「父上――、またあの者達と会っていたのですか?」
そう言って屋敷へ帰還した外套の人物を出迎えたのは、齢二十代前半であろう青年であった。
「おお――満顕参っておったのか?」
「ええ――計画が滞りないかと……少し心配になりまして」
その言葉を聞いて、外套の人物は小さく笑って顔を隠す外套を脱ぐ。
「心配いらぬ――、この父に任せておけばよい」
そう言って笑う男は――、現在正四位下・参議の地位にある藤原満成であった。
「無論、父の事は信じておりますとも――。しかし、父上の後ろ盾であった藤原兼通様が薨去なさってから――、その政敵であった兼家が復権……そのあおりで父の出世も滞り――」
「ふん――、お前の言いたいことはわかっておる……。兼通様亡き今、無茶なことも出来なくなったからな――。”あの事実”が兼家に知られていたら――私も……」
「本当に危ないところで――、まあ弟も反省をしているようなので。父上もこれ以上満忠を責めるのは――」
そういう満顕に満成はため息をついて言った。
「まあ――わかっておるさ。責めるつもりなど毛頭ない。そもそも――、妖魔など利用できるなら利用すればいい木っ端に過ぎぬ存在。それをどうしたところでとやかく言われる筋合いなどないのだが」
「――まあ、それを利用して父上を、追い落とそうとする者がいるのも事実です」
「今は我慢の時だ――、兼家が消えれば……芽もあろう。そうでなくても――、あまりやりたくはないが、奴に取り入ればよいだけの事」
「――でも、そうであっても過去のアレがついて回る」
その息子の言葉に満成は頷く。
「――息子が……あずかり知らぬとはいえ、土蜘蛛と通じていたなど、さすがに広めるわけにはいかぬ」
「――満忠は……」
「うむ――、また妙な術にかぶれて――、もはや土蜘蛛のことなど忘れておるようだ」
満成はもう一人の息子である満忠の事を考える。彼は幼いころより学術方面に才を発揮し、呪法――陰陽道や大陸の仙道にすら手を出して、非公式ながら並の陰陽師すらしのぐ術を扱えた。
「あの子は、興味のある事は徹底的に調べねば気が済まぬタチ――、それゆえに一時期は土蜘蛛の術具技術にこだわっていたが――」
「――同時に、冷めるときはすぐに冷めますからな――。もはやかの技術の事など弟の頭の端にもないでしょうな」
二人は”困ったものだ”と彼を想う。そもそもこの事態を生んだのは彼のせいである。
「――かかわった土蜘蛛の集落は滅ぼしておる。もはやそれを覚えている者は満忠と――、滅ぼした集落の土蜘蛛しかおらん」
「そして――、その土蜘蛛も――」
「ああ……、少なくともこれから起こる兼家襲撃で――、そのまま死ぬか……あるいは後で始末してしまえばよい」
満成はそう言ってほくそ笑む。そう――彼にとっては兼家襲撃が成功しようがどうでもいい事なのだ。どうせ生き証人は消えるのだから。
「ついでに兼家を始末してくれたなら喜ばしい話だが――、まあ無理か?」
「ええ――、さすがの妖魔とはいえ、戦闘能力などない土蜘蛛にすぎませんからな」
ふと満成は笑顔を消して満顕を見る。
「満顕――、かの兼家襲撃の際、私も連中のもとに顔を出さねばならん。護衛を引き受けてはくれぬか?」
「いいですとも――、成功した暁には……わが剣で土蜘蛛を皆殺しにすればよいのでしょう?」
「そうだ――、お前ならば可能であろう?」
そう言って笑う満成に――満顕は笑って答えた。
「惜しい娘がいるなら手足を捥いで我がモノとするのもよいですな」
「ふ――、お前の悪癖も極まっておるな……。正直、妖魔に手を出すなど信じられぬ話だが」
「アレはアレで玩具としては良いものですぞ?」
そういやらしく笑う満顕に、少し苦笑いしつつ満成は頷いた。
「まあ――、好みの娘が居たら好きにするがよい。どうするもお前の自由だ……」
「それはありがたい――父上」
二人はそう顔を見合わせて笑いあう。あまりに悪辣なその会話を、側で聞く者は一人もいない。
――ただ夜が更け、空に昇った月だけがそれを聞いていたのである。
◆◇◆
「――」
羅城門の近くの誰も住まぬ古びた屋敷――。その夜、静枝は一人寝付けず月夜を眺めていた。
襲撃が間近に迫った今――、準備はすべて整っている。もはや心配することなどない――そのハズだが。
「――私は……」
静枝は自分の胸を掴んで顔を歪ませる。今でも鮮明に思い出せる。
(――ああ、あの赤い炎……、友の家族の遺骸――)
それはかつて生き抜いた地獄の光景。
(――復讐する――。思い知らせる――、絶対に)
それはあの日から胸に秘める強い決意。
(あの男――、人間の言葉は信用できない――)
あの外套の人物――、彼とは復讐をするために情報を集めていた数年前からの付き合いであり。
(いつもアイツは言っていた――、兼家こそが件の首謀者であると)
静枝は――でも……と考える。
(正直、それが事実である確証など私にはない――。騙されている可能性も無論ある――)
でももう自分にとってはそんなことはどうでもいい事である。
あの日――、地獄を生き延びてから――、寝ても覚めても心をあの地獄が苛んでいる。
(私は忘れることが出来ない――、嫌でも思い出す――)
それはまさに心に突き刺さった大きな棘であり――、事実彼女の精神はすでに壊れていた。
――そう、もはや彼女には後戻りするという手段が残されてはいなかった。
復讐を遂げなければ――彼女の心は今以上に壊れ――砕けてしまうのだから。
「――梨花」
静枝は、自分を心配して、いつもそばに居てくれた優しい幼馴染を想う。
彼女には――、一緒に復讐することを断られ――、そしてそれが理由で喧嘩別れになっている。
「ごめんね――梨花」
彼女は常に――、第一に自分の事を想ってくれていた。それはわかっていた――、
「でもこれだけは――」
梨花の悲しげな瞳を想って静枝は空を見上げる。そこに美しい月が輝いている。
(復讐が成功する可能性は高くない――、返り討ちになる可能性の方が高い……)
でも――、静枝にとっては、心が砕けるか、その身か砕けるかの違いでしかなく――。
「どちらにしろ砕けるのなら――進むしかないのよ」
それこそが――、不確かな情報すら信じて復讐を実行しようとする真意であった。
――ふと、何か物音が静枝の耳に届いてくる。それは、この屋敷の門扉が開かれる音であり――。
「――」
静枝は黙って闇へと身を隠す。そして――、
「静枝――」
その声を確かに聴いた。
「え? 梨花?」
それは確かに大切な幼馴染の声であり――。その声に屋敷内で休んでいた仲間たちが目覚め始める。
「静枝!!」
仲間の一人が静枝に声をかける。
「待って――、この声は……」
そういう静枝の目の前に――数人の人物が現れた。
「貴方――」
それは確かに梨花と――、二人の男。
「貴方が――静枝さんですね?」
そう言って静に佇む男の一人は――、
「安倍晴明――」
それは確かに都の守護を司る名の知れた陰陽師であった。
その光景を見た時――、静枝は何が起こったのか理解出来ずにいた。
自分の大切な幼馴染が、人間――それも平安京の守護を担うその中心的人物とともに現れたからである。
そして――、その事は静枝の憎悪に凝り固まった心によって、最悪の勘違いを導く結果となった。
「なんで? ――梨花」
「静枝――やっと見つけた……」
「梨花――、貴方」
静枝の顔が青白く変わっていく。それを不思議に思いつつ梨花は言った。
「――静枝……、こんなところで何してるの?」
「梨花――」
「もう――こんなことはやめて……」
「梨花!!」
不意に静枝が絶叫する。それを驚きの表情で見る梨花。
「――貴方、なんで人間の――そいつと一緒にいるの?」
「え? この二人の事? ――この人たちは」
「裏切ったの?」
「え――」
その静枝の言葉に、梨花は妙な方向に静枝の思考が向かおうとしている事実に気づいた。
「あ――、違うの――この人たちは……」
「梨花!! ――裏切ったのね?! 人間に私を売り飛ばしたのね!!」
「ちが――」
その静枝の叫びに、梨花は言葉を返そうとするが。それを周囲にいる静枝の仲間が制した。
「静枝!! 梨花は裏切り者だ!! この場は私たちに任せて逃げろ!!」
