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「なるほど。三条真衣さんが、今回の事件に関わっている、と」
 賢神アクルが、眉根を下げて苦笑する。
 理事長室には今、朱音の他に斎藤と轟の教師二人が一緒だった。
 時房理事長は出張だとかで不在である。
 ここしばらく狐面騒動で慌ただしかった朱音だが、今日は何事も無く授業を受けられた。
 しかしそう思ったのも束の間、放課後に事情聴取としてアクルから理事長室へと来るよう呼ばれたのだった。
 なのでこうして斎藤、轟の教師二人と一緒に、狐面についての情報を共有し合っていた。
「三条さんは昨夜、あやかし科の病院へ連れて行き、意識不明のまま入院となりました。ご家族には、あやかしの『呪い』に巻き込まれたという説明でとどめてあります」
 抑揚の無い声で、轟は淡々とそう伝えた。
 真衣の意識が戻らないままなのは心配だが、とりあえずは無事な場所で入院となったことに、朱音は胸をなでおろした。
 その上で、真衣だけが犯人になってしまわないよう、朱音はアクルの方へ向き直る。
「あの、もしも真衣が狐面に『呪い』を依頼するとしたら、所持している妖力が足りないと思うんです」
 アクルはわかっているように頷き、柔和な微笑と共に口を開いた。
「そうだね。ただし『呪い返し』を喰らっているのは彼女自身だから、全く無関係というわけでもないだろう。そのあたりは慎重に調べさせてもらうよ」
「はい……」
「一度、昨日のことを整理させてもらおうか」
 アクルの目は斎藤、轟、そして朱音を一度ずつ射抜き、そうして話し始めた。
「まず一限目の授業後、裏庭の方でエリート科の女生徒に絡まれていた三条さんの元に、狐面が現れ、お嬢さんと忌神がやって来たから未遂で消えた。次に放課後……中庭で今度はエリート科と普通科の男子生徒の呼び出し場所に狐面が現れ、エリート科の子たちを襲い、逃亡。その一方で三条さんには『呪い返し』が起こっており、意識不明になった、と」
「更に放課後から夜にかけて、狐面は鬼ヶ華さんたちに襲いかかったそうです」
「だからって鬼ヶ華なぁ。いきなり屋上までジャンプで侵入したのは褒められたことじゃないからな! 忌神とやらにもよく言っとけ!」
「はいぃっ、気を付けます!」
 訥々と喋る轟と、思い出したように軽く叱りの声を上げる斎藤。
 朱音は斎藤に手を合わせて謝罪した。
 そんな三者のやり取りを眺めつつ、アクルは軽く咳払いして話を戻す。
「やはりこれまでの動向を見るに、いわゆるいじめ……または呼び出し、といった状況下で狐面は現れるようだね」
「そして『呪い返し』を三条さんが受けている、と」
「三条がいじめを無くしたくて、無理に『呪い』を願ったとかかぁ?」
「まあ、そのケースもありえるかもしれませんね」
 斎藤の思い付きに、轟は相槌程度にそう言った。
 朱音としては少しでも真衣の罪を軽くしたいのだが、下手なことを言って疑われてしまうのも恐かったため、黙って耐えることにした。
「条件が揃うと自動的に動き出す『呪い』なのに加え、その『呪い返し』が一方的に発動したままなのが良くないね。早々にこの問題を解決しないと」
 神様だからか、あまり焦りの見えない、むしろ優雅ささえ感じられるアクルではあるが、理事長としてこの学園を守ってくれると朱音は信じるしかなかった。
 話はそこで終わることとなった。
 退室する際、視界の端に映ったアクルの姿は西日に照らされ、どこか神々しくあった。
 クロとは違う、浮世離れしたその美しさをまといながら、アクルは朱音に向けて優しい微笑を見せるのだった。

「真衣が目覚めるのを悠長に待ってられないってことだよね」
 トボトボと学校を後にした朱音は、ある程度歩いたところでポツリとそう呟いた。
 途端に、ぬるりと朱音の影からクロが出てくる。
「そうだねぇ。それはいいんだけど何処に向かってるの?」
 朱音の進む方向が、鬼ヶ華家の方向ではないことに気付いている。
 クロの問いに朱音は苦笑を向けた。
「『あやかし相談所』に行ってみようかなって思って」
「『あやかし相談所』?」
「そう。その名前の通り、あやかし関係のお悩みを聞いてくれる場所なの」
「ふーん。胡散臭い」
「そっ、そんなことないよ……たぶん」
 実のところ、朱音自身もまだ行ったことの無い場所だった。
 クラスの子や、真衣が話題にしていたのを聞いて、正直なところクロと同じような気持ちでいたことは内緒だ。
 胡散臭そうではあるが、今は頼れるものになら何にでも頼りたい。
 なので思い切って『あやかし相談所』へと足を運んでみたのだが……
「ここ……?」
 辿り着いた先にある建物を上から下まで眺め、朱音は確かめるように言った。
