余命が迫っている状態だと、欲張りだがもう少し生きたいと思ってしまう。
 私の筋肉量の低下は予想の想像以上のスピードで弱っていた。そのため次に長期の眠りに入ってしまうと、そのまま死んでしまうと医師から余命宣告をされた。
 今現在、私の状態は手足はやせ細り、頬はこけ、ゾンビのような見た目だ。そんな状態のため自分一人では歩くことはおろか、ベッドから起き上がることすらできない。
 そのためタブレットも、ベッドの傍のパイプ椅子で座っている母が持って見せてもらっている。
「すごいね。メジャーリーグかぁ……。蓮くんは本当にヒーローだね」
 私が話すたび、母は涙目になりながら、うんうんと小さく頷く。
 母の傍に父がいるのだろうけど、残念ながら父は見えない。
 死への睡眠が近づいているのか、私の視界は徐々に霞んで狭くなっているせいだ。
「お父さん、お母さん……今までありがとう。病気になった時に……どこの病院に行っても原因がわからなくて……不安だった私の一番の味方になってくれて……ありがとう」
 一言一言、必死に言葉を絞り出す。話すことがこんなにも体力を使うなんて思わなかった。
「私……病気になったけど……生まれてきて本当によかった。お父さん、お母さん、蓮くん、たくさんの人から……愛されて本当に幸せだった。でも、先に死んじゃう親不幸な娘でごめんね」
「なに言ってるの!!」
 母は涙を流しながら強い語気で言うと、タブレットをベッドに置き、掛布団の中にある私の手を強く握った。
「玲が生まれてきたことがどれだけ幸せだったことか、幸せそうなあなたを見ることが私とお父さんの生きがいだった。玲はたくさんの幸せな表情を見せてくれた。玲はたくさんの親孝行を私たちにしてくれたの、だからそんな親不幸な娘なんて言わないで」
「ウッ、ウッ……。ありがとう。お父さん、お母さん……」
母の言葉に私は涙が止まらなくなった。いくらやさしい言葉をかけられても、やっぱりこんな優しい両親より先に逝ってしまう自分を責めてしまう。
 そこからはなにも語らずに私、母、父と泣き続ける時間が続いた。病室に鼻水をすする音が悲しく響いた。
 そんな悲しい雰囲気を吹き飛ばすようにガラッと勢いよく、病室の扉が開いた。
 革靴が床を鳴らす音がどんどん近づいてきてベッドの傍まで来ると、私がずっと聞きたかった声が聞こえる。
「玲ちゃん、おはよう。久しぶりだね起きてる玲ちゃんと会うのは」
 蓮くんはいつも通りの優しく抱きしめているような、温かな口調で語りかけ、私の頭を大きな手のひらで優しく撫でる。
「久しぶりだね蓮くん。ごめんね。やっと会えたのに、こんなガリガリの醜い姿で……。ちゃんとした姿で会いたかった」
「そんなことないよ。いつも玲ちゃんはかわいいよ。それにこんな姿って言ってるけど、病気と必死に戦ってる姿なんだからすごくかっこいいよ」
「蓮くんはやっぱり優しいね」
 どんな時でもいつも私を癒してれる言葉をくれる蓮くんはすごいな。そんなことを想いながら、撫でてくれる手の温かさを感じる。
「もう、私は見ることはできないけど……メジャーリーグで活躍してきてね」
 私自身も少しでも与えられているだけじゃなくて、蓮くんのことを応援したいと思いそう告げると、蓮くんは「ふふっ」と穏やかな微笑みを浮かべ、私の頭を撫でている手を離した。
 なにやら傍でゴソゴソと物音がしだして、私は何をしているのだろうと思っていると、頬に冷たい感触が伝わってきた。
「ひやっ! 冷たっ! なにこれ」
「これ新人賞のトロフィーだよ。もう、メジャーリーグ行ってきたんだよ」
 私は頭の中がパニックになった。
「えっ? メジャーリーグの……挑戦の記者会見は……」
「あれは去年の映像だよ。もう戦ってきたんだ。今はシーズンオフで、昨日授賞式が終わって、アメリカから帰って来たんだ。玲ちゃんにトロフィーを見せたいから」
「すごいね……。でも……ごめんね。もう、体力がなくて……。蓮くんがせっかく……持ってきた。トロフィーをよく見ることができないや……」
 蓮くんの努力の結晶を確認したいのに、しっかりと見ることができない自分が情けなくてしょうがない。
「謝らないで玲ちゃん、見たいと思ってくれる気持ちだけで俺は満足だから」
 そう言うと、再び蓮くんは私の頭を優しく撫でてくれた。
 大きくて少しゴツとした手のひらで撫でられ、体は悲鳴を上げるほど苦しいはずなのに、その苦しさが和らいでいるような気がする。
「蓮くん……ありがとう……。こんな私と結婚してくれて……私は世界一しあわせだったよ」
「俺もだよ。こんな俺と結婚してくれてありがとう。玲ちゃんがいるから、俺は頑張ることができたんだよ」
