咲耶は、頼一が酒を飲み干すのをただ静かに見つめていた。
残された名簿の話を聞いてから、咲耶は叡正の寺について調べていた。
しかし、わかったことは何もなかった。
咲耶の視線に気づき、頼一は苦笑すると酒杯を膳に戻した。
「咲耶……、何か言いたいことがあるのなら普通に話してくれ。そうじっと見つめられると……」
頼一はそう言うと、銚子を持ったままの咲耶を困ったように見た。
「あ、いえ……申し訳ありません。少し考え事をしておりました……」
咲耶は銚子を膳に戻すと、ゆっくりと目を伏せた。
「考え事とは珍しいな。それに……」
頼一はそう言うと微笑んだ。
「何か私に聞きたいことはありそうな顔だ」
頼一の言葉に、咲耶は思わず苦笑した。
「やはり頼一様には敵いませんね。もし……話しにくい内容でしたらお答えいただかなくて大丈夫なのですが……龍覚寺という寺をご存じでしょうか?」
「龍覚寺……か」
頼一は小さく呟くとわずかに目を伏せた。
「ああ、知っている。大きな寺だからな。その寺が何か気になるのか?」
「ええ、少し……」
咲耶は曖昧に微笑むと、じっと頼一を見つめた。
「龍覚寺について、何か悪い噂などはご存じありませんか?」
「悪い噂か……私は聞いたことがないな。むしろ、その逆ならよく聞くが……」
頼一はそう言うと、膳の酒杯を手に取った。
「逆……ですか?」
咲耶は銚子を手に取ると、頼一の酒杯に酒を注いだ。
「ああ、龍覚寺からはいい噂しか聞いたことがない。まぁ、何をしているのかわからない怪しげな寺が多いの事実だ。咲耶も知っていると思うが、檀家制度が確立して人別改帳を寺が管理するようになって寺の力は圧倒的に強くなった。僧侶はいわば特権階級だ。寺の腐敗、僧侶の堕落は誰もが知るところだが、誰もそれを正すことができていない……」
頼一は酒杯に視線を落とした。
「寺は寺社奉行の管轄で、町奉行が許可なく立ち入ることもできないからな。賭博の多くが寺の敷地内で開かれるは知っているだろう? そういうところには罪人が隠れていることも多い」
「では、龍覚寺も?」
咲耶の言葉に、頼一は小さく首を横に振った。
「いや、龍覚寺にそういった噂はない。悪い噂を聞いたことがないと言ったのはそういう意味だ。むしろ龍覚寺について聞くのは、どれもいい話ばかりだな」
「いい話……ですか」
「ああ、寺というより住職かな。住職の評判がとてもいいんだ。人によっては崇拝していると言ってもいいぐらいだろうな」
「崇拝……。寺ですから住職の言葉に救われる人は少なくないでしょうが……僧侶を崇拝、というのは聞いたことがありませんね」
咲耶はそう言うと、静かに視線を落とした。
「崇拝というのは少し大げさかもしれないが、私にはそのように見えたということだ。つまり、悪い噂についてはわからないということだな。力になれずにすまない」
頼一はそう言うと、酒杯の酒を一気に飲み干した。
「いいえ、よくわかりました。頼一様は……本当にお優しいですね」
咲耶は頼一を見つめると、にっこりと微笑んだ。
(何も問題のない寺について、頼一様がここまで知っているはずはない……)
咲耶はゆっくりと目を閉じた。
(悪い噂はないが、何か気になることがあって奉行所も動いているということか……)
咲耶が目を開けると、頼一は少し困ったように咲耶を見ていた。
「まぁ、惚れた弱みというやつだ」
頼一はそれだけ言うと、フッと笑って酒杯を差し出した。
頼一の言葉に、咲耶は微笑むと酒杯の上にそっと手を添えた。
「飲み過ぎです。今日はここまでに。それから……私からもひとつ」
咲耶はそう言うと真っ直ぐに頼一を見つめた。
「以前、私に兄がいるかもしれないと調べていただいた旗本のお家取り潰しの件ですが……何か裏があるのかもしれません」
「裏? それに……龍覚寺が関わっていると?」
頼一の眼差しには、わずかに鋭さがあった。
「それはわかりません。ただ、少し気になることがございまして……」
咲耶はそう言うと視線を落とした。
「勘というやつか……。まぁ、咲耶の勘が外れたことはないからな。覚えておく」
頼一は小さく微笑んだ。
(やはり、あの寺について何か調べているのだな……)
頼一の反応から、咲耶は奉行所が動いていることを確信した。
咲耶は視線を上げると、酒杯を持つ頼一の手からそっと酒杯を抜き取った。
「『惚れた弱み』とおっしゃいましたが……私は頼一様の弱みになりたいわけではありません」
咲耶の言葉に、頼一は不思議そうに咲耶を見た。
「私はあなたの強みになりたいのです。それを忘れないでくださいね」
咲耶は酒杯を膳に戻すと、頼一に顔を近づけ妖艶に微笑んだ。
頼一はわずかに目を見開いた後、苦笑した。
「確かに、おまえに『弱み』なんて言葉は似合わないな。失礼した」
咲耶は返事の代わりににっこりと微笑んだ。
「今後もまた気になることがあれば、ぜひ教えてくれ」
頼一はそう言うと、優しげな眼差しを咲耶に向けた。
「ありがとうございます。ええ、一番に頼一様にご相談いたします」
