「また……来たの? 野風……」
夕里が目を覚ますと、心配そうな野風の顔が目に入った。
(いつのまにか眠っていたのね……)
行燈部屋に入って数日が経ち、常に薄暗い部屋の中では今がどれくらいの時間なのかもよくわからなくなっていた。
「姐さん、大丈夫?」
野風は夕里の手をそっと握る。
夕里はその手を握り返そうとしたが、うまく力が入らなかった。
「大丈夫よ……」
夕里は微笑む。
夕里の言葉を聞いても野風の顔は曇ったままだった。
「見世……は?」
「もう夜見世も終わったよ……。お客が早く帰ったから、姐さんの様子を見に来たんだ……」
「そう……だったの……」
夕里はそう呟くと、少し咳き込んだ。
「姐さん、大丈夫!?」
野風は夕里の手を両手で包み込んだ。
「だ……いじょうぶよ……」
少し前から夕里の咳はひどくなってきていた。
数日続いた熱と咳で体力を奪われ、夕里は今では体を起こすこともできなかった。
(いよいよダメかもしれないわね……)
夕里は薄く笑うと目を閉じた。
「姐さん、水は飲んでる? 何か……欲しいものはある?」
野風は泣きそうな顔で夕里を見る。
「じゃあ……、み……ずを、もう少し……持ってきて……くれる……?」
「わかった。すぐ取ってくる」
野風は立ち上がると、急いで部屋を出ていった。
夕里はひとりになると、両手で顔を覆い声を殺して泣いた。
嗚咽とともに咳がこみ上げる。
咳き込みながらも涙はとめどなく溢れた。
(野風……、本当にごめんなさい。あなたを残していくことになるなんて……)
「ごめんね……。ご……ごめんね……。野風……」
悔いていることはたくさんあったが、今さらどうすることもできなかった。
ひとしきり泣くと、夕里は涙を拭う。
野風に泣き顔は見せたくなかった。
夕里はゆっくりと息を吐き、呼吸を整える。
天井を見つめながら、夕里はひとり呟いた。
「あなたにも……もう少しだけわがまま、……言えばよかったかな……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夕里が最後に呟いた独り言は、行燈部屋の前に来ていた野風の耳に、はっきりと届いていた。
水の入った竹筒を持ったまま、野風は部屋の前に立ち尽くす。
(姐さん……、やっぱりあいつのこと……)
野風はためらいながら、部屋の戸を開けた。
「野風……?……早かったの……ね」
夕里の不自然なほど明るい声が響く。
「あ、うん……。水入れただけだから……」
「ありが……とう」
夕里はお礼を言うと、また咳き込んだ。
「姐さん! 無理しないで……。お水……飲める?」
「じゃあ、……もらおうかな……」
野風は夕里の枕元に腰を下ろすと、横たわっている夕里の体を抱き起した。
「ごめんね……」
「いいから飲んで、姐さん」
野風は水を注いだ器を夕里の口元に寄せた。
少し水を飲むと、夕里はすぐに咳き込んだ。
「大丈夫!? 姐さん、ごめん!」
「だい……じょうぶ……だから……。少し……むせただけ……よ」
野風は器を置くと、すぐに夕里を横向きに寝かせて背中をさすった。
「ありがとう……。もう……大丈夫よ……」
夕里は身をよじると、背中をさする野風の手をとって微笑んだ。
「ねぇ……、なんだか……こうしていると……昔を思い出さない……? 今日は朝……まで……ここで一緒に……寝てくれない……?」
「別にいいけど……」
野風の言葉を聞いて夕里は微笑むと、自分の横をポンポンと叩いた。
野風は夕里の隣に横になる。
夕里はやわらかく微笑むと、野風の頭にそっと手を伸ばし、ゆっくりとなでた。
「姐さん……、もう子どもじゃないよ……」
「ふふ……」
夕里になでられて、野風は少しずつまぶたが重くなっていくのを感じた。
(まずい……ここ最近眠れなかったから……)
野風がウトウトしている様子を見て、夕里は目を細くした。
「ねぇ……野風……」
「……何……姐さん……」
「野風の……年季が明けたら……私を……桜草がいっぱい……咲いている……丘に……連れていって……」
「……さくら…そう……?」
「私の……好きな花なの……」
「ああ……そうだったね……。なんで……」
「約束……」
夕里は野風の言葉をさえぎるように言った。
「約束よ……。絶対に……連れていって……」
「……? ……わかった……よ」
野風はそれだけ言うと、小さな寝息を立て始めた。
夕里は震える手をそっと野風の手に重ねた。
夕里の顔が歪み、涙が布団を濡らす。
「ごめんね……、野風……」
朝になり野風が目を覚ますと、隣には穏やかな微笑みを浮かべた夕里の抜け殻だけが残されていた。
重ねられた夕里の手は硬く、それはひどく冷たかった。
