空から降り注ぐ無数の炎に、叡正は一瞬何が起こっているのか理解できなかった。
炎は、舟や屋台の上に落ちると一気に燃え広がる。
叡正の視線の先にあった屋台も一瞬にして炎に飲まれた。
悲鳴を上げていた観衆は燃え上がる火を見て、炎から逃れようと一斉に動き出す。
叡正たちも一瞬にして人の波にのまれた。
茫然としていた叡正もようやく我に返る。
(マズい……! このままじゃ倒される!)
叡正が倒れれば、子どもが落ちて観衆に踏み潰されるのは目に見えていた。
「おい! こっちだ!!」
火消しの男が叡正の腕を掴み、一段高くなっている松の木の植え込みに叡正を引っ張り上げる。
「す、すまない……」
そこは隣で松の木が燃えていたため、炎を避けている観衆はそこを避けて通っていた。
決して安全とは言えなかったが、観衆に潰されるよりましだった。
逃げろと叫んでいた火消しは、逃げ惑う人々を茫然と見つめている。
「何がどうなってるんだ……?」
叡正は子どもを肩から下ろしながら呟いた。
「大文字屋が……脅されて花火に何か仕掛けたらしい……」
逃げろと叫んていた火消しが、絞り出すように言った。
「は!? どういうことだ!?」
火消しの男たちが一斉に男を見た。
「さっき聞いて……俺は花火を止めに来たのに……間に合わなかった……」
火消しの男は頭を抱えてしゃがみ込む。
火はあっという間に燃え広がり、連なる屋台はすべて炎に飲まれていた。
叡正たちがいる通りは、すでに至るところが燃えていたため、観衆は対岸を目指して橋に向かっていた。
しかし、すでに橋からも火の手が上がっているようだった。
「おい! 押すな!! こっちは燃えてんだ!!」
「後ろもだよ!! さっさと前に行け!!」
「お願い!! 押さないで!! 娘が転んだの!! お願いだから踏まないで!!!」
「火!? 火が!!? 誰か消してくれ!!! 死にたくない……! 死にたくない……」
怒号や悲鳴を聞きながら、叡正はただ茫然と立ち尽くしていた。
「これからどうする? 避難させるために誘導するべきなんだろうが……この状況でまともに話しを聞いてくれるか……? それに避難させようにも消火も同時にやっていかねぇと逃げ場がねぇ……」
火消しの男は、隣で燃える松の木を警戒しながら言った。
「舟で対岸に避難させるか……?」
川では多くの舟が燃えていたが、いくつかの舟は無事なようだった。
「この状況じゃ、ちょっと危ないかもしれねぇな……」
火消しの男は橋の上の様子を見ながら、苦しげに呟いた。
今の状態から考えると、少ない舟を巡って争いになるのが容易に想像できた。
「とりあえず、怪我人の避難を優先しよう。怪我をした人間を川辺に集めるぞ。川辺なら火が来てもなんとか対応できる。おまえは川辺で待ってろ。そこが一番安全だ」
火消しの男は子どもを見て言った。
茫然としていた子どもは、ゆっくりと男を見ると静かに頷いた。
「叡正さんは、怪我している人を川辺に集めるのを手伝ってください」
火消しの男の言葉に、叡正も慌てて頷いた。
「俺たちは怪我人を移動し終えたら、消火しつつほかの人たちを対岸に誘導しよう。とにかく水を……」
「この火……消せるのか……?」
別の男がおずおずと口を開いた。
「この松だって、そこらへんの舟だって、燃え方がおかしいだろう……? 普通こんなに一気に燃え広がらねぇよ……。油かなんか……撒いてあるんじゃねぇのか? 今はまだ燃えてないところも油が撒いてあって引火したら、一瞬で巻き込まれるぞ……」
男はそう言うと目を伏せる。
ほかの男たちも不安げな眼差しで燃え続ける屋台を見た。
「おいおい、怖気づいたのか?」