 そこにあったのは、入り口がわからないほどの花に埋め尽くされた小さな店だった。
 視界に入る花だけでも数十種類はある。しかも季節感を忘れているのか、左方には向日葵が、そして右方には水仙が飾られていた。
 そんな、一瞬花屋かと見間違いそうになるその店の看板には、書道家が手掛けたような筆跡で『あやかし相談所』と大きく書かれている。
「………」
「入らないの?」
 唖然として立ち止まっている朱音を煽るように、クロはヘラヘラ笑いながらその顔を覗き込んだ。
「は、入るよ!」
 端正な顔がドアップになり、驚いたその勢いのまま朱音は店へと近付く。
 蒼亥ならそんなに気にせず先に入ってくれるだろう。本当は蒼亥を誘う気でいた。
 けれど昨夜帰りが遅かったこともあり、椿姫の機嫌を取るために今日は授業が終わるや否や帰宅してしまったのだ。
 なので朱音は意を決し、花をそっとかきわけ、入り口と思われる木の扉をなんとか開いた。
「……わ、あ」
 中に入った朱音は、思わず感嘆の声を漏らした。
 外から推測した店の大きさとは思えないほど、中は広々としていた。
 吹き抜けになっている高い天井。螺旋階段の作りで天井へと伸びる本棚。
 ステンドグラスの窓に、所々に置かれたアンティーク品の数々。
 広い一室の最奥に置かれた木の机と、黒革の椅子。机の上には高そうな万年筆や天秤、古いラジオに写真立てなどの卓上品が置かれている。
「凄い……」
 花屋かと思っていたら、今度はあらゆる骨董品(アンティーク)が出迎えてくれた。
 こんなにも素敵なお店……もとい『あやかし相談所』を構える所長のことだ。優雅にアンティークや花々を愛でるタイプの人かもしれない。
 そんな妄想を朱音がしていると、突如、卓上のラジオからベベンッと三味線の音が鳴り響いた。
「えっ……」
 驚きで固まる朱音を余所に、ラジオからは三味線の音だけでなく和太鼓の音も続く。
 気付くと和楽器をベースにした明るい曲が流れ始め、一気に室内を陽気な気分にさせていく。
 更には机の両側にあった背の高いライトが、勝手に椅子をスポットライトのように照らした。
 一体全体、何が始まろうというのか。
 そうして強い風が吹く。
「うわっ、わわ」
 思わず飛ばされそうになってよろけた朱音を、クロはすぐに抱きとめた。
「やあやあやあ! その顔は初めて見るお客様だ。ようこそ我が相談所へ!」
 明瞭で楽しげで快活な口上。
 それと共に、スポットライトの下に現れたのは、背の高い男だった。
 サラリと揺れる白銀の生糸のように長い髪。睫毛の長いタレ目と、その下に付いたチャーミングな泣き黒子(ぼくろ)
 赤紫色を基調にしたメンズのチャイナドレス風の服を身にまとい、男は不思議な決めポーズでもって朱音を歓迎した。
「あ……ど、どうも。あの……」
「初めましてお客様。この相談所の所長を務める白竜(はくりゅう)です。どうぞよろしく」
 全体的にスラリと長細い印象を受ける男は、白竜と名乗った。
 ということはもし間違いでなければ……
「もしかして『龍』ですか?」
「ご明察! やはり僕の『龍』としてのカリスマ性が溢れてしまっているかな?」
 何故かいちいちポーズを取りながら、白竜はキラキラとした笑顔を浮かべている。
「さて、お客様のお名前は……」
「朱音です。鬼ヶ華朱音」
「鬼ヶ華? 天鬼くんが使役しているところの?」
「は、はい。そうです」
「天鬼くん、元気にしてる? あの子、いつもなんかちょっとピリピリしてて面白いよね」
「あ、あはは……」
 一人で大笑いしている白竜を前に、朱音は引き攣った笑みを返すことしかできなかった。
 あの天鬼を『くん付け』で呼んでいる上に、どことなく軽い扱い。
 やはり『鬼』よりも上の『龍』であると感じた。
「それで、朱音ちゃん。今日はどういったご用件かな?」
 ずずい、と前かがみになり、朱音と目線を合わせる白竜。
 その白皙(はくせき)の美貌に浮かぶのは、人が猫や犬などの動物を愛でる時に浮かべる笑顔だ。
 どうやら『龍』である彼はだいぶ『人間』が好きらしい。
 と、その時。
「オレの朱音に近寄らないでくれる?」
 視界が真っ黒になる。
 それは、白竜と朱音の視線を断つように、間にクロが着物の裾を入れたからだった。
「く、クロ……」
 いきなりそれは白竜さんに失礼では……と思うよりも先に、目の前の白竜が反応を見せた。
「うぉおお! え、忌神くん? もしかして忌神くんなのかい? えー、どういうこと? 君たちそういうこと? え、え? マジぃ? わー、おめでとう忌神くん!」
 一人はしゃぐ白竜に合わせ、ラジオからは祝福の曲が高らかに鳴る。
 あまりにも予想外のテンションの白竜に反し、朱音は唖然と立ち尽くすしかないのだった。