「おかしいな……。確かこの辺りだったと思ったんだが……」
叡正は顔を上げて辺りを見回した。
入り組んだ道を通ってきたわけでもないのに、叡正は先ほどから何度か同じ道を通っている気がしていた。
「なぁ、この道……さっきも通った気がするんだが……」
叡正はずっと無言で後ろを歩いていた信を振り返った。
叡正の言葉に、信はわずかに顔を上げる。
「ああ、この道を通るのは八回目だ」
信は淡々とそう言うと、また地面に視線を落とした。
「は、八回目!?」
信の言葉に、叡正は思わず声を上げた後、静かに肩を落とした。
「……二回目の段階で教えてほしかったんだが……」
「ああ、そうだったのか」
信は視線を上げると不思議そうに首を傾げた。
「そりゃあ……」
そうだろう、という言葉を叡正はゆっくりと飲み込んだ。
(信にそんなこと期待しても無駄か……)
叡正は小さいため息をついた。
(それにしても八回って……完全に迷ったな……)
叡正と信は、名簿に名前があった檀家の屋敷に向かっていた。
行き先に選んだのは、名簿の最初の方に名前があった『滝本廣次』の屋敷。
最近法要で屋敷を訪れていたため場所がすぐにわかること、寺から比較的に近いということが選んだ理由だった。
(こんなわかりにくい場所だったかな……)
叡正は辺りを見回しながら、もう一度ため息をついた。
(それに……)
叡正は静かに視線を落とす。
(無事にたどり着いたとして……俺は滝本様に何を話せばいいんだ?)
咲耶に言われ、信とともに屋敷に向かってはいたが、叡正は自分が何をすればいいのかわからずにいた。
(名簿を見せながら『これは何の集まりかご存じですか?』とでも聞けばいいのか……?)
叡正はそんなことを考えながらひとり苦笑した。
そのとき、叡正はふいに誰かの視線を感じた。
慌てて振り返ると、いつのまにか信が真剣な面持ちでじっとこちらを見つめていた。
「ん? どうした?」
叡正は首を傾げる。
(俺の顔に何かついているのか……?)
叡正は思わず自分の頬に触れた。
「おまえは……恨んだことはないのか?」
信は真っすぐに叡正を見ていた。
「……ん?? 何? 何の話だ?」
唐突な信の言葉に、叡正は目をパチパチさせた。
(八回目の道だと教えなかったことを恨んでいるのかって聞いてるわけ……じゃないよな……?)
信は叡正を見つめたまま、もう一度口を開いた。
「おまえは、誰かを恨んだことはないのか?」
信の声は淡々としていたが、そこにはわずかに叡正を気遣うような声色があった。
(ああ、これは……俺のこれまでの人生でって話か……)
「恨む……か……。考えたことなかったな……」
叡正の言葉に、信の瞳がわずかに揺れる。
「おまえの父親のこと、それに妹を遊郭に売ったおまえの親族のこと、それからほかにも……。本当に誰も恨んでいないのか?」
「恨む……」
叡正はもう一度同じ言葉を繰り返した。
恨みという言葉は、叡正がこれまで抱いてきた感情を表すものではない気がした。
「恨むというよりは……ただ悲しかったっていう方がしっくり来るかな……」
叡正はそう言うと小さく微笑んだ。
「父親のことがあったときは、鈴が……妹がいて、二人でどう生きていくか考えるだけで精一杯で、正直恨んでる余裕もなかったし……。それに妹のときは……ほら、おまえらがいたから」
叡正はそう言うとフッと笑った。
「今日までずっとおまえらに振り回されてばっかりで、振り返って恨んでる暇なんてなかっただろ? だから、恨むとかそういうのは……」
叡正はそう言いながら信に視線を向けた。
信は目を見張ったまま、茫然と叡正を見つめていた。
「ど、どうした……?」
信の様子に、叡正は思わずたじろいだ。
(俺、何か変なこと言ったか……?)
