「ふん、ふふん、ふん」
 女はひとりきりの部屋で鼻歌交じりに手紙を書いていた。
「ご機嫌だね、奥さん」
 ふいに男の声が部屋に響く。
「あら、来てたの?」
 女はゆっくりと筆を置き、振り返った。
「あなたには本当に感謝しているのよ」
 女は微笑んだ。
 男は無表情のまま、壁にもたれかかって女を見ていた。
「本当にすっきりしたわ。特にあの丑の刻まいり、最高だった! 釘を打ち込むのってあんなに気持ちいいのね」
 女は胸に手を当ててうっとりした表情で言った。

「本当に死ぬ気なのか?」
 男は静かに言った。
 女は微笑む。
「ええ」
 女は机の上にある書きかけの手紙、遺書を見つめた。
「そのつもりよ。愛する主人の後を追って自殺する妻……いい筋書きだと思わない?」
「捕まるような証拠は何も残していない。死ぬ必要は別にないはずだ」
 女は微笑む。
「優しいのね。でも、この家はもう終わりなの……。私があんな男を選んだばかりに……。お父様の言うことをちゃんと聞いておけばよかったのにね……」
 女は悲しげに微笑んだ。
「本当に私は見る目がないわ……。あの男は武家という肩書きと、この家のお金が欲しかっただけなのに……」
「なおさら、そんな男のために死ぬことはないだろう」
 男が不思議そうな顔で言った。
「女ひとりで、後継ぎもなしでは家が守れないのよ……」
「わからねぇなぁ。それは命より大事なことなのか?」
 男の言葉に女は目を伏せて微笑んだ。
「私にとっては……そうね」
 男は肩をすくめる。
「それならもう俺は止めねぇよ」
「ありがとう。……本当にあなたにも、あの方にも感謝しているの。あの方に会ったらよろしく伝えてね」
「ああ、わかった」
 男はそう言うと、襖を開けて部屋の外に出ていった。

 女は再び机に向かう。
(さぁ、後は何を書こうかしら……)
 女が筆を手に取ると、襖が開く音が聞こえた。
「何か忘れ物?」
 女が振り返ると、男は三本の刀を持って立っていた。
 女は目を見開く。
「あの方からの贈り物だ。あんたの旦那が売り払った刀、買い戻したってよ」
 女の瞳に涙が溢れる。
 女は立ち上がると、男のもとに歩いていった。
「ありがとう……。本当に……」
 女は刀を受け取ると、刀を胸に抱いて、崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。
 溢れる涙が頬をつたって畳に落ちる。
「これでもう……思い残すことはないわ……」
 男は苦笑する。
「あんたの旦那、そんなに大事にしてたものを売ったのか?」
「ええ」
 女は忌々しげに言った。
「遊女に入れあげて家のお金を食いつぶしたり、遊女からの手紙をニヤニヤしながら見ている程度ならまだ許せた。でも、石川家が代々守り続けてきた家宝を売ったことだけは許せなかった! あの男、なんて言ったと思う? 『この平和な世で刀なんて不要なものだ。武士なんて時代遅れ、これからは商人の時代だ』ですって。商売の才能もないくせに!」
 女は顔を歪めた。
「だから、打ち抜いてやったのよ……。うちの刀を打ってくれている刀鍛冶がつくった釘で、藁人形の胸を何度も何度も何度も!! まぁ、実際にあの男を殺してくれたのはあなただし、丑の刻まいりもあなたが書いてくれた筋書きのとおりにやっただけだけど、あれは本当に素敵だったわ。ありがとう」
 女は男を見上げて微笑んだ。
「いえいえ、どういたしまして」
 男は女に背を向けると、片手を上げた。
「それじゃあ、俺はこれで失礼するよ。あとは死ぬなりなんなり、好きにしな」
「ええ、これであの世にいるお父様にも顔向けできるわ」
 男は手を振ると、襖を開けて部屋を後にした。
 女は涙を拭き、刀を慎重に畳の上に置くと、立ち上がって机に向かった。
「ふん、ふふん、ふん」
 鼻歌交じりに遺書を書きながら、女は満足げに微笑んでいた。


 翌朝、石川(きよ)が遺体で発見された。
 直次の遺体が見つかったのと同じ庭の木に首を吊って死んでいるところを奉公人が見つけたという。
 清の部屋には遺書が残されており、そこには直次への愛が綴られていた。
 遺書があったことや奉公人の話しから、清の死は直次の後を追っての自殺ということで処理された。