「二人の話しをまとめると、吉原で弥吉に手紙を渡した女と、叡正が寺で見た女は別人だということでいいか?」
 咲耶は、目の前に座っている弥吉と叡正を順番に見た。
「たぶん、そうだと思います……」
「自信はないが、おそらくは……」
 弥吉も叡正も同意する。
 今、咲耶の部屋には弥吉と叡正、信が集まっていた。
 夜見世が始まる前ということもあり、部屋の外はいつもより少し騒がしかった。
 叡正が少し考えてから口を開く。
「俺が見た女はたぶん十八や十九なんて年齢じゃなかったと思う……。暗くてよくは見えなかったが、動きを見た限り年はもっと上だ。三十くらい、それ以上かもな……」
 叡正の言葉に咲耶が頷く。
「もともと別人だろうとは思っていた。吉原に遊女以外の女が入るのは難しいし、逆に遊女は吉原から出られないから寺に行けないしな」
(少なくとも三人以上の人間が関わっているのか……)
 咲耶は額に手を当ててため息をついた。

「あの、咲耶太夫に今回の件を気づかせるために俺や叡正様をあえて巻き込んだっていうのは確かなんですか……?」
 弥吉が咲耶を心配そうに見る。
「それなら、咲耶太夫が危ないんじゃないですか?」
 咲耶は弥吉を見て微笑む。
「心配するな。私の周りには常に誰かいるからな。私に危害が加わる前に捕まるよ」
「でも……」
 弥吉はまだ不安そうに咲耶を見ていた。
 咲耶はもう一度弥吉に向かって微笑んだ。
「ありがとう。大丈夫だ」

 叡正は顎に手を当てて何か考えているようだったが、しばらくして口を開いた。
「俺も考えてみたんだが、少し考え過ぎなんじゃないのか? 俺が丑の刻まいりに気づいたのは本当にただの偶然なんだ。寺のほかの坊さんたちが先に気づいて見に行った可能性だって十分あった。ほかの坊さんが気づいていたら、意味がなかったんだろう?」
「ほかの僧侶でもよかったんだ、おそらくな」
 咲耶は叡正を見た。
「指の件も丑の刻参りの件も、二つの目的があったはずだ。まず弥吉の方のひとつ目の目的は、直次という男に手紙と指を届けること。二つ目が弥吉に疑いの目を向けることだったんだろう。二つ目の方は成功しても失敗してもどちらでもよかったんだと思う」
 咲耶の話しを聞いて、弥吉が息を飲んだ。
 咲耶は叡正を見たまま続ける。
「叡正の方のひとつ目の目的は、寺で直次を呪った丑の刻まいりの跡が見つかることだ。二つ目は、このことを叡正が私に伝えること。そもそも叡正が目撃する必要はなかったんだと思う。確率が低すぎるからな。おそらくこれは本当に偶然だったんだ。寺で丑の刻まいりの跡が見つかればおそらく翌日には噂になるだろう? それで十分だったはずだ。ほかの僧侶が目撃して気絶させられていた場合も、大騒ぎにはなっただろうからな。だから、引きの強さはおまえの天性のものだ。気の毒に……」
 咲耶がわざとらしい憐みの表情で叡正を見る。
「その目をやめてくれ……。まぁ、本当にそうだとすれば、おまえを巻き込みたい理由は何なんだ? 理由がないだろう?」
 叡正は困惑した顔で咲耶を見た。
「私か、私の周りの人間か……。私が目的でなかった場合、可能性が高いのは玉屋の楼主か、信おまえだ……」
 咲耶はずっと黙って聞いていた信に目を向ける。
「気をつけろよ」
 信は咲耶の視線を受けると静かに頷いた。

「え!? なんで信さんが!?」
 弥吉が声を大きくする。
 咲耶は弥吉を見ると困ったように微笑んだ。
「まぁ、可能性の話しだ……」
 弥吉に本当のことは言えないし、言う必要もないと咲耶は考えていた。

「これからどうするんだ?」
 信が咲耶を見て口を開く。
「ああ、まずは弥吉に指を渡した遊女が誰か探すよ。これはおそらくすぐ見つかるだろう。夕里という遊女と直次の関係を知っている人間は限られている。間違いなくいずみ屋の遊女の誰かだ。少し探ってみる」
「寺の方は何か調べるか?」
 信が淡々と聞いた。
「寺の方からはおそらく何もわからないと思うが……、念のために見てきてくれるか?」
 咲耶は信を見つめる。
「ああ、わかった」
「叡正、今度でいいから寺を案内してやってくれ」
「え、ああ、わかった」
 二人のやりとりを呆然と見ていた叡正は慌てて応えた。

