ほのかな灯りの中で、かすかに影が揺らめいたのがわかった。
布団に横になっていた茜の父親は、小さく息を吐く。
「来た……か」
茜の父親はかすれた声で呟いた。
(ついに裁かれるときが来たんだ……)
死ぬことは怖くなかった。
むしろこうして正気を保ったまま、生き続けることの方がよほど怖かった。
ゆっくりと何かが近づいてくる気配がして、やがて布団に影が差す。
茜の父親は視線を動かし、影の主を見てわずかに目を見張った。
「え……?」
灯りに照らし出されたのは、薄茶色の髪をした見知らぬ男だった。
男はただ静かにこちらを見下ろしていた。
「……永世様じゃ……ないのか……」
茜の父親は思わず呟いた。
男の薄茶色の瞳がわずかに揺れる。
「叡正……?」
薄茶色の髪の男が少しだけ動揺したのがわかった。
(永世様に頼まれた、というわけでもなさそうだな……)
茜の父親は静かに目を伏せた。
「いや……、何でもない……。どちらにしろ……一緒だ……。私を……殺しに来たのだろう……?」
茜の父親は、こちらを見下ろしている男を見た。
「さぁ……殺してくれ……」
男は薄茶色の目を伏せると、茜の父親の枕元に腰を下ろした。
茜の父親はそっと目を閉じる。
(これですべて終わる……)
男が動くのがわかり、茜の父親は無意識に体を強張らせた。
しかし予想に反して、痛みはやって来なかった。
男は、無言で茜の父親の衿元を掴み、着物をずり下げた。
着物がはだけ、左肩と腕が冷たい空気に触れる。
(ああ……鬼に恨みを持った人間なのか……)
男は少しだけ目を開けると、静かに納得した。
痩せて歪んでしまってはいたが、左腕にはまだ鬼の入れ墨が残っているはずだった。
男は入れ墨を確認し終えると、ゆっくりと懐から短刀を取り出した。
鞘から抜かれた刀が、部屋の灯りを受けて妖しく光る。
(そうだ……それでいい……)
冷たい刃先が、茜の父親の喉元に当てられる。
(これで……ようやく私も……)
「おまえは……」
そのとき、男がふいに口を開いた。
淡々とした声に、茜の父親は思わず目を開ける。
「おまえは、今まで何人殺した?」
茜の父親は男を見つめる。
男の顔からは、何の感情も読み取れなかった。
茜の父親はわずかに目を伏せる。
「……わからない……」
直接手を下したことは一度もなかったが、多くの死に関わってきたことは確かだった。
「数え……きれないほどだ……。そして最後には……一番大切な娘まで……自分で手に掛けた……」
(そう……罰を受けるべきだったのは私なのに……。それなのに、罰を受けたのは……)
茜の父親は、震える手を握りしめた。
「もう……いいだろう……? 早く……殺してくれ……」
その声はかすかに震えていた。
ふいに影が差し、男が立ちあがったのがわかった。
気がつくと喉元に当てられていた短刀は消えていた。
立ち上がった男は、静かに茜の父親を見下ろしている。
「ど、どうして……!? 殺してくれ……! そのために……ここまで来たんだろう……!?」
茜の父親は縋るように男を見た。
なんとか腕を動かして、男の着物の裾を掴もうとした。
「おまえは……どちらにしろもうすぐ死ぬ」
男は淡々とした声で言った。
「そ、それでも……! それでも、殺してほしいんだ……!」
茜の父親はかすれた声で叫んだ。
(多くの人の命を奪い、挙句の果てに娘を焼き殺した私が……静かに病で死んでいくなんて許されない……!)
「頼む……! お願いだ! 私を……殺してくれ……!」
茜の父親は、男の着物の裾を掴んだ。
男は薄茶色の目を伏せると、ゆっくり懐に手を入れた。
(こ、殺してくれるのか……?)
