「――貴様がここに至ったという事は……、かの者の話はおぬしらには通じなかったか」
その時、妖魔王・千脚大王静寂は、屋敷の門前にて一人の武者と相対していた。
「いや――、もしくは話すこともなく……、約束を違えたか?」
「ふむ――、なんの話かはわかりかねますが。とりあえず、かの小倉直光様の姫を返してもらいに来ました」
「ふん、事情も解せぬ人風情が言いおる……」
静寂はその両手の大太刀を構えて威嚇の体勢をとる。それを見てその武者――源頼光は、いたって平然とした様子で腰の刀を抜いた。
「無駄だとは思いますが――、無駄な戦いをせず、私たちの軍門に下り――、姫を返していただく事は……」
「出来るわけがなかろう? どちらにしろわしを切るつもりであろう?」
「その通りですね……、都において多くの負傷者を出した以上――、貴方は討伐すべきものですから。言うだけ無駄な話ではありました」
まさしく問答無用という様子で頼光は刀を構える。そこには一遍のためらいもなかった。
「フン――、その目は見たことがある」
「――」
「わしの事を何も見ず聞かず――、ただ恐れるか、敵意を抱く者の目だ」
「……どうでもいいですが。――人の領域を犯したという自覚はありませんか? ――ないのでしょうね」
「――はは……、なんと愚かな小僧だ」
その妖魔の言葉に、眉一つ動かさずに間合いを詰める頼光。
「お前らの今の都すら――、元は妖魔の領域であったろうに!!」
その咆哮は夜空に響き森の木々を揺らす。
(――妖魔と話すだけ無駄――、そうなのですが……。今日は少し気分が――)
頼光は、妙な違和感を感じつつも刀を手に一気に千脚大王へと駆けた。
お互いの間合いはゼロになり、その頼光の刃が閃光のごとく空に直線を描いた。
ガキン!!
金属と金属のぶつかる音が森に響く。頼光の刀と妖魔の大太刀がぶつかり合う音である。しかし――、
ガシャン!!
妖魔の手にした大太刀が、頼光の刀を受け止めている場所から砕けて折れる。それはほんの一息すらならぬわずかな時間の事であった。
「く――」
その砕けた大太刀を取り落としつつ、妖魔は身をひるがえして後方へと飛ぶ。頼光の刀はそれを追うように一閃されるが――、妖魔にかわされてしまった。
「――これで一本」
とくに喜ぶ様子もなく頼光はそう呟く。その光景を見た妖魔は――、
(奴の剣――、なんという鋭さ……、おそらくは相当格の高い霊刀か――)
その見立ては確かにその通りであるようで――、頼光の手にする刀の刀身は、かすかに月夜で輝いている。
「ち――」
この状況を見て――、目の前の若武者は、自分がさらに有利になったと喜んでいるのかもしれない。そう考えた妖魔は少し笑ってその刀を失った手の平を地面へと向けた。
「?」
その不意の行動に疑問を持つ頼光だが――、その答えはすぐに目前に現れる。
「!!」
それは大太刀――、自分たちが相対する森のその地面から、無数の大太刀が生えてきたのである。
「――これは!! ――妖術?!」
「その通りよ――愚かな小僧……。わしの手にする大太刀は、この通り無限に産むことが出来るのだ」
その言葉を受けてさすがの頼光も顔を歪ませる。
まさしく、大太刀が草のように無数に生える”剣の原”にて――、再び両者のにらみ合いが起こる。
その静寂を破ったのは――、今回は妖魔の方であった。
「は!!」
気合と共に二刀流で大太刀を振るう妖魔。それを自身の刀で制し簡単に砕いてしまう頼光。しかし――、
「――!!」
妖魔は残った大太刀でさらなる斬撃を頼光へと走らせつつ――、あいた方の手で側に生えている大太刀を掴んだ。
――そして――、
月下の森に砕ける金属音が無数に響いていく――。次々に大太刀を持ち替える妖魔は、息も出来ぬほどの連続斬撃を頼光に向かって放つ。
「――く」
その圧に――、さすがの頼光も後退り始める。無論、それだけではなく――、
「は?!」
不意に頼光はそれ以上後退できなくなる。その頼光の背後には――。
「――刃の壁?!」
それは地面から無数に生える大太刀と同じく――、刃で出来た防壁であったのだ。もはや頼光はそれ以上後退できなくなって――、必死で妖魔の連続斬撃をいなす他なくなってしまった。
「――ははは!! 小僧!! このまましまいにしてやる!!」
「――」
妖魔のその宣言を苦しげな表情で見る頼光だが――、
「――妖魔よ……、私を甘く見過ぎです」
「む?」
その瞬間――、薄く頼光の目が朱に染まった。
「?!」
それまで刀で防いでいた連撃を、その身の動きのみで避ける頼光。大太刀の刃が頼光の薄皮を断ち血が飛ぶが――、かまわずに身を低くしてその場を駆け抜けていく。
ドン!!
その時妖魔の脇から大量の血が噴き出る。それは――、妖魔の真横を駆け抜けた頼光が、その刀で妖魔の脇を断ち切ったからである。
「うがあああああ!!」
その霊刀の斬撃は――妖魔に普通の刃による斬撃以上の激痛を与える。それはまさしく斬魔の刃であった。
「――な?! 馬鹿な――、それは人の動きか?!」
「無論、人ですとも――、魔を断つ武家における集大成とは言われておりますが」
そう笑いもせず答える頼光。その目は今も薄く輝く。
「その目――、浄眼? 魔眼? あるいは――」
「まあ、貴方に語っても無意味とは思いますが――。これは、大陸の血から継承された”陰陽眼”と呼ばれるもの――だそうです」
陰陽眼。
いわゆる日本古来の陰陽道とは無関係である魔眼。主に大陸の一部の民族が持つ。
その目は霊界と人間界を隔てる壁を見通すとされ、一般的な霊視覚にも似た効果を持つ。
そして、陰陽道とは関わりがないものの、天地自然の霊脈――龍脈をその目で見通し、そのあらゆる力の流れを把握することが可能となる魔眼でもあり――、
意識を集中するとあらゆるモノの動きが数倍の遅さに感じられ、それらに素早く対応が可能となる戦闘補助副次的効果も持っている。
「――私にとっては、貴方の動きは空を漂う木の葉にすら劣るように見えます」
「く――」
妖魔は苦しげに呻きつつ――、その両手の大太刀を振るう。しかし――、その刃は一切頼光を断つことなく空を切るばかりであった。
「私がなぜ――、我が武士団において最高戦力と称されているのか。理解が出来ましたか?」
「くそ!! くそ!!」
その頼光の言葉を横に聞きつつ妖魔は必至で大太刀を振るうが――、
「はあ――はあ――」
「どうやら――、妖力も気力も尽きたようで……」
さすがの妖魔も――、苦し気に息を吐いて、大太刀を杖にして項垂れるほかなかった。
「――さて……、このまま封印してもいいのですが――、貴方のその能力は、今後都の脅威になりかねません。だから――」
「く――」
悔し気に頼光を見つめる妖魔に――、まさしく死刑宣告をする裁判官の様子で、頼光は冷たい目を向けた。
(――く、ここまで――か)
――そうして、諦めが妖魔の心を犯し始めたその時、不意に森全体に男の声が響いた。
「――そこまでだ!! 源頼光!!」
「あ――」
その声の主は――、
「待たせたな静寂――、あとは拙僧に任せろ」
それは――、てっきり約束を違えたと思い込んでいたあの人間――、蘆屋道満だったのである。
その姿を見て呻きに近い声を上げる妖魔――、いや”静寂”。
「なぜ――お前は……」
「二言はないといった――、お前たちの想いを――、拙僧が確かに守ってやる!!」
「にん――げん」
その時になってやっと静寂は、自分もまた偏見を元に人を見ていたことを理解する。目の前のこの男は――、
「ああ――」
その身に幾つもの傷を負い――、息を切らせながらも走ってきた。その様子をただ眩しいものを見るように見つめる静寂。
「――まさか――、四天王をすべて倒してきたのですか?」
さすがに驚きが隠しきれない頼光は――、そう言ってその手の刀を道満に向けた。
「ああ――、当然だ……」
「そんなことをすれば貴方は――」
「はは――、いまさら心配してくれるのか? 頼光のぼっちゃん」
その道満の言葉に眉を寄せて頼光は睨んだ。
「――さあ――、これで最後だ――。この場でお前を……、源頼光を――、この蘆屋道満様が止める!!」
月光を背景にそう宣言する蘆屋道満――、その顔には、いかなる者にも負けじとする、不遜極まりない――そして大胆不敵な笑顔が宿っていた。
「――人間」
門前にて傷と疲労で動けず、目前の相対する二人を見守る千脚大王静寂。そこに栄念法師と、それにつれられて来た姫が現れる。
「アレは――、蘆屋道満殿……か」
「道満様――」
そう二人は呟き――、今まさに睨み合う二人を見つめる。
「――道満殿は……あの傷であの若武者と戦う気なのか?」
「道満様は――、勝つことが出来るのでしょうか?」
そう口々に疑問を語る二人に――、絶望的は表情で静寂は答える。
「あの道満という人間は――、そこそこやる人間らしい――。だが、あの若武者――、源頼光はもはや人外のナニカと言える存在だ――」
「ならば……」
静寂のその答えに悲痛な表情を浮かべる姫に、静寂は深く頷いて――、
「勝てる見込みはあるまい――、そうなればわしらも……」
「静寂様――」
「……すまない。姫――、もはやわしはここまで――、命を懸けても守ると誓ったのに」
「いいえ――」
静寂の後悔に首を横に振ってこたえる姫。その姫に向かって、不意に道満から声がかかった。
「おい――、お前ら……今のうちに、出来るだけこの場を離れろ――。この三つ蛇岳ではない別の場所へと向かうのだ」
「え? それは――」
道満の言葉に困惑の顔をする姫。
「――静寂は、この霊山で生まれた妖魔ゆえに――、ここから離れれば大きく力を失うだろう。でも――、生きていれば何とかなる……、何とかして見せろ!!」
