野風と露草が見世に戻ると、見世の入口に人だかりができていた。
「どうしたんですかね……?」
野風は不思議そうに露草を見た。
「さぁ……」
露草は野風の方を振り返ると、困ったように首を傾げた。
二人は見世の入口をのぞき込んでいる人をかき分けるようにして見世の中に入る。
見世では、ひとりの男が男衆にすがりつくように声を上げて泣いていた。
「あ! 露草太夫!」
男衆が見世に入ってきた露草に気づき、声をあげた。
「この人、ちょっとなんとかしてください……」
男衆は困り果てたように、両手をあげる。
泣いている男の足元には見覚えのある花が散らばっていた。
「桜草……?」
野風が花を見て小さく呟いた。
「ああ……、今年も来たのね……」
野風の隣で露草が男を見て呟く。
「露草太夫……?」
露草の瞳は涙で濡れていた。
露草は野風を見ると、嬉しそうに微笑む。
「夕里の待ち人よ……」
「姐さんの!?」
「そうよ……」
優しく微笑むと、露草の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「あなたは勘違いしていたみたいだけど、あの子が待っていたのは彼なの……。彼……うちの見世に頻繁に通えるほどお金があるわけじゃないから……。一年に一度だけお金を貯めて夕里のもとに来ていたの。彼の家の周りに、桜草がたくさん咲いているらしくてね、来年も桜草が咲き終わる前に必ず来るって、毎年夕里に約束していたみたい……」
露草の言葉を聞きながら、野風は夕里の部屋で見た桜草を思い出していた。
「じゃあ……あの花は……」
野風の瞳に涙が溢れた。
露草は野風を見て微笑む。
「そう……彼からの贈り物。身請けなんて当然できないけど……、年季明けまで彼が自分のことを想い続けてくれたら、彼のもとに行こうって夕里は決めていたみたい……。あの桜草の着物も夕里なりの愛情表現よ」
野風の頭の中で、桃色の花が描かれた着物を嬉しそうに着ていた夕里の姿が鮮やかに浮かんだ。
「あれ……、桜じゃなかったのか……」
野風は目に涙を溜めたまま苦笑した。
「ようやく……お願い、叶えてあげられるわ……」
露草は目を閉じてそう呟くと、男衆にそのまま待つように仕草で伝えて、見世の奥に消えていった。
「お願い……?」
野風は露草が消えていった方を見て、小さく呟いた。
男はずっと声をあげて泣き続けていた。
今は男衆から手を離し、床にうずくまっている。
男の悲痛な声につられるように、周りで見ていた遊女たちのすすり泣く声も聞こえ始めていた。
しばらくすると露草が小さな壷を二つ持って姿を現した。
露草はゆっくりとうずくまっている男に近づき、男の前にしゃがみ込む。
男が露草に気づき、顔をあげた。
男の瞳は赤く充血していたが、少し幼さの残る優しそうな顔立ちの男だった。
露草は男の前に、ひとつの壷をそっと置いた。
「夕里の骨です」
露草は静かに口を開いた。
男が涙に濡れた赤い目を見開く。
「もし死んだらあなたに渡してほしいと、夕里が……」
男は壊れやすいものに触れるように、そっと壷を両手で持ち上げるとゆっくりと胸に抱いた。
「夕里……」
男の顔が再び歪んでいく。
「それから、これ」
露草は胸元から紙を取り出すと、男に差し出した。
「夕里からの手紙です。あなたにわがままは言えないと、一度も手紙は出せなかったそうですが……、あの子の最期の手紙です。私が代筆していますがあの子の言葉ですから、読んであげてください」
男は震える手で手紙を受け取る。
男が手紙を見つめていると、開く前に手紙は男の涙で濡れ始めた。
慌てて手紙を懐に仕舞うと、男は堪え切れなくなったように壷を抱きかかえたまま擦り切れそうなほど悲痛な声を漏らして泣いた。
露草は男が手紙を受け取ったのを確認すると、ゆっくりと立ち上がり野風の方に向かう。