「――く……」
静枝は仲間の言葉に頷き――、そして静かに梨花を睨む。梨花は慌てて叫ぶ。
「静枝――!! 違うの!! これは――」
「何が違うのか!! ――そいつらが誰か、私だって知ってる!!」
「それは――」
最悪の事態に――、梨花は背後の晴明たちを振り返る。
「晴明様――」
「ふむ――ここは私に任せてください」
そう言って晴明が梨花の前に進み出る。
「私の名は安倍晴明――、それは知っておられるのですね?」
「――」
晴明を睨む静枝に静枝の仲間が叫ぶ。
「こいつの話を聞くな!! 逃げろ!!」
「いや――待っていただきたい。我々はあなた方の敵ではない」
「ふん!! 信用できるか!!」
叫ぶ仲間たちの様子に、少し冷静を取り戻した静枝が言う。
「敵ではない? ならばなんだというのだ?」
「――私は貴方の過ちを正したいのです」
「過ち? 家族の――仲間の仇を討つことがか?」
「いえ――」
静枝の言葉に晴明ははっきりと首を横に振る。
「貴方が仇だと信じている藤原兼家様は――、貴方の村を滅ぼした元凶ではないのですよ」
「なに?!」
その晴明の言葉に驚く静枝。しかし――、
「は――、いまさらそのような話で我らを惑わすつもりか?!」
「そうではありません」
「ならば――証拠はあるのか?!」
「あります」
そう断言する晴明に驚く静枝。それを見て梨花は涙ながらに訴えた。
「――その兼家って人は……、静枝の村が襲われた時期には、政争に敗れて身動きできない状態だったのよ。そもそもそんな命令を下せる状況じゃなかったの!!」
「な――」
その事を聞いた静枝は仲間たちは驚きの顔を梨花に向ける。
「――そうです。貴方はもしかして、妙な人物に嘘を吹き込まれているのではないですか?」
「――」
その言葉に困惑気味に静枝を見つめる静枝の仲間たち。
「――それで?」
その時、不意に静枝がそう呟く。
「え?」
「それで? ――絶対にあの兼家でないという証拠は?」
「いや――だから」
静枝の妙に落ち着き払った態度に、困惑の表情になる梨花。
「――いまさら」
そう小さく呟くと――、静枝は仲間たちに向かって叫んだ。
「何を困惑している!! こいつらは人間だぞ?! 仲間を庇うために嘘も付く!!」
「え?!」
その言葉を聞いて、梨花だけでなく晴明たちすら驚きの表情をつくる。
「――そ、そうか!! そうだよな!!」
静枝の仲間たちは納得した風で再び警戒態勢をとる。それを見て晴明は――、
「静枝さん――貴方」
「安倍晴明――、仲間を庇おうとしても無駄だ!! 我々は必ず兼家という外道を討つ!!」
「――」
その言葉に――何かを悟ったような表情を晴明は作った。
「まずいですね――、少々、我々も事を焦り過ぎたようです」
晴明はその状況を見てさすがに後悔をする。静枝の深層にある心を読み切れていなかったからである。
「待って――、静枝!! この人たちは敵では――」
「人間は敵だ――、それ以外にない!!」
「静枝――」
梨花の言葉に耳を貸そうとしない静枝。さすがに晴明は考える。
(――私としたことが……、いけませんね――。この歳になってもまだ、ヒトの心というモノの複雑さを理解できていないとは)
――と、その時、道満が叫ぶ。
「おい!! 師よ!! 静枝に逃げられるぞ!!」
「――強引に捕まえる――しかないのか?!」
そんな事をすれば今度こそ――。その段になって晴明は珍しく焦りを得ていた。
結局今わの際まで語り合えなかった源博雅の事があって、晴明は彼女らもそうなるのではないかという恐れがあったのである。
「静枝殿!! 貴方は本当に――」
「――」
珍しく焦りを浮かべる晴明を睨んで静枝は踵を返す。
「――梨花――」
「静枝!!」
梨花の叫びもむなしく、仲間に庇われた静枝は逃走を図る。それを止めようと道満は奔るが――。
「道満様!!」
邪魔する静枝の仲間を殴り飛ばそうとする道満に、梨花が悲鳴のような声を上げた。
「やめて!!」
「しかし――!!」
そう言って振り返る道満の目に――、梨花の涙が写った。
(――クソ!! なんてこった!! ――あの静枝という娘の心がここまで頑なだったとは――)
道満は梨花の涙を見て身動きが取れなくなる。その唇をかみ――、静枝たちが逃走するのを黙って眺める。
事態は最悪な方へと転がっていく――。晴明と道満は、彼女の本心を読み切れなかった自分たちの事を悔いる他なかったのである。
◆◇◆
「――」
誰もいなくなった屋敷の中で、ただ梨花の泣き声だけが響く。
「――申し訳ない」
そう言って晴明は頭を下げる。それに梨花は答えた。
「いいえ――、静枝を見つける事が出来ればどうにかなると……勝手に思い込んでいたのは私です」
「――いや、誤解が解ければどうにかなると――、我々も軽く考えすぎていた。そうならない事態を想定していなかった私たちの落ち度でしょう」
「晴明様――」
涙にくれる梨花に――晴明は答える。
「一応――式は飛ばして追跡させていますが――。術具にたけた土蜘蛛相手では、どれだけの追跡が出来るかわかりません」
「――すぐに見失う――か」
晴明の言葉に道満が苦虫を噛みつぶしたような表情をつくる。
「ならば――、もう――、襲撃の時に止める以外に――」
その道満の言葉に晴明は頷く。
「このことがあった以上――、彼女らの術師への警戒は強くなるでしょう。占いで正確な襲撃時期を予測することはできますが――、止めるには強引な手段が必要になる」
その言葉に梨花は心配そうな顔を晴明に向ける。
「梨花さん――、彼女らが傷つくのを恐れるのは理解できますが。こうなった以上――」
「――わかりました。でも――一回だけ……、一回だけ彼女と話す機会をください」
「――わかりました。こうなった責は我々にあります。必ずその機会を作って見せましょう」
その晴明の言葉に、梨花は涙を拭いて決意の表情になる。
大切な幼馴染に大切な言葉をかけることはできなかった――、その後悔を次は決してしない。それだけを心の中で決意したのである。
◆◇◆
それから一週間――、結局静枝の行方を見つけることはかなわなかった。そして、とうとう藤原兼家による羅城門視察が始まろうとしていたのである。
その日、羅城門付近は厳重な警戒態勢にあった。――実は、どこかから藤原兼家が何者かに狙われている――、という匿名の知らせがあったからである。
検非違使は周囲を警戒し――、その警戒の中心を藤原兼家が歩いていく。
――時は正午過ぎ――、晴天に恵まれたその日――、荒れ果てた羅城門はただ何も語らず佇んでいた。
「本当に荒れておるな――」
口を袖で隠して兼家が言う。それもそのハズ――、羅城門の屋根裏には死んだ人間の遺骸が打ち捨てられ、それゆえに腐臭が漂っていたのである。
かつてはきらびやかに飾られていた壁や柱も、もはや古び――、或いは装飾がはぎとられてしまい、まさに無残な姿であった。
「この改修は――相当手間になるな。しかし――」
それだけに自分の名を内裏全体――そして帝へと届ける役に立つだろうと兼家は考えた。
と――不意に、兼家の鼻に腐臭以外の匂いが届く。それは――、
「む? 何かが焼けるような――」
――そう疑問に思う兼家。そうそれこそが、それから起こる事件の始まりとなったのである。
◆◇◆
起こる事件のしばらく前――。
「――仲間はどうした?」
外套の人物がそう言って静枝に聞く。静枝は静かに答えた。
「すでに襲撃態勢に入っている」
「――それは、大丈夫なのか? 勝手をされると、こちらの手引きが出来ぬ可能があるが?」
「――いいのだ……、もはや」
「?」
その静枝の言葉に疑問の表情をつくる外套の人物。それを見つつ静枝は考える。
(あの晴明の言うとおり――、もしかしたら私たちはこの人間にいいように使われているのかもしれない。でも――)
復讐を中止する? そんな事は――許されない。なぜなら――、この日のために静枝はすべての準備をしてきたのだから。
だからここはすべてを黙って襲撃をする。大きな反撃を受けて多くの者が死に――、自分も死ぬだろうが、そんなことはもはやどうでもいい。
(――梨花……、貴方の事を再び見ることが出来た時点で私の未練はなくなった――。ごめんね――、もう私は止まれないのよ――)
