「……もう消したのか……?」
 新助は呆然としながら、恭一郎を見た。
「おまえ、来るのが遅いんだよ。着いたのが早かったから、火が燃え広がる前に消せたんだ」
 恭一郎は火消したちとともに片付けをしながら答える。

「早く着いたっつっても……」
 長屋は一部が焼け落ちていたが、そのほとんどが原形をとどめたまま残っていた。
(いくら早く着いたからって、どうやればこんなに綺麗に火が消せるってんだよ……)
 恭一郎は新助が黙り込んでいる姿を見て首を傾げながら、片付けを進めるため長屋の方に去っていった。

「おお、新助! 遅かったなぁ。火ならもう消したぞ」
 新助が呆然と火元の長屋を見ていると、火消しのひとりが新助に声をかけた。
「おまえにも見せてやりたかったよ。恭一郎すごかったぞ! 恭一郎の言う通りに動いたらすぐに火が消えたんだ! これなら俺たちがそろそろ引退しても、や組は安泰だな!」
 火消しはそう言うと、新助の肩を叩いた。
「はは……そうですか?」
 新助は笑いながら、同時に焦りも感じていた。
(なんだかんだ言ってもやっぱりあいつはすげぇなぁ。俺はこの一年何してたんだ……)
 新助は自分の無力さに、こぶしを握りしめた。
 

「おい、お~い! おい、新助!」
 新助は、恭一郎に思いきり肩を叩かれて我に返った。
「痛っ!」
 思わず声をあげる。
「おまえ、何ボーっとしてるんだ」
 恭一郎は呆れたように新助を見る。
「片付けも終わったし、帰るぞ。おまえみたいにデカいのが立ってたら邪魔なんだよ」
 恭一郎はもう一度新助の肩を叩くと、家に向かって歩き始める。
「ああ、悪ぃな……」

 新助がそう呟くと、恭一郎は思わず立ち止まって振り返る。
「おまえ……なんか悪いものでも食べたんじゃないのか?」
 恭一郎は目を見開いて、新助の顔をまじまじと見つめた。
「う、うるせぇな。そういう気分のときだってあるんだよ」
 新助はそう言うと、恭一郎にわざと肩をぶつけて歩き出した。
「なんだよ、そういう気分って……?」
 恭一郎は眉をひそめてから、新助の横に並んで歩いた。
「いや、俺この一年何してたんだろうとかって思っちまってさ……」
「は? 鳶と火消しの仕事してただろうが」
 恭一郎が何をいまさらと言わんばかりの表情で言った。
「いや……、俺おまえみたいに早く火消したりできねぇから……」
 言いながら、新助は自分が惨めになっていくのを感じた。
「いや、やっぱ今のなし! カッコ悪ぃ……俺何言ってんだ……」

「は? おまえ何言ってんだよ。そんなの無理に決まってんだろ。おまえ馬鹿なんだから」
 恭一郎は、またしても何をいまさらと言わんばかりの表情で言った。
「おい……おまえ性格悪すぎるぞ。傷口に塩を塗るんじゃねぇ」
 新助は掴みかかる元気もなく、静かに恭一郎を睨む。
「いや、そういうことじゃなくて、そこはおまえが気にするところじゃねぇんだよ。俺がいるんだから、同じこと一緒にやる必要ねぇだろ。おまえはおまえのできることを頑張れよ」
「……俺にできることってなんだよ」
 新助はため息をつきながら聞いた。
「まぁ、勢いと馬鹿力を活かしたことだろうな」
「おまえ……馬鹿にしてんだろう……」
 新助は額に手をあてた。
「いや、馬鹿にはしてねぇよ。俺にはないところだ。特におまえの言葉の力っていうのかな……」
 恭一郎は天を仰ぐように上を向いた。
「『大丈夫』って言葉ひとつにしても、おまえが言うと本当に大丈夫な気がするんだ……。おまえが本当にそう思い込んでるから自然と説得力が出てるのかもしれないけど、おまえの言葉で安心して冷静になってるやつも多いし、そういうところはすごいと思ってるよ」

 新助は呆然と恭一郎を見つめる。
 恭一郎に褒められたのはこれが初めてだった。
「なんてな。これぐらい言えば十分か? ほら、馬鹿なんだから、つまらないこと考えてねぇで、さっさと帰るぞ」
 恭一郎はそう言って笑うと歩みを早めた。
「あん!? おまえ本当に性格悪ぃな! そんなんだからモテねぇんだぞ!」
 新助は恭一郎を追いかける。
「うるせぇ! おまえの方がよっぽどモテねぇだろうが!」
 恭一郎は振り返ってそれだけ言うと、家に向かって走りだした。
「なんだと!?」
 二人はそのまま全力で走って家に帰ることになった。
 新助の足取りは先ほどとは打って変わって、不思議なほど軽かった。


 家に着くと、恭一郎は食事の支度を始める。
 源次郎が亡くなってから基本的には二人で交代で準備していたが、新助に任せると食材がムダになることが多く、最近では食事の支度は恭一郎の仕事になりつつあった。

 手持ちぶさたになった新助は掃除でもしようと立ち上がる。
 すると、そのとき箪笥の引き出しから何か白い紙のようなものが出ているのが目に入った。
(なんだこれ……)
 新助は白い紙を引き出すと、二つ折りになっていた紙を開いた。
 それは姿絵だった。
 新助はニヤリと笑う。

「恭一」
 新助は食事の支度をしていた恭一郎に後ろから声をかけた。
「なんだ? 邪魔だから向こうに行ってろ」
 振り返らずにそう言う恭一郎の前に、新助は姿絵を広げて見せる。

 その瞬間、恭一郎が固まった。
 みるみる恭一郎の全身が真っ赤になっていくのがわかる。

 新助は堪え切れず噴き出した。
「おまえ、真っ赤じゃねぇか! こういうのが好みだったんだな!」
 新助はお腹を抱えて笑い始める。
「うるせぇ! 返せ!!」
 恭一郎は、新助の手から姿絵を強引に奪い取る。

「悪い悪い。確かに綺麗だもんな。天女って言われるのもわかるよ。でも、ちょっと気が強そうじゃねぇか」
 新助は、恭一郎が持っている紙をのぞき込んだ。
 そこには、花を生けている咲耶の姿が描かれていた。
「俺はどっちかっていうと、露草太夫の方がいいと思うけどな。やっぱり色気が違うっていうかさ」
 
 落ち着きを取り戻した恭一郎は、呆れたような顔で新助を見る。
「おまえ、それ見た目だけだろ? おまえ姿かたちしか見てないと、そのうち変な女に捕まるぞ」
「は? 何言ってんだ。おまえだって本物の咲耶なんて見たことないんだから、中身なんてわかんねぇだろ?」
 珍しく正論を言う新助に、恭一郎は言い返す言葉がなかった。
「と、とにかく、俺の勝手だろ? まったく勝手に出してくるなよ……」
 恭一郎はそう呟くと、箪笥に戻すために去っていった。

「からかい過ぎたか……」
 新助は恭一郎の後ろ姿を見ながら呟いた。
「まぁ、綺麗だとは思うよ……。そりゃあな……。まぁ、一生縁はないだろうけど……」
 新助はひとりそう呟くと、再び恭一郎をからかいにいくことにした。