「道満――」
その言葉に驚きの表情を向ける静寂――、しかし、確かにすぐに頷いた。
「わしとしたことが――、この期に及んで何とも情けない姿を姫に晒したものだ。俺は――姫と平和に暮らせるならば――、生まれたこの霊山すら惜しくはない」
その言葉に涙する姫――、そして、
「それでいい――。達者で……平和に静かに暮らせ――、親子……そしてついでにその法師とも――な」
その道満の言葉にその場の三人は小さく笑い――、そして肩を貸し合いながらその場を後にする。道満はその背後を見て――、確かに笑った。
「――どういうつもりです? あんなことを――、私があなたを倒して、すぐに追跡すれば同じでしょう?」
「は――、おいぼっちゃん……。もう拙僧に勝てたつもりか?」
「――力の差は歴然だと――、私は思いますが?」
その頼光の言葉に――、道満はいたって強気の表情で言葉を返す。
「そりゃまた――高い鼻だな。へし折りやすくていいぜ」
「冷静に考えたうえでの話です――、なぜなら……。貴方は我が四天王相手に”傷を得て”いる」
「――」
頼光のその言葉の意味は――、要するに”四天王相手に傷を受ける程度の者”は自分には勝てないという事なのだろう。道満はそれを聞いて――、
「は――」
まさしく鼻で笑った。
「お前は生真面目で正直なのが取り柄だが――、正直すぎて他人の事など構わんと言ったふうだな」
「はあ? 我が四天王たちは――、今のように言われても怒らないですが?」
「――それが、”他人の事など構わん”っという事だと、理解できんようだな」
道満のその不敵な笑いに少しムッとする頼光。その手の刀を構えて断ち切る体勢をとる。
「こうなった以上――、道満殿にも痛い目を見てもらわねばならぬようですね」
「――はは、生意気にぼっちゃんが言ってくれるな」
「私の方が年上ですが?」
静かなにらみ合いは一瞬――、頼光が闇にあって高速で奔った。
「――ふ」
道満はその”直視鳶目の法”を以て、その動きを見極めようとする。頼光の斬撃は空に光線を描き――、そして道満へと向かう。
(――この軌道なら)
道満がその剣線を見極め――、そしてその斬撃を左肩すれすれで通そうとしたとき。その頼光の刀の光線が大きく変化を起こした。
「な!!」
道満の驚きと血しぶきが飛ぶのは同時であった。
「ぐお――」
左腕が深く切られ――、血が絶え間なく流れる。
「ほう――、切られた瞬間にも何とか軌道を反らしましたか」
そう言って静かに笑う頼光。それを見てさすがの道満も顔を歪ませる。
(――なんだ? 今、拙僧の軌道反らしに対応して、頼光がさらに軌道を変化させたように見えた)
道満はそう考えつつ頼光を見る。――その頼光の瞳が妖しく輝く。
(なるほど――、こいつも拙僧と同一……もしくは拙僧以上の異能感覚持ちであったか――。頼光は術師の家系ではないゆえに、おそらく先天的な何か――)
その一瞬でそこまで見抜いた道満はさすがというべきだが、それで対策が出来たというわけではなく――。
(という事は――、これまでの戦いで戦況を有利にしてきた、”直視鳶目の法”の優位性がほぼなくなったという事か――)
それはまさに最悪の状況――、言っても蘆屋道満は術師だからである。
道満は他の術師に比べて近接戦闘が得意である。でも――それは本職に比べれば劣る程度であり、呪による身体強化及び”直視鳶目の法”で何とか達人クラスに至っている状態。
その片方の優位性が失われれば――、達人クラスの剣士に対しては、近接戦闘においては遠く及ばないことになる。
ならば遠距離ならば? ――それもおそらく頼光には効かない。なぜなら、頼光が自分と同程度の魔眼を有するのだと仮定すると、遠距離攻撃は完封されてしまうと予想できるからである。
何より道満は、近接攻撃を得意とする故に――、逆に本来術師なら得意とする遠距離攻撃の手札が少ない。
(――こうなったら)
道満は心の中で呟きつつ森へと身を躍らせる。
「へえ? 逃げますか?」
すぐにその後を追う頼光。その視界に背を向けて逃げる道満が写った。
「甘いですね――」
それはかの渡辺源次とすら互角ともいえる神速の太刀。一気に道満との間合いを詰めた頼光は――、その道満の無防備な背中に切りつけたのである。
「獲りまし――」
不意に煙と共に道満が消える――。それは一枚のヒトガタとなって空を舞った。
「あ――」
その瞬間――、頼光は背後からの熱を感じて、本能にしたがって身をひるがえした。
ドン!!
森に爆炎と共に衝撃波が広がる――、頼光は寸でのところで回避し地に転がった。そのまま転がるのに身を任せて態勢を整え一瞬で立ち上がる。――そこに道満が突っ込んできた。
「この!!」
「ふ――」
体勢を整えたとはいえ、少し身のバランスを崩した頼光は、その道満の霊手刀による連撃を防ぐだけになる。
「――この、よく避ける」
「――」
道満の斬撃は確かに鋭く――、並の達人ならそれで終わっていたであろうが、
「――申し訳ありませんが。見えていますよ」
「ち――」
頼光は防戦をしつつ後退し、その身のバランスを取り戻していく。そうしてすぐに攻防は逆転した。
「く――」
今度は頼光の縦横無尽の斬撃に防戦を強いられる道満。その中で道満は考える。
(――頼光の斬撃は。かの源次に比べれば洗練されてもおらん荒れた剣――、でも――、こいつの斬撃軌道は、こちらが避け始めた後から軌道を変えて命中に変えてくる)
それはようするに後出しじゃんけんそのものであり――、それに何とか追いついて攻撃を避けられているのは、道満の持つ”直視鳶目の法”がかの魔眼と同一の効果を持つ故であった。
それでも道満は避け切れず全身に切り傷が増えていく。道満の全身は血にまみれて、それが道満の意識すら刈り取りに来る。
「はあ――、はあ――」
さすがの道満も”直視鳶目の法”を維持し続けることで疲労がたまり、動きが目に見えて遅くなっていく。しかし、頼光はというと――。
(コイツの気力は底なしか――)
その動きの冴えを見て道満は心の中で悪態をついた。それも当然――、これほどの魔眼を長期間維持して、全く疲れが見えていないのは明らかにおかしいからである。
道満は舌打ちしつつ、一気に後方へと後退し、再び頼光に背を向けて走り出した。
「逃げるばかりですね――」
平然と言う頼光に――、何も言わずにただ逃げる道満。
(――これは、打つ手がない――。さすがに拙僧でもあんなバケモンを相手に、どうこうできるような呪は――)
道満は天才とは言え独学で呪を学んできた身。並の妖魔程度ならまだしも――これほどの相手を想定して呪の勉強はしていない。
それほどこの源頼光は規格外過ぎる力を持っていた。
(――確かに奴の言う通りだ)
逃げつつ道満は最初の会話を思い出す。
”冷静に考えたうえでの話です――、なぜなら……。貴方は我が四天王相手に傷を得ている”
頼光の言う通り――、頼光四天王で傷を得ている程度の実力ではここが限界であった――か、
そう考える道満であったが――、ふとこの場を去った姫たちを想う。
(――このまま逃げるか? なんて――馬鹿なことは思わん。かの者達の想いを守ると誓った。そう――これは彼らの為だけではない――)
――そう、これは姫たちの想いを救う、それだけの意味しかないわけではなく。
(――これは拙僧の信念――、かつての後悔を決してせぬために――)
その時――道満は”かつて”を思い出す。自身の実力不足ゆえに、守るべき者を守れずに這いずったあの時の事を――。
(ならば――、躊躇わず進むか……)
そう考えた瞬間、道満は自然と達観した表情になる。
「逃げても無駄だと――」
逃げる道満を――その最高速にて追う頼光は、すぐに道満に刀の間合いまで迫る。
「ここまで――」
そう頼光がいった瞬間――、道満の様子が大きく変化を始めた。
「ぬ?」
頼光は驚きの表情を道満に向ける。その道満の手には小さな刃が握られ――、その刃でもって自傷をしていたからである。
「え? 何を――」
「は――」
道満は薄く――そして凶悪に笑う。それは――悪しき妖魔の嘲笑にも似て――。
次の瞬間――、道満の全身から凄まじい光焔が迸り、森の闇を赤く染め上げてゆく。その光焔は衝撃波を伴い頼光を押し返してゆく。
「な――なんで――。これは」
その時、頼光は驚愕の光景を目にする。道満の黒い髪の一房が、一瞬にして白く変わったのである。
「道満殿?! 貴方は――、まさか――、寿命――自身の命を削って?!」
「はは――わかるか頼光」
「なぜです?! 何の関係もないただの妖魔に――、どうしてそこまで?!」
「わかるまいな――、お前には」
その道満の言葉に二の句を告げない頼光。そして――、
【かごめかごめ――、籠牢にて鳴く鳥、いずれ時に解き放たれん。暁の鐘が鳴るときに――】
道満の歌声が森全体に荘厳に響き渡る。頼光はただ呆然とそれを眺める。
【天を仰ぎし紅蓮の姿――、大地を護る水底の姿――、二つの力が交わる処に、隠されし絶えざる力あり――】
道満を挟んで――、大空に輝く三角形が描かれ、その反対の大地に闇の三角形が描かれていく。
【後ろの面影に、誰ぞ隠れん――、その名を唱えよ――、オム・マ・ニ・ペ・メ・フーム――】
道満の歌声と共に――、天の三角と地の三角が交わり合一する。
「あ――」
それだけを頼光は声に出す。その目に映るのは――、
「六芒星――」
「唱えるは――、六芒の大呪――、その霊威を以て我に……”力あれ――”」
その瞬間、森を――その天を割いて、上空に至るまでの光の柱が生まれる。その中心にいるのは――、
「道満――、蘆屋……道満」
あまりの光景にそのまま絶句する頼光。そして――、
ドン!!