そう考えながら静枝は踵を返す。それを見咎めて外套の人物は言う。
「貴方までどこに? 勝手なことは――」
「兼家を殺せばそれでよかろう?」
「それは――」
その静枝の物言いに困惑する外套の人物。そして――、
「すべてを終わりにしてくる――」
そう言って黙ってその場を去る静枝。それを困った顔で外套の人物は見送った。
◆◇◆
天元三年――、以前にも大風で倒壊し再建された羅城門は――、この時には荒れ放題であった。
後の書にある「羅城門上層ニ登リテ死人ヲ見シ盗人ノ語」という話によれば、倒壊以前にはすでに荒廃しており、上層では死者が捨てられていたとされている。
そして――この日、再び羅城門は倒壊する。
後の書には暴風雨による倒壊とされたその倒壊によって羅城門は失われ――、それ以降再建されることはなかったといわれる。
「――!!」
藤原兼家はあまりの事態に驚き目を見開く。羅城門の門下に入った瞬間、その周囲が燃え始めたのである。
「誰か!! 火を止めよ!!」
そう叫ぶ兼家に従い検非違使たちが消火に走り回る。消化しないと兼家自身羅城門から逃げることが出来ないからである。
――その瞬間、兼家の周囲を警戒する者はいなくなる。それこそが――、
「――藤原兼家」
「?」
不意に語かけられ――兼家が振り返る。そこに静枝が立っていた。
「むすめ? お前は――」
「兼家――、我らの恨みを知れ――」
そういう娘の周りに――さらに見知らぬ女性たちが集まってくる。
その光景を首をかしげて見つめる兼家。
――かくして、羅城門は大火に巻かれ――、悲しい復讐劇が始まる。
その時、晴明は自身の屋敷内で護摩を焚き祈祷を繰り返していた。しかし、その知覚はその場にはなく――はるか遠く燃える羅城門を視ている。
(――始まりましたか。ここまでは占術の示す通り――、ならば――)
ただ意識を集中して祈祷を続ける晴明。
ここまでの運命は変えることは出来ない。――それはすでに占術で示されている。
(だからこそそのうえで事態を覆す――、それこそが事態を先読みできる自分たちのすべきこと)
祈祷を続ける晴明の屋敷の屋根に、ポツリと小さな雨が落ちる。
天は急速にかき曇り――、嵐が来ようとしていた。
◆◇◆
「お前たちは――」
困惑する兼家を睨みながらその手に小さな刃を握る静枝。それを見て――、さすがに何かを察して兼家は怯えた表情を向けた。
「貴様――、どこの者だ?! まさか――亡き兄上の――?」
「――しらんな」
焦る兼家に――、静枝は黙って刃を振り上げる。燃える羅城門に兼家の悲鳴が響いた。
――と、
「そこまでだ静枝――」
兼家の背後に何者かが立つ。それを兼家は振り返り――、安堵の表情を向けた。
「お前は――蘆屋道満? 安倍晴明の弟子の?」
「――お逃げなされ……兼家様」
「ありがたい!!」
兼家はそそくさと道満の背後に隠れ――、その場を去ろうとする。それを静枝の仲間たちが慌てて止めようとする。
「――悪いな」
――と、兼家に近づこうとする土蜘蛛たちがいきなり宙を舞う。凄まじい暴風が道満――そして静枝たち土蜘蛛と、兼家を隔てる壁になっていた。
その場に立っているのは静枝と――そして道満だけになる。
「貴様――邪魔を……」
「当然だ――それが梨花の望みだからな」
「――」
その言葉に静枝は苦しそうな顔をする。
「お前の事情は聴いている――、だから復讐を辞めろ……とは言わん」
「何?」
「――あくまで拙僧の意見ではあるが――、間違った目標を仇にしても意味はあるまい? そのような無駄なことはやめろ」
「――知った風な口を」
道満の物言いに静枝は怒りで顔を歪ませる。その表情を受け止めて――道満は言う。
「仇を討ちたいのなら――自暴自棄になるな。お前は今憎悪で目がくらんでいるのだ――」
「は――」
その道満の言葉に静枝は小さく笑った。
「――だったらどうした!! 私にはもはや関係のない話だ!!」
燃え盛る怒りのままにその手の刃を道満に向けて投げる――、そして――、
ドン!!
突然発生した衝撃波に、道満は身をよろけさせる。前方――静枝がいたところに、巨大な妖気の塊があった。
「これは!! ――静枝?!」
その時、静枝の姿は大きく変わっていた。目が八つになり、腕も二対新たに生えていた。
――そして、紅蓮の炎のごとき髪が長く生え――、その身を包んでいる。
「これは――、変化? 源身化? ――いや…、土蜘蛛は人間に極めて近い種であるはず」
「――ふふ……、これで理解したか?」
「貴様――、その姿……、そうか――お前はもはや」
「その通りだ――」
静枝のその体躯は、先ほどの十倍近くにも巨大化していた。もはやそれは人でも――、土蜘蛛ですらなく……。
「ああ――、やっとわかった。そういう事か――」
「そうだ……、もう私は後戻りはできないんだよ」
「――ち」
その静枝の言葉に舌打ちをする道満。彼はやっと静枝のすべてを理解した。
(――土蜘蛛……、術具制作技術において、人は愚かどの妖魔より優れた種族――。その技術をもし、自らに対して振るえば――)
静枝は復讐を誓った時点で心が壊れていたのであろう。そして、自分の身すら復讐の道具として顧みることはなかった。
自らを復讐を達成するための道具そのものへと変化させ――、そして、
「ああ――、お前は阿呆だ……。なんて阿呆だ」
「言うな――」
「なんでお前は――、梨花が泣くと考えない――」
「言うな!!」
その静枝の言葉は悲鳴に近く――、そして悲しく響く。
「私はもはや土蜘蛛ですらない――、復讐しか意味がないのだ」
「この――」
その静枝の言葉に――、道満の心の中の炎が燃え上がった。
「――この阿呆が!!」
その瞬間――道満は一気に静枝との間合いを詰める。それを迎撃するように三対の鉤爪が縦横無尽に振るわれた。
「――俺は!! 誓った!! お前を生かして梨花の前に立たせると!!」
「そんな事は――無駄だ!!」
一瞬の応酬で、道満の全身が血まみれに変わる。静枝の動きに道満は追いつけていない。
「無駄だ!! こうなった私に人間ごときが対抗できるものか!!」
「無駄でも――押し通す!! 梨花の想いを守るために!! ――そして……」
「は――……そんなもの――」
一瞬、静枝の鉤爪がひらめいて、道満が天高く吹き飛ばされる。道満は血まみれで……、口から反吐を吐いて地面に転がり――そして這いずる。
「無駄だ――、もう私には意味がないんだ――。梨花との友情も――もはや」
「もはや? なんだ――」
反吐を吐き――血まみれの道満は。それでも立ち上がる。
「なんだ? お前の――梨花への想いはその程度か?」
「何?」
「――梨花が――、お前のような阿呆と違い、――力のない弱い娘だと、お前自身知っているだろう?」
「――」
道満は血を口からまき散らしながら、それでも真剣な表情で静枝に言い放つ。
「その梨花が――、自分の身すら構わず……、なぜ明確な敵と言える都までやって来たか――、なんでお前は理解しようとしない?!」
「く――」
その道満の言葉に顔を歪ませる静枝。しかし――、
「そんな事――、私は……」
「静枝!!」
「――知っているさ……、こんな馬鹿な私を――、救うなんて」
その時、やっと静枝の目に涙が浮かぶ。それを見て道満は――、
「――それでもお前は止まれない? ――ならば拙僧が力づくで貴様を救う!!」
「ああああああああああ!!」
その道満の言葉を切っ掛けに静枝は絶叫する。その意識が白く塗りつぶされ――、そして殺戮するだけの機械へと変じる。
「心を――閉じたか。本当に貴様は阿呆だな――。そうして心を閉じねば、友の――梨花の想いが障害となって、復讐すらままならぬという事――か」
――だったら――。
「お前の横っ面をはたいて――、目覚めさせる。たとえこの身が砕けても――、梨花の言葉を貴様に届かせて見せる!!」
――かくて燃える羅城門にて……、復讐の鬼を救うべく道満の戦いが始まったのである。
激しく燃える羅城門に風雨がかかり始める。その空は一瞬にして暗くなり、逃げ惑う藤原兼家や検非違使たちが闇に包まれていく。
それでも炎は消えず羅城門の柱や壁を灰へと変えていった。
ドン!!