 蓮くん私を強く抱きしめると、叫ぶように言った。
 私は蓮くんの腕の中で温かな体温を感じながら、死への眠りがもうすぐそこまで迫っているのを感じた。
「蓮くん……。もっと話したいけど……。わたし……もう行くね……」
 その言葉に蓮くんは覚悟をしたのかコクンと頷く。
「ありがとう……。玲ちゃん、ゆっくり休んで……。おやすみなさい」
「うん……。おやすみ……」
 そう告げると私の身体は苦しみから解放されて軽くなった。目の前が真っ白い光に覆われ、意識は徐々に薄れていった。

※※※
 ロッカーの前にあるリクライニングチェアに腰を下ろした。
「あぁ……また打たれた……」
 頭を抱えてうなだれる。額から落ちる汗がポトリと落ちて、下のカーペットに吸収された。
 さっきまでの投げていたシーンが頭の中に流れて、打たれた瞬間が何度もフラッシュバックする。
 玲ちゃんが亡くなって迎えた初めてのシーズン。まだ、キャンプの最中だが何もかもが上手くいってない。
 周りのマスコミは二年目のジンクスや、完全に攻略されたなどと書き連ねているが、原因はそんなことではないことは重々承知している。
 玲ちゃんが亡くなってから、自分の身体はおかしい。まるで体の支柱が抜けてしまったかのような、不安定さがずっとある。
「どうしたらいいんだよ。玲ちゃん……」
 ロッカーの棚にいつも飾っている玲ちゃんとの写真を見ながらぼそっと呟く。
 プロ初勝利の時に撮った写真、結婚式の写真、日本代表に選ばれた時の写真、そこに写るキミはいつも弾けんばかりの笑顔なのに、もうこの世にはいない。
 こんなにも大切な人を亡くすことが精神的にもダメージになるとは思わなかった。自分の弱さを痛感すると同時に、自分は玲ちゃんという存在が相当な支えになっていたことを痛感した。
「俺はヒーローでもなんでもない……キミがいないとなんにもできないんだ………」
 助けてと訴えるように、写真の玲ちゃんを指で優しく撫でる。
『なに弱音吐いてるの蓮くん!』
 どこからともなく声が聞こえる。肩に優しい温もりを感じて、その方向へ顔を向けると、そこには肩に手を乗せている玲ちゃんが立っていた。
 その姿を見て、自分は言葉を失った。自分はとうとう幻覚をみるほどに、メンタルが疲弊しているのかと思いながらも、そんな状態でも玲ちゃんに会えてうれしいという気持ちが半々で混在する。
『これは幻覚じゃないよ。あまりにも蓮くんが情けないから心配して来ちゃった』
「ごめん……。あれだけつらい思いをして亡くなったのに、死後の世界でも心配させ……うわっ」
 頭を下げて、申し訳なさそうに言うと、玲ちゃんが頬を手で挟んで顔を無理やり上げさせた。
『ひどい顔してるよ。蓮くんはもう私だけのヒーローじゃなくて、みんなが憧れるヒーローなんだよ。そんな顔しちゃダメだよ』
「でも……もう無理なんだ。玲ちゃんを亡くなってから、自分の身体が自分じゃないというか……。やっぱり玲ちゃんが自分を支えてくれたことを痛感したんだ」
 目線を下げなら弱弱しく伝えると、パンッと挟んでいた手でサンドするように頬を叩かれた。
『しっかりしなさい! 桑原蓮! ここまで来たのは蓮くんの努力なんだよ! わたしがどうとかこうとか関係ない! かっこいいところみせなさい!』
 その言葉に再び身体に核がガチっと入ったような感じがした。
 そうだよ。そういえばあの時もそうだった。最初にキミと出会った日、引っ越したばかりで不安だったけど、キミに”すごくかっこいい顔してるね”と言われたんだ。あの瞬間、キミの真っ直ぐな表情と共にその言葉はずっと心に残っていて、この子の前ではかっこよくありたいなと願ったんだ。
「ありがとう、玲ちゃん」
 新たな決意をして、勢いよく立ち上がる。そして玲ちゃんを優しく抱きしめる。
 細くて華奢だけど、すごく力強くてたくさんの勇気をもらった。内心はもっとこうしていたいけど、もうそろそろタイムリミットなのだろう、どんどん玲ちゃんの身体が薄くなっている。
「ごめんね。玲ちゃん不安にさせて……。でも、もう大丈夫だから」
『うん。そうみたいだね。じゃあ、天国で応援してるから、蓮くんの最高にかっこいいところ見せてね』
「あぁ……見せるよ。かっこよくてすごい景色を……」
 数秒、言葉は交わさずにお互いを確かめあるように抱きしめあうと、霧散するように小さな光の粒子となって玲ちゃんは消えた。
「よし、行くか!」
 自分に活を入れる。そしてロッカーにある玲ちゃんとの写真を見てから、練習場へと歩き出した。
 もう、不安になんかならない。天国で見ている玲ちゃんのために、最高にかっこいいところ見せる。
 だって、キミの中のヒーローだから。