次の瞬間には、空高く吹き飛ばされていた。
「ぐ――お」
反吐を吐きながら飛翔する頼光に、無数の光線が収束する。
(は――や)
実は――、その光線の一つ一つが道満の操る霊手刀の輝きであり、その人の目では不可視に近い存在となった連撃を頼光は黙って受け続ける。
(あ――、なぜ……)
その中にあっても頼光は考える。なぜ道満は命を削るほどの呪を――、ただの妖魔のために使うのか?
(な――)
もはや抵抗は無駄となり――、ただ光線に翻弄される木の葉と化す頼光。そして――、
「――」
そのまま頼光は意識を闇に没したのである。
◆◇◆
(――ああ、馬鹿な事をした)
その呪を維持しながら道満は考える。
(これで拙僧の寿命は――命はだいぶ削れたはず)
その髪の一房を白髪に変えて――、ただ心の中で呟く。
(――でも、まあいいさ……意地は――、そして約束は守り通した)
道満は笑いながら目を瞑る。道満は――頼光が意識を失うのを確認した後――、
(ああ――、師よ……。禁じられた呪は使ってしまったが……。これでよかったのだな?)
そこに後悔は一遍も存在しない。ただ――笑いながら蘆屋道満はその意識を闇に没したのである。
「それで――、あとはどの様に?」
「うむ――、今回の件……、妖魔王・大百足は頼光達の決死の戦いで討伐されたが――、姫は食われていた……という事で処理された」
「ほう――」
とある屋敷の一室にて、安倍晴明と源満仲が酒を酌み交わしながらそう会話している。
「――頼光も……、今回の事で思うところがあったらしくてな――。このわしに討伐の失敗と……そしてその原因となった蘆屋道満の助命を願って来たのだ」
「で――、それを聞いて満仲様はそう処理をなさったと? まあ――、対妖魔最高戦力であるそちらが……、こともあろうに討伐失敗などと、不名誉かつ――、人々の気持ちの平安にもかかわることですし、仕方がないですね……」
「うむ――、頼光は多少不満げではあったが、それで納得してくれたようだ」
そう言って笑う満仲に――、安倍晴明は頭を深く下げる。
「本当に申し訳ない――、まさかあの不肖の弟子がこのようなことをしでかすとは」
「ふ――、構わんさ……、どちらにしろ今回の件はいろいろ裏があったようだしな」
「小倉直光――様ですか?」
「ああ――、姫が妖魔に喰われたと聞いて……、悲しむ素振りすらせず、まるで当然の末路である――、とでも言いたいような態度であった」
その言葉に安倍晴明はため息をついた。
「結局――、自身の手で始末するか……、相手が始末してくれるかの違いでしかなかったようで――。そうならば、道満の考えと行動は決して間違いでは――」
「ああ――、結局あの妖魔も……、その周りの噂もただの作り話にしかすぎず――、よく旅人を救っていたという話も耳にした」
「無知ゆえの誤解――、そして排斥――、悲しい事ですね……」
晴明のその言葉に満仲は――、
「で? どこまで予想の範囲だったのだ?」
「はい? どういう意味で?」
「わしが気づかないと思うのか晴明――、今回の件、占術にてある程度知っておったろう?」
その言葉に少し驚いた顔をした晴明は――、小さく笑って答えた。
「いえいえ――、この様な事態は想定してはいませんでしたとも。占術も詳細が分かるものでもなく――、ただ――」
「ただ?」
そう聞き返す満仲に晴明は、笑顔を消して静かに答えた。
「――道満を差し向けるのが吉……、その結果は、はるか未来の平安の礎となる――。そのように卦が出たのを信じただけの話――」
その答えを聞いて――満仲は納得した様子で小さく頷いたのである。
◆◇◆
蘆屋道満が平安京を去り、妖魔王たちを尋ねる旅をつつけていた時代――、道満はとある土地へと至った。
近江国は霊山の一つ――、御神山に隠れた大屋敷があり、そこに居を構えるはかつては三つ蛇岳に住まわっていた大百足・千脚大王静寂であった。
「それで――、その老いた龍神の力を継承する形でこの地に至ったと?」
「そうです――道満殿……」
髪を半ば白髪に変えたその時の道満は、懐かしいものを見る目で目前の大武者を見つめる。
「そもそも、この地には悪しき大百足が住み着き悪さをしており――、その大百足が武者に退治されたのちも、その怨念が龍神を弱らせておったのです」
「その怨念を鎮め――、この地に平安をもたらす……、それを頼まれたと?」
「まあ――、同族の非道をいさめるのも我らのするべき事であろう――、そう考えております」
その言葉に満足そうに道満は頷いた。
「あと――、そちらは本当に久しいな――姫……、いや今は”今城太夫”を名乗っておったか」
「はい、お久しぶりです――、道満様」
「お前と静寂の子は?」
その言葉に笑顔で答える太夫。
「はい、無事生まれ――、すくすくと育って元服も間近……。名は――、昨年亡くなった”栄念法師”の名をいただいていて――”栄静”と」
「ほう――、寂しい話ではあるが……。時が流れるのは早いものだ」
静かに笑う道満に――、少し笑顔を消して太夫は聞く。
「しかし――、その御髪……、それほどの年齢ではないと思っておりましたが?」
「はは――これか? 先の”あの戦い”で少々力を使い過ぎて――な」
「それは――」
平安京において行われた”あの戦い”については太夫も聞き及んでいる。
――安倍晴明を倒して魔道へと至ったとされた蘆屋道満――、それに従う鬼神群……、そして大江山の大将とその配下。
”それ”は、平安京の闇で密かに行われた大決戦であり――、その戦いで多くの鬼神……酒呑童子も含めて――、かの源頼光とその四天王の手で討伐されたとされている。
「さすがに神仏の加護すら得たあの頼光には――、かつて以上の力を出す他なくてな……、逃げるだけで骨が折れたわい――」
「そう――ですか」
静かに太夫は道満を見つめる。道満は――、決して魔道に堕ち、人に仇名すような者ではないことを太夫は良く知っているから――。
「――は、そう悲しい顔をするな……。どうせ大江山の討伐は近く行われる予定であった。それに拙僧が横やりを入れたが、あの頼光に返り討ちにあって逃げただけの事よ」
はは――、と笑う道満を、太夫も――、静寂も静かに見つめた。
「――それで――だ、今回お前に会いに来たのは他でもない――」
「はい――」
「これより拙僧は妖魔の平穏に暮らせる土地を探し――、そこに都を造ろうと考えておる。――お前には拙僧にしたがい、その手助けをしてもらいたい」
「――」
その言葉に静寂は少し驚いた顔をして――、そして恭しく頭を下げた。
「この静寂――、決して道満殿から受けた恩は忘れてはおりません。ゆえに喜んで――それに従いましょう」
「ありがたい――」
――かくして、妖魔王・千脚大王静寂は――、蘆屋道満・八大天魔王……、すなわちその護法鬼神として名を連ねることとなった。
そして――、その力は平安を越えて――平成の未来に至っても……、世の平安を守る力の一つになるのである。
――晴明、なあ晴明――、なんでお前は……。
安倍晴明はその夜――、かつては供にあったとある友人の言葉を思い出す。
お前はどうして――、そうなんだ? ――結局お前は……。
その言葉の先は――、晴明にとって常に傷として残っている。
晴明は常に他人の言葉を我関せずという様子で聞いている――が、