激しい爆音とともに羅城門の壁が震える。その中で明らかな異常が起きていた。
「があああああああああ!!」
絶叫する魔獣と化した静枝の、その縦横無尽の斬撃を何とかかわす道満。それでも完全に回避しきることは不可能であり――、
(ち――、このままでは傷が増えて――、血が足りなくなる)
全身血まみれで――、それも高速で奔りながら静枝の攻撃を避けていく道満。それをあざ笑うかのように道満の足に何かが絡みついた。
「く?!」
それは白い蜘蛛糸――、よく周囲を見てみると、そうした蜘蛛糸が燃え盛る炎に灰と化す様子もなく道満の周囲を囲っていた。
「しまった!!」
道満はそれを見て一瞬そう叫ぶが。――それはあまりに遅すぎた。
ドン!!
超高速で静枝が道満に向かって奔り。そして――、
「がああ!!」
血反吐を吐きながら道満は宙を舞った。
「あああああああ!!」
宙を舞う道満へ無数の斬撃が飛ぶ。道満の身には”被甲斬避”の呪がかけられていたが――、それでも道満の身に致命傷に近い傷を与えた。
(まずい――これでは……)
木の葉のように宙を舞いながら――、それでも何とかその手で印を結ぶ道満。
「疾く――」
ドン!!
一瞬、暴風が道満を包み吹き飛ばす、――そして道満は空中で体勢を立て直した。
「ち――」
そのまま足から着地してから、近くにある蜘蛛糸を見た。
(妖縛糸――、土蜘蛛の扱える妖力の一つ――か……)
それは確か陰陽五行における、土行の力を宿す糸であり――。
(火行――、この炎の中ではその力を増し――、切れることのない束縛となる)
今は周囲に張り巡らされているだけだが、もしそれを静枝が積極的に用いて道満を拘束しようとしたら――。
(――そうなれば、その時点で拙僧は終わり……。でも――)
道満は一瞬で策略を巡らせる。――この糸は静枝が生み出したものではあるが……。
(別にこれ自体が術でもなく――、意志を持ってもいない)
道満はそう考えつつそっと糸に触れる――、そして――、
「――陰陽道というモノを甘く見るなよ?」
そう呟いて意識を集中した。
「季節は廻りて――、命も廻り――、力も亦廻るなり。大地の気を借りて金気の勢いを生じるは、これ世の道理なり――」
その瞬間、蜘蛛糸が黄金色に輝く――そして、
「金気の縛鎖をもちて、相手の動きを束縛せしめよ――」
その瞬間、かの静枝の動きが止まった。無数の蜘蛛糸が静枝の身に絡まってその動きを止めたのである。
「自分から生み出した糸で拘束される気分はどうだ?!」
そう言って道満は瞬時に静枝との間合いを詰める――そして。
「その心を解け――、修羅と化した妖魔よ――」
道満は素早くその場で歩を踏む。そして――その手に剣印を結んで四縦五横の格子状に空を切った。
「その心に穢れはなく――、その心に鎖はなく――、その心に曇りも無し――。ナウマクサマンダボダナンアビラウンケン――、その慈悲の光明を以て真理を照らせ――」
その瞬間、その静枝の目に理性が戻る――、そして……、
「さあ――拙僧《おれ》の役目はここまでだ梨花……、存分に罵ってやれ」
「――?」
道満の術で拘束され――、疑問を顔に浮かべる静枝の耳に……よく聞く声が響いた。
「静枝――」
「梨花」
静枝は怯えた表情で、その場に現れた梨花を見る。
「――馬鹿……」
「梨花――」
「本当に馬鹿だよ――静枝」
「私は――」
静枝は首を横に振って涙を流す。それを梨花は怒った表情で見て叫んだ。
「――どんな姿になろうと静枝は静枝だよ!! 私の事をもっとよく見て!!」
「梨花――」
「私は――、静枝の家族の事もよく知っているから――、その悲しみも怒りも分かるんだよ?」
「でも――」
そう言って俯いて涙を流す静枝。
「私が――あなたの復讐を止めた理由がわからない?」
「――梨花が、私と同じ思いなら――」
「同じように復讐を望むと?」
梨花はそう言って、静枝の下へと歩いていく。そして――、その手で静枝の頬に触れた。
「大事な友達が――、死にに行こうとしているのを……喜んで送りだせ――? 或いは――、共に進んでその死を望めと?」
「――!!」
「――そんな馬鹿なことできるか!!」
その時、やっと静枝は理解する。梨花が――、何を考えて自分の命すら顧みず、復讐を止めに来たのか。
「憎いよ!! 人間が憎い!! でも――、貴方は……静枝は生きてるんだよ?」
「梨花――」
「死んだ人たちには悪いけど――、私にとってその人たちより……、今生きている静枝の命が大切なの!!」
梨花はその目に大粒の涙を浮かべる。
「それに――、静枝のおかげでわかったんだ。人間の中にも――私たちを想ってくれる人はいるんだって」
「――」
その言葉を道満は静かに聞く。
「静枝――、村に帰ろう? それに――、彼らならきっと、あなたの恨みを――、その元凶を正してくれるから」
「梨花――」
その言葉と共に、梨花は静枝の頬を優しくその両手で撫でる。その指に静枝の涙がかかった。
その瞬間、静枝の肉体が元へと戻り始める。そして――、
「静枝――、やっとあなたを――」
「梨花――」
その血で汚れた体を梨花は優しく抱きしめた。
「ごめん梨花――私」
「――いいの、静枝――、貴方が生きているそれだけで――」
「うう――、ああああああああああ」
その時やっと静枝は心の底からの泣き声を上げる。それを優しく両手で包み込む梨花。
「――ふ、とりあえずは――、どうにかなったか……。後はこの場から逃げねば、羅城門の倒壊に巻き込まれ――」
ヒュ!! ――ドン!
「――」
不意に静枝の身が揺れる。梨花は何事かと静枝を見つめた。
「――ああ……梨花」
「静枝?」
道満はその時、静枝の身に起きた事実に驚き――、そして……、
「ふざけ――!」
怒りのままに周囲を見回した。
「静枝?」
「梨花――」
何が起こったのか理解できない梨花は静枝を揺り動かす。その唇の端から血が流れた。
「静枝?!」
その時――、静枝の背には深々と矢が刺さっていた。それは何処かから飛来したものであり――。
「く!! この期に及んで――、口封じだと?! ふざけるな!!」
怒りのままに叫ぶ道満に――、静枝は小さく呟いた。
「――陰陽師さま――、どうか梨花を守ってあげて――」
「!!」
その言葉に梨花はびくりと身を震わせる。
「これは――私が愚かにも目指した恨みの果て――、だから梨花……悲しまないで」
「――静枝!! 嫌だよ!! 死なないで!!」
「結局私は――、貴方のようにいい人間と出会うことが出来なかった。いいように使われて――始末された」
「ああ――静枝」
絶望に涙を流す梨花を――、それでも優し気に静枝はその両手で抱きしめた。
「私は恨みを捨てられない――、貴方のように優しくないから……、いつか暴走して貴方を死に追いやる」
「静枝!! 駄目!!」
「だから――これが私の運命でいいの――。もう貴方を――、これ以上傷つけたくないから」
「静枝!!」
――と、その時、小さく静枝は笑う。
「でも――、本当に今――、私は幸せなんだよ?」
「静枝?」
「だって――、最後に――貴方とこうして――」
それは誰が見ても幸福に満ちた笑顔。
「私は――、復讐の果てにのたれ死ぬんだと信じていた――、でも――」
そのまま静枝の腕は力なく落ちる。
「――ああ、梨花の腕の中で――、本当に――」
その時――、燃え盛る羅城門を暴風雨が包む。その風雨が火を消し――そして、羅城門を崩壊させていく。
その瞬間、羅城門の周囲にいた人々は――、その羅城門の向こうで悲し気な悲鳴が上がるのを聞いたのである。
羅城門が暴風雨によって倒壊してしばらく後、結局藤原兼家による羅城門修繕は白紙となっていた。
その裏で起こっていた事は世間には公表されず、そもそも兼家を襲った勢力がどこの誰かはわからずじまいであった。
――そもそも、兼家はその過去より多くの者に恨まれていた。ゆえに――、敵が多すぎて特定できなかったというのが正解であったが。
その日、兼家は自分に媚びを売るとある男に辟易した様子でため息をついていた。
「――いや、しかし兼家様――、羅城門の件は残念でございましたな」
「ふむ? その事はもういい――」
不機嫌そうに呟く兼家に――焦った様子の藤原満成は愛想笑いで答えた。
「こ――これは申し訳ありません! 私としたことが……」
「ふう――、お前は……、そうやって兄にも媚びを売っておったのか?」
「う――、はは……そのような話――」
満成はひきつった笑いを浮かべる。それをしてやったりと言ったふうで笑って兼家は言った。
「まろに媚びを売っても無駄じゃぞ? お前の事はよく知っておるのじゃ」
「う――、何を?」
「お前自身は問題が無いようじゃが――、お前の息子らは……なんとも奔放な様子じゃな?」
その言葉を聞いて満成は顔を青くする。
「まあ――、どのような悪さをしたかまでは知らぬが……、お前も大変だな?」
「う――ぐ……」
「まあ――、お前自身には、今のところこれと言った悪さをした様子は感じられぬが――。この子にしてこの親あり――とも言うな?」
その兼家の言葉にさすがに顔を赤くする満成。心の中で兼家に向かって毒づく。
(――く、あの時、土蜘蛛どもがこいつを始末していれば――、使えぬ道具が――)
それでも、満成は媚びを売るように笑顔を向ける。どちらにしろ――、今この内裏の権力者は兼家だからである。
(――いつか、こいつを――)
心の中に毒を隠す満成に――、不意に声がかけられる。
「おや? 貴方様は――、藤原満成様でよろしですか?」
「む――」
そう呼ぶ声に満成が振り返ると――、そこに内裏の一部で有名な男、安倍晴明が立っていた。
「む? おぬしは安倍晴明――殿? 私に何か?」
「――いや……、兼家様とのお話中にお邪魔して申し訳ないです」
「で――? 私に話があるのであろう?」
「ふふ――実は」
そう言って笑う晴明は懐から一枚の羽根を取り出した。――それは、
(? ――矢羽根?)