夕里が目を覚ますと、心配そうな野風の顔が目に入った。
(いつのまにか眠っていたのね……)
行燈部屋に入って数日が経ち、常に薄暗い部屋の中では今がどれくらいの時間なのかもよくわからなくなっていた。
「姐さん、大丈夫?」
野風は夕里の手をそっと握る。
夕里はその手を握り返そうとしたが、うまく力が入らなかった。
「大丈夫よ……」
夕里は微笑む。
夕里の言葉を聞いても野風の顔は曇ったままだった。
「見世……は?」
「もう夜見世も終わったよ……。お客が早く帰ったから、姐さんの様子を見に来たんだ……」
「そう……だったの……」
夕里はそう呟くと、少し咳き込んだ。
「姐さん、大丈夫!?」
野風は夕里の手を両手で包み込んだ。
「だ……いじょうぶよ……」
少し前から夕里の咳はひどくなってきていた。
数日続いた熱と咳で体力を奪われ、夕里は今では体を起こすこともできなかった。
(いよいよダメかもしれないわね……)
夕里は薄く笑うと目を閉じた。
「姐さん、水は飲んでる? 何か……欲しいものはある?」
野風は泣きそうな顔で夕里を見る。
「じゃあ……、み……ずを、もう少し……持ってきて……くれる……?」
「わかった。すぐ取ってくる」
野風は立ち上がると、急いで部屋を出ていった。
夕里はひとりになると、両手で顔を覆い声を殺して泣いた。
嗚咽とともに咳がこみ上げる。
咳き込みながらも涙はとめどなく溢れた。
(野風……、本当にごめんなさい。あなたを残していくことになるなんて……)
「ごめんね……。ご……ごめんね……。野風……」
悔いていることはたくさんあったが、今さらどうすることもできなかった。
ひとしきり泣くと、夕里は涙を拭う。
野風に泣き顔は見せたくなかった。
夕里はゆっくりと息を吐き、呼吸を整える。
天井を見つめながら、夕里はひとり呟いた。
「あなたにも……もう少しだけわがまま、……言えばよかったかな……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夕里が最後に呟いた独り言は、行燈部屋の前に来ていた野風の耳に、はっきりと届いていた。
水の入った竹筒を持ったまま、野風は部屋の前に立ち尽くす。
(姐さん……、やっぱりあいつのこと……)
野風はためらいながら、部屋の戸を開けた。
「野風……?……早かったの……ね」
夕里の不自然なほど明るい声が響く。
「あ、うん……。水入れただけだから……」
「ありが……とう」
夕里はお礼を言うと、また咳き込んだ。
「姐さん! 無理しないで……。お水……飲める?」
「じゃあ、……もらおうかな……」
野風は夕里の枕元に腰を下ろすと、横たわっている夕里の体を抱き起した。
「ごめんね……」
「いいから飲んで、姐さん」
野風は水を注いだ器を夕里の口元に寄せた。
少し水を飲むと、夕里はすぐに咳き込んだ。
「大丈夫!? 姐さん、ごめん!」
「だい……じょうぶ……だから……。少し……むせただけ……よ」
野風は器を置くと、すぐに夕里を横向きに寝かせて背中をさすった。
「ありがとう……。もう……大丈夫よ……」
夕里は身をよじると、背中をさする野風の手をとって微笑んだ。
「ねぇ……、なんだか……こうしていると……昔を思い出さない……? 今日は朝……まで……ここで一緒に……寝てくれない……?」
「別にいいけど……」
野風の言葉を聞いて夕里は微笑むと、自分の横をポンポンと叩いた。
野風は夕里の隣に横になる。
夕里はやわらかく微笑むと、野風の頭にそっと手を伸ばし、ゆっくりとなでた。
「姐さん……、もう子どもじゃないよ……」
「ふふ……」
夕里になでられて、野風は少しずつまぶたが重くなっていくのを感じた。
(まずい……ここ最近眠れなかったから……)
野風がウトウトしている様子を見て、夕里は目を細くした。
「ねぇ……野風……」
「……何……姐さん……」
「野風の……年季が明けたら……私を……桜草がいっぱい……咲いている……丘に……連れていって……」
「……さくら…そう……?」
「私の……好きな花なの……」
「ああ……そうだったね……。なんで……」
「約束……」
夕里は野風の言葉をさえぎるように言った。
「約束よ……。絶対に……連れていって……」
「……? ……わかった……よ」
野風はそれだけ言うと、小さな寝息を立て始めた。
夕里は震える手をそっと野風の手に重ねた。
夕里の顔が歪み、涙が布団を濡らす。
「ごめんね……、野風……」
朝になり野風が目を覚ますと、隣には穏やかな微笑みを浮かべた夕里の抜け殻だけが残されていた。
重ねられた夕里の手は硬く、それはひどく冷たかった。