(――正直、あの言葉だけは……、彼に言われたことだけは――)
――お前は結局――、ヒトとは違うのだな……。
(いや――違うぞ……。私はヒトだ――、ヒトたらんとしている……)
でも――、安倍晴明は思う。
(ああ――、わかっているとも……。私の心にはヒトが当たり前に持っている何かが足りない……)
だからこそ――、自分は極力、ヒトの世界から離れるべきだと考え――、でもその情から離れることが出来ずにいる。
中途半端――、なんて中途半端な……、かの賀茂光栄が私を嫌うのも当然の話。
(人以外の血を以て生まれ――、ヒトとしてヒトの中で成長し――、それでもヒトであることを友に否定されてしまった私……)
私が人の中で生き――、ヒトの世を守ることにこだわるのも……、結局はヒトにあこがれる”ヒトデナシ”ゆえに――。
ああ――かつての我が友――、源博雅よ……、私は――。
◆◇◆
その日、安倍晴明にとって最も悲しむべきことが起ころうとしていた。
弟子である蘆屋道満は、この日、晴明の弟子となって初めて――、師匠がその目に涙を光らせるのを見た。
昼間のうちに屋敷を出た晴明は、道満を伴ってとある屋敷へと向かう。その屋敷の主とは――、
「――晴明……」
「博雅――久しいな」
「――ああ、お前はもう来てくれないと思っていた」
「――」
病にて床に臥せる源博雅を、寂しそうな目で見る安倍晴明。
「……私は――いつも思っていた」
「博雅……なにを」
「謝りたかった――、傷つける気など無かった」
床の博雅はその目に涙をためる。それを首を横に振って見つめる晴明。
「――どこに、博雅が謝る事があるというのか」
「晴明――」
「何も私は――、お前に傷つけられてなど」
それを聞いた博雅は小さく笑って言った。
「――ならば、なぜ会いに来てくれなくなった?」
「――」
「もう自分の心を偽る必要はない――、私にはわかっている……、いや、わかっていたはずであった」
――でも、あの時、博雅は何ともなしに呟いてしまったのだ。それで友情に傷がつくとは思いもせず。
「あれは――、私が勝手に――」
「いや――、私が悪いのだ……、あのような言葉を適当な心で発するべきではなかった」
博雅は病によって急速に老いて――皴だらけとなった手を晴明の手に乗せる。
「ああ――お前はあんなに傷ついたのだな……、すまなかった」
「博雅――」
安倍晴明――、常に達観し……その心を表に出さない者。――でも、その本心は決してヒトとかけ離れたものではなく……。
「お前は――、この愚かな私の死を悲しんでくれる――」
「お前は愚かではない」
「――ふふ、こうして最後に顔を見られたのは――、この世の幸福の極みだ……」
そう言って笑う博雅の、弱々しい手をしっかり晴明は握る。
「晴明――、最後に――一つだけ頼みがある……」
「なんだ? 言ってみろ」
「あの娘を――、梨花をお前に託したい」
「梨花?」
そういう博雅の言葉に疑問の表情を向ける晴明。それを見て博雅は――、その最後の言葉として晴明に一つの遺言を残した。
「私の養女――、梨花……、彼女の友情を――救ってやってくれ。我らのように……ならぬうちに――」
――こうして源博雅は、天元三年九月二十八日に薨去――、享年六十三歳であったという。
一つの友情の物語はここで終わり――、そして、もう一つの友情の物語は始まる。
「それでは――信明殿も、貴方も――養女であった梨花の話はよく知らないと?」
源博雅がこの世を去って数日――、安倍晴明は、博雅が養女として育てていたとされる梨花の事を調べるため――、博雅の息子である源信貞にふたたび話を聞きに来ていた。
――博雅が亡くなった時、血を分けた親族である息子たちはいたが……、梨花らしき娘はどこにも見当たらなかったからである。
博雅に託された以上探さねばならぬと、その場で息子たちに居場所を聞いてはいたが――、彼らは”知らんな”というだけで、何も詳しい話を聞くことすらなわなかった。
「――ああ、正直、あの歳になって新たな養女など――、と、なるべく関わらずにいたからな」
「ふむ――、それは……」
「その娘を引き取ったのも、ここ最近になってからで――、妙な噂もあったしな」
余命いくばくもない老人が若い娘を囲う――、それをある事ない事語る者がいたのであろう。だから息子たちも、なるべく関わるまいと知らぬ存ぜぬを決め込んでいたのだろう。
――その状況を聞いて晴明はため息をついた。
「その娘は――博雅様の屋敷に住んではいたのですね?」
「ああ――、周りの住人は……、父上を娘がかいがいしく世話していたと話していた」
「ふむ――、ならばなぜ今わの際に娘を傍に置かなかったのでしょうね?」
「さあな――、最後の姿を見せたくなかったのか……、或いは――」
信貞は頭を横に振って晴明に言う。
「どちらにしろ――、我々はその娘の事をよく知らん……。他をあたってくれ」
「むう――」
信貞は晴明を嫌なものを見る目で見つつ踵を返す。
(――これでは託された想いを無駄にしてしまう……、しかし、なぜ博雅はあの時に何も言ってはくれなかったのか)
博雅が床に臥せていたあの時、屋敷には息子たちが代わる代わるに訪れていた。無論、息子以外の博雅のゆかりの者達も――。
(もしや――、博雅は――、娘を他の人間に会わせたくなかった? ――養女を育てていることは周知の事実であったのに?)
博雅の行動に不審なものを感じた晴明は、再び博雅の屋敷へと向かう事を決意した。
◆◇◆
その時、源博雅の屋敷は誰もおらず閑散としていた。静かに屋敷の中へと足を踏み入れると、博雅が床に臥せっていた部屋へと入る。
「――私の予想が確かならば」
そう呟いて周囲を静かに――、丹念に見まわす晴明。そして――、
「――アレは……」
部屋の隅に一つの古びた箱が置かれていることに気付く晴明。それは、一見すると適当に放置されただけのガラクタに見えたが……。
晴明は静かに箱に歩み寄り、その蓋を開ける――。そこには――これまたガラクタにしか見えない”木彫りの笛”が入っていた。
「――価値がないものだと放置されたか……」
晴明は静かにその笛を持つ――そして、
「あ――」
その笛の側面に――”梨花”と刻まれているのを見つけたのである。
「なるほど――、博雅よ……、これは私に娘の居場所を知らせるための――」
晴明は納得した風に頷く。そして――、その笛を片手に、もう片方の手で剣印を結んで呪を唱えた。
「オンアラハシャノウ――、その深遠なる知恵を以て祈り給えば、遁れし者が遁れしままにあらざること必定なり……」
それからしばらくのち――、晴明は静かに頷きかつて博雅が寝ていた場所を見つめる。
「――お前は、私にだけ――、その梨花という娘の居場所を教えたかったのだな?」
それは確信――。源博雅は、安倍晴明ならば自分が何も言い残さずとも娘の居場所を見つけられる――と、そう信じたのだろう。
(ここまで娘の事を親族その他に隠しているとなると――、その梨花という娘……何か秘密があるのか)
晴明はそう考えつつ屋敷を後にしたのである。
◆◇◆
――いいかい? この屋敷は閉め切られて誰も来ないハズの場所。そこを訪ねるとしたら、それはわが友である晴明以外にない。
ここで静かに隠れているんだ――。お前が多くの者の目に入ったら……、お前の秘密に気付く者もいるだろうからね?
