「ああ、お腹いっぱい!」
 子どもが嬉しそうに笑うと、火消しの男が呆れた表情を浮かべた。
「まぁ、それだけ食べればな……。花火じゃなくて、屋台が目当てだったんだろ」
 火消しの男の言葉を聞き、子どもは頬を膨らませた。
「違うよ! 花火が見たくて来たの! そろそろ始まるかな?」
 子どもは空を見上げた。
「暗くなってきたし、そろそろじゃないか?」
 火消しの男も同じように空を見上げた。

 叡正は二人を見て微笑むと、辺りを見回す。
 屋台の提灯があるため明るく見えているが、辺りはすっかり暗くなっていた。
 夕方のときよりも一段と人が増え、少し前までは人混みをかき分けて進むことができていたが、もう今は見動きすることすら難しい状態だった。
「ねぇ、肩車してよ」
 子どもが叡正を見上げて服の袖を引っ張った。
「え!? 俺!?」
 叡正は目を丸くする。
「うん! この中だったらお兄さんが一番背が高いから」
 子どもはにっこりと微笑む。

(俺、肩車とかしたことないけど……)
 叡正は助けを求めるように火消しを見たが、男たちは微笑むとゆっくりと視線をそらした。
「ねぇ、肩車!」
 子どもは叡正の手をとって揺すった。
(やるしかないのか……)
 叡正はため息をつくと、諦めて身を屈めた。
「やったぁ!」
 子どもは嬉しそうに叡正の肩に座った。
(重っ……!)
 叡正は子どもを落とさないように足を掴み、ゆっくりと立ち上がる。
「うわぁ、すごい高い高い! これでよく見えるよ!」
 子どもが嬉しそうに足をバタバタと動かす。
「お、おい! 足動かすな! 落ちるぞ」
 叡正が慌てて子どもに言った。
「は~い、ごめんなさい」
 子どもは悪びれる様子もなく言うと、辺りをキョロキョロと見回した。

「あ!」
 子どもが声を上げる。
「どうした?」
 火消しの男が子どもを見上げた。
「今日おじさんと一緒に仕事だった火消しの人があっちにいた!」
 子どもは遠くの方を指さして言った。
「ああ、お頭が間に合ったのか」
 火消しの男が微笑む。
「ん~、でもおじさんはいないような……」
 子どもは目を細めて、新助の姿を探した。
「うん、やっぱりいない! それになんか……火消しの人、怖い顔してるよ……」
「怖い顔?」

 叡正がそう呟いた瞬間、空が明るくなった。
 その直後にドンという大きな音が響き渡る。
 叡正が視線を動かすと、夜空に大輪の花が咲いていた。
 夜空に一瞬で菊の花が描き出され、緩やかに消えていく。
 観衆から歓声が上がった。

「やっぱり綺麗だな……」
 叡正がそう呟くと、子どもが叡正の頭を両手で揺すった。
「なんだ?? どうした??」
 急に頭を揺すられて叡正が、慌てて子どもを見上げる。
 子どもは不安げな顔で叡正を見た。
「さっき、向こうにいた火消しの人と目が合ったんだけど……なんか言ってた……。聞こえなかったけど……。なんかすごい怖い顔してる……」

 叡正は隣にいた火消しの男と顔を見合わせた。
「何か緊急事態なんじゃないのか? 近くで火事があったとか……」
 叡正がそう言うと、火消しの男も頷いた。
「とりあえず、合流しよう。おい、今どのあたりにいる?」
 火消しの男は子どもを見上げて聞いた。
「あっち!」
 子どもは川や屋台から離れた方を指さした。
 叡正と火消しの男たちは、人混みをかき分けてそちらに向かって進む。
 一度花火が上がると次の花火までしばらく時間がかかるため、観衆も見やすい場所で花火を観ようと続々と移動し始めていた。
 観衆は川に向かって進んでいたため、叡正たちは流れに逆らって進むかたちになった。
 叡正は子どもを肩車したまま、なんとか前に進んでいく。
 火消しの男たちが前を歩いて誘導してくれているため、叡正も人の波にのまれることなく歩くことができていた。

「もうちょっとだよ!」
 しばらく歩き続けると子どもが叡正に言った。
「あの人……ずっと何か言ってる……」
 子どもが呟く。
「なんだろう……まだ全然聞こえないけど……」
 叡正は子どもの言葉を聞きながら、人混みを避けて前に進む。
「い、かな……? ……え、かな? け? ……」
 子どもは近づいてきた火消しの口元を見て、何を言っているのか読み取ろうとしていた。
「い、え、お? ……あ! ……にげろ……?」

「え……?」
 叡正が首を傾けて子どもを見上げた瞬間、空がまぶしいほどに明るくなった。
 その瞬間、叡正の耳にも火消しの男の声が聞こえた。
「……逃げろ!!!」
 いくつもの爆発音が響き、歓声は一瞬にして悲鳴に変わった。