「火事ってのは、いろんな人間を不幸にするんだ」
 源次郎はご飯の入ったお椀を片手に、新助と恭一郎の顔を見て言った。
 鳶の現場での仕事が終わり、三人は長屋に戻って食卓を囲んでいた。
「そんなこと今さら言われなくてもわかってるよ。なんだよ、あらたまって」
 新助は首を傾げる。
「まぁ、聞けよ。おまえらも、もうすぐ火消しとして現場に行くんだ。火消しとしての心構えってやつを教えておこうと思ってな」
 源次郎はお椀を置くと、二人を交互に見た。

「火事で不幸になるのは誰だと思う?」
「そりゃあ、焼けた家の人間だろう」
 新助がすぐに答える。
「そうだな。火が広がれば広がるほど、不幸になる人間は増える。だから、俺たちがいかに早く火を消すかが重要になるんだ」
「わかってるよ」
 新助は何を今さらという表情で、食事を続ける。
 恭一郎はただ静かに源次郎の言葉を聞いていた。

「じゃあ、一番不幸になるのは誰だと思う?」
「……火事で死んだ人間に決まってる」
 新助は目を伏せる。
 新助の様子を見て、源次郎も目を伏せた。
「……そうだな。……ただ、死んじまった人間はもう救えない。生きてる人間で一番不幸になるのは……」

「火元の家の人間ですか?」
 恭一郎が静かに口を開いた。

「そうだ。火事を起こした人間だ。まぁ、火付けの場合は自業自得だから罪に問われて火あぶりになっても仕方ねぇが、ちょっとしたことで火事なんて起こるもんだ。ボヤで済めばいいが、大火事になればそれがたくさんの人の命を奪う。大火事になれば、わざとじゃなくても重い罪になる。だから俺たちは、火事を起こしちまった人間のためにも、一刻も早く火を消さなきゃいけない。ひとりも死なせちゃいけないんだ」
 源次郎はそう言うと、真っ直ぐに新助と恭一郎を見た。
「みんな救え。誰ひとり不幸にするな。壊した長屋は、また俺たちでまた建ててやればいい。命だけは戻らない。命が最優先だ。次に早く火を消すことを考えろ。いいな」

「わかってるよ」
「はい、わかりました」
 新助と恭一郎は、それぞれ頷く。
 源次郎は、二人の返事を聞くと満足したように微笑んだ。

 そのときドンドンと、戸を叩く音が響く。
「源さん! 火事だ! 行けるか!?」

 源次郎は立ち上がった。
「ああ! わかった! すぐ行く!」
 源次郎は二人を見る。
「すまねぇな。おまえたちはゆっくり食べてろよ。なるべく早く戻る」

「ああ、わかった」
「はい、お気をつけて」
 二人は源次郎を笑顔で送り出す。

「ああ、行ってくる!」
 源次郎はそう言うと半纏を羽織り、長屋を後にした。


 夜が更けて、やがて朝がやってきた。
 二人は待ち続けたが、ついに源次郎が帰ってくることはなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「源さんが……、死んだ」
 長屋の戸口で、男は絞り出すように言った。

 新助は言葉の意味がよく理解できなかった。
「……なんで……? みんな一緒にいたんだろ……?」
 恭一郎は茫然と、ただ一点を見つめていた。
「長屋に取り残された人を助けようとして……火の中に飛び込んでいって……そのまま……長屋が崩れて……」
 男はそこまで言うとその場に泣き崩れた。
「すまねぇ……」
 男は嗚咽をもらしながら頭を抱えてうずくまった。

 新助も恭一郎もただ茫然と立ち尽くしていた。


「どうすりゃいいんだよ……」
 新助は奥歯を噛み締めた。
「死んじまった人間は救えないって言ったのは……源さんだろ……?」
 絞り出した声とともに、新助の頬を涙がつたった。