咲耶は真っ直ぐに頼一を見つめると、静かに微笑んだ。
残された名簿の話を聞いてから、咲耶は叡正の寺について調べていた。
しかし、わかったことは何もなかった。
咲耶の視線に気づき、頼一は苦笑すると酒杯を膳に戻した。
「咲耶……、何か言いたいことがあるのなら普通に話してくれ。そうじっと見つめられると……」
頼一はそう言うと、銚子を持ったままの咲耶を困ったように見た。
「あ、いえ……申し訳ありません。少し考え事をしておりました……」
咲耶は銚子を膳に戻すと、ゆっくりと目を伏せた。
「考え事とは珍しいな。それに……」
頼一はそう言うと微笑んだ。
「何か私に聞きたいことはありそうな顔だ」
頼一の言葉に、咲耶は思わず苦笑した。
「やはり頼一様には敵いませんね。もし……話しにくい内容でしたらお答えいただかなくて大丈夫なのですが……龍覚寺という寺をご存じでしょうか?」
「龍覚寺……か」
頼一は小さく呟くとわずかに目を伏せた。
「ああ、知っている。大きな寺だからな。その寺が何か気になるのか?」
「ええ、少し……」
咲耶は曖昧に微笑むと、じっと頼一を見つめた。
「龍覚寺について、何か悪い噂などはご存じありませんか?」
「悪い噂か……私は聞いたことがないな。むしろ、その逆ならよく聞くが……」
頼一はそう言うと、膳の酒杯を手に取った。
「逆……ですか?」
咲耶は銚子を手に取ると、頼一の酒杯に酒を注いだ。
「ああ、龍覚寺からはいい噂しか聞いたことがない。まぁ、何をしているのかわからない怪しげな寺が多いの事実だ。咲耶も知っていると思うが、檀家制度が確立して人別改帳を寺が管理するようになって寺の力は圧倒的に強くなった。僧侶はいわば特権階級だ。寺の腐敗、僧侶の堕落は誰もが知るところだが、誰もそれを正すことができていない……」
頼一は酒杯に視線を落とした。
「寺は寺社奉行の管轄で、町奉行が許可なく立ち入ることもできないからな。賭博の多くが寺の敷地内で開かれるは知っているだろう? そういうところには罪人が隠れていることも多い」
「では、龍覚寺も?」
咲耶の言葉に、頼一は小さく首を横に振った。
「いや、龍覚寺にそういった噂はない。悪い噂を聞いたことがないと言ったのはそういう意味だ。むしろ龍覚寺について聞くのは、どれもいい話ばかりだな」
「いい話……ですか」
「ああ、寺というより住職かな。住職の評判がとてもいいんだ。人によっては崇拝していると言ってもいいぐらいだろうな」
「崇拝……。寺ですから住職の言葉に救われる人は少なくないでしょうが……僧侶を崇拝、というのは聞いたことがありませんね」
咲耶はそう言うと、静かに視線を落とした。
「崇拝というのは少し大げさかもしれないが、私にはそのように見えたということだ。つまり、悪い噂についてはわからないということだな。力になれずにすまない」
頼一はそう言うと、酒杯の酒を一気に飲み干した。
「いいえ、よくわかりました。頼一様は……本当にお優しいですね」
咲耶は頼一を見つめると、にっこりと微笑んだ。
(何も問題のない寺について、頼一様がここまで知っているはずはない……)
咲耶はゆっくりと目を閉じた。
(悪い噂はないが、何か気になることがあって奉行所も動いているということか……)
咲耶が目を開けると、頼一は少し困ったように咲耶を見ていた。
「まぁ、惚れた弱みというやつだ」
頼一はそれだけ言うと、フッと笑って酒杯を差し出した。
頼一の言葉に、咲耶は微笑むと酒杯の上にそっと手を添えた。
「飲み過ぎです。今日はここまでに。それから……私からもひとつ」
咲耶はそう言うと真っ直ぐに頼一を見つめた。
「以前、私に兄がいるかもしれないと調べていただいた旗本のお家取り潰しの件ですが……何か裏があるのかもしれません」
「裏? それに……龍覚寺が関わっていると?」
頼一の眼差しには、わずかに鋭さがあった。
「それはわかりません。ただ、少し気になることがございまして……」
咲耶はそう言うと視線を落とした。
「勘というやつか……。まぁ、咲耶の勘が外れたことはないからな。覚えておく」
頼一は小さく微笑んだ。
(やはり、あの寺について何か調べているのだな……)
頼一の反応から、咲耶は奉行所が動いていることを確信した。
咲耶は視線を上げると、酒杯を持つ頼一の手からそっと酒杯を抜き取った。
「『惚れた弱み』とおっしゃいましたが……私は頼一様の弱みになりたいわけではありません」
咲耶の言葉に、頼一は不思議そうに咲耶を見た。
「私はあなたの強みになりたいのです。それを忘れないでくださいね」
咲耶は酒杯を膳に戻すと、頼一に顔を近づけ妖艶に微笑んだ。
頼一はわずかに目を見開いた後、苦笑した。
「確かに、おまえに『弱み』なんて言葉は似合わないな。失礼した」
咲耶は返事の代わりににっこりと微笑んだ。
「今後もまた気になることがあれば、ぜひ教えてくれ」
頼一はそう言うと、優しげな眼差しを咲耶に向けた。
「ありがとうございます。ええ、一番に頼一様にご相談いたします」
咲耶は真っ直ぐに頼一を見つめると、静かに微笑んだ。