火消しの男は鼻で笑うと、男たちを真っすぐに見た。
「無理でもなんでも消すしかねぇだろ? 生きるために」
火消しの男は微笑むと、男たちの肩を順番に叩いていく。
「これが俺たちの仕事だろ! これぐらいで弱気になるんじゃねぇよ! あとでお頭に叱られるぞ!」
不安げな顔をしていた男たちは顔を見合わせると、心を決めたように小さく頷いた。
「そうだな……。もう……やるしかねぇよな」
「ああ! やってやるよ!」
「このまま燃え続けたら、どっちにしろ逃げ場はないしな」
男たちは口々にそう言うと、それぞれがどこを見て回るか決めて走り出した。
ひとりだけ残った火消しと叡正、子どもの三人は、まず川辺に移動することになった。
すでにほとんどの人が橋の周辺に集まっていたため、三人は橋の近くを通ることは避けて川辺に向かう。
歩きながら火消しの男は、観衆が残していったござを拾っていた。
「ござを集めて、そこに怪我人を寝かせよう」
火消しの男の言葉に叡正と子どもは頷き、一緒にござを拾いながら歩いた。
川辺に着くと、三人で集めたござを敷いていく。
そうしているうちに火消しの男たちが、続々と怪我人を連れてきた。
怪我人のほとんどは火傷を負ってひとりで歩けない状態だった。
「痛ぇ……。痛ぇよ……」
「ここで寝てる場合じゃねぇんだ! 早く逃げねぇと……!」
「助けてくれ……。誰か……」
一気に川辺が騒がしくなっていく。
「叡正さん、思ったより人数が多いですし、みんな勝手に動きそうなんで、予定を変更してもいいですか? 叡正さんにはここで怪我人を見ててもらいたいです」
火消しの男の言葉に、叡正は目を丸くする。
「それはもちろん大丈夫だが……俺、医学の知識とかは……」
「大丈夫です。どっちにしろ、ここには何もないんで治療はできないですから……。火傷のところを冷やすくらいで十分です」
「わかった」
叡正が頷くと、そばにいた子どもが叡正の服の袖を引っ張った。
「僕も手伝うよ!」
子どもは強い眼差しで叡正を見つめた。
叡正は、先ほどまでと違う意志を持った子どもの表情に目を見開いた。
(……俺もしっかりしなきゃな……)
叡正は微笑んだ。
「ああ、頼む」
火消しの男たちが怪我人を探すために川辺を離れると、叡正と子どもは舟の中に残されていた桶や羽織の着物を取り出した。
桶に水を汲み、着物を手で小さく裂くと二人で怪我人のもとに向かう。
子どもが火傷した男の横に座ると、水をすくって患部にかけた。
男は苦痛で顔を歪めたが、声を出さないように歯を食いしばっていた。
子どもは水をかけ終えると、水に浸した着物の切れ端を患部に当てる。
「ありがとな……」
男は子どもの顔を見て微笑んだ。
子どもは首を横に振る。
「こんなことしかできなくて、ごめんね……。でも、火消しのおじさんたちがきっと助けてくれるから!」
子どもは男の目を真っすぐに見て言った。
男は目を見開く。
「おまえは……怖くないのか……?」
男の言葉に子どもは悲しげに笑った。
「僕が怖いのは……」
その瞬間、爆発音が響き渡った。
怒号も悲鳴も止み、皆が驚愕の表情で空を見る。
叡正も空を見た。
暗い空に光の線が走っていた。
(また爆発するのか……!)
皆が固唾をのんで見守る中、花火は弧を描くように光の線を描き、静かに消えた。
「のろし花火……?」
叡正が小さく呟く。
両国の川開きでは、菊の花のように空に広がる花火とともに、弧を描くように光の線を描く花火も上げられる。
今のものは普通ののろし花火だったが、今この状況でそれを綺麗だと思うものは誰もいなかった。
(どうして今、上がったんだ……?)