「弥吉はさっき預けた手紙を届けてきてくれるか? もうすぐ暗くなるから、もう行きな」
「あ、はい……」
 弥吉は信を気にするようにしながら部屋を出ていった。
「さぁ、そろそろ私も夜見世の準備だ。髪結いに声をかけて緑も呼ばないといけないからな、先に行く。二人は準備ができたらでいいからゆっくりしてな」
「ああ、わかった」
 叡正の返事を聞くと、咲耶は部屋を出ていった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 咲耶が出ていった後、信と二人になった叡正は居心地の悪さを感じてすぐに立ち上がった。
(この男は一体何者なんだろう? 本当に咲耶太夫の間夫なのか……)
 叡正は信を見た。
 何を考えているかわからない男だが、色素の薄い茶色の髪と瞳は美しく顔立ちも整っていると叡正は思った。
(咲耶太夫はこういうのが好みなのか……?)
 叡正の視線に気づき、信が口を開く。
「何だ?」
「あ、いや! そういえば、まだ礼を言ってなかったな……」
 叡正は鈴のことで信にお礼を言っていなかったことを思い出した。
「鈴のこと、いろいろすまなかった。それに、ありがとう。おかげで最後に鈴に会えた。鈴の埋葬もしてくれたんだろう? 本当にありがとう」
「ああ。咲耶の頼みだ。気にするな」
 信は淡々と言った。
(咲耶太夫の頼みだから、か……。一体どういう関係なんだ……。まぁ、あまり深く考える必要もないか)
 叡正は思考を切り替えると、信にもう一度礼を言った。
「さぁ、そろそろ俺たちも行くか」
 叡正は信に声をかける。
「ああ」
 信も立ち上がる。
 叡正が襖を開けて、部屋を出るとちょうど二人の遊女が咲耶の部屋の前を通りすぎるところだったらしく、ぶつかりそうになった。
「ああ、すまない!」
 叡正が慌てて避ける。
「いえ、こちらこそ申し訳ありません!」
 遊女は叡正を見て、慌てて頭を下げた。
 そして、顔を上げた二人の遊女はなぜか目を見開いた。
「え?」
(どうしたんだ?)
 二人の視線は叡正の後ろに向けられていた。
 叡正は二人の視線を追う。
 そこには胸元がはだけた信の姿があった。
「な!?」
 叡正は声を上げた。
 信は三人の視線に気づくと、自分のはだけた着物を見る。
「ああ、帯を忘れた」
 信はそう言うと部屋に戻った。
(ああ……立ったときに帯が解けたのか……)
 叡正が再び前を向くと、二人の遊女が口元を覆い顔を赤らめて叡正を見ていた。
「え……?」
「あ、あの私たち、何も見ていませんから!」
「そうです! 大丈夫です! 大丈夫ですから……。し、失礼します!」
 二人の遊女は頭を下げると足早に去っていく。
「え……?」

「叡正様、そうだったのね……!」
 遊女は声をひそめているようだったが、興奮しているためかその声は大きかった。
「え! どういうこと!?」
「ほら、叡正様は僧侶だから、ほら…その男の方と……」
「そんな……! で、でも信様となら…ね……」
「下品な想像しちゃダメよ! でも……いいわね……うん……」
「咲耶姐さんの間夫じゃなかったのね!」
「そうね……二人に密会の場を貸してただけだったんだわ!」

「え……?」
 叡正は去っていく二人の遊女を呆然と見つめていた。
 ふと、二人の遊女が歩いていく先に、一人の遊女が立ちつくしているのが見える。
 その遊女は目に涙を溜めて、こちらを睨んでいるように見えた。
「え……?」
 その遊女は叡正と目が合うと顔を歪めて、走り去っていった。

「悪かった。帯が解けていたみたいだ」
 後ろから信が襖を開けて現れる。
「どうした?」
 叡正が呆然としているのに気づいたのか、信が聞いた。

「プッ」
 二人の遊女が去っていった方向と反対側で、咲耶と緑が口元を覆って立っていた。
「あ、さっき立ってたのが、プッ、朝霧姐さんです」
 緑が噴き出すのを堪えるように叡正に言った。
「ああ、なんとなく察したよ……」
 叡正は遠い目をしながら言った。
「よかったじゃないか。プッ、問題が解決して……」
 咲耶も噴き出すのを我慢しているようだった。
「まぁ、あれだ。気をつけて帰れよ」
 咲耶が叡正から視線をそらして言った。

「ああ、ありがとう……」
 叡正が返事をするのを聞くと、咲耶と緑は信と入れ違いに部屋に入っていった。
 部屋が閉まると同時に二人の笑い声が響く。

「どうしたんだ?」
 信が叡正に聞く。
「なんでもない……。うん、なんでもないんだ……」
 叡正は顔を両手で覆った。