「咲耶太夫……、本当に申し訳ありませんでした!」
 咲耶の部屋に入ると、弥吉はすぐに膝をついて頭を下げた。
「まぁ、あまり気にするな」
 咲耶は微笑むと弥吉と目線を合わせるために、その場に座った。
「ただ、今回のことでわかったと思うが、玉屋の文使いであるおまえに何か目的があって近づいてくる人間もいる。今後は十分気をつけてくれ。今回はこの程度で済んだが、命に関わる場合もあるからな」
 咲耶はそう言うとそっと弥吉の頬に触れた。
「痛むか?」
「いえ……このくらい全然たいしたことありません……。むしろ見世に迷惑をかけたことが申し訳なくて……」
 目を伏せた弥吉を見て、咲耶が笑う。
「見世こそ、これくらいたいしたことじゃない。おまえの体の方が大事だ。信も心配するだろうから、今日はもう帰って休むといい」
 弥吉は顔を上げて、咲耶を見る。
 弥吉の目には涙が溢れていた。
「本当に……ありがとうございます」
 弥吉はもう一度頭を下げると、涙をごまかすように笑った。
「まぁ、信さんはきっと気づかないと思いますけど、今日はお言葉に甘えて休ませてもらいます」
 咲耶は微笑んで、弥吉の頭をなでる。
「それがいい。ただ、信はたぶん気づくから、事情は説明してやってくれ。信は口数が少ないだけで、人の怪我や体調の変化には敏感だから……。勝手に調べて殴った相手を殺しに行ったら大変だ」
「そんな大袈裟な!」
 弥吉はおかしそうに笑ったが、信に関してこれは全く大袈裟ではないため、咲耶は苦笑する。

「ところで、手紙を渡してきた遊女について何か覚えていることはないか?」
「そうですね……。顔は隠してたんで……。ただ声は覚えてます! 遊女の中でも年は若い方だと思います。十八とか十九とか……。それくらいしかわからなくて…、すみません……」
「そうか……」
 咲耶は考えるように目を伏せる。
「私も少し調べてみよう。何だか嫌な予感がするからな……」
 咲耶の言葉に、弥吉が不安げな表情を見せる。
「まぁ、弥吉はまずしっかり休んで、明日からまたよろしく頼む」
 弥吉の顔を見て、咲耶が明るく笑う。
 弥吉は少しホッとした表情を浮かべると一礼して部屋を出ていった。
 咲耶は目を閉じる。
「何事もなければいいが……」
 ひとりになった部屋で、咲耶は静かに呟いた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 叡正は奇妙な音に気づき、目を覚ました。
(何の音だ……?)
 遠くで金属を叩くような音が聞こえる。
(刀を打つ音……なわけないか……。ここ寺だし……。それに……)
 刀を打つときに出る音より、少し鈍い音が響く。
(今はまだ夜だよな……)
 月明かりでほんの少しだけ障子の外は明るく感じるが、まだ朝日が差す時間ではないようだった。
 叡正はゆっくりと体を起こす。
 金属を叩くような音は変わらず響き続けている。
 叡正は立ち上がると障子を開けた。
 音が少しだけ大きく聞こえる。
(やはり外か……)
 月が出ているとはいえ、外は暗かった。
 叡正は障子を閉めて、部屋にあるろうそくに火を灯し提灯の中に入れる。
 提灯の明るさを確認すると、叡正は提灯を手に廊下を通って外に出た。
(何の音なんだ……?)
 叡正は音の方に進んでいく。
 音は本堂とは反対の方から聞こえるようだった。
 寺の境内は広いため、参道と本堂から離れた場所には叡正もあまり来ることがなかった。
(こんな場所があったんだな……)
 徐々に高い木々が増え、月明かりは届かなくなっていた。
 提灯で足元を照らしながら、叡正は慎重に足を進める。
 音はこの先から聞こえるようだった。

 ふと、遠くに灯りが見えた。
(あ、俺のほかにも誰か……)
 三つの灯りが揺らめいていた。
 叡正は目を凝らす。
(!??)
 叡正は目を見開いた。
 三つの灯りに照らされて、振り上げられた白い腕と金づちが見える。
 金づちを振り下ろすと同時に、先ほどから聞こえていた金属を叩く音が響いた。
 叡正は慌てて提灯の灯りを消し、音を立てないようにそっと近づいていく。
(丑の刻まいり……なのか……?)
 近づくと長い髪の女が白い着物で、木に釘を打ち付けているのが見えた。
 頭につけた金輪には三本のろうそくが立っている。
(なんで寺で……。普通神社なんじゃ……)
 叡正は木の陰から恐る恐る女を見た。
 今のところ女は叡正に気づいていないようだった。
(どうするべきか……)
 声をかけるべきなのか叡正が悩んでいると、なぜか女が叡正の方を振り向いた。
(!!?)
 女は般若の面をつけていた。
(なんで面を……)
 叡正が後ずさりすると、女が叡正の方に向かって走り出す。
(え!? なんで!?)
 女は走りながら、懐に手を入れるとすばやく小刀を取り出した。
(殺しに来てるのか!? 落ち着け……相手は小刀だし、一応俺だって武士の家系だ……)
 叡正は刀を構える姿勢をとったが、手にあるのは提灯だけだった。
(これ……無理だろ……)
 叡正は顔を青くした。
 ここは一旦逃げようと叡正が振り返ろうとした瞬間、首の後ろに衝撃が走った。
(な……)
 叡正は後ろに視線を動かそうとしたが、すぐに視界がかすむ。
 叡正の意識はそのまま途切れ、その場に倒れ込んだ。
 火の消えた提灯を、ゆっくりと近づいてきた女がぐしゃりと踏む。
 三つの灯りに照らされてできた二つの人影が、静かに叡正を見下ろしていた。