野田家の当主が亡くなった数日後、叡正は玉屋に足を運んだ。
数日前にも、咲耶には笠本の屋敷での出来事を話していたが、咲耶から手紙をもらい、叡正は再び玉屋を訪れることになった。
緑に案内されて部屋に入ると、部屋には咲耶のほかに、信と弥吉がすでに座っていた。
叡正は三人に軽く挨拶をすると、緑の用意してくれた座布団に腰を下ろした。
「おまえの友人は、その後大丈夫だったか……?」
咲耶は正面に座った叡正を見つめた。
弥吉と信がすでに話したのか、咲耶は何があったのかひと通り把握しているようだった。
「ああ、もう大丈夫だ」
叡正はそう言うと微笑む。
「あれから父親と和解できたみたいで、今は屋敷に戻ってるよ。相変わらず絵は描いてるみたいだけど、前みたいな地獄の絵じゃなくて、茜の絵を描いてるってさ……」
「そうか……」
咲耶はそう言うと小さく微笑んだ。
咲耶の脇に控えていた弥吉が、どこか気遣うように叡正を見る。
「じゃあ、叡正様はちょっと残念ですね」
「残念? ん? なんでだ?」
叡正は意味がわからず首を傾げる。
「え、だって、好きなんですよね、地獄絵。もう佑助様は描かないみたいですし……」
(ああ……、そういうことになってたな……)
「そ、そうだな……。残念なような……そうでもないような……」
叡正は目を泳がせながら、曖昧に答える。
「ま、まぁ、佑助が前向きな気持ちで絵を描いてくれるのが一番だから……」
「それは、確かにそうですね……」
叡正の言葉に、弥吉も小さく微笑んだ。
「叡正」
そのとき、唐突に信が叡正に声を掛けた。
「なんだ?」
叡正が信に視線を向けると、信はじっと叡正を見つめていた。
「おまえ……、野田の当主に何か恨みでもあったのか?」
「ん??」
叡正は目を丸くする。
「恨み? え、俺が!? 何の話だよ……。野田の当主って、茜の父親だろ? 挨拶くらいはしたことあるけど、たいして関わりもないのに、なんで俺が恨むんだよ……」
叡正は慌てて言った。
信がどうしてそんなことを聞いたのかまったくわからなかった。
(恨み?? どうしてそんな話になるんだ?)
信は叡正の顔をじっと見つめた後、静かに目を伏せる。
「……そうか。ならいい」
信はそれだけ言うと口を閉ざした。
「な、何なんだよ……、一体……」
叡正は訳がわからず、片手で頭を搔いた。
二人のやりとりを見ていた咲耶が、小さくフッと笑う。
「悪いな、叡正。許してやってくれ」
咲耶は叡正に向かってそう言うと、ゆっくりと信に視線を移した。
「……その様子だと……鬼には会えたんだな」
咲耶の言葉に、信はゆっくりと顔を上げる。
(鬼……? 鬼って地獄絵に描かれていた笠本様と野田様のことか? 笠本様には会えたが、野田様は……)
叡正がそんなことを考えていると、信は静かに視線を落とした。
「……いなかった」
信は呟くように言った。
「鬼は……いなかった。……ただの……弱い人間がいただけだった」
信はそれだけ言うと、静かに目を閉じた。
咲耶はわずかに目を見張った後、目を伏せる。
「……そうか」
咲耶の声はどこかホッとしているようでもあった。
(一体何の話をしてるんだ……?)