その娘は――、暗い屋敷の中の一室で、両足を抱えながらただ待つ。
「博雅様――、本当なら……その今わの際までご一緒したかった――」
でも――、自分が多くの人の目に触れれば……。
「――博雅様……。本当にその晴明という方は――」
自分を救ってくれるというのか? ――その疑問に答える者はもはやこの世にはいない。
ただ優しく笑いかけてくれた博雅の笑顔を思い出し――、その目に涙をためる娘。
「――博雅様」
娘はかつてを思い出す――。平安京に昇って初めての日に、ガラの悪い者たちに囲まれて連れて行かれそうになった事。
それを――静かな口調と、有無を言わせぬ意志の強い瞳で制して、救ってくださった博雅様。
自分の秘密をなぜか即座に見抜いて――、そして優しく事情を聴いてくれたあの日――。
――あの日から、娘はある目的のために博雅の養女となり――そして……、
「大丈夫だよ――博雅様。私は必ず――静枝を救ってみせる」
――と、その時、屋敷の門扉が開く音がした。それを聞いてビクリと体を震わせる娘。
静かに戸が開いて――、誰かがその部屋へと入ってくる。
「あ――」
そう娘は呟いて――、現れた男を見つめた。
「――なるほど……、貴方が、博雅が託したかった娘――。どおりで――」
「あ――あの……貴方は?」
その男――、安倍晴明はすべてに納得したという風で頷きながら――、そして優し気に笑った。
「私の名は安倍晴明――、貴方の養父源博雅の友――、そして」
「貴方が――平安京の陰陽師・安倍晴明――」
「その通りです――。梨花さん?」
そのすべてを見通すような瞳が、娘――梨花を捉えて……そして、その口から確かにその言葉を発したのである。
「貴方は――、土蜘蛛……なのですね?」
そう――、彼女は土蜘蛛……。平安京に仇なすとされる妖魔族の一つ。
梨花はその晴明の言葉に――、静かに恐る恐る頷いたのである。
誰も住む者がいなかった屋敷より梨花を連れ出した安倍晴明は、黙って梨花を導い言いて自身の屋敷への帰路についた。
「――」
梨花は晴明の屋敷へと向かう間もただ押し黙るばかりであり、しかし晴明はそれを気にする様子もなく優しく笑いながら彼女の先を歩いていった。
「お、やっと帰ったか、師よ――」
晴明が屋敷につくとその門前に、弟子である蘆屋道満が立っていた。
「最近、妙に出歩くと思ったら――、ふむ……なるほど」
道満は、晴明とその後ろの梨花を交互に見つめて、何かを悟ったような表情を作った。
「ただいま――、道満、この娘は……」
そう言って、後ろに隠れる梨花の肩に触れて、彼女を道満の前に示そうとする晴明。しかし、とうの梨花は、少しおびえた様子で道満を見つめた。
「――あ」
「ふん……」
自分を冷たい目で睨む道満を、おびえた表情で見返す梨花。その様子に道満は鼻で笑って言葉を放った。
「師よ――、見た目はアレだがもう歳であろう……、女遊びとは自分の年齢を考えたほうがいいぞ」
「え……」
その道満の言葉に梨花はあっけにとられる。そして――、
「そもそも――、その娘……というか子は、なんとも”ちんちくりん”で――、師の趣味は悪すぎるな」
「――!」
その道満の言い草に、さすがの梨花も怒りの表情をつくる。そういう道満に対して晴明は笑って答える。
「ははは――、何を言っているのです道満? 私のような爺の相手など、いくら何でも彼女に失礼でしょう?」
「そうか? 師にはそれ相応の娘が似合っておろう? そこの子は――」
その言い草にさすがに頭に来た梨花は、声を荒げて道満に言い返した。
「なんですか!! いきなり”ちんちくりん”などと!! わ――、私のどこが――」
「はは――、お前はまさか、自分がそれ相応の娘に見えておるのか? 少しは慎みを考えたほうが良いぞ」
「く――、貴方のような”馬の尻”に言われたくないです!!」
「む――?」
道満は梨花に”馬の尻”と呼ばれて少し首をかしげる。その様子に、傍らの晴明は笑いを堪えて横を向いた。
「馬の尻? それはどういう――」
「貴方のその髪の毛――、後ろに雑に束ねる髪は馬の尻尾に見えます!!」
「――なるほど、馬の尻――。ほほう……」
道満は口元をヒクつかせ、怒りを押し殺す様子で梨花を睨む。それを強い視線で睨み返しながら梨花は言った。
「馬の尻のような頭で、私を”ちんちくりん”など――、よく言えたものですね?」
「よく言った貴様――、そこに直れ……」
その一触即発の雰囲気の中にあっても、晴明はただ一人”馬の尻――”などと呟きながら笑いを堪えている。
それを一瞬横目で見た道満は――、すぐに真面目な表情に変わって言った。
「――と、まあ冗談はこれくらいに……。そこの娘――」
「え?」
その表情の変わりように驚く梨花。それを見つめながら道満は驚きの言葉を発した。
「――お前、土蜘蛛だな? この平安京がどの様な場所なのか、理解して上ってきたのか?」
「あ――」
梨花はその言葉に、目の前の道満という男がただ者ではないことにいまさら気づいた。
「あなた――、私の事を知ってて……」
「ああ――、当然だ……、そこの晴明はすぐにお前の事を見抜いたのだろう? ならば――、それ以上の”目”を持つ拙僧ならば当然」
「それ以上の”目”?」
その言葉に驚きを隠せない梨花。その様子に傍らの晴明が答えた。
「そうです――、彼の”認識眼”は明確に師である私を越えています。私が見抜けるのなら、彼はもっと正確に見抜くことが出来るのです」
「――晴明様の……上……」
その驚きの言葉を聞いて梨花は、初めて目前の道満を畏怖の眼差しで見た。
「――で、娘、拙僧の疑問に答えろ」
「あ――、あの」
その強い口調に口ごもる梨花。晴明は優しく笑って道満に言った。
「そんなに強い口調で聞かずとも、すぐに話してくれますよ――。そのために私についてきたのでしょう?」
「ふん――、ならいいが……、都に土蜘蛛では、妙な事態を招くのは必死であろうな」
道満は冷たくそう言い放って屋敷の中へと入って行った。それを困った表情で見送る晴明。――そして当の梨花は……。
「いいのですよ――。さあ、屋敷の中にお入りください」
「は――はい」
梨花は暗い表情で、晴明に促されるまま屋敷へと入って行く――。晴明は優しく頷いてその後を進んでいった。
◆◇◆
「――それは、本当だな?」
「ああ――」
平安京にも闇はある。その人通りのない道の片隅で、一人の少女が深く外套をかぶった人物と会話をしている。
「本当に――その日、あの藤原兼家が羅城門を通るのだな?」
「そうだ――、私が一度でも君を騙したかね?」
「――人間は……信用できない」
「ふむ――、ならば辞めますか?」
その外套の人物の言い方に、少し顔を歪めて少女は言う。
「――無論、このまま進めるとも……。我々はもう後戻りが出来ない」
「ならば――、少なくとも私の言葉だけは信じてください」
「――わかった……。我らが恨みを――、その悲しみを知らしめるために」
そういう少女の顔には、あまりに深い憎悪が宿っている。
「――その通りです。我々人間の中にも、あの男のやり方を支持しない者がいることを、貴方には知っていただきたい」
「ふん――」
その外套の人物の言葉に少女は小さく頷いた。
(――ああ、とうとう復讐の時は来た……。藤原兼家――、お前が指示し行った非道の――その恨みをその身でしっかり受けるがいい)
そう考えながら――少女は……、静枝はただ暗い微笑みを浮かべたのである。
◆◇◆
道満と晴明は屋敷に入ると、一室にて梨花を前に静かに座った。その様子に少し怯えながら相対する梨花。
「さて――、もう事情を話していただけますか?」
「はい――」
梨花は静かに小さく頷く。それを見て優し気な表情で晴明は言った。
「――わが友、博雅が……、貴方の事を匿っていたのには、それ相応の事情があるのでしょう?」
「博雅――様」
その晴明の言葉に悲しみの表情をつくる梨花。しかし、梨花は小さく頷いた後に意を決した様子で言葉を発した。
「――博雅様は――、私の言葉を信じて……、私のお願いを聞いてくださったのです」
「願い?」
「はい――、幼馴染を――、静枝を救いたいと……」
その新たな名前に晴明は少し考えて言葉を返す。
「幼馴染……静枝さん? その娘を救うために平安京に来たのですか?」
「はい――、静枝は今――」
その後の梨花の言葉は、晴明だけでなく、側で黙って聞く道満すら驚かせた。
「復讐をしようとしています――。そのために都のとある貴族の命を奪おうと考えているのです」
「――それは、また大それた」
「はい――、今静枝は、数人の仲間とともに都に潜伏しています。そして、機会を狙っているのです」
その言葉に黙っていた道満が口を開く。
「――それはわかったが、その狙われている貴族とは?」
「――静枝の言では、藤原兼家――だと」
「――ほう」
その梨花の言葉に、晴明は静かに考える。道満は首をかしげて言った。
「兼家様? ――それがどのような事を、その幼馴染に?」
「静枝の村を――、滅ぼすように命じた……と」
「ふむ――」
それを聞いて道満も考え込み始めた。その様子に梨花は少し首をかしげて言った。
「なにか――疑問が?」
「その話――、その村は都の手の者によって滅びた? ――だから、その復讐をするべくその静枝という人は都に潜んでいる?」
晴明の疑問に頷く梨花。それを見つめながら再び晴明は考え込み始めた。