「いや……」
信はゆっくりと目を伏せた。
「おまえは……すごいな」
信は小さく呟いた。
「ん? すごいって何が……?」
叡正は戸惑いながら首を傾げた。
「おまえは……俺とは違う」
「ん?? ああ……そうだな……。同じではないだろうが……」
叡正は、信が何を言いたいのかよくわからなかった。
「だから、おまえはこの先も、ずっとそのままで……」
信はそれだけ言うと、静かに目を閉じた。
「え? それはどういう……」
そのとき、叡正の背後で何かが動く気配がした。
「あらあら、こんなところでどうしたの?」
しゃがれた女性の声が聞こえ、叡正は慌てて振り返る。
そこには腰の曲がった年配の女性が立っていた。
「さっきから同じところをぐるぐるしているのを見ていたものだからね」
年配の女性はそう言うとフフッと上品に笑った。
「もしかして道に迷っているのかしら、なんて思ってね。お節介かなとも思ったのだけど、声をかけさせてもらったの」
叡正は思わず信を見た後、女性に視線を戻し、小さく苦笑した。
「あ、はい……。そうです……。少し道に迷ったようで……」
叡正はそう言うと頭を搔いた。
「ああ、やっぱりそうなのね! この辺りに来るのは私も久しぶりなのだけど、長く暮らしていたから、たいていの場所はわかると思うわ。どこに行こうとしていたの?」
年配の女性はにっこりと笑った。
「ああ、それは、ありがとうございます! 滝本廣次様のお屋敷に伺おうとしていたのですが、ご存じでしょうか?」
叡正の言葉に、年配の女性はわずかに目を見張った。
「滝本……廣次……様? えっと……廣直様の間違いではなくて……?」
「ああ、そうです! その滝本様です。廣直様は数年前にお亡くなりになったので、今は廣次様が屋敷のご当主でして……。お屋敷の場所をご存じなのですか?」
叡正の言葉に、年配の女性は目を見開いた。
「そう……お亡くなりに……。で、でも廣次様……? え? それはどういう……」
戸惑いを隠せない様子の年配の女性に、叡正と信は顔を見合わせた。
「あの……、廣次様がどうかされたのですか?」
叡正は年配の女性を落ち着かせようと、穏やかな口調で言った。
女性は目を泳がせながら小さく口を開いた。
「だって廣次様は…………もうお亡くなりになっているはずなのに……」
「え!?」
叡正は思わず声を上げると、信を振り返った。
「いやいや、そんなはずは! 俺、このあいだお会いしたばかりだから! あ、でも、もしやその後に……? いや、それなら俺の耳に入らないはずないか……」
「最近の話じゃないの……」
叡正の言葉に、年配の女性はおずおずと言った。
「お亡くなりになったのは、もう二十年以上前の話よ。廣次様がいらっしゃるはずないわ……。だって……廣次様のご遺体を棺に入れたのは、この私なのだから……」
女性の言葉に、叡正と信は静かに顔を見合わせた。
叡正は顔を上げて辺りを見回した。
入り組んだ道を通ってきたわけでもないのに、叡正は先ほどから何度か同じ道を通っている気がしていた。
「なぁ、この道……さっきも通った気がするんだが……」
叡正はずっと無言で後ろを歩いていた信を振り返った。
叡正の言葉に、信はわずかに顔を上げる。
「ああ、この道を通るのは八回目だ」
信は淡々とそう言うと、また地面に視線を落とした。
「は、八回目!?」
信の言葉に、叡正は思わず声を上げた後、静かに肩を落とした。
「……二回目の段階で教えてほしかったんだが……」
「ああ、そうだったのか」
信は視線を上げると不思議そうに首を傾げた。
「そりゃあ……」
そうだろう、という言葉を叡正はゆっくりと飲み込んだ。
(信にそんなこと期待しても無駄か……)
叡正は小さいため息をついた。
(それにしても八回って……完全に迷ったな……)
叡正と信は、名簿に名前があった檀家の屋敷に向かっていた。
行き先に選んだのは、名簿の最初の方に名前があった『滝本廣次』の屋敷。
最近法要で屋敷を訪れていたため場所がすぐにわかること、寺から比較的に近いということが選んだ理由だった。
(こんなわかりにくい場所だったかな……)
叡正は辺りを見回しながら、もう一度ため息をついた。
(それに……)
叡正は静かに視線を落とす。
(無事にたどり着いたとして……俺は滝本様に何を話せばいいんだ?)
咲耶に言われ、信とともに屋敷に向かってはいたが、叡正は自分が何をすればいいのかわからずにいた。
(名簿を見せながら『これは何の集まりかご存じですか?』とでも聞けばいいのか……?)
叡正はそんなことを考えながらひとり苦笑した。
そのとき、叡正はふいに誰かの視線を感じた。
慌てて振り返ると、いつのまにか信が真剣な面持ちでじっとこちらを見つめていた。
「ん? どうした?」
叡正は首を傾げる。
(俺の顔に何かついているのか……?)
叡正は思わず自分の頬に触れた。
「おまえは……恨んだことはないのか?」
信は真っすぐに叡正を見ていた。
「……ん?? 何? 何の話だ?」
唐突な信の言葉に、叡正は目をパチパチさせた。
(八回目の道だと教えなかったことを恨んでいるのかって聞いてるわけ……じゃないよな……?)
