「最近の野風、調子いいみたいね」
 朝食を食べながら、遊女のひとりが夕里に言った。
「うん、そうね……。お客は増えてるみたい。なんだか急に大人びちゃって、私としてはちょっと心配でもあるんだけど……」
 夕里は目を伏せた。
「まぁ、子はいつか巣立つんだから、ちゃんと子離れしなさいよ」
 遊女の言葉に夕里は苦笑する。
(私が野風に依存してちゃダメよね……)
 ここ二年で野風は周りが目を見張るほど成長していた。
 言葉遣いはもちろん、体つきも女性らしくなり、所作にも品が出てきている。
 成長に比例するようにお客もつき、もう少しで部屋持ちになれるのではないかというところまできていた。
(野風が頑張ってるのに、私が寂しがるなんておかしいわね)
 夕里はもう一度苦笑すると、お茶の入った湯飲みに手を伸ばす。
「そういえば、野風は? まだ姿が見えないけど」
 遊女が夕里に聞いた。
「ああ、まだ寝てるんじゃないかしら? お客を見送ったのも遅かったみたいだから」
 夕里はそう答えると、お茶に口をつけた。
 ゆっくりとお茶を喉に流し込む。
 ここ数日、夕里は喉に違和感を覚えていた。
(風邪か……。お客にも嫌がられるし、早く治さないと……)

 夕里がお茶を飲み干すのとほぼ同時に、二階から野風が下りてくるのが目に入った。
「あ、野風! ちょうどあんたのこと話してたのよ! 最近調子いいみたいね!」
 夕里と話していた遊女は野風に声をかける。
「え、まぁ……、姐さんたちに比べたらまだまだですけど」
 野風は眠そうな目をこすりながら、夕里たちのところに来た。
「こっちおいで、野風」
 夕里は手招きして、自分の隣に呼ぶ。
「ありがとうございます。姐さん」
 野風は礼を言って、夕里の隣に腰を下ろした。
「もうすぐ部屋持ちになれるんじゃないかってみんな言ってるよ! ここで一緒に朝食べられるのもあとちょっとなのかしらね……」
 遊女は少し寂しそうに野風に言った。
「何言ってるんですか。姐さんがここで食べてるのに私だけ部屋で食べるわけないでしょう。ここに来ますよ。それに部屋持ちなんてまだまだ先ですよ……」
 野風はまだ眠そうな目で遊女を見る。
「別に私のことは気にしなくていいのよ?」
 夕里は野風に微笑む。
「気にしますよ! それに……」
 反論しようと隣の夕里を見た野風の言葉は不自然に途切れた。
「ん? どうしたの?」
 夕里は不思議そうに野風を見つめ返す。
「姐さん、なんか顔色悪くない? ……あ、悪くないですか?」
「え? ……そう?」
 夕里はドキリとしながら、自分の顔に触れた。
「え? いつもと何も変わらないように見えるけど……」
 遊女は夕里をじっくりと見てから言った。
「いやいや、悪いですよ! 体調悪いの隠してません?」
 夕里は苦笑する。
(変なところ鋭いな、野風は……)
「えっと……、ちょっと喉がムズムズするってだけだから……」
「やっぱり調子悪いんじゃないですか! 姐さんはよっぽどひどくならない限り何も言わないんだから! 昼見世だけでも休んだ方がいいですよ!」
 野風は声を大きくした。
「そんな大げさな……。これくらい大丈夫よ……」
「大丈夫じゃないですよ! 姐さんが休まないなら、私昼見世出ませんから!」
「え!? 何そのめちゃくちゃな話!?」
「私が仕置き部屋に閉じ込められてもいいんですか?」
「何なの!? その脅し!」
 夕里は目を見開く。

 夕里と野風のやりとりを見ていた遊女は苦笑した。
「観念しなさい、夕里。野風が頑固なのはあんたが一番わかってるでしょう? 楼主には私からもお願いしてみるから昼見世はおとなしく休んどきなさい」
「そんな、これくらいで……」
「あんたが一回休んだくらいで見世は潰れないし、昼見世はそもそも暇なんだからいいのよ」
 夕里は、しばらく野風と遊女の顔を交互に見ていたが、やがて観念したように目を閉じた。
「わかりました……」
 夕里は肩を落とす。
「ほら、食べ終わったなら部屋まで送りますから! もう行きましょ!」
 野風が立ち上がる。
「え!? 私ひとりで行けるから大丈夫よ! それに野風はまだ食べてないでしょう?」
「私は姐さんを送った後で食べにきますから! ほら、行きますよ!」
 野風は夕里の腕を掴む。
「え……」
 夕里はしぶしぶ立ち上がると、野風に腕を引かれて階段に向かって歩いていった。
 二人の後ろ姿を見ながら遊女は苦笑する。
「もうどっちが子どもなんだか、わからなくなってきたわね」
 遊女はそう呟くと、残っていたご飯に口をつけた。



 その日、夕里は昼見世だけでなく、夜見世にも出ることができなかった。
 部屋に戻り寝ていた夕里は、昼見世が終わる頃には熱が上がり、布団から起き上がることもできなくなったからである。
 そして、熱が下がり始めた頃、夕里の全身には赤い発疹が広がっていた。