そう――、それはよく矢の尻に取り付けられる風切り羽であり――。
「いや――、これに見覚えがないかと――」
「ふむ? 見覚えはないが――、どれがどうした?」
「そうですか――、ならば特に何も――、お忘れになってください」
――その晴明の言葉に首をかしげる満成。そのままその場を去ろうとした晴明に、不意に兼家が言葉をかける。
「ふむ? 晴明? その矢羽根――、一体どこで拾ったのじゃ?」
「ああ――、その事ですか? いや――別に話すほどの事では」
「うむ? まろには話せぬ事か?」
そういう兼家に――、晴明は困った表情で言った。
「いいえ――、この矢羽根は弟子の道満が持ち帰ったものでして――、道満はあの日……羅城門が倒壊した日に、そこに丁度おりまして――な」
「ああ――その事か……」
晴明の話を聞いてため息をつく兼家。それを横目で見て――、何か嫌なモノを心に得る満成。
「――この矢羽根は……、そこで拾ったものなのですよ……。詳しい話は――、ここでは何ですから、後で」
「ふむ? そうか?」
兼家はそう言って首をかしげる。それを見て何かを悟って満成は顔を青くした。
「――いや、その矢羽根の事を、どうして私に聞いたのです?」
顔を青くしながら満成は晴明に問う。
「いいえ? ――ここ最近、誰に対してもこれを聞いていますが? 何か心当たりでも?」
「そ――そうか?」
「はは――、これも私の仕事でしてな? 少々事情があって、矢の持ち主を探しているだけの話――」
「そう――か」
満成はやっとその段になって、その矢羽根を見たことがある事を思い出す。それは――、
(息子が――満顕が使っていた矢の羽――か?)
そう心の中で考える満成の心を――、全てを見透かすような目で晴明は見つめる。
「何か思い出したら――、我が弟子……蘆屋道満を訪ねてくだされ。彼は――だいたい我が屋敷にいますから――な」
「わかった――そうするとしよう」
その満成の目は泳ぎ、その身が微かに震えている。それを見て――、
「それでは――失礼いたします」
晴明はにこやかに笑いながらその場を去っていった。
(――このことは、息子に――満顕に話すべきか――)
その背を見送りながら、満成は震える拳を握ったのである。
◆◇◆
晴明と道満は――、すでにその矢から、事の首謀者を特定していた。
全ては――、かの少女たちの友情を嘲り、そして、梨花の大切な幼馴染の――その命を奪った存在への宣戦布告。
晴明は珍しくも憤りを胸に秘めていた。――そして道満もまた――。
(――藤原満成――、そしてその息子満顕――、あなた方の無法――かならず白日の下に晒して見せます)
それは彼らの決意――。そして同時に、かの静枝から託された最後の願いでもあった。
――かくして、安倍晴明と蘆屋道満の――、平安京に巣くう闇との暗闘が始まる。
●
藤原満成

年齢は五十代後半。藤原兼通に可愛がられていた公家の一人。兼通が亡くなり兼家が復権したのちに出世が滞り、それゆえに兼家に小さくない恨みを持つ。
そもそも、彼は兼通が生きていた時代に何かと好き放題していた人物であり、かの四年前の土蜘蛛集落殲滅も彼がかかわっていた様子がうかがえる。
見た目もごく普通の貴族に見え――、一般にはただの政治家として見られている。ただ、妙に優れた部下に恵まれているらしく――。
妻とは死に別れ、息子に藤原満顕、藤原満忠がいる。
●
藤原満顕

満成の息子。現在二十代前半の青年。一般には芸能事が好きで、さらには女遊びが大好きというふうに見られている。
ただ、彼には悪いうわさが絶えず、その通り――人に暴力を振るう姿がたびたび目撃されている。
それをしばしば止めるのは、その剣術の師匠である
高倉恒浩の役目であるようで、二人連れ立って歩く姿がよく目撃される。
ただ彼にも大切なものはあるようで、弟である満忠の事を常に気にかけて、彼に降りかかる火の粉を先んじて止めているようである。
●
藤原満忠

満成の息子。現在二十代前半の青年。満顕の一つ下の弟。
幼いころより学術方面に才を発揮した人物。さらにその才は呪法――、陰陽道や仙道などにも向けられ、非公式ではあるが、並の陰陽師をしのぐ呪術を扱うことが出来るらしい。
好奇心が強く――、それはかの土蜘蛛の術具制作技術にも及び、それに関わって土蜘蛛と繋がっていたようである。
極めて子供っぽく好奇心だけで行動を決めてしまう、――そして、学ぶことには命をかける――そのような人物として周囲に知られている。
果たして彼がどの様に土蜘蛛と関わっていたのか? それはこれから明かされるのかもしれない。
その呪法の基礎を教えたのは、現在満成の客人として平安京に滞在している
牟妙法師という在野陰陽師である。
●
高倉恒浩

四十代前半である満成の部下である、常に眉を寄せて怒ったような表情をしている男。
満顕の剣の師匠にして、そのお目付け役。生真面目を絵にかいたような人物であるとされる。
乱暴狼藉を働きやすい光頼を監視して、よくその暴力を止めている様子を見ることが出来る。
剣の腕に関しては、彼曰く――”満顕様は、すでに剣術においては自分を越えていますよ”という事らしい。
●
牟妙法師

謎の多い陰陽法師。年齢不詳。
ある目的で日本中を旅して――、そして今は平安京に留まっている。満成の客人の一人であり、内裏にもたびたび顔を出している。
普段は貴族に頼まれての加持祈祷を行っているが――その素性は誰も知らない。
満忠の呪法の師匠である。
●蘆屋道満の戦闘用呪法解説(第一章~第四章まで):
若い蘆屋道満は以下のような呪を駆使して戦っている。
たいていの呪が短縮系詠唱なのは、直接戦闘をメインとして活躍の場とする蘆屋道満ならではであろう。
無論、これ以外にも呪は習得しているが、直接戦闘へ最適化されている呪は以下のもののみである。
さらに、蘆屋道満は高度な錬丹術を習得しており、薬を扱うことにかけては師匠である安倍晴明を越えている。
★直視鳶目の法/呪文:なし
一般的な霊視覚法を拡張した特殊視覚。完全蘆屋道満オリジナル。
直視した目標の情報を、ハッキリとした感覚で術者に伝える。
★蘆屋九字/呪文:なし
基本的に反閇と共に使用される基本的強化呪法。九字で身を清めてその上で反閇を用いて自身の各種能力を強化する。
その効果によって蘆屋道満は達人に比肩する近接戦闘能力を獲得する。
★霊力手刀/呪文:なし
蘆屋道満が扱う近接攻撃呪。霊力の刃ではあるが”なまくら”であり主に敵に対し打撃を与えるものである。
最も、身体能力を強化しつつ扱う呪ゆえに、その打撃は大の大人を一撃で昏倒せしめる威力を持つ。
その他の特徴として――、幽体などの実体を持たぬ存在にも打撃を加えることが出来る。
★符術/呪文:急々如律令
最も基本的な呪法。符に異能を封じて”急々如律令”という呪で効果を開放する。
符をあらかじめ用意する必要があるが、霊力消費が少なく手軽でたいていの呪術師が扱える初心者向け呪法。
★真言呪/呪文:様々
戦闘用に最適化され印無用――、又は短縮形呪文で扱えるようにした真言呪。
それでも結印又は呪文のどちらかは必要であり、扱うには相手の動きを止めなければならない。
当然、そんな暇がない時は使用されず、それゆえにある意味希少である呪法。
★縛呪/呪文:疾く、又はオン
直接戦闘時の足止めに使用する呪法。自然物を利用する場合は呪は必要としない。
よく蘆屋道満が唱える「疾く」又は「オン」は正式な呪の代用であり、正確には長い呪を必要とする。
★式符/呪文:なし
ヒトガタの式符を用いてもう一人の自分自身を生み出す。
ヒトガタの身体能力は発動したその瞬間のものと同じになる(新たな呪は扱えない)。
ただし、これは符術の符を持たせて、カタパルトみたいに利用することもできる。
★六芒大呪/呪文:本文参照
蘆屋一族近代呪法の最高峰である『天羅荒神』やその発展形である『森羅万象』の基礎となった大呪法。
効果としては単純な身体超強化、潜在霊力の超増幅であり、それによって人を遥かに超えた超高速戦闘が可能になる。
ただ、この呪は未完成であり、後に生まれる二呪と違い、その使用の代償として自傷とともに寿命を削らねばならない。
●安倍晴明の戦闘用呪法解説:
安倍晴明は、基本的に直接戦闘を行う人ではない為、二十四体の式神を攻撃&防御手段として用いる。
近代における式神使役法のように術強化には用いられない(それは近代呪術で発展した技術)。要するに、戦闘面においては純粋な魔獣召喚士のような戦闘スタイルである。
これら以外にも直接戦闘で扱える呪はあるが、だいたいの場合は以下の式神を駆使して戦う。
★十二天将呪=天輪奉呪:
『騰虵』/呪文:火神凶将――巳の方角より来りて業火渦巻き――、すべからく灰となせ――【騰虵】!