露草はもうひとつの壷を野風に差し出した。
「あなたが心配だから、ずっとそばにいるって夕里が」
野風は目を見開く。
同時に夢だと思っていた夕里との会話を思い出した。
『野風の年季が明けたら、私を桜草がいっぱい咲いている丘に連れていって』
「連れていってって……そういうことなの……? 姐さん……」
野風の顔が歪み、涙が溢れだす。
野風は壷を受け取ると、強く抱きしめた。
「ねぇ、野風……」
露草は野風を見て微笑んだ。
「夕里の火葬のお金……誰が出してくれたかわかる?」
野風は露草を見つめた。
「夕里の昔からのお客よ。それに……あなたは寝込んでいたから知らないと思うけど、たくさんお花も届いているの……。死んでからも愛される遊女なんてなかなかいないのよ」
野風は目を見開いた。
その瞬間、野風の背後から大きな泣き声が聞こえた。
野風が後ろを振り向くと、遊女が声をあげて泣き崩れていた。
「お、おい……泣くんじゃない!」
隣にいた遊女が慌てて泣き崩れた遊女の腕を取る。
「だ、だって……。我慢できなくて……」
泣きじゃくりながら遊女が言う。
「もっとツラい人たちが頑張ってるんだ! 私たちが泣いててどうする!」
遊女は声を潜めて言った。
「だって……夕里姐さんの最期にも会えなくて……」
「だから泣くなって……!」
慌てている遊女の目にも涙が光っていた。
(ああ……私だけじゃなかったんだ……)
野風は周りで涙ぐむ遊女たちを見ながら、静かにそう思った。
「ふふふ……」
露草が微笑む。
「もう野風にもわかったでしょう? 夕里は本当に幸せ者なのよ」
野風はしばらく露草を見つめてから、ゆっくりと微笑んだ。
「はい……。本当にそうですね……」
野風は泣き続けている男を見た。
(姐さん、私……年季明けまでちゃんと頑張るから……。そうしたらちゃんとあの人のところに連れていくから……。だから、もう少しだけ……そばにいてね……)
野風は小さな壷を強く強く抱きしめた。
「どうしたんですかね……?」
野風は不思議そうに露草を見た。
「さぁ……」
露草は野風の方を振り返ると、困ったように首を傾げた。
二人は見世の入口をのぞき込んでいる人をかき分けるようにして見世の中に入る。
見世では、ひとりの男が男衆にすがりつくように声を上げて泣いていた。
「あ! 露草太夫!」
男衆が見世に入ってきた露草に気づき、声をあげた。
「この人、ちょっとなんとかしてください……」
男衆は困り果てたように、両手をあげる。
泣いている男の足元には見覚えのある花が散らばっていた。
「桜草……?」
野風が花を見て小さく呟いた。
「ああ……、今年も来たのね……」
野風の隣で露草が男を見て呟く。
「露草太夫……?」
露草の瞳は涙で濡れていた。
露草は野風を見ると、嬉しそうに微笑む。
「夕里の待ち人よ……」
「姐さんの!?」
「そうよ……」
優しく微笑むと、露草の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「あなたは勘違いしていたみたいだけど、あの子が待っていたのは彼なの……。彼……うちの見世に頻繁に通えるほどお金があるわけじゃないから……。一年に一度だけお金を貯めて夕里のもとに来ていたの。彼の家の周りに、桜草がたくさん咲いているらしくてね、来年も桜草が咲き終わる前に必ず来るって、毎年夕里に約束していたみたい……」
露草の言葉を聞きながら、野風は夕里の部屋で見た桜草を思い出していた。
「じゃあ……あの花は……」
野風の瞳に涙が溢れた。
露草は野風を見て微笑む。
「そう……彼からの贈り物。身請けなんて当然できないけど……、年季明けまで彼が自分のことを想い続けてくれたら、彼のもとに行こうって夕里は決めていたみたい……。あの桜草の着物も夕里なりの愛情表現よ」
野風の頭の中で、桃色の花が描かれた着物を嬉しそうに着ていた夕里の姿が鮮やかに浮かんだ。