皆、何が起こったのかわからず辺りは静寂に包まれた。
すると、静寂を切り裂くように声が響く。
「逃げるな!!! 生きてぇんなら逃げるんじゃねぇ!!!」
それは新助の声だった。
炎は、舟や屋台の上に落ちると一気に燃え広がる。
叡正の視線の先にあった屋台も一瞬にして炎に飲まれた。
悲鳴を上げていた観衆は燃え上がる火を見て、炎から逃れようと一斉に動き出す。
叡正たちも一瞬にして人の波にのまれた。
茫然としていた叡正もようやく我に返る。
(マズい……! このままじゃ倒される!)
叡正が倒れれば、子どもが落ちて観衆に踏み潰されるのは目に見えていた。
「おい! こっちだ!!」
火消しの男が叡正の腕を掴み、一段高くなっている松の木の植え込みに叡正を引っ張り上げる。
「す、すまない……」
そこは隣で松の木が燃えていたため、炎を避けている観衆はそこを避けて通っていた。
決して安全とは言えなかったが、観衆に潰されるよりましだった。
逃げろと叫んでいた火消しは、逃げ惑う人々を茫然と見つめている。
「何がどうなってるんだ……?」
叡正は子どもを肩から下ろしながら呟いた。
「大文字屋が……脅されて花火に何か仕掛けたらしい……」
逃げろと叫んていた火消しが、絞り出すように言った。
「は!? どういうことだ!?」
火消しの男たちが一斉に男を見た。
「さっき聞いて……俺は花火を止めに来たのに……間に合わなかった……」
火消しの男は頭を抱えてしゃがみ込む。
火はあっという間に燃え広がり、連なる屋台はすべて炎に飲まれていた。
叡正たちがいる通りは、すでに至るところが燃えていたため、観衆は対岸を目指して橋に向かっていた。
しかし、すでに橋からも火の手が上がっているようだった。
「おい! 押すな!! こっちは燃えてんだ!!」
「後ろもだよ!! さっさと前に行け!!」
「お願い!! 押さないで!! 娘が転んだの!! お願いだから踏まないで!!!」
「火!? 火が!!? 誰か消してくれ!!! 死にたくない……! 死にたくない……」
怒号や悲鳴を聞きながら、叡正はただ茫然と立ち尽くしていた。
「これからどうする? 避難させるために誘導するべきなんだろうが……この状況でまともに話しを聞いてくれるか……? それに避難させようにも消火も同時にやっていかねぇと逃げ場がねぇ……」
火消しの男は、隣で燃える松の木を警戒しながら言った。
「舟で対岸に避難させるか……?」
川では多くの舟が燃えていたが、いくつかの舟は無事なようだった。
「この状況じゃ、ちょっと危ないかもしれねぇな……」
火消しの男は橋の上の様子を見ながら、苦しげに呟いた。
今の状態から考えると、少ない舟を巡って争いになるのが容易に想像できた。
「とりあえず、怪我人の避難を優先しよう。怪我をした人間を川辺に集めるぞ。川辺なら火が来てもなんとか対応できる。おまえは川辺で待ってろ。そこが一番安全だ」
火消しの男は子どもを見て言った。
茫然としていた子どもは、ゆっくりと男を見ると静かに頷いた。
「叡正さんは、怪我している人を川辺に集めるのを手伝ってください」
火消しの男の言葉に、叡正も慌てて頷いた。
「俺たちは怪我人を移動し終えたら、消火しつつほかの人たちを対岸に誘導しよう。とにかく水を……」
「この火……消せるのか……?」
別の男がおずおずと口を開いた。
「この松だって、そこらへんの舟だって、燃え方がおかしいだろう……? 普通こんなに一気に燃え広がらねぇよ……。油かなんか……撒いてあるんじゃねぇのか? 今はまだ燃えてないところも油が撒いてあって引火したら、一瞬で巻き込まれるぞ……」
男はそう言うと目を伏せる。
ほかの男たちも不安げな眼差しで燃え続ける屋台を見た。
「おいおい、怖気づいたのか?」
火消しの男は鼻で笑うと、男たちを真っすぐに見た。