少し不安な様子で晴明を見つめる梨花、それに対し言葉を発したのは道満であった。
「――なるほどな、どおりで源博雅殿がお前を匿うわけだ――」
一人納得した表情で頷く道満。
「だから――、お前は……その復讐を止めたいんだな?」
「――」
梨花は驚きの表情で小さく頷く。
「源博雅殿が匿っている以上――、藤原兼家様への復讐を、その幼馴染に遂げさせたいという話ではない事はすぐに分かる。そして――」
道満のその言葉に晴明が言葉を続ける。
「その静枝さんは――、復讐心に捕らわれるあまり、大きな過ちを犯そうとしている――。だから止めたいのですね?」
「――はい」
晴明と道満の言葉にハッキリと頷く梨花。晴明たちはその様子に納得の目を向けた。
(――なるほど、梨花さんの言が確かなら……、その幼馴染の娘は誰かに騙されて――。或いはどうでもよくなって自暴自棄になっていると――)
晴明は心の中で考える。
(藤原兼家様は――、……それを知らない土蜘蛛を騙して、従わせている者がいる可能性もありますね)
土蜘蛛・梨花より知った、藤原兼家が命を狙われているという事実。
後に歴史的事件にも繋がるその復讐を止めるべく――、晴明と道満はこれから奔ることになる。
――そして、その先に――……。
晴明達の目前には――、平安京を包む巨大な闇が立ちはだかっていたのである。
晴明と道満が梨花の話を聞き――、その翌日より梨花は道満と共に都に出て静枝の捜索を始めていた。
その間、晴明は内裏へと昇って藤原兼家に関する情報を収集していた。
「――」
梨花は気まずそうに隣を歩く道満を横目で見る。それもそのハズ――、この道満という男、何かと自分に対してキツイい言い方をしてくるからである。
「――」
「……なんだ?」
「いえ――、なんでも」
それも仕方のない話であろうと梨花は思う。土蜘蛛族と言えば、人間にとっての最大の敵ともいわれる異族であるからだ。
そんなものと共に都を歩くなど――、彼にとっては屈辱……あるいは忌避すべき事なのだろう。
――梨花はそのことに少し落ち込みつつ、道満と共に都を歩く。そして――、
「あの者達に話を聞いてくる――。お前はここで待て……」
そう言って道満は梨花を置いて人混みへと歩いていった。
「ふう――、仲良くしたい……なんて思わないけど」
でも――、ここまで嫌われると、心の中から悲しみが湧き上がってくる。人と土蜘蛛――決して相いれない存在なのだと……悲しい事実が梨花の胸に突き刺さった。
「――蘆屋……道満」
その彼の目を思い出すと震えがくる。冷たい目――、すべてを見透かす目――、おそらく彼は妖魔という存在を嫌っているのだろう。ただ、師匠に従っているだけで――本当は……。
――と、不意に梨花の視界の端に、見覚えのある少女の姿が映った。
「静枝?!」
その面影を探し走りだそうとして――、少しためらう。
(――道満様が……)
今道満は見知らぬ人と会話をしている最中で、それをその場に置いていくわけには――。
(――でも、さっきのは確かに)
一瞬ためらった梨花は――、それでも決意して走り出す。
(迷っている暇はない――追いかけないと)
今すべきことは静枝を探し出すこと。そう心に決めた梨花は――、そうして道満の傍を離れたのであった。
◆◇◆
「――静枝!!」
走りながらそう叫ぶ梨花。――その前方には見知った背中が歩いている。
「やっと見つけた――静枝!!」
必死で走る梨花を振り切るかのように、その背中は十字路を曲がって見えなくなる。梨花は見失うまいと必死で走った。すると――、
「あ――」
十字路に差し掛かった時、不意に前方が暗くなる。大きな何かが梨花の前に立ちはだかったのである。
「きゃ!!」
梨花はその大きな何かに正面からぶつかってその場にしりもちをつく。そして――、
「てめえ――、どこに目えつけてんだ……」
その大きな影がそう言ったのである。驚きつつ梨花が顔を上げると――、
「え? あ――」
「ん? お前……」
その瞬間、梨花は最悪の状況に自分が置かれた事実を知った。その目の前にいたのは――、
「ほう? お前あの時の小娘じゃねえか」
「あ――貴方は」
自分をいやらしい目で見つめるその人物は――、初めに都に上ってきたときに、自分を攫おうとした男だったのである。
「いやあ――、こういうのは運命の再会って言うのかね?」
「う――」
そのニヤニヤ顔が梨花に向けられ――、その視線が梨花の全身をいやらしく舐めまわす。
「お嬢ちゃん――、今は一人か? あの爺は傍にいないみたいだな?」
「う――あ」
その言葉に、さすがの梨花も涙目になって身を小さくする。それを――、何かを悟った様子で楽しげに見つめる男。
「――どうやら一人みたいだな。それは……好都合だ」
そう言って笑いながら、男はその大きな手で梨花の腕をつかむ。梨花は暴れて逃げようとしたが――、
「おい――、抵抗するな」
梨花は――、男の剛腕で振り回され、その場に引きずり倒されてしまった。
「ひ――」
小さな悲鳴を上げて転がる梨花を楽しそうに見つめる男。梨花はその目におびえながら心の中で思った。
(――ああ、こんなところで……。私にも静枝みたいな――)
梨花は、幼馴染の静枝のような戦いの心得はない。
そもそも心が優しかったゆえに暴力ごとに無関心で――、さらには物心ついたころから術具制作に打ち込んできたゆえに、体を動かす行為は大の苦手だったのである。
まさにか弱い少女に過ぎない彼女を――、男はいやらしい笑顔で組み伏せる。
「お嬢ちゃん――、ここで再会したのも縁だし――、俺のモノになりな」
「ひ――」
その自分を飲み込みかねない欲望の満ちた表情に、梨花はただ涙を流す他なかった。
(――ああ、晴明様――、博雅様――)
梨花は目に涙をためていやいやをする――、それが男の劣情をさらに刺激したのか、男は梨花に強引に覆いかぶさってきた。
「いや……」
か細い悲鳴が響く。その時――、
「――最近は、本当に都も荒れてきたな――。昼間っからこれか?」
「む――」
突然の声に、男が顔を上げる。そこに――、蘆屋道満が立っていた。
「――道満――様?」
「勝手に歩き回るな阿呆が――」
そう言って、道満は梨花に覆いかぶさる男のもとへと歩いてくると――、
ドカ!!
問答無用で男を蹴り飛ばした。その蹴りを受けて男は小さく悲鳴を上げて転がる。
「――て、てめえ!! 邪魔するな!!」
蹴られた場所をさすりながら立ち上がる男に――、道満は絶対零度の視線を送る。
「おい――、お前……拙僧が誰かわかるか?」
「――は? 何言ってんだ? お前がなんだって――」
「そうか――、拙僧の知名度も、まだその程度ってことか――」
「何言って――」
道満は無言で男に近づくと、その襟首を掴んで思いっきり投げ飛ばす。
「が――!!」
「――恐れのないケダモノは――、より強い獣に容易に狩られる……。少しは周りに気を配るべきだぞ」
そういって道満は投げ飛ばされてその場に這いつくばった男の頭を足で踏みつけた。
「おい――お前……」
「ぐ……え?」
「この娘に何しようとした?」
「う――」
道満に睨まれたそれだけで男の身体は恐怖に支配される。言いようのない絶望感に、男の目に涙が見え始める。
「言え――」
「は――、俺は……」
涙目で道満を見る男に――、何かを悟った様子で頷く道満。
「――どうやら、ただの人さらいだったようだな」
「すみません――」
道満の言葉にただ泣いて謝る男。それを見てやっと道満は男の頭から足をどかした。
「ひいいいいい!!」
その瞬間、悲鳴を上げながら逃亡を始める男。道満はそれをため息をつきながら見送った。
「――あ、あの」
「おい――バカ娘」
「う――」
道満はその冷たい目を今度は梨花へと向ける。梨花は怒られると思って身を小さくした。
「――無事か?」
――と、次に道満が発した言葉は、梨花の無事を確認する言葉であった。それを聞いて驚きの目を道満に向ける梨花。
「あの――」
「拙僧が目を離したのが悪いとはいえ――、いきなりあのような面倒に巻き込まれるな」
「すみません」
「――ふう」
梨花が謝ると――、道満は安心した様子でため息をついた。それを見て梨花は――、
「心配――してくださったのですか?」
「――ん? 当たり前だろうが――」
「え――でも」
その道満の言葉に疑問ばかりの梨花。その表情を見て道満は何かを察して言った。
「む――、どうやら、妙な勘違いをさせていたのか?」
「勘違い?」
「すまんな――、お前に対し少しきつく当たりすぎていたかもしれん」
「え?」
そう言って頭を下げる道満に梨花は驚きの目を向ける。
「――貴方は……私を嫌って――」
「拙僧が? お前を嫌う? なぜ?」
「だって私は妖魔で――」
「は――」
その梨花の言葉に、道満は小さく微笑んで言葉を返した。
「拙僧はお前を嫌ってなどおらん――」
「でも――」
「――うむ、お前の事を警戒していたのは――、妙な災いを師にもたらすのではないかと――、そう思っていたからだ」
「師――晴明様?」
「――ふ、師には内緒だぞ?」
そう言って道満は優しく笑う。それを見て梨花は――、やっと道満という男の事を見誤っていた事実に気づいた。
「――梨花……、これからは拙僧の傍をなるべく離れんようにな?」
「はい――すみませんでした」