茜の父親が喜びに震えた瞬間、顔の上に何かが掛かった。
「え……」
茜の父親は慌てて男から手を離すと、顔に掛かったものを手に取った。
「紙……?」
茜の父親は、顔の前でゆっくりと紙を広げる。
「……こ……れは……」
茜の父親は目を見開いた。
そこには茜がいた。
茜は夢で見たような焼け爛れた姿ではなく、昔から知っている姿でこちらを見て笑っていた。
「あ……かね……?」
父親の目に涙が溢れる。
会いたくて仕方なかった茜の姿が、そこにあった。
「茜……?」
溢れ出したもので目の前が霞み、慌てて目を擦る。
「茜……! 茜……!!」
描かれた茜は、どこか呆れたような顔でこちらに笑いかけていた。
『ダメなお父様ね……』
そう言われているような気がした。
「茜……すまない! 本当に……!! 私が、私がすべて悪かった……! 許してくれ!! い、いや……許さなくていい……! だが、どうか……おまえだけは安らかに……。おまえだけは……」
『お父様!』
ふいに、まだ幼かった頃の茜の声が聞こえた気がした。
脳裏に、小さかった頃の茜の姿が浮かぶ。
茜は父親の膝の上に座り、小さな手で筆を握り読み書きの練習をしている。
小さな背中がどうしようもなく愛おしかった。
『おお、上手に書けてるな!』
かつての自分の声が頭に響く。
茜はどこか得意げな顔で振り返った。
『当然よ! 私いっぱい勉強して、すぐお父様のお手伝いができるようになるんだから!』
『それはいいな。頼りにしてるぞ、茜』
『うん! 任せておいて!』
茜はそう言うと誇らしげに笑った。
「茜……」
茜の父親は息苦しさに思わず喘いだ。
「茜……! 愚かな父を……決して許さないでくれ……」
『すべては愛する娘の未来のためだろう?』
ふいにあの方の声が頭に響く。
茜の父親の胸に、重苦しいものがのしかかる。
(未来のため……)
父親はそっと目を閉じた。
「もしあの日……、あの方についていかなければ……こんなことには……ならなかっただろうか……」
茜の父親は、あの火事の日からずっと抱えてきた想いを口にした。
「あの方? ……あの方とは誰だ?」
遠くの方で見知らぬ男の声が聞こえた気がした。
(私は今……誰と話していた……?)
『お父様? なんだか眠そうよ、疲れているんじゃない?』
幼い茜が目の前でそう聞いた。
(ああ、そうだ……。茜と話していたんだった……)
『そうかもしれないな……』
かつての自分の声が頭の中で響く。
『無理はダメよ、お父様。さぁ、もう眠りましょう』
小さな茜の手が、優しく父親の手を握った。
(わかっている……。これは……都合のいい夢だ……)
『ああ、そうだな。もう寝よう……』
茜の父親はゆっくりと息を吐いた。
温かい涙が溢れ、布団を濡らしていく。
『茜……愛しているよ。おまえは、私のすべてだ……』
父親は小さく温かいものをそっと抱きしめた。
腕の中で微笑む茜を見つめた後、父親は静かに深い眠りへと落ちていった。
布団に横になっていた茜の父親は、小さく息を吐く。
「来た……か」
茜の父親はかすれた声で呟いた。
(ついに裁かれるときが来たんだ……)
死ぬことは怖くなかった。
むしろこうして正気を保ったまま、生き続けることの方がよほど怖かった。
ゆっくりと何かが近づいてくる気配がして、やがて布団に影が差す。
茜の父親は視線を動かし、影の主を見てわずかに目を見張った。
「え……?」
灯りに照らし出されたのは、薄茶色の髪をした見知らぬ男だった。
男はただ静かにこちらを見下ろしていた。
「……永世様じゃ……ないのか……」
茜の父親は思わず呟いた。
男の薄茶色の瞳がわずかに揺れる。
「叡正……?」
薄茶色の髪の男が少しだけ動揺したのがわかった。
(永世様に頼まれた、というわけでもなさそうだな……)
茜の父親は静かに目を伏せた。
「いや……、何でもない……。どちらにしろ……一緒だ……。私を……殺しに来たのだろう……?」
茜の父親は、こちらを見下ろしている男を見た。
「さぁ……殺してくれ……」
男は薄茶色の目を伏せると、茜の父親の枕元に腰を下ろした。
茜の父親はそっと目を閉じる。
(これですべて終わる……)
男が動くのがわかり、茜の父親は無意識に体を強張らせた。
しかし予想に反して、痛みはやって来なかった。
男は、無言で茜の父親の衿元を掴み、着物をずり下げた。
着物がはだけ、左肩と腕が冷たい空気に触れる。
(ああ……鬼に恨みを持った人間なのか……)
男は少しだけ目を開けると、静かに納得した。
痩せて歪んでしまってはいたが、左腕にはまだ鬼の入れ墨が残っているはずだった。
男は入れ墨を確認し終えると、ゆっくりと懐から短刀を取り出した。
鞘から抜かれた刀が、部屋の灯りを受けて妖しく光る。
(そうだ……それでいい……)
冷たい刃先が、茜の父親の喉元に当てられる。
(これで……ようやく私も……)
「おまえは……」
そのとき、男がふいに口を開いた。
淡々とした声に、茜の父親は思わず目を開ける。
「おまえは、今まで何人殺した?」
茜の父親は男を見つめる。
男の顔からは、何の感情も読み取れなかった。
茜の父親はわずかに目を伏せる。
「……わからない……」
直接手を下したことは一度もなかったが、多くの死に関わってきたことは確かだった。
「数え……きれないほどだ……。そして最後には……一番大切な娘まで……自分で手に掛けた……」
(そう……罰を受けるべきだったのは私なのに……。それなのに、罰を受けたのは……)
茜の父親は、震える手を握りしめた。
「もう……いいだろう……? 早く……殺してくれ……」
その声はかすかに震えていた。
ふいに影が差し、男が立ちあがったのがわかった。
気がつくと喉元に当てられていた短刀は消えていた。
立ち上がった男は、静かに茜の父親を見下ろしている。
「ど、どうして……!? 殺してくれ……! そのために……ここまで来たんだろう……!?」
茜の父親は縋るように男を見た。
なんとか腕を動かして、男の着物の裾を掴もうとした。
「おまえは……どちらにしろもうすぐ死ぬ」
男は淡々とした声で言った。
「そ、それでも……! それでも、殺してほしいんだ……!」
茜の父親はかすれた声で叫んだ。
(多くの人の命を奪い、挙句の果てに娘を焼き殺した私が……静かに病で死んでいくなんて許されない……!)
