「実は私の兄と名乗るものが現れまして……、もしかすると私は武家の出なのかもしれません……」
 咲耶は部屋で客である頼一(よりかず)に酌をしながら言った。
「…………ほぅ」
 頼一は酒杯を片手にまじまじと咲耶を見る。
(明らかに嘘のようだが……)
 頼一は咲耶の意図を図りかねていた。
 二十半ばの若さで南町奉行を務めている朝倉右近(あさくらのうこん)頼一は、罪人たちを裁いてきた経験から嘘か真かくらいは見分けることができた。
 咲耶ももちろんそれはわかっているはずだった。
(嘘だと隠す気もなさそうな様子から察するに、何も聞くなということなのか……。そんな話しをする意図はなんだ?)
 頼一の精悍な顔にわずかに困惑の色が浮かんでいた。

 そもそも咲耶が生まれてまもなく吉原に捨てられていたという話は有名だった。
 それゆえに天から地上に落ちてしまった天女なのではないかという話しも半ば本気で語られてきたほどだ。
 そんな咲耶に今さら家族だと名乗り出る者などいるとは思えなかった。

「それで、少しお願いがあるのですが……」
「……なんだ?」
「兄と名乗る男の話しでは、家はお取潰しか何かでなくなったようなのですが、そのときに私の姉になるのか妹になるのか、年頃の娘が遊郭に売られたようなのです。この吉原に私と血のつながりのある遊女がいるのなら見つけたいのです」
「ああ、なるほど」
 要は人を探したいのだと頼一は理解した。
「その兄とやらは妹がどこの見世に売られたのか知らないのか?」
「はい、わからないそうで、ずっと探していると言っていました」
「そうか……」
 頼一は酒を少し口にすると、思案するようにしばらく酒杯を見つめた。
「もちろんお(れい)はいたします。頼一様の……」
「礼はいい」
 咲耶の言葉を遮るように、頼一はそう言って微笑んだ。
「咲耶が望むなら、できる限りのことはしよう。取潰し自体、頻繁にあるものではないうえ、取潰しになったとはいえ娘が遊郭に売られることは少ないだろうから、売られた見世まではおそらくわかるだろう」
「ありがとうございます、頼一様」
「ただ、気になるのは……」
 頼一はそういうと咲耶の耳元に唇を寄せた。
「その兄とやらは、おまえにとってそんなに大切な男か?」
 頼一は咲耶の横顔を見つめ、薄っすらと微笑んだ。
「妬けるな……」

 咲耶は頼一の視線を受け止めると、ゆっくりと微笑み頼一の頬に触れた。
「いいえ、頼一様の方がよほど大切な(ひと)です」
(どうやらそこは嘘ではないらしい)

「まったく、咲耶には敵わないな……」
 頼一は苦笑した。
 ただ、頼一はこのように咲耶に手玉にとられるのが嫌いではなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 翌朝、吉原の大門まで咲耶に見送られた頼一は、路地裏に入ると歩みをとめた。

「いるか?」

「……はい」
 姿は見えなかったが男の淡々とした声だけは頼一の耳に届いた。
「聞いていたか?」

「……はい」
 頼一は苦笑する。
「覗きと盗み聞きとは、あまり感心しないな」
 咲耶も何かしらの存在に気づいていたからこそ、あの言い回しをしたのだろうと思い至る。

「……私はあなたの護衛も兼ねております。お許しください」

「まぁ、いい。聞いていたとおりだ。ここ十年のあたりでいい。取潰しになり娘が遊郭に売られた家を調べろ。可能な限り早めに頼む」

「承知しました」
 そういうと隠密は気配を消した。

(咲耶の兄という男の存在は気になるが、咲耶がある程度信用しているのなら、少なくとも害のある人間ではないのだろう)

「無事に見つかればいいが……」
 頼一はそう呟くと、朝日が差し始めたばかりの静かな町を後にした。