「ねえ! 今日の靴はこれじゃないんだけど!」
 キンキンとした高い声が玄関先で響く。
 その声が聞こえるやいなや、その場に数人の使用人と、そして朱音が駆け付けていた。
「何度言ったらわかるのよ!」
 ウェーブのかかった栗色の髪に、大きな栗色の瞳。ビスクドールのようなその顔立ちは愛らしく、怒りを露わにしていても許してしまいそうな魅力があった。
 彼女は甲高い声でそうまくし立てると、持っていた靴を朱音に向けて投げつける。
 反射的に顔をガードしながら、朱音はすぐに彼女――椿姫(つばき)へと向き直った。
 鬼ヶ華椿姫。この鬼ヶ華家の本家に生まれた跡取り。
 歴代で上位に挙がるほどの妖力を持って生まれた椿姫は、誰よりも大切に育てられてきた。こんなにもわがままに振る舞っても許されるほどに。
「すみません椿姫さん。すぐに靴を用意いたします」
 間違った靴を用意したのは他の使用人だった。
 けれどこの場では絶対である椿姫に逆らうことだけはNGである。
 だから朱音は謝罪をしたが、椿姫はそれを鼻で笑った。
「能力も無い上に使用人の仕事も碌に出来ないのね。鬼ヶ華家の出来損ないとしての自覚が足りないんじゃないかしら」
「……申し訳ありません」
 グッと奥歯を噛み締め、頭を下げる。
「学園でも恥をさらさないでよね、出来損ない」
 椿姫はそう吐き捨て、何人かの使用人に見送られながら登校していった。
 残された朱音を、他の使用人たちは横目で見ながら、何もなかったかのように持ち場へ帰っていく。靴を間違えた張本人である使用人も、我関せずといった調子だった。
「………」
 こんな扱いは、もう慣れっこだ。
 椿姫は朱音にとってイトコでもあった。
 年が同じイトコでありながら、朱音は分家の子であり、しかも妖力を全く持っていない。
 両親が早くに亡くなっているのでこの本家へと引き取られることになったが、その無能力ゆえに椿姫の使用人の一人として扱われていた。
 しかも悪い意味で椿姫に目を付けられ、子供の頃からずっとこんな扱いだ。
 朱音はただ、ひっそりと生き続けるしかなかった。鬼ヶ華家の出来損ないとして。
「姉さん……何の騒ぎ?」
 不意に聞き慣れた声がし、朱音はそちらを見る。
 朱音と同じ顔立ちをした男が階段から降りてきた。
 色素の薄い灰色の髪に、黒い瞳。均整の取れたその顔は、朱音と同じであるはずなのに、彼の方が柔和で健康的だ。
 鬼ヶ華蒼亥(あおい)。朱音の双子の弟だった。
「もしかしてまた椿姫さんが……」
「ううん。なんでもないよ」
 そう答える朱音に、しかし蒼亥の表情は納得していない。
「姉さん。もう十七になるんだからハッキリと言おうよ。分家として正当な……ううん、俺と同じ扱いにしてくれ、って」
 共に本家へと引き取られながらも、朱音と蒼亥の扱いは天と地ほどの差があった。
 それは、無能力の朱音と違い、蒼亥には高い妖力があったからだ。
 更には椿姫のお気に入りでもある所為で、何かと蒼亥は優遇されていた。
 だが、蒼亥にとって何よりも大事なのは姉の朱音だった。
 最初は蒼亥だけを本家に引き取るという話も、蒼亥の訴えによって朱音も引き取られることになったという経緯があるぐらいだ。
 蒼亥からすれば朱音を使用人扱いしている現状にだって納得がいっていない。それでも本家の人間たちに下手に異を唱えれば、朱音と離れ離れにさせられることがわかっているので強く出れない部分もある。
「蒼亥……身寄りの無い私たちを住まわせて、学校に通わせてくれているだけでありがたいことだよ。それに実際、妖力の無い私に使用人という仕事を与えてくれているんだから、これ以上は望まない」
「でも……」
「大丈夫。ありがとう、蒼亥」
 朱音が優しく頭を撫でると、蒼亥は嬉しそうに笑った。
「さ、私たちも準備して、学校に行きましょう」