「頼む……! お願いだ! 私を……殺してくれ……!」
茜の父親は、男の着物の裾を掴んだ。
男は薄茶色の目を伏せると、ゆっくり懐に手を入れた。
(こ、殺してくれるのか……?)
茜の父親が喜びに震えた瞬間、顔の上に何かが掛かった。
「え……」
茜の父親は慌てて男から手を離すと、顔に掛かったものを手に取った。
「紙……?」
茜の父親は、顔の前でゆっくりと紙を広げる。
「……こ……れは……」
茜の父親は目を見開いた。
そこには茜がいた。
茜は夢で見たような焼け爛れた姿ではなく、昔から知っている姿でこちらを見て笑っていた。
「あ……かね……?」
父親の目に涙が溢れる。
会いたくて仕方なかった茜の姿が、そこにあった。
「茜……?」
溢れ出したもので目の前が霞み、慌てて目を擦る。
「茜……! 茜……!!」
描かれた茜は、どこか呆れたような顔でこちらに笑いかけていた。
『ダメなお父様ね……』
そう言われているような気がした。
「茜……すまない! 本当に……!! 私が、私がすべて悪かった……! 許してくれ!! い、いや……許さなくていい……! だが、どうか……おまえだけは安らかに……。おまえだけは……」
『お父様!』
ふいに、まだ幼かった頃の茜の声が聞こえた気がした。
脳裏に、小さかった頃の茜の姿が浮かぶ。
茜は父親の膝の上に座り、小さな手で筆を握り読み書きの練習をしている。
小さな背中がどうしようもなく愛おしかった。
『おお、上手に書けてるな!』
かつての自分の声が頭に響く。
茜はどこか得意げな顔で振り返った。
『当然よ! 私いっぱい勉強して、すぐお父様のお手伝いができるようになるんだから!』
『それはいいな。頼りにしてるぞ、茜』
『うん! 任せておいて!』
茜はそう言うと誇らしげに笑った。
「茜……」
茜の父親は息苦しさに思わず喘いだ。
「茜……! 愚かな父を……決して許さないでくれ……」
『すべては愛する娘の未来のためだろう?』
ふいにあの方の声が頭に響く。
茜の父親の胸に、重苦しいものがのしかかる。
(未来のため……)
父親はそっと目を閉じた。
「もしあの日……、あの方についていかなければ……こんなことには……ならなかっただろうか……」
茜の父親は、あの火事の日からずっと抱えてきた想いを口にした。
「あの方? ……あの方とは誰だ?」
遠くの方で見知らぬ男の声が聞こえた気がした。
(私は今……誰と話していた……?)
『お父様? なんだか眠そうよ、疲れているんじゃない?』
幼い茜が目の前でそう聞いた。
(ああ、そうだ……。茜と話していたんだった……)
『そうかもしれないな……』
かつての自分の声が頭の中で響く。
『無理はダメよ、お父様。さぁ、もう眠りましょう』
小さな茜の手が、優しく父親の手を握った。
(わかっている……。これは……都合のいい夢だ……)
『ああ、そうだな。もう寝よう……』
茜の父親はゆっくりと息を吐いた。
温かい涙が溢れ、布団を濡らしていく。
『茜……愛しているよ。おまえは、私のすべてだ……』
父親は小さく温かいものをそっと抱きしめた。
腕の中で微笑む茜を見つめた後、父親は静かに深い眠りへと落ちていった。