炎に包まれ羽の生えた蛇。
安倍晴明最大の攻撃呪法。最強かつ大規模破壊の術ゆえに使いどころが難しい。
『朱雀』/呪文:火神凶将――午の方角より来りて焔舞い――、空を奔れ――【朱雀】!
四方神が一人。南を守護する。朱色の鳥の姿。本来は未来視(占術)で用いる式神。
火炎弾を周囲に召喚して目標を打ち据える。複数目標を狙える。
『六合』/呪文:木神吉将――卯の方角より来りて暴風を呼び――、押しとどめよ――【六合】!
目に悲しみをたたえた少女の姿。
雷を纏った竜巻を呼んで敵を包み、そのショックと風圧によって身動きを封じる。ダメージはない。
『勾陳』/呪文:土神凶将――辰の方角より来りてその剛腕を以て――、打ち据えよ――【勾陳】!
金色の蛇の姿。本来は複数の呪法具を精密制御するための式神。
単純な衝撃波弾によって敵を打ち据える。最も基本的遠距離攻撃呪法。
『青龍』/呪文:木神吉将――寅の方角より来りて風迅奔り――、断ち切れ――【青龍】!
四方神が一人。東を守護する。青い鱗の龍の姿。
正確無比で高速のかまいたちを呼んで切り裂く。比較的近接攻撃。
『貴人』/呪文:上神土神吉将――丑の方角より来りて神遊び――、凶事を避けよ――【貴人】
気品のある老人の姿。十二天将の主神で天乙貴人、天一神、天乙ともよばれる。
あらゆる災害・損害より身を護る防御系最強呪法。広域攻撃術が相手でも「なぜか」無事となる。
切り札であり事前準備の必要がある(一回使用ごとに準備が必要)。
『天后』/呪文:水神吉将――亥の方角より来りて水流れ――、押し流せ――【天后】!
十二単を着た姫の姿。
巨大な水流を生み出して目標を押し流す。広範囲妨害呪。
『大陰』/呪文:金神吉将――酉の方角より来りて神奔り――、打撃せよ――【大陰】!
優しげな老婆の姿。時には少女の姿をとる場合もある。
純粋な精神波弾を目標に打ち込んで精神の働きを妨害する。
『玄武』/呪文:水神凶将――子の方角より来りて呪詛となり――、死せよ――【玄武】!
四方神が一人。北を守護する。蛇の巻き付いた亀の姿。
術具等の呪的仕組みを始めとする、何かしら動くものを止める(死なせる)呪。生物などに関しては対象の抵抗を受ける(妖魔などが相手では高確率で抵抗される)。
『大裳』/呪文:土神吉将――未の方角より来りて鎧となり――、すべてより守れ――【大裳】!
恰幅のいい笑顔の武者。主に他の天将の威力弱化に同時召喚される。
あらゆる打撃斬撃を防ぐ霊力の鎧を術者に与える。対物理防御。
『白虎』/呪文:金神凶将――申の方角より来りて針となり――、刺し穿て――【白虎】!
四方神が一人。西を守護する。白い毛並みの虎。
最高速を誇る針弾を撃ちだす。それが命中すると身体動作に異常が起こる。
『天空』/呪文:土神凶将――戌の方角より来りて砂塵となり――、包み込め――【天空】!
髑髏の仮面をかぶった人物。
広域に広がる砂塵で目標の視覚を奪い――、さらに精神波によって『不信(誰の言葉も信じられなくなる)』の害を与える。
★十二月将呪=月明奉呪:
『徴明』/呪文:水神凶将――亥の方角より来りて水渦巻き――、押しとどめよ――【徴明】!
黒い龍麟を持つ巨大な猪。
足元に泥水を呼んでその流れで複数目標の歩みを止める。広範囲妨害呪。
『河魁』/呪文:土神凶将――戌の方角より来りて霧雲呼び――、幻惑せよ――【河魁】!
馬ほどもある、黒い龍角を持った犬。
幻惑する霧を呼んで複数目標を包み攻撃目標を見失わせる。広範囲妨害呪。
『従魁』/呪文:金神凶将――酉の方角より来りて神宿り――、天を舞え――【従魁】!
人間ほどもある、黒い龍角と赤いトサカの鳥。
単純な空中飛行呪。でも空を飛ぶ呪法は、この時代ではかなり珍しく使い手もほぼいない為、かなり強力である。
『傳送』/呪文:金神吉将――申の方角より来りて道を示し――、送り届けよ――【傳送】!
龍尾を持った人間ほどもある大猿。
行ったことのある場所に瞬間移動する。これも単純だが強力。防御にも応用できる。
『小吉』/呪文:土神吉将――未の方角より来りて神酒湧きて――、傷を癒せ――【小吉】!
龍尾を持つ羊。
あらゆる傷を癒す神酒を生み出す。呑む必要もなく触れれば癒える基本的治癒呪法。
『勝先』/呪文:火神吉将――午の方角より来りて焔呼び――、延焼せよ――【勝先】!
深紅の炎のような鬣をした龍角のある馬。
基本的な火呪から、異なる挙動を持つ火呪を生み出す攻撃呪法補助のための術。
かなり自由に変化させられるために使い勝手が良い。
『太一』/呪文:火神凶将――巳の方角より来りて陣描き――、封印せよ――【太一】!
龍角のある、人を一飲みできるほどの大きさの大蛇。
あらゆる異能を封じる防御小方陣を生み出す。封印された呪は保存され術者によって再起動が可能。主に防御として使用される。
『天罡』/呪文:土神凶将――辰の方角より来りて武器となり――、わが手にあれ――【天罡】!
全身に多くの傷を持つ黒い龍神。
術者自身の望むあらゆる武器(漆黒の武具)へと変じる。それは壊れることなく、さらに呪の触媒としても使用できる。
『大衝』/呪文:木神凶将――卯の方角より来りて雷となり――、空を裂け――【大衝】!
鋭い牙を持つ黒いうさぎ。
単純明快な雷系攻撃呪法。術者の手から一直線にまっすぐ雷の帯が目標まで伸びていく。複数を巻き込みやすいが避けられやすい。
『功曹』/呪文:木神吉将――寅の方角より来りて神降ろし――、神気を宿せ――【功曹】!
龍麟を持つ黒い虎。
あらゆる武器防具に強化能力を与える基本補助呪。武器ならば攻撃が、防具なら防御がアップ。さらに幽体に対する特効を得る。
『大吉』/呪文:土神吉将――丑の方角より来りて神呼びて――、理を開け――【大吉】!