そう言って梨花は笑う道満に頭を下げる。やっと梨花はこの目の前の男に心が通じたと感じた。
「あ! そうだ!!」
「ん? どうした?」
「さっき静枝を見たんです!!」
「なに?」
梨花の言葉に眉を寄せて聞き返す道満。梨花は静枝らしき人物が去った方角を指さして言った。
「静枝は――、静枝らしき人はあっちのほうへと歩いていって――」
「ふむ――」
道満は梨花が指さす方を見る。その先には――、
「平安京の正面――、羅城門へ向かう道?」
その視線の先には――、今は古びて修繕されることもなく佇む羅城門が見えていたのである。
燃える建物群――、その傍らには無数の土蜘蛛の遺骸が転がり、それを無数の兵士が踏み荒らし蹴り飛ばしていく。
そこはまさに地獄――、始まりは突然。少なくとも静枝にとっては、何が起きたのか理解できない事であった。
悲鳴を上げて逃げ惑う生き残りの土蜘蛛を、それを追う兵士が射殺していく。
「――なんで? なんで?」
静枝は訳も分からず泥にまみれて転がっている。先ほど流れ矢で脚を負傷し、身動きが取れなくなっていたのだ。
しかし、それが彼女を生かすきっかけとなった。兵士たちは彼女をただの死体だと勘違いし――、その傍を気にせず素通りしていったからである。
土蜘蛛一族――、平安京の北東の山岳地帯に隠れ住む異民族の集落。複数あるそれの中でも、静枝の集落はそこそこ大きなものであった。
彼らは通常の妖魔のように、強力な牙や爪もなく――、ましてや強靭な肉体すらない。しかし、彼らには卓越した術具制作の技術が受け継がれており、その種族としての特性も相まって人が作るものよりもはるかに精巧なものを生み出すことが出来た。
それゆえにその技術は人にすら知る処となっており、人の中には妖魔であることを知ったうえで、術具制作を彼らに依頼する者も多くいた。
山人族――、山に住み、鉱山や鍛冶――、或いは山稼ぎ……木こりや炭焚き――、等で生活をする先住民族の子孫。それが彼らであり――、都の平地民族に山に追われ、それゆえに都と小さくない確執を持っていた。
それでも、一応は彼らのような存在が生き続けられたのは、彼らの技術を有用であると考える一部の人の思惑と、不安定な世に余計な争いごとを起こしたくないという時代背景に起因する思惑があったからであり、今回のこの件――、土蜘蛛集落の襲撃は寝耳に水と言えるものであった。
「――なんで」
静枝はその場に這いつくばり泥をかみながらただ考える。そういえば――、最近何処かとの大規模な術具関連の取引があって――。
(まさか――、何か人に――、都に不都合な取引をして……、目をつけられた?)
しかし、だからと言っていきなり皆殺しはありえない――、そう静枝は涙を流す。
(――畜生……、畜生……)
歯を食いしばって指で地面を掴む静枝の傍を――、また一人の兵士が走り抜けていった。
――それは、現在より四年前――、貞元三年のとある日の事であった。
◆◇◆
夕方になり晴明の屋敷への帰路についた道満と梨花は、その道すがら会話をしながら歩いていた。彼女が話すのは当然、静枝の過去の事であり――、
「――それから、静枝は近くの集落である私の村に引き取られました。しかし、彼女の人への恨みは深く――」
「隠れて都にのぼる準備をしていた――と?」
「はい――、彼女は賛同する同族を味方に引き入れ……、そして戦いの準備をしていたのです」
「――」
梨花の言葉に道満は深く頷いた。
「そのような事があれば――、その静枝とやらが都を恨むのも仕方がない事ではあるが――」
「はい――」
「しかし、妙な話だな――」
そう言って道満は首をかしげる。それを見て梨花もまた首をかしげて言う。
「どういう意味ですか?」
「やはりおかしい――、ここ数年の都の情勢は少々不安定で――、そのように異民族と開戦する余力もなく……。そもそも、土蜘蛛族の集落を滅ぼしたという話自体聞かない」
「え? でも――、あの藤原兼家という人が――」
「そもそもそれがおかしい――。なぜなら……」
その次の道満の言葉に、梨花は驚愕の表情をつくる。
「集落襲撃が四年前――、貞元三年とすると……、その時期藤原兼家様は理由があって内裏を離れておる」
「え? 待ってください? ソレって――」
「――まあいわゆる政治争いというヤツでな……、その時期の兼家様は――反する勢力もあって容易には動けぬ時期にあったのだ」
「え? え? じゃあ――、兼家という人が土蜘蛛討伐を命じたというのは?」
「れっきとした間違いだな――、そもそも兼家様が復権されたのは、その翌年である天元元年なのだから――な」
その道満の言葉に――、梨花はいよいよ顔を青くした。
「それじゃあ――、静枝はやはり何か間違えて? ――あるいは騙されて?」
「お前が――、静枝とやらが藤原兼家様を狙っていると知るきっかけは何だ?」
「――はい、私も――、違う集落ではありましたが、昔からの親友として復讐に誘われましたから」
「ふむ――、どれぐらい前だ?」
「ちょうど一年前――、くらいでしょうか? それからしばらくして静枝達は村から姿を消して――」
「お前はそれを追って都へと来たと?」
道満の問いに頷く梨花。
「――その時、何か気付いたことはないか?」
「気づいたこと?」
「誰か集落外の者と接触していた――とか……」
梨花は少し考えた後――、顔を上げる。
「静枝は――私の村に移り住んでから――、たびたび村から出て都へと来ていたみたいで」
「その時に――、よからぬ人物と出会ったか――」
「――」
その道満の言葉に梨花は涙目になって訴える。
「――どうしよう……、やっぱり静枝は――。このままじゃ――」
「まあ――落ち着け……。師が何か情報を持ち帰っているかもしれん」
そう言って道満は梨花をなだめる。梨花はその言葉に小さく頷いた。
◆◇◆
「それでは――、兼家様に関しては何もなかったと?」
「ええ――、そもそもが兼家様は、ここ数年とある寺院の建立に注力しており、外部のましてや異民族への対策には関わっておらぬそうで」
「ふむ――、やはり師よ――これは」
晴明と道満は二人で考え込む。それを梨花は心配そうに見つめた。
「――ただ、実は最近兼家様が新たに行おうとしている事業があるそうで――」
「それはなんだ? 師よ――」
「それは――」
その次に晴明が発した言葉に、道満と梨花は驚きの表情で顔を見合わせる。
「荒れ果ててしまっている羅城門を、再建しようという話で――、数日後に兼家様自ら視察を行うという話がありました」
「――」「――」
道満と梨花は深刻そうな表情で晴明を見る。晴明は何かを悟った様子で二人の顔を見合わせた。
「どうしました? 道満――、梨花さん?」
「いや――、実は梨花が今日――、羅城門近くで静枝らしき人影を見たらしくてな」
「ほう――」
その事を聞いて晴明は静かに考え込む。
「ならば――、その視察こそが……、静枝が兼家様を襲う好機であると――?」
「おそらくはそうだな師よ――。その視察は止めることは出来んのか?」
「理由もなしに止められると思いますか?」
「む――」
晴明の言葉に道満は口ごもる。一瞬道満は、兼家に自分が狙われていることを話そうか――とも思ったが……。
「――静枝の存在がばれたら――、土蜘蛛と都との間に余計な争いが起こる――か」
そうでなくても今の道満たちのするべきことは――、
「すみません!! 晴明様――道満様!! 静枝の事は――秘密に……」
そう言って梨花は頭を下げる。――梨花の幼馴染である静枝の命を救い……、二人の友情を守る事こそかの源博雅が望んだことであろう。
「わかっています――、このことはなるべく、私たち以外には秘密で行動しなければなりません」
「うむ――ならば……、今からやることは一つだな師よ」
晴明と道満が頷き合う様子を梨花は疑問の表情で見る。
「これから――、何をなさるので?」
「占うのですよ」
「え? 占い?」
その晴明の言葉に驚きの表情を浮かべる梨花。
「占いって――、それで居場所を探ると?」
「そうです――。その静枝さんが羅城門の近くに潜んでいるのは確定でしょうから。そこからなら彼女の潜伏場所を占うことは十分可能です」
「でも――」
果たして占いというものが本当に効果があるものなのか梨花は疑問に思う。その半信半疑な表情を見て晴明は笑って言った。
「我々はこの占いこそが本分ともいうべきものなのです。無論――、あくまで占う個人の言を信ずるだけの証拠がなければ、特定の事件などの捜査には役に立つものではありませんが」
「はあ――、事件の捜査――ですか?」
「ふふ――、いいですか? もしある事件が起こった時、基本的に我々は……、まず占いで犯人たる人物を特定いたします。そして――、それを立証する証拠を周囲に固めていくのです」
「あ――なるほど」
要するに陰陽師にとっての占いは――、それ以降の仕事を進めるうえでの単純な方向性を決定するものであり、それをもとに地道な作業で進むべき道を作り出していく――、それをどれだけ上手に素早くできるかが陰陽師という存在の価値に繋がっていくのである。
「とりあえず――、占いでこれからの方針を決めるためにも、静枝さんの居場所を探ってみましょう」
「そうだな師よ――、それからが本番――だな?」
「ええ――」
晴明は道満に頷くと――、すぐに立ち上がって占いの準備を始める。はたして――それで示されるものは?
