茜は急いで部屋に戻ると、その場に崩れ落ちた。
(やはりお父様たちが……)
 茜は震える手を握りしめた。
(直接何もしていないと言っていたけど……永世様と鈴様以外、屋敷中の人が亡くなっている……)
 茜は強く瞼を閉じた。
「どう考えても……許されることじゃない……」

『起きたことはもうどうすることもできない』
 父親の言葉が、茜の頭の中に響く。

(どうしようもない……。それでも……)
 茜はゆっくりと目を開けた。
「永世様や鈴様は……真実を知る権利があるはずよ……。その結果、私たちがどのような罰を受けようと……」
 茜は顔を上げると、ゆっくりと立ち上がった。

 茜は硯箱を取り出し、机に向かう。
(私にできることは……)

 茜は紙を取り出すと墨をすった。
(私にわかるのは、この件で屋敷に出入りしていた人たちの名前だけ……。それぐらいしかわからないけれど……)
 茜は筆の先に墨を浸し、紙にその名前を書き始めた。
(この人たちを調べてもらえれば、きっとわかることもあるはず……。この名簿だけでも佑助のお父様に渡せれば、きっと……)
 茜はわかる限りの人物の名前を紙に書き記した。
 数名名前がわからない人物もいたが、ほとんどの人物の顔と名前を茜は知っていた。

「ああ、そうか……。この人たちはみんな…………」
 茜はわずかに目を見張る。
 屋敷を頻繁に訪れていた人物には共通点があった。
「これは……偶然……なのかしら……」
 茜は静かに首を横に振った。
(ここで考えていても何もわからないわ。今度、佑助の家に行けたときに、佑助のお父様に渡して調べていただこう……)

 茜はそう決意すると、紙を束ねて戸棚に仕舞った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 茜の父親はひとりになると小さく息を吐いた。
(茜……)
 茜の父親は頭を抱える。
(わかってくれただろうか……。いや、納得はしていないだろう……。本当に良い子に育ってくれたというべきだろうが……、一体どうすれば……)

 そのとき、襖を叩く音が聞こえた。
「……野田様、今よろしいですかな?」
 低い男の声が響き、茜の父親は慌てて立ち上がって襖を開けた。

「すみません、気がつかずに……。もうお帰りになりますか? 私の方ももう少しで終わりますので……」
 茜の父親の言葉に、男は微笑んだ。
「野田様の方がいろいろあるでしょうから、ゆっくりで構いませんよ。私は夜も更けてきたので、そろそろ一旦屋敷に戻ろうかと思いまして」
「そうですか……。何のお構いもできず申し訳ございません……」
「いえいえ、お気になさらず」
 男はそう言った後、何か思い出したように茜の父親を見た。
「あ、そうそう。お聞きになりましたか? 笠本の当主が私たちを探っているそうです」

 茜の父親は目を見開く。
「笠本……ですか……?」
「ええ、そうです。以前、野田様が引き込もうとされていた笠本様です。あのとき、今回の件について何かお話しになったのではありませんか?」
「そんな……!」
 茜の父親は思わず声を大きくした。
「私は何も話していません……! あいつは何も知らないはずです……!」
「そうなのですか? 笠本の家に送り込んでいる者から、そのように聞いたのですが……。何でも今回の件の証拠を小屋に隠している……とか」
「証拠……?」
 茜の父親は顔から血の気が引いていくのを感じた。
(証拠とは何だ……? ほとんどの者は直接関わっていないはずだ……。証拠とは一体……)

「何かはわかりませんが、念のため消しておいた方がいいでしょうね……」
 男は何か考えているような様子で顎に手を当てた。
「ある場所だけはわかっているのですから、小屋ごと燃やしてしまいましょうか」
「小屋ごと……ですか?」
 茜の父親は呆然と聞いた。
「ええ、ご友人である野田様の方が笠本についてご存じでしょうから、お願いしてもいいですかな?」
「それは……はい……。ただ、その小屋にはよく笠本の息子がいるようなので……」
「それなら、子どもごと燃やしてしまえばいいのでは?」
「なっ……!」
 男の言葉に、茜の父親は言葉を失う。
(子どもごと……燃やす……?)

 茜の父親が動揺を隠せずにいると、男はフッと笑った。
「冗談ですよ。子どもが外に出たのを確認した後、火を点ければいいのですよ。そう難しいことではないでしょう?」
「そ、そうですね……」
 茜の父親は、少しだけホッとしてぎこちなく微笑んだ。
「わかりました……」
「早い方がいいでしょうからね。……野田様、頼みましたよ」
 男はそう言うと、茜の父親の肩を軽く叩いた。
「はい、承知しました」
 茜の父親の言葉に満足したように、男は優しく微笑んだ。
「それでは、私はこれで失礼しますよ。お見送りは結構ですから、野田様は仕事を続けてください。では、これで」
 男はそう言うと、茜の父親に背中を向けた。
「あ、はい……。それでは、また。お気をつけてお帰りください」
 茜の父親は、男の背中に深々と頭を下げた。

 そのとき、背を向けた男が妖しく笑っていたことに、茜の父親が気づくことはなかった。