龍麟を持った巨大な牛。
神仏の霊威を借りた呪を一時的に大幅強化する(当然、天将・月将の呪にも効果あり)。他人にも使用可能。
『神后』/呪文:水神吉将――子の方角より来りてわが身を喰らい――、群れと化せ――【神后】!
黒いネズミの群れ。
その身に受けたあらゆる攻撃を無効にする回避呪。一回の呪文詠唱で一回の緊急回避が可能になる。広範囲攻撃呪法には弱い。
★天妙五芒星結界/呪文:凶事を防げ――、バンウンタラクキリクアク――、ウン!
安倍晴明の基本的防御呪法。いわゆる五芒星障壁。最後に「ウン」と唱えて中点を打つ。
五芒星に込めた霊力によって、その防御能力は変化する。
★晴明九字/呪文:青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女
呪文が違う以外は蘆屋道満のものと全く同じ。
蘆屋道満が扱う九字を晴明流にアレンジして導入したものであり、本来は蘆屋道満(蘆屋氏)オリジナルの呪法である。
静枝が亡くなったあの事件より数ヶ月が経った翌天元四年――、その春の日の平安京は静かな夜明けを迎えていた。
「――」
しかし、この穏やかな朝の光が照らす街の片隅には、静枝の悲劇から数ヶ月が経った今でも、心に嵐を宿した蘆屋道満が一人佇んでいた。
彼が遠くから見るのはひとりの男――、朝っぱらから酒を片手、女の腰を抱いて陽気に騒ぐ藤原満顕であった。
「ち――」
静かに道満は舌打ちする。
あれから数か月、彼女の死の真相とその裏にある陰謀を突き止めようとする安倍晴明の捜査は、道満にとってあまりにも丁寧で遅すぎるものであり、根っからの激情家である道満に対しては苛立ちしか与えなかった。
あれからしばらく――、梨花は泣いて暮らしていたが、それも数日で辞めて晴明の指導の下、陰陽道の修行を始めたようで、一見すると立ち直っているように見える。しかし――、
(拙僧がこの有様なのに、梨花が平気でいるわけがない――)
そう道満の考える通り――、たまに人目につかない所で泣く梨花を、彼は何度も目撃していた。だからこそ――、
(くそ――、わかってるさ……、師の言うとおりなのだ――)
道満は歯を食いしばって怒りを押し殺す。師である安倍晴明には何度も言われている。
”道満よ、貴方が怒りに任せて行動することで真実は見えなくなる。梨花や――、亡くなった静枝のためにも冷静さを保つことが重要なのです”
道満は――、憎悪に駆られてすべてを失った静枝と、同じ轍を踏むわけにはいかないのだ。しかし――、しかしだ……、
あの時、確かに静枝を救ったと思った――、しかし、一本の矢が静枝の命を奪い、すべては台無しになってしまった。
占術で、あの矢が満顕によるものである事はわかった。――満顕が梨花と静枝の友情を台無しにしたのだ。
その満顕がなんの咎もなく、毎日楽しく遊び歩いている――、その姿から道満は目をそらすことが出来ない。
結局、道満は激情を押さえることが出来ない。――その拳は自然に固く握られた。
――と、その時、不意に道を満顕の下へと歩み寄る男を見る。それは――、
(アレは、確か藤原満成の配下――、満顕の剣の師匠だとかいう”高倉恒浩”?)
その男は静かに満顕の下へと近づくと――、何かをそっと耳打ちした。その瞬間――、
(?)
不意に満顕の表情が真剣なものへと変わる。その変わりように道満も何か察するものを得た。
満顕はすぐに脇に抱えた女をほおると――、抗議する女に目も向けずどこかへと去っていく。その目には何か――、剣呑な……妖しい光がともっていた。
(――ふむ? 何かあったのか?)
道満はそれを見て満顕の後を追う事を決意する。何かしら奴らの悪事の証拠となるものを得られるかもしれないと考えたからである。
高倉恒浩と連れ立って去っていく藤原満顕を視線にとらえつつ蘆屋道満はその背を追いかける。――その先が闇に通じるとは知らず。
◆◇◆
しばらく満顕を追っていくと、彼らはひと気のない、無人の屋敷が並ぶ地域へと進んでいく。
その妖しい行動に、何かの確信を得た道満は慎重にその後を追っていく。そして――、
「む?」
満顕たちが路地を曲がり、その先に消えたのを確認した道満は、それを追ってその路地を曲がろうとする。その時――、
「あ――」
その先の道には満顕は愚か、その供である高倉恒浩すら見えなくなっていたのである。
「見失った?!」
少々慌てる道満が周囲を見回していると――、不意に前方の屋敷の方から女の悲鳴が聞こえてきた。
「!?」
何事かが起こった事を察した道満は、そのまま悲鳴のした方へと急いで――、そして慎重に進んでいく。
そして、その先に門扉の開いた屋敷が見えてきたのである。
(――あそこか?)
道満は慎重にその門扉をくぐり、そして屋敷の中へと足を踏み入れる。その耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「――だ、……した、――満忠……」
「?」
そのひそひそと呟く声を追って闇を進む道満。その先の一室から満顕の笑い声が確かに聞こえたのである。
「満忠――、しょうがない奴だ――、これ以上同じことを繰り返すと、俺ですら庇い辛くなってしまうぞ?」
「すみません兄さん――、でもこれで大丈夫ですよね?」
「ふん――、まあな目撃者は始末したからな」
その声を頼りに道満が部屋の中を覗き込むと――、
(――!!)
そこには二人の男――、一人は満顕、もう一人は見たことのない若い男、が女の死体を前に笑いあっていたのである。
「――」
道満はその光景を見て――、一つの考えに至る。
(見たことのないあの若い男――、もしや満顕の弟である満忠か?! そういえば先ほど微かに名前を聞いた――)
道満は頷いて後退る。かの藤原満成の息子たちの、――その悪事の決定的瞬間を目撃した道満は、それを晴明に知らせるべく奔ろうとしたのである。
――しかし、
「――で? 兄さん――、この娘を殺した下手人は誰にするつもりなんだい? いつもの通りどこかの浮浪者かな?」
「はは――、それはもう決まっておるぞ? それはな――」
その満顕の次の言葉を聞いて、道満は驚愕してその場に凍り付く。
「俺の後をつけてきた――、頭の黒いネズミにすると決めておるのだ」
「――?!」
――と、その時、やっと道満は、それまで満顕と供にあったはずの高倉恒浩の姿が見えないことに気付く。
その意味するところは――、
(いかん!)
そう心の中で叫んだ道満は、急いで屋敷の外へと走っていく。しかし――、
ドン!!
不意に奔る道満の左前方の襖がはじけ飛んで、刀を構えた高倉恒浩が走り出てくる。
その動きはまさに神速であり――、道満は反応する暇もなくその肩を刃で切り裂かれたのである。
「ちい――、追跡がバレておったか!!」
「――殺気が強すぎですよ? 蘆屋道満殿――」
「拙僧の事を――?」
「当然ですよ――。貴方が我々の事を監視していることは、しばらく前から知っておりました――。そして――」
道満はその段になって――、自分がまんまと彼らの罠にはまった事実を知る。
「――まさか、拙僧はおびき出されて?!」
「ええ、ちょうど満忠様の――後始末があったので、ここが頃合いかと考えまして――」
「く――」
道満は肩から流れる血を――、その傷を手で押さえながら門前へと走る。そこに――、
「待て!!」
「?!」
それは――、どこからかやってきた検非違使であり――。
(――くそ!! なんて用意のいい連中だ!!)
