「父は明日の夕方に帰ってくる予定になっています」
大文字屋を訪れた信は、店先で出会った利一に父親の不在を告げられた。
「何か急ぎのご用でしたか?」
利一は申し訳なさそうに信を見上げた。
「ああ。どこに行ったかわかるか?」
信の言葉に、利一は首を横に振った。
「父はどこに行くかいつも誰にも言わないので……」
信は静かに利一を見つめた。
「そうか。それなら明日の夕方また来る」
信はそれだけ言うと、利一に背を向けて歩き出した。
「あ、あの……!」
利一が信を呼び止める。
「あの……、僕はこれから……どうしたらいいのでしょうか……?」
利一は縋るように信を見つめていた。
「好きにしたらいい」
信は少しだけ振り返ると、淡々とした口調で言った。
「自分が後悔しない道なら、それでいい」
信はそれだけ言うと、利一に再び背を向けて去っていった。
「後悔しない、か……」
利一は目を伏せた。
それから利一は店の使用人に声をかけられるまで、その場から一歩も動けなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
通りを歩いていた叡正は、こちらに向かって歩いてくる薄茶色の髪の男に目を留めた。
(あれは……信か……?)
叡正は目を凝らす。
男は視線に気づいたのか、薄茶色の目を叡正に向けた。
(やっぱり信か……。なんであっちから来たんだ? あいつの住んでる長屋ってあっちの方じゃなかったよな……)
叡正が考えながら歩いていると、信が叡正の前で立ち止まった。
「おまえ、明日は暇か?」
信が唐突に口を開いた。
「……へ?」
思いがけない信の言葉に、叡正は言葉に詰まった。
「明日の夕方は暇か?」
信がもう一度繰り返す。
「えっと……明日の夕方は……法要とかは特にないが……」
「それなら、明日は隅田川に行け」
「隅田川? ……ああ、両国の川開きか……。え……どうしてだ?」
「できれば火消しと一緒に」
「火消しと?? え、なんで……」
叡正は目を丸くする。
なぜそんなことを言われるのか、まったくわからなかった。
「何もなければそれでいい。何かあれば……おまえのできることをしろ」
信はそれだけ言うと、叡正の横を通り抜けて歩いていった。
「え!? ちょっ……どういう……」
叡正が慌てて信を振り返ると、信も足を止めて叡正を振り返った。
「ああ、言い忘れた……。気をつけろよ」
信は無表情でそれだけ言うと、また背を向けて歩いていった。
「……は??」
叡正は困惑した状態のまま、ただ信の背中を見ていた。
(なんで両国の川開きに? しかも火消しと?? 気をつけろってどういう意味だ……?)
叡正はしばらく立ち尽くしていたが、やがて考えるのを止めて再び歩き始めた。
(まぁ、隅田川に行くのはいいが、火消しと一緒にっていうのは……)
叡正は今、新助の住む長屋に向かっていた。
先日のことを謝るつもりでここまで歩いてきていたが、両国の川開きに誘うというよくわからない用事もできてしまった。
叡正はため息をつく。
(俺が火消しを花火に誘うなんて絶対変に思われるだろう……)
もともと軽かったわけではない足取りが、ますます重くなった気がした。
(火消しと……ってなんだ? 火事でも起きるのか?)
舟の上からのろし花火も上がるため、多少の火の粉が飛ぶことはあるかもしれないが、そこから大きな火事になることは考えにくかった。
両国の川開きは川沿いの開けた場所で行われる。火事の心配が少ないからこそ、一年に一度の花火の場所として選ばれているのだ。
「まぁ、とりあえず……言われた通りにするか……」
叡正はそう呟くと、重い足取りで新助のいる長屋に向かった。
大文字屋を訪れた信は、店先で出会った利一に父親の不在を告げられた。
「何か急ぎのご用でしたか?」
利一は申し訳なさそうに信を見上げた。
「ああ。どこに行ったかわかるか?」
信の言葉に、利一は首を横に振った。
「父はどこに行くかいつも誰にも言わないので……」
信は静かに利一を見つめた。
「そうか。それなら明日の夕方また来る」
信はそれだけ言うと、利一に背を向けて歩き出した。
「あ、あの……!」
利一が信を呼び止める。
「あの……、僕はこれから……どうしたらいいのでしょうか……?」
利一は縋るように信を見つめていた。
「好きにしたらいい」
信は少しだけ振り返ると、淡々とした口調で言った。
「自分が後悔しない道なら、それでいい」
信はそれだけ言うと、利一に再び背を向けて去っていった。
「後悔しない、か……」
利一は目を伏せた。
それから利一は店の使用人に声をかけられるまで、その場から一歩も動けなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
通りを歩いていた叡正は、こちらに向かって歩いてくる薄茶色の髪の男に目を留めた。
(あれは……信か……?)
叡正は目を凝らす。
男は視線に気づいたのか、薄茶色の目を叡正に向けた。
(やっぱり信か……。なんであっちから来たんだ? あいつの住んでる長屋ってあっちの方じゃなかったよな……)
叡正が考えながら歩いていると、信が叡正の前で立ち止まった。
「おまえ、明日は暇か?」
信が唐突に口を開いた。
「……へ?」
思いがけない信の言葉に、叡正は言葉に詰まった。
「明日の夕方は暇か?」
信がもう一度繰り返す。
「えっと……明日の夕方は……法要とかは特にないが……」
「それなら、明日は隅田川に行け」
「隅田川? ……ああ、両国の川開きか……。え……どうしてだ?」
「できれば火消しと一緒に」
「火消しと?? え、なんで……」
叡正は目を丸くする。
なぜそんなことを言われるのか、まったくわからなかった。
「何もなければそれでいい。何かあれば……おまえのできることをしろ」
信はそれだけ言うと、叡正の横を通り抜けて歩いていった。
「え!? ちょっ……どういう……」
叡正が慌てて信を振り返ると、信も足を止めて叡正を振り返った。
「ああ、言い忘れた……。気をつけろよ」
信は無表情でそれだけ言うと、また背を向けて歩いていった。
「……は??」
叡正は困惑した状態のまま、ただ信の背中を見ていた。
(なんで両国の川開きに? しかも火消しと?? 気をつけろってどういう意味だ……?)
叡正はしばらく立ち尽くしていたが、やがて考えるのを止めて再び歩き始めた。
(まぁ、隅田川に行くのはいいが、火消しと一緒にっていうのは……)
叡正は今、新助の住む長屋に向かっていた。
先日のことを謝るつもりでここまで歩いてきていたが、両国の川開きに誘うというよくわからない用事もできてしまった。
叡正はため息をつく。
(俺が火消しを花火に誘うなんて絶対変に思われるだろう……)
もともと軽かったわけではない足取りが、ますます重くなった気がした。
(火消しと……ってなんだ? 火事でも起きるのか?)
舟の上からのろし花火も上がるため、多少の火の粉が飛ぶことはあるかもしれないが、そこから大きな火事になることは考えにくかった。
両国の川開きは川沿いの開けた場所で行われる。火事の心配が少ないからこそ、一年に一度の花火の場所として選ばれているのだ。
「まぁ、とりあえず……言われた通りにするか……」
叡正はそう呟くと、重い足取りで新助のいる長屋に向かった。