「あれ……、桜じゃなかったのか……」
野風は目に涙を溜めたまま苦笑した。
「ようやく……お願い、叶えてあげられるわ……」
露草は目を閉じてそう呟くと、男衆にそのまま待つように仕草で伝えて、見世の奥に消えていった。
「お願い……?」
野風は露草が消えていった方を見て、小さく呟いた。
男はずっと声をあげて泣き続けていた。
今は男衆から手を離し、床にうずくまっている。
男の悲痛な声につられるように、周りで見ていた遊女たちのすすり泣く声も聞こえ始めていた。
しばらくすると露草が小さな壷を二つ持って姿を現した。
露草はゆっくりとうずくまっている男に近づき、男の前にしゃがみ込む。
男が露草に気づき、顔をあげた。
男の瞳は赤く充血していたが、少し幼さの残る優しそうな顔立ちの男だった。
露草は男の前に、ひとつの壷をそっと置いた。
「夕里の骨です」
露草は静かに口を開いた。
男が涙に濡れた赤い目を見開く。
「もし死んだらあなたに渡してほしいと、夕里が……」
男は壊れやすいものに触れるように、そっと壷を両手で持ち上げるとゆっくりと胸に抱いた。
「夕里……」
男の顔が再び歪んでいく。
「それから、これ」
露草は胸元から紙を取り出すと、男に差し出した。
「夕里からの手紙です。あなたにわがままは言えないと、一度も手紙は出せなかったそうですが……、あの子の最期の手紙です。私が代筆していますがあの子の言葉ですから、読んであげてください」
男は震える手で手紙を受け取る。
男が手紙を見つめていると、開く前に手紙は男の涙で濡れ始めた。
慌てて手紙を懐に仕舞うと、男は堪え切れなくなったように壷を抱きかかえたまま擦り切れそうなほど悲痛な声を漏らして泣いた。
露草は男が手紙を受け取ったのを確認すると、ゆっくりと立ち上がり野風の方に向かう。
露草はもうひとつの壷を野風に差し出した。
「あなたが心配だから、ずっとそばにいるって夕里が」
野風は目を見開く。
同時に夢だと思っていた夕里との会話を思い出した。
『野風の年季が明けたら、私を桜草がいっぱい咲いている丘に連れていって』
「連れていってって……そういうことなの……? 姐さん……」
野風の顔が歪み、涙が溢れだす。
野風は壷を受け取ると、強く抱きしめた。
「ねぇ、野風……」
露草は野風を見て微笑んだ。
「夕里の火葬のお金……誰が出してくれたかわかる?」
野風は露草を見つめた。
「夕里の昔からのお客よ。それに……あなたは寝込んでいたから知らないと思うけど、たくさんお花も届いているの……。死んでからも愛される遊女なんてなかなかいないのよ」
野風は目を見開いた。
その瞬間、野風の背後から大きな泣き声が聞こえた。
野風が後ろを振り向くと、遊女が声をあげて泣き崩れていた。
「お、おい……泣くんじゃない!」
隣にいた遊女が慌てて泣き崩れた遊女の腕を取る。
「だ、だって……。我慢できなくて……」
泣きじゃくりながら遊女が言う。
「もっとツラい人たちが頑張ってるんだ! 私たちが泣いててどうする!」
遊女は声を潜めて言った。
「だって……夕里姐さんの最期にも会えなくて……」
「だから泣くなって……!」
慌てている遊女の目にも涙が光っていた。
(ああ……私だけじゃなかったんだ……)
野風は周りで涙ぐむ遊女たちを見ながら、静かにそう思った。
「ふふふ……」
露草が微笑む。
「もう野風にもわかったでしょう? 夕里は本当に幸せ者なのよ」
野風はしばらく露草を見つめてから、ゆっくりと微笑んだ。
「はい……。本当にそうですね……」
野風は泣き続けている男を見た。
(姐さん、私……年季明けまでちゃんと頑張るから……。そうしたらちゃんとあの人のところに連れていくから……。だから、もう少しだけ……そばにいてね……)
野風は小さな壷を強く強く抱きしめた。