「夜、天下に大風。皇居の門・高楼・寝殿・回廊及び諸々の役所、建物、塀、庶民の住宅、神社仏閣まで皆倒れて一軒も立つもの無く、木は抜け山は禿ぐ。又洪水高潮有り、畿内の海岸・河岸・人・畑・家畜・田この為皆没し、死亡損害、天下の大災、古今にならぶる無し、云々」

 永祚元年八月十三日――、平安京をはじめ、畿内一円をかつてないほどの暴風雨が襲った。
 奈良、東大寺の南大門が倒壊したのをはじめ薬師寺金堂など著名な社寺の建物の倒壊が相次ぎ、比叡山東塔の大鐘が南側の谷に吹き飛ばされた。都でも、内裏、大内裏の官舎や大門の多くが倒壊、賀茂上下二社をはじめ石清水、祇園天神堂などの大建築物が倒壊し、同時代の歷史書「日本記略」には“左右京人家。転倒破壊。不可勝計”とある。また大風だけでなく、“洪水高潮。畿内海浜河辺民烟。人畜田畝。為之皆没。死亡損害。天下大災、古今無比”という大災害となったと記録されている。
 ――これこそ後に「永祚の風」と呼ばれる当時最大級の台風災害であった。

※ 参考・出典元:防災情報新聞/防災情報機構 NPO法人


◆◇◆


 ――絶望が広がる……、絶望が広がる。
 家屋は倒壊し、人々は嘆き――、そして理不尽な死が広がってゆく。
 ――ああ、行き場のない絶望……、怒りや悲しみがそこにある。我はソレを喰らい力を得る――。

 ――我は人の心を力へと変えるもの……、その嘆きが多いほど、その絶望が多いほど、我の目には目指すものへの道がはっきりと見えてくる。

「乱道よ――、我の意志を喰らうがヨい……、ソレでお前の未来は決マる――。後はヒトの絶望を喰らイ……、悲しミを喰らい――、永遠の生命を得るがヨい」

 我は――今こそ、新たな神としての力を得る。永遠の生命を得てその果てに我は――……、

 ”カミの真実をこの手にする――”


 ――死怨院呪殺道……、それが目指す悲願――。
 その研究は、初め呪法の類を極めるものが、知恵ある生命に限られることに疑問を抱いたことに発する。
 高い知性を持たない魔なる者の中にも強大な異能を持つ者はいるが、それはあくまで腕を持つがゆえに腕を振るえる、程度の意味でしかない。
 腕を持たないものが、腕を生み出す技術を生み出し、腕を扱えるようになる──、それこそが呪法──。
 そうするのには、どうしてもある程度の知性を必要とした。

 そんなこと当たり前ではないか?
 たいていの者はそう言うが、彼らは疑問に思ってその疑問を捨てることはなかった。
 そして、そのうちに一つの仮説をその心に抱く。

「知恵ある生命とそれ以外を隔てる壁──、それは、強い自我(エゴ)──」

 いわゆる動物などの生命は、知恵ある生命に比べ『怨霊』となる可能性が低い。その理由こそ、知的生命が持つ強すぎる自我(エゴ)にあると彼らは仮説を立てた。
 そしてその通り、人間の自我(エゴ)は、多くの強い感情の原因となり、その感情の爆発が『怨念』──そして『怨霊』の生まれる根源となっている。
 それは、時に他の生命すらも『怨念』に引きずり込むのだ。

 彼らは人の心の研究を進めた。そして、その人としての生涯でですら解明できない命題に取り組むために、自らの寿命を無限に延ばすことを考えた。
 それこそが――、今から始めようとしている儀式。多くの悲劇と絶望をもって、その心を回収し自身の魂を組み替える大呪法。
 これは乱道にとって果てなき探求の旅路の始まりに過ぎない。その果てにこそ彼らの得るべき叡智はあるのだ。

 ――乱道がこれより行う探求……。
 結局、呪法とは、知恵ある生命がココロにい抱く空想──、それを世界に浸透させ、自由に自然を組み替える技術ではないのか?
 ならば、その呪法を司るカミもまた、空想が生み出したもの──、ヒトのココロより出でたものではないのか?

 ――カミの存在証明――。

 彼らにとって、カミの真実の前では、人など実験動物でしかない。

「さあ――、絶望をもって我の糧となるがいい」

 死怨院乱道は闇に一人佇み嘲笑する。それが見るのは平安京――、今は絶望と嘆きが渦巻き溶け合う溶鉱炉。
 暴風がうずまき――、大粒の雨が顔を打つ。その中にあって、乱道の瞳だけが強く輝き――、そしてその笑いは突風に溶けていったのである。


◆◇◆


「酷いものだ――」

 翌朝、蘆屋道満は苦しげな表情で平安京の町中に立っていた。
 昨晩は多くの人の救助に駆り出されて、彼自身一睡もしていない状態であった。それでも彼は休まずに町を見て回っている。
 多くの家屋が倒壊し――、今まさにその下にあって助けを望むものがいるからである。

(……そういえば、師は妙なことを言っていたな)

 道満は町を歩きつつ、先ほど師である安倍晴明の言葉を思い出す。

【今回の大風――、風の中に濃い瘴気……呪詛を感じました】

 それが事実なら――、何処かの何者かがこの未曾有の大災害を生み出した……。この「永祚の風」は誰かによって生み出された悪意あるものだということであり――。

(師やかの賀茂光栄は――、今陰陽寮に籠もってその調査にあたっている。果たしてその先にどのような事実があるのか……)

 蘆屋道満は、その先に何やら嫌な予感を感じずにはいられなかった。
 これから――、この大災害を越える何かが起こりそうな……、そんな予感を感じていたのである。
 蘆屋道満は、その未来予知に関しては師を超えるほどの力を得つつある。それが――未来に起こり得るナニカを的確に感じ取っていた。

「――道満様!」

 不意に誰かから声がかけられ、道満は声のした方に振り返った。そこに妹弟子の梨花がいた。

「どうした? 梨花――、お前は師の助手として内裏に出向いていたはず……」
「その師様からの伝言でございます!」
「? なんだ?」

 その青ざめた表情に道満は何かを察する。

「先ほど――、師様と賀茂光栄様の行った占術で……」

 そこから先は――、蘆屋道満にとっても驚愕すべき事実が語られた。

「――平安京に……、再び昨晩と同じ規模の大風が迫っております……、それが直撃すれば――」

 その言葉を聞いて道満もまた顔を青ざめさせる。

「復興ままならぬこの状況で――再び?! そうなれば平安京は……」

 ――平安京は”死の街”と化す――。

 その事実は――平安京にさらなる混乱と絶望……、そして”憎悪”を呼ぶきっかけになるのである。