叡正が不思議に思い、じっと咲耶を見ていると、咲耶が視線に気づき叡正を見た。
「そういえば……この前聞いた名簿は見つかったのか? 絵と一緒に穴蔵に残っていたんだろう?」
咲耶は少しだけ首を傾げて話題を変えた。
「ああ、そうそう、それなんだが……。このあいだ佑助の屋敷に行ったときに聞いた話だと、屋敷中探したけど見つからなかったそうだ……。茜の遺品だし、もしあれば野田様に返せればと思ったんだが……このあいだ亡くなったしな……」
叡正はそう言うと、そっと目を伏せた。
「野田の当主が亡くなったこと……おまえももう知っていたんだな」
咲耶が意外そうに言った。
「それはそうだろ。野田家はうちの寺の檀家なんだから」
叡正はそう言った後、ハッとしたように咲耶を見た。
「あれ……言ってなかったっけ?」
叡正の言葉に、咲耶は呆れたように息を吐く。
「私は初めて聞いた」
「そうか」
叡正は苦笑した。
咲耶がいつも何でも知っているため、すべて知っているものと思い込んで叡正は話しを進めていた。
叡正は慌てて口を開く。
「もともと俺が出家する前にいた家と野田家は同じ寺の檀家なんだ。で、俺は檀家だった縁で、今の龍覚寺に出家してるから、野田家のことは俺のいる寺に連絡が入るんだ」
「そうだったのか」
咲耶は少し意外そうな顔をした。
「では、茜という子が亡くなったときも、供養はおまえの寺でしたんじゃないのか?」
「ああ、そのはず……なんだが……。俺には何も知らされなかったんだ……。出家したばかりの時期だから、気を遣われたのかもしれないけど……」
叡正もそのことは少し疑問に感じていた。
寺には確実に連絡が来ていたはずだが、当時叡正の耳にはそういった話はまったく入っていなかった。
「まぁ、時期が時期だからな……。おまえに話すべきではないと思ったんだろう」
咲耶も叡正に同意するように頷く。
ふと、咲耶のそばで何か声が聞こえた。
叡正が視線を動かすと、弥吉が口元を手で覆ってブツブツと何か呟いていた。
「ああ、やっぱり……叡正様は煩悩を捨てて、乱れた生活を改めるために出家を……。でも、それなら玉屋に来てたらダメなんじゃないのか……? それに叡正様は……」
ブツブツと呟き続ける弥吉を、叡正は呆然と見つめた。
(弥吉の中の俺って一体……)
叡正は引きつった顔で苦笑いすると、小さく息を吐いた。
(そ、それより茜の件だな……。帰ったら一度、嗣水に聞いてみるか……)
叡正は弥吉の呟きをなるべく聞かないように、ぼんやりとそんなことを考えていた。
数日前にも、咲耶には笠本の屋敷での出来事を話していたが、咲耶から手紙をもらい、叡正は再び玉屋を訪れることになった。
緑に案内されて部屋に入ると、部屋には咲耶のほかに、信と弥吉がすでに座っていた。
叡正は三人に軽く挨拶をすると、緑の用意してくれた座布団に腰を下ろした。
「おまえの友人は、その後大丈夫だったか……?」
咲耶は正面に座った叡正を見つめた。
弥吉と信がすでに話したのか、咲耶は何があったのかひと通り把握しているようだった。
「ああ、もう大丈夫だ」
叡正はそう言うと微笑む。
「あれから父親と和解できたみたいで、今は屋敷に戻ってるよ。相変わらず絵は描いてるみたいだけど、前みたいな地獄の絵じゃなくて、茜の絵を描いてるってさ……」
「そうか……」
咲耶はそう言うと小さく微笑んだ。
咲耶の脇に控えていた弥吉が、どこか気遣うように叡正を見る。
「じゃあ、叡正様はちょっと残念ですね」
「残念? ん? なんでだ?」
叡正は意味がわからず首を傾げる。
「え、だって、好きなんですよね、地獄絵。もう佑助様は描かないみたいですし……」
(ああ……、そういうことになってたな……)
「そ、そうだな……。残念なような……そうでもないような……」
叡正は目を泳がせながら、曖昧に答える。
「ま、まぁ、佑助が前向きな気持ちで絵を描いてくれるのが一番だから……」
「それは、確かにそうですね……」
叡正の言葉に、弥吉も小さく微笑んだ。
「叡正」
そのとき、唐突に信が叡正に声を掛けた。
「なんだ?」
叡正が信に視線を向けると、信はじっと叡正を見つめていた。
「おまえ……、野田の当主に何か恨みでもあったのか?」
「ん??」
叡正は目を丸くする。
「恨み? え、俺が!? 何の話だよ……。野田の当主って、茜の父親だろ? 挨拶くらいはしたことあるけど、たいして関わりもないのに、なんで俺が恨むんだよ……」
叡正は慌てて言った。
信がどうしてそんなことを聞いたのかまったくわからなかった。
(恨み?? どうしてそんな話になるんだ?)