◆◇◆
「――羅城門への視察――、それこそが我らの好機――」
外套の人物はそう言って静枝に向かって笑う。静枝はその顔に闇を纏いながら答えた。
「わかっている――、その時に必ず始末する……。それでお前もやりやすくなるのだろう?」
「ふふ――、私を気遣っていただけて、有難いですな」
「ふん――、ただ利害が一致しているだけだがな」
外套の人物はそれでも笑いながら静枝に答える。
「それで構いませんとも――、利害が一致しているという事は……、その利害があるうちは信用されるという事でしょう?」
「人間は信用しない――が、本来は――と言っておこう」
「それで充分ですとも――」
外套の人物は静枝の言葉に満足そうに笑った。
(――ふふ、土蜘蛛一族をそそのかして――、兼家を始末させる……、上手くいっても良いし――もし失敗しても……)
そう――、実はこの者と静枝との間に利害の一致など実は存在しないのだが――、静枝はそれに気づかない。いや――、
(恨みか――、それは容易に人の目を覆う闇になる――、十分利用させてもらうぞ? 愚かな妖魔よ――)
外套の人物の笑顔にどのような思惑があるのか? ――その時の静枝は全く気付くことはなかった。
「父上――、またあの者達と会っていたのですか?」
そう言って屋敷へ帰還した外套の人物を出迎えたのは、齢二十代前半であろう青年であった。
「おお――満顕参っておったのか?」
「ええ――計画が滞りないかと……少し心配になりまして」
その言葉を聞いて、外套の人物は小さく笑って顔を隠す外套を脱ぐ。
「心配いらぬ――、この父に任せておけばよい」
そう言って笑う男は――、現在正四位下・参議の地位にある藤原満成であった。
「無論、父の事は信じておりますとも――。しかし、父上の後ろ盾であった藤原兼通様が薨去なさってから――、その政敵であった兼家が復権……そのあおりで父の出世も滞り――」
「ふん――、お前の言いたいことはわかっておる……。兼通様亡き今、無茶なことも出来なくなったからな――。”あの事実”が兼家に知られていたら――私も……」
「本当に危ないところで――、まあ弟も反省をしているようなので。父上もこれ以上満忠を責めるのは――」
そういう満顕に満成はため息をついて言った。
「まあ――わかっておるさ。責めるつもりなど毛頭ない。そもそも――、妖魔など利用できるなら利用すればいい木っ端に過ぎぬ存在。それをどうしたところでとやかく言われる筋合いなどないのだが」
「――まあ、それを利用して父上を、追い落とそうとする者がいるのも事実です」
「今は我慢の時だ――、兼家が消えれば……芽もあろう。そうでなくても――、あまりやりたくはないが、奴に取り入ればよいだけの事」
「――でも、そうであっても過去のアレがついて回る」
その息子の言葉に満成は頷く。
「――息子が……あずかり知らぬとはいえ、土蜘蛛と通じていたなど、さすがに広めるわけにはいかぬ」
「――満忠は……」
「うむ――、また妙な術にかぶれて――、もはや土蜘蛛のことなど忘れておるようだ」
満成はもう一人の息子である満忠の事を考える。彼は幼いころより学術方面に才を発揮し、呪法――陰陽道や大陸の仙道にすら手を出して、非公式ながら並の陰陽師すらしのぐ術を扱えた。
「あの子は、興味のある事は徹底的に調べねば気が済まぬタチ――、それゆえに一時期は土蜘蛛の術具技術にこだわっていたが――」
「――同時に、冷めるときはすぐに冷めますからな――。もはやかの技術の事など弟の頭の端にもないでしょうな」
二人は”困ったものだ”と彼を想う。そもそもこの事態を生んだのは彼のせいである。
「――かかわった土蜘蛛の集落は滅ぼしておる。もはやそれを覚えている者は満忠と――、滅ぼした集落の土蜘蛛しかおらん」
「そして――、その土蜘蛛も――」
「ああ……、少なくともこれから起こる兼家襲撃で――、そのまま死ぬか……あるいは後で始末してしまえばよい」
満成はそう言ってほくそ笑む。そう――彼にとっては兼家襲撃が成功しようがどうでもいい事なのだ。どうせ生き証人は消えるのだから。
「ついでに兼家を始末してくれたなら喜ばしい話だが――、まあ無理か?」
「ええ――、さすがの妖魔とはいえ、戦闘能力などない土蜘蛛にすぎませんからな」
ふと満成は笑顔を消して満顕を見る。
「満顕――、かの兼家襲撃の際、私も連中のもとに顔を出さねばならん。護衛を引き受けてはくれぬか?」
「いいですとも――、成功した暁には……わが剣で土蜘蛛を皆殺しにすればよいのでしょう?」
「そうだ――、お前ならば可能であろう?」
そう言って笑う満成に――満顕は笑って答えた。
「惜しい娘がいるなら手足を捥いで我がモノとするのもよいですな」
「ふ――、お前の悪癖も極まっておるな……。正直、妖魔に手を出すなど信じられぬ話だが」
「アレはアレで玩具としては良いものですぞ?」
そういやらしく笑う満顕に、少し苦笑いしつつ満成は頷いた。
「まあ――、好みの娘が居たら好きにするがよい。どうするもお前の自由だ……」
「それはありがたい――父上」
二人はそう顔を見合わせて笑いあう。あまりに悪辣なその会話を、側で聞く者は一人もいない。
――ただ夜が更け、空に昇った月だけがそれを聞いていたのである。
◆◇◆
「――」
羅城門の近くの誰も住まぬ古びた屋敷――。その夜、静枝は一人寝付けず月夜を眺めていた。
襲撃が間近に迫った今――、準備はすべて整っている。もはや心配することなどない――そのハズだが。
「――私は……」
静枝は自分の胸を掴んで顔を歪ませる。今でも鮮明に思い出せる。
(――ああ、あの赤い炎……、友の家族の遺骸――)
それはかつて生き抜いた地獄の光景。
(――復讐する――。思い知らせる――、絶対に)
それはあの日から胸に秘める強い決意。
(あの男――、人間の言葉は信用できない――)
あの外套の人物――、彼とは復讐をするために情報を集めていた数年前からの付き合いであり。
(いつもアイツは言っていた――、兼家こそが件の首謀者であると)
静枝は――でも……と考える。
(正直、それが事実である確証など私にはない――。騙されている可能性も無論ある――)
でももう自分にとってはそんなことはどうでもいい事である。
あの日――、地獄を生き延びてから――、寝ても覚めても心をあの地獄が苛んでいる。
(私は忘れることが出来ない――、嫌でも思い出す――)
それはまさに心に突き刺さった大きな棘であり――、事実彼女の精神はすでに壊れていた。
――そう、もはや彼女には後戻りするという手段が残されてはいなかった。
復讐を遂げなければ――彼女の心は今以上に壊れ――砕けてしまうのだから。
「――梨花」
静枝は、自分を心配して、いつもそばに居てくれた優しい幼馴染を想う。
彼女には――、一緒に復讐することを断られ――、そしてそれが理由で喧嘩別れになっている。
「ごめんね――梨花」
彼女は常に――、第一に自分の事を想ってくれていた。それはわかっていた――、
「でもこれだけは――」
梨花の悲しげな瞳を想って静枝は空を見上げる。そこに美しい月が輝いている。
(復讐が成功する可能性は高くない――、返り討ちになる可能性の方が高い……)
でも――、静枝にとっては、心が砕けるか、その身か砕けるかの違いでしかなく――。
「どちらにしろ砕けるのなら――進むしかないのよ」
それこそが――、不確かな情報すら信じて復讐を実行しようとする真意であった。
――ふと、何か物音が静枝の耳に届いてくる。それは、この屋敷の門扉が開かれる音であり――。
「――」
静枝は黙って闇へと身を隠す。そして――、
「静枝――」
その声を確かに聴いた。
「え? 梨花?」
それは確かに大切な幼馴染の声であり――。その声に屋敷内で休んでいた仲間たちが目覚め始める。
「静枝!!」
仲間の一人が静枝に声をかける。
「待って――、この声は……」
そういう静枝の目の前に――数人の人物が現れた。
「貴方――」
それは確かに梨花と――、二人の男。
「貴方が――静枝さんですね?」
そう言って静に佇む男の一人は――、
「安倍晴明――」
それは確かに都の守護を司る名の知れた陰陽師であった。