「無理でもなんでも消すしかねぇだろ? 生きるために」
火消しの男は微笑むと、男たちの肩を順番に叩いていく。
「これが俺たちの仕事だろ! これぐらいで弱気になるんじゃねぇよ! あとでお頭に叱られるぞ!」
不安げな顔をしていた男たちは顔を見合わせると、心を決めたように小さく頷いた。
「そうだな……。もう……やるしかねぇよな」
「ああ! やってやるよ!」
「このまま燃え続けたら、どっちにしろ逃げ場はないしな」
男たちは口々にそう言うと、それぞれがどこを見て回るか決めて走り出した。
ひとりだけ残った火消しと叡正、子どもの三人は、まず川辺に移動することになった。
すでにほとんどの人が橋の周辺に集まっていたため、三人は橋の近くを通ることは避けて川辺に向かう。
歩きながら火消しの男は、観衆が残していったござを拾っていた。
「ござを集めて、そこに怪我人を寝かせよう」
火消しの男の言葉に叡正と子どもは頷き、一緒にござを拾いながら歩いた。
川辺に着くと、三人で集めたござを敷いていく。
そうしているうちに火消しの男たちが、続々と怪我人を連れてきた。
怪我人のほとんどは火傷を負ってひとりで歩けない状態だった。
「痛ぇ……。痛ぇよ……」
「ここで寝てる場合じゃねぇんだ! 早く逃げねぇと……!」
「助けてくれ……。誰か……」
一気に川辺が騒がしくなっていく。
「叡正さん、思ったより人数が多いですし、みんな勝手に動きそうなんで、予定を変更してもいいですか? 叡正さんにはここで怪我人を見ててもらいたいです」
火消しの男の言葉に、叡正は目を丸くする。
「それはもちろん大丈夫だが……俺、医学の知識とかは……」
「大丈夫です。どっちにしろ、ここには何もないんで治療はできないですから……。火傷のところを冷やすくらいで十分です」
「わかった」
叡正が頷くと、そばにいた子どもが叡正の服の袖を引っ張った。
「僕も手伝うよ!」
子どもは強い眼差しで叡正を見つめた。
叡正は、先ほどまでと違う意志を持った子どもの表情に目を見開いた。
(……俺もしっかりしなきゃな……)
叡正は微笑んだ。
「ああ、頼む」
火消しの男たちが怪我人を探すために川辺を離れると、叡正と子どもは舟の中に残されていた桶や羽織の着物を取り出した。
桶に水を汲み、着物を手で小さく裂くと二人で怪我人のもとに向かう。
子どもが火傷した男の横に座ると、水をすくって患部にかけた。
男は苦痛で顔を歪めたが、声を出さないように歯を食いしばっていた。
子どもは水をかけ終えると、水に浸した着物の切れ端を患部に当てる。
「ありがとな……」
男は子どもの顔を見て微笑んだ。
子どもは首を横に振る。
「こんなことしかできなくて、ごめんね……。でも、火消しのおじさんたちがきっと助けてくれるから!」
子どもは男の目を真っすぐに見て言った。
男は目を見開く。
「おまえは……怖くないのか……?」
男の言葉に子どもは悲しげに笑った。
「僕が怖いのは……」
その瞬間、爆発音が響き渡った。
怒号も悲鳴も止み、皆が驚愕の表情で空を見る。
叡正も空を見た。
暗い空に光の線が走っていた。
(また爆発するのか……!)
皆が固唾をのんで見守る中、花火は弧を描くように光の線を描き、静かに消えた。
「のろし花火……?」
叡正が小さく呟く。
両国の川開きでは、菊の花のように空に広がる花火とともに、弧を描くように光の線を描く花火も上げられる。
今のものは普通ののろし花火だったが、今この状況でそれを綺麗だと思うものは誰もいなかった。
(どうして今、上がったんだ……?)
皆、何が起こったのかわからず辺りは静寂に包まれた。
すると、静寂を切り裂くように声が響く。
「逃げるな!!! 生きてぇんなら逃げるんじゃねぇ!!!」
それは新助の声だった。