信は叡正を見つめたまま、もう一度口を開いた。
「おまえは、誰かを恨んだことはないのか?」
信の声は淡々としていたが、そこにはわずかに叡正を気遣うような声色があった。
(ああ、これは……俺のこれまでの人生でって話か……)
「恨む……か……。考えたことなかったな……」
叡正の言葉に、信の瞳がわずかに揺れる。
「おまえの父親のこと、それに妹を遊郭に売ったおまえの親族のこと、それからほかにも……。本当に誰も恨んでいないのか?」
「恨む……」
叡正はもう一度同じ言葉を繰り返した。
恨みという言葉は、叡正がこれまで抱いてきた感情を表すものではない気がした。
「恨むというよりは……ただ悲しかったっていう方がしっくり来るかな……」
叡正はそう言うと小さく微笑んだ。
「父親のことがあったときは、鈴が……妹がいて、二人でどう生きていくか考えるだけで精一杯で、正直恨んでる余裕もなかったし……。それに妹のときは……ほら、おまえらがいたから」
叡正はそう言うとフッと笑った。
「今日までずっとおまえらに振り回されてばっかりで、振り返って恨んでる暇なんてなかっただろ? だから、恨むとかそういうのは……」
叡正はそう言いながら信に視線を向けた。
信は目を見張ったまま、茫然と叡正を見つめていた。
「ど、どうした……?」
信の様子に、叡正は思わずたじろいだ。
(俺、何か変なこと言ったか……?)
「いや……」
信はゆっくりと目を伏せた。
「おまえは……すごいな」
信は小さく呟いた。
「ん? すごいって何が……?」
叡正は戸惑いながら首を傾げた。
「おまえは……俺とは違う」
「ん?? ああ……そうだな……。同じではないだろうが……」
叡正は、信が何を言いたいのかよくわからなかった。
「だから、おまえはこの先も、ずっとそのままで……」
信はそれだけ言うと、静かに目を閉じた。
「え? それはどういう……」
そのとき、叡正の背後で何かが動く気配がした。
「あらあら、こんなところでどうしたの?」
しゃがれた女性の声が聞こえ、叡正は慌てて振り返る。
そこには腰の曲がった年配の女性が立っていた。
「さっきから同じところをぐるぐるしているのを見ていたものだからね」
年配の女性はそう言うとフフッと上品に笑った。
「もしかして道に迷っているのかしら、なんて思ってね。お節介かなとも思ったのだけど、声をかけさせてもらったの」
叡正は思わず信を見た後、女性に視線を戻し、小さく苦笑した。
「あ、はい……。そうです……。少し道に迷ったようで……」
叡正はそう言うと頭を搔いた。
「ああ、やっぱりそうなのね! この辺りに来るのは私も久しぶりなのだけど、長く暮らしていたから、たいていの場所はわかると思うわ。どこに行こうとしていたの?」
年配の女性はにっこりと笑った。
「ああ、それは、ありがとうございます! 滝本廣次様のお屋敷に伺おうとしていたのですが、ご存じでしょうか?」
叡正の言葉に、年配の女性はわずかに目を見張った。
「滝本……廣次……様? えっと……廣直様の間違いではなくて……?」
「ああ、そうです! その滝本様です。廣直様は数年前にお亡くなりになったので、今は廣次様が屋敷のご当主でして……。お屋敷の場所をご存じなのですか?」
叡正の言葉に、年配の女性は目を見開いた。
「そう……お亡くなりに……。で、でも廣次様……? え? それはどういう……」
戸惑いを隠せない様子の年配の女性に、叡正と信は顔を見合わせた。
「あの……、廣次様がどうかされたのですか?」
叡正は年配の女性を落ち着かせようと、穏やかな口調で言った。
女性は目を泳がせながら小さく口を開いた。
「だって廣次様は…………もうお亡くなりになっているはずなのに……」
「え!?」
叡正は思わず声を上げると、信を振り返った。
「いやいや、そんなはずは! 俺、このあいだお会いしたばかりだから! あ、でも、もしやその後に……? いや、それなら俺の耳に入らないはずないか……」
「最近の話じゃないの……」
叡正の言葉に、年配の女性はおずおずと言った。
「お亡くなりになったのは、もう二十年以上前の話よ。廣次様がいらっしゃるはずないわ……。だって……廣次様のご遺体を棺に入れたのは、この私なのだから……」
女性の言葉に、叡正と信は静かに顔を見合わせた。