その瞬間、自分の身に何が起きたのかハッキリと理解する。
「止まれ!! 貴様を殺人の容疑で逮捕します!!」
「――違う!! 拙僧は――」
そう言い訳をしようとしたときに、屋敷の中から藤原満顕が現れる。
「――そいつが殺した女は中に倒れています。早く捕まえるように――」
「了解いたした――、藤原満顕様――」
それはまさに最悪の状況である。
(――このまま……、検非違使庁に? ――いや――)
そんな事をすればその先どうなるかは、火を見るより明らかである。
――ここまでの事をした満顕が、そこから先の事を考えずに捕まえさせるとは到底思えない。
(――クソ! すまん師よ――、拙僧は――)
この状況を打開する策を一瞬で考えた道満は――、
「すまん――!!」
自分を取り押さえようとする検非違使を突き飛ばして、そのまま都の道を奔り抜けたのである。
「まて!!」
後方より自分を止めようと追う者の声が聞こえてくる。さすがの道満もこの事態に歯軋りする他なかった。
この日、蘆屋道満は、女を殺した下手人として検非違使に追われる身となった。
――そして、このことは道満――、そして晴明にとって、戦いの序曲に過ぎなかったのである。
月夜の闇に藤原満顕の微笑がある。
「――という事で、安倍晴明の弟子……とやらは見事罠にはまったぞ、父上――」
「ふふ――、そうか、よくやった――、こちらも万事順調である」
そう言って笑い返すは藤原満成である。満顕は父の言葉に酒を傾けながら答える。
「ほう――、父上……あの兼家が――、動いたのですか?」
「ふふ――その通りですよ。彼は復権がなされて久しいですが――、それでも敵は多いという事――」
「ならば――」
「ええ――、このまま安倍晴明を失職にまで追い込むことは十分可能でしょう」
その満成の不気味な笑いは、まるで血に飢えた悪鬼そのものであり――、
「安倍晴明は――、陰陽師としては優秀だが……、政治事に関しては疎い様子だ――。はかりごと――政治的利害という事をいまいち理解してはおらん」
「――ならば、そこは父上の領分――。弟子の失態をもとに晴明をつつけば――」
「ふふ――、私を甘く見るな? 安倍晴明――」
――そう、決して安倍晴明の地道な捜査は進んでいなかったわけではなかった。その障害となっていたのは――。
「それで――父上? トドメとなるアレはもう?」
「ああ――、牟妙法師に晴明の身辺を探らせていて――、まさかあのような事が……とは思っておったが――。十分利用させていただいた――」
「ならば――、検非違使も動いていると?」
「――当然」
闇に笑う満成――。果たしてその次の一手は?
◆◇◆
「それは――、どういう事なんです? 晴明様――」
「ふむ――、どうも藤原兼家様の動きが芳しくないという事ですよ」
「――」
その時、安倍晴明は梨花と捜査の今後について話し合っていた。
「なぜです? ――これだけの証言・証拠があってなぜ動かないのですか?」
「おそらくは――、満成がなにか兼家様に吹き込んでいるのでしょう」
「そんな――」
晴明のこれまでに集めたものはかなりの数に及ぶ。
藤原満顕がこれまで行ってきた悪事に始まり――、それを満成がもみ消したという証言。
藤原満忠が裏で行っているらしき非道な人体実験とその証言。
その目撃者等を満顕が始末して――、さらにそれを満成がもみ消したという証言。
そして――、満忠が事もあろうに土蜘蛛一族と術具取引を行い――、それに関連して起こった証拠隠滅の数々。
それは証言が中心で、明確な証拠と呼べるものはなかったが――、それでも満成を追い落とすには充分であったはず――なのだが。
「やはり――、明確な証拠を探すしかないのか?」
「晴明様――」
梨花は心配そうに晴明を見つめる――、しかし、ふと表情を変えて言った。
「――しかし、晴明様がこうして悩んでおられるときに道満様はいったい何をしておられるのでしょうね?」
「道満――?」
「ええ――、何か今日は遅い様子――、このように月が昇っても帰ってこないなんて……」
「――……む?」
不意に晴明の表情が険しく変化する。突然の変化に梨花は困惑した。
「どうしました? 晴明様?」
「――この屋敷の周囲に……」
「え?」
晴明はすくっと立ち上がると屋敷の門扉へと進んでいく。それを困惑の表情で梨花は追った。
「――?」
晴明が屋敷の表へと出ると――、その門扉の向こうは、何やら明るく火の光が見えた。
「晴明様? 表に何者かが?」
「――下がっていなさい梨花」
梨花を下がらせると静かに門扉を開く晴明――、そこには……。
「――!!」
「ふむ――、さすがの陰陽師……我々の動きに気づいて出てきたか?!」
そこには完全武装した検非違使の群れが屋敷の周囲を固めていたのである。
「これは――、何事ですかな?」
至極冷静にそう検非違使の長らしき者に問いかける晴明。それを――、静かにに睨んで検非違使は答えた。
「お前が――、土蜘蛛を匿っているという知らせがあった……、そして――」
「……なんですと? ――土蜘蛛? そのようなでたらめを事を誰が――」
「あわてるな晴明――、それだけの事ではない」
静かな口調で言い返す晴明を検非違使の長は止めた。
「――それだけではない? 一体――、あ……」
その時、いまだに屋敷に帰らぬ道満の存在を頭に浮かべる。その様子を見て検非違使の長は妖しく笑った。
「お前の弟子である蘆屋道満――。その者に藤原兼家様への呪詛……並びに、それを行うための生贄とするべく、女を殺したという容疑がかけられておる。それも――」
「まさか――!!」
「――それを主導したのは……師匠である貴様であると――」
あまりの言葉にさすがの晴明も驚愕に変わる。さすがの事態に、屋敷の中に隠れていた梨花も顔を出す。
「その娘か――、捕らえよ」
「あ――」
検非違使の群れが、晴明を横目に屋敷内へと押し入っていく。それを怯えた目で梨花は見つめた。
「梨花――! ――待ちなさい……この娘は――」
「何かあれば検非違使庁でじっくり聞かせていただく」
そう言って検非違使の長は強い力で晴明の肩を掴んだ。
(まさか――これは……、藤原満成の策?! ――でも)
晴明は検非違使の長を睨むと――、強い口調で叫んだ。
「この事は――藤原兼家様は……知っておられるのですか?!」
「――うむ?」
その言葉に検非違使の長は、少し笑って言った。
「――これは兼家様直々の命令であるが?」
「な――」
その事実にさすがの晴明も驚きを隠せなかった。なぜなら――、
(まさか――なぜ?! 兼家様には……事のあらまし――、藤原満成とその息子たちの所業を伝え――、そして捜査中であると伝えてあるはず!)
――ならば、兼家公が満成の策に与するとは到底思えない――が、
(今、このような手段を行ってくる者は――満成以外ありえぬはず――どういうことだ?!)
さすがの晴明もこの状況に困惑が隠せなかった。――と、その時――、
「愚かな師よ――、愚かだからこそ、そうして拙僧の罠にはまったのだ――」
「む?」
何処からか響く声に検非違使達は周囲を見回す。すると――、
シュー……。
どこからか白い煙が周囲に漂い始めたのである。それを吸い込んだ検非違使達は――、
「う――、げほげほ……」
せき込み、苦しみ、涙を流してその場にうずくまる。その状況をなしたのは――、
「道満――、貴方は!!」
「ふふ――、師よ……いや晴明――、まんまと騙されたようだな」
「――!!」
その視線の先には静かに歩む道満が写っている。
(――道満?! ――その肩は……)
道満の肩には布がまかれ――、赤黒く血がしみ込んでいた。――、道満は静かに晴明の下へと歩いていく。そして――、
「すまん――、師よ――、ここは拙僧に合わせてくれ――」
「?!」
そう言って晴明の耳元で呟く。それを聞いてすぐに察した晴明は――、
「げほげほ……、道……満――、貴様裏切って――」
「はは――その通りよ……」
道満は笑いながら――、そして自分自身を見て身構える検非違使――、梨花を捕らえようとした者達――、の下へと歩いていく。
「貴様!! とま――」
「遅いな――」
ドン!!
その道満の腕が横凪にされた瞬間――、検非違使達は後方へと吹き飛び、その場に転がった。
その光景を困惑の表情で見つめる梨花。道満はその場にやってくると――、
「梨花――この場は逃げるぞ――」
「でも――」
「大丈夫だ――晴明は……な」
ひそひそ語り合う道満と梨花に追いすがるべく検非違使達は立ち上がるが。
「ははは!! こうなったからには逃げさせていただく!!」
「待て!!」
「馬鹿め――、待てと言って待つ者はおらんわ!!」
再び道満がその手を横凪にする――、その瞬間再び検非違使達は地面に転がったのである。
梨花は道満にだけ聞こえる言葉で話す。
「――何がどうなって?」
「まんまと藤原満成親子に嵌められた――」
「しかし、先ほど兼家様の命だと――」
「ああ――おそらくは――」
道満はかつてないほどに顔を歪める。それを心配そうに見つめる梨花。
「――我らは……、嵌められたのだ――、おそらくは藤原兼家すら、今は連中の側にいるのだろう――」
「な――?!」
あまりの事に絶句する梨花。それを語る道満の顔には、明らかな憎悪と失望が見て取れた。
「――ここは逃げる他はない――行くぞ」
「道満様――」
道満は梨花を腕に抱えると高速で検非違使達の間を奔り抜ける。そして――、
「――晴明よ――、これで理解できたか?」
そう晴明に向かって一言叫んでその身を闇へと躍らせたのである。
「――道満……」
あまりの事態にただ静かに立ち尽くす晴明。全ては――最悪な方へと進んでいたのである。