「その名簿にあった者たちとは……親しいのか……?」
 咲耶はなんとかそれだけ口にした。
「ん? いや、檀家ってだけで話したことない人もいるから、親しいってわけじゃないけど……。全員顔を合わせたことくらいはあるかな」
 叡正は口元に手を当て、記憶を辿るようにわずかに目を伏せた。
「だから、確かに顔見知りではあるけど、本当に挨拶した記憶くらいしかないんだよな……。茜はどうしてこの名簿を俺に届けたかったんだろう……」

 咲耶は静かに叡正を見つめた。
(叡正が前を向いて進もうとしているなら……過去のことは掘り返さない方がいいと思っていたが……)
 咲耶はわずかに視線を落とす。
(あの出来事の中心にあるのが、叡正のいるあの寺だというなら……。このままにはしておけない……か……)

 咲耶は心を決めると、まず緑に視線を向けた。
「緑、茶をありがとう。ここから少し込み入った話になるから、しばらくのあいだ叡正と二人だけにしてもらえるか?」
 咲耶はなるべく柔らかく緑に向かって微笑んだ。
「え! そ、そうなのですね! わかりました!」
 緑は目を丸くしたが、素直に頷くと咲耶と叡正に軽く頭を下げ、足早に部屋を後にした。

「ど、どうしたんだ……? わざわざ席を外してもらってまでする込み入った話って……一体……」
 戸惑った様子で叡正は咲耶を見つめる。

「叡正、おまえは……おまえの家……橋本家で起こったことについて、どう思っている……?」
 咲耶の言葉に、叡正の瞳がわずかに揺れる。
「どうって……」
 叡正は静かに目を伏せた。
「俺の父親が起こしたことだから……今でも責任は感じてるが……。正直……あまり考えないようにしている、という感じではあるかな……」
 叡正は視線を落としたまま、自嘲気味に軽く笑った。
「未だにわからないことが多いからな……。どうして仲の良かったはずの人たちを殺したのか……。あんなに大事にしていた母上……俺の母親を殺したのか……。どうして……俺と鈴を置いて……消えたのか……。未だに何ひとつわからない……。知りたくないと……無意識に思っている部分も、あるかもしれない……。だから……考えないようにしていたんだ……」
 叡正の言葉に、咲耶は静かに目を閉じた。

「……そうか」
(叡正が知りたくないのであれば、無理に知らせる必要はない……)
 咲耶はゆっくりと目を開く。
「それなら……」
「ただ……」
 咲耶の言葉を遮るように、叡正が口を開いた。
 いつの間にか叡正は視線を上げ、真っすぐに咲耶を見ていた。
「今は、知るべきだと……そう思っている。あの名簿は……俺の家のことに関係があるのか?」

(知る覚悟はできている、ということか……)
 叡正の真剣な眼差しに、咲耶は目をそらさずゆっくりと頷いた。
「叡正の家のことがあってすぐ、亡くなった茜が何かおまえに伝えようとしていた、という話はおまえも聞いたのだろう? おそらく茜は、あの件について何か知っていたのだと思う……。その茜がおまえに届けようとしていたものだ。おそらく名簿にあった者たちは……おまえの家の件に何か関わっている」

「あのことに……」
 叡正は小さく呟いた。

「もし、おまえが少しでも何か知りたいと思うなら、信と一緒に名簿にある者の家を訪ねてみるといい」
「信と?」
 叡正は不思議そうに首を傾げる。
「ああ、信はおまえが行っても行かなくても、その名簿にある者のところに行くだろうからな」
 咲耶は苦笑しながら言った。
「信が? どうしてあいつが行くことになるんだよ……」
 叡正は、意味がわからないというように首を捻る。

「まぁ、あいつにはあいつの事情があるってことだ……」
 咲耶はそう言うと、静かに目を伏せた。
「事情って……」
 叡正はそう呟くと視線を落とした。
 しばらく何か考えるように一点を見つめていたが、やがてゆっくりと拳を握りしめた。

「信の事情はわからないが……俺も行く。少しでも何かわかる可能性があるなら……俺が行くべきだと思う」
 叡正は再び顔を上げると、咲耶を見た。
 その目に、迷いはまったくなかった。

「……そうか。それなら信に伝えておく。私もおまえが一緒に行ってくれるなら、その方が安心できる」
「安心?」
「まぁ、こちらの話だ」
 咲耶はそう言って笑うと、かすかに目を伏せた。

(それにしても……寺か……。私も少し調べてみるか……)
 咲耶は嫌な考えを振り払うように、静かに目を閉じた。