信は叡正の顔をじっと見つめた後、静かに目を伏せる。
「……そうか。ならいい」
信はそれだけ言うと口を閉ざした。
「な、何なんだよ……、一体……」
叡正は訳がわからず、片手で頭を搔いた。
二人のやりとりを見ていた咲耶が、小さくフッと笑う。
「悪いな、叡正。許してやってくれ」
咲耶は叡正に向かってそう言うと、ゆっくりと信に視線を移した。
「……その様子だと……鬼には会えたんだな」
咲耶の言葉に、信はゆっくりと顔を上げる。
(鬼……? 鬼って地獄絵に描かれていた笠本様と野田様のことか? 笠本様には会えたが、野田様は……)
叡正がそんなことを考えていると、信は静かに視線を落とした。
「……いなかった」
信は呟くように言った。
「鬼は……いなかった。……ただの……弱い人間がいただけだった」
信はそれだけ言うと、静かに目を閉じた。
咲耶はわずかに目を見張った後、目を伏せる。
「……そうか」
咲耶の声はどこかホッとしているようでもあった。
(一体何の話をしてるんだ……?)
叡正が不思議に思い、じっと咲耶を見ていると、咲耶が視線に気づき叡正を見た。
「そういえば……この前聞いた名簿は見つかったのか? 絵と一緒に穴蔵に残っていたんだろう?」
咲耶は少しだけ首を傾げて話題を変えた。
「ああ、そうそう、それなんだが……。このあいだ佑助の屋敷に行ったときに聞いた話だと、屋敷中探したけど見つからなかったそうだ……。茜の遺品だし、もしあれば野田様に返せればと思ったんだが……このあいだ亡くなったしな……」
叡正はそう言うと、そっと目を伏せた。
「野田の当主が亡くなったこと……おまえももう知っていたんだな」
咲耶が意外そうに言った。
「それはそうだろ。野田家はうちの寺の檀家なんだから」
叡正はそう言った後、ハッとしたように咲耶を見た。
「あれ……言ってなかったっけ?」
叡正の言葉に、咲耶は呆れたように息を吐く。
「私は初めて聞いた」
「そうか」
叡正は苦笑した。
咲耶がいつも何でも知っているため、すべて知っているものと思い込んで叡正は話しを進めていた。
叡正は慌てて口を開く。
「もともと俺が出家する前にいた家と野田家は同じ寺の檀家なんだ。で、俺は檀家だった縁で、今の龍覚寺に出家してるから、野田家のことは俺のいる寺に連絡が入るんだ」
「そうだったのか」
咲耶は少し意外そうな顔をした。
「では、茜という子が亡くなったときも、供養はおまえの寺でしたんじゃないのか?」
「ああ、そのはず……なんだが……。俺には何も知らされなかったんだ……。出家したばかりの時期だから、気を遣われたのかもしれないけど……」
叡正もそのことは少し疑問に感じていた。
寺には確実に連絡が来ていたはずだが、当時叡正の耳にはそういった話はまったく入っていなかった。
「まぁ、時期が時期だからな……。おまえに話すべきではないと思ったんだろう」
咲耶も叡正に同意するように頷く。
ふと、咲耶のそばで何か声が聞こえた。
叡正が視線を動かすと、弥吉が口元を手で覆ってブツブツと何か呟いていた。
「ああ、やっぱり……叡正様は煩悩を捨てて、乱れた生活を改めるために出家を……。でも、それなら玉屋に来てたらダメなんじゃないのか……? それに叡正様は……」
ブツブツと呟き続ける弥吉を、叡正は呆然と見つめた。
(弥吉の中の俺って一体……)
叡正は引きつった顔で苦笑いすると、小さく息を吐いた。
(そ、それより茜の件だな……。帰ったら一度、嗣水に聞いてみるか……)
叡正は弥吉の呟きをなるべく聞かないように、ぼんやりとそんなことを考えていた。