「鬼にもいろいろあるんだが、地獄にいる鬼は基本的に獄卒(ごくそつ)閻羅人(えんらにん)なんて呼ばれていて、その役目は地獄に落ちた亡者をあらゆる手で苦しめることなんだ……。亡者は身を切り刻まれても、焼かれても、すりつぶされても死ぬことはないから……。獄卒によってどんな拷問を受けようと解放されることはなく、罪の重さによって定められた時間が過ぎるまで亡者は苦しみ続けることになる……。ってなんでこんな話になったんだっけ?」
 一気に話し終えた叡正は、顔を上げて目の前に座る咲耶の顔を見た。

「『知り合いが描いた絵を見て、どうしておまえはそれが地獄絵だと思ったんだ?』と私が聞いたからだ」
 咲耶は淡々と答えた。
「ああ、そうだったな……」
 叡正はようやくなぜこんな話をしていたのか思い出した。
「地獄絵だと思った理由は……どう見ても普通の人なら死んでいるような(むご)い姿なのに、拷問を受けている人が苦しみ続けているように見えたことと、あとは炎かな……。絵の中の至るところで炎に焼かれる亡者が描かれていたから、地獄のひとつの焦熱(しょうねつ)地獄なのかと思ったんだ……」
 叡正は絵を思い出しながら答えた。

「それを、おまえの知り合いは……この世を描いた絵だと言ったってことか……」
 咲耶は何か考えるように視線を落とした。
「ああ、そうだな……」
 叡正も、佑助がどういう意味でそう言ったのか、いまだに理解できずにいた。
「ところで……、俺はどうして呼ばれたんだ?」
 叡正は咲耶の部屋に入ったときから聞きたかったことを、ようやく口にした。

 前回、咲耶の元を訪れてからまだ三日ほどしか経っていなかった。
 咲耶からの手紙を読み、どうして呼ばれたのか気にはなったものの、用件が書かれていないのはいつものことだったため、叡正はよくわからないまま咲耶の部屋を訪れていた。

「ああ……」
 咲耶は視線を上げると、少し気まずそうに口を開く。
「その……申し訳ないんだが……もう一度絵師のところに行ってもらえないだろうか……?」
「もう一度?」
 叡正は首を傾げる。
 絵師が叡正の知り合いで危険がないとわかった以上、もう行く必要はないように思えた。

「その……信も絵師に会いたいと言っているそうなんだ……」
 咲耶の言葉に、叡正はますます首を傾げる。

(え……、行けばいいんじゃないのか……?)

 弥吉とは違い、信が危ない目に遭うとは思えなかった。
(危ない目に遭ったとしても、自分でなんとでもできるだろうし……)

「そもそもどうして会いたいなんて言い出したんだ?」
 人にも絵にも興味がなさそうな信が、佑助に会いたがる理由が叡正にはわからなかった。

 咲耶は軽く息を吐いた後、額に手を当てて目を閉じた。
「信は今……『気になることはないか病』なんだ……」
「……は?」
 咲耶の言葉に、叡正は思わず声を漏らした。

「ここ数日、弥吉に『気になることはないか?』と一日に何度も聞いているらしい……」
「え……、どういうことだ……?」
 叡正は意味がわからず、ただポカンと咲耶を見つめた。

「まぁ、それについては私も責任を感じるというかなんというか……」
 咲耶は目を閉じたまま、ため息をついた。
「まったく……、弥吉にすべて話せばいいだけなのに……どうして信はこんな回りくどいことを……」
 咲耶は独り言のように小さくブツブツと呟いた。
「まぁ、それは置いておいて……。毎日気になることを聞かれ続けた弥吉が、言うことがなくなって苦し紛れに言ったんだ。『引っ越してきた絵師の描く絵が気になる』と……」

「……それで見に行きたいって言ったってことか?」
「ああ。正確には言ったそばから絵師のところに押しかけようとしたから、弥吉がなんとか止めて今に至るという感じだが……」
「そ、そうなのか……」
 叡正はようやく話の流れを理解した。
「まぁ、話はわかったが……別に信と弥吉の二人で行けばいいんじゃないのか? 別に俺が一緒に行く必要は……」
「本当にいいのか?」
 咲耶は前のめりになり、叡正を真っ直ぐに見た。
「え、別に……」
「信が行くんだぞ」
「ああ……、信がいるなら大丈夫だろう?」
 叡正は、咲耶の視線にたじろぎながら言った。
「ああ、信と弥吉は大丈夫だろうな。ただ、絵師の方は大丈夫なのか? ()()信が行くんだぞ」

 叡正の脳裏に、今まで信がしてきた数々の奇行が浮かんでは消えていく。
(だ、大丈夫ではないかもしれない……)
 叡正は自分の顔が引きつっていくのを感じた。

「今回、おまえに同行してもらいたいのは弥吉のためじゃない……。おまえの知り合いの絵師のためだ……」
 咲耶はどこか申し訳なさそうに言った。
「そ、そうか……。それなら一緒に行った方がよさそうだな……」
 叡正はなんとか笑顔をつくった。
「……悪いな」
 咲耶が気まずそうに視線を落とす。
「いや、教えてくれて感謝している……」
 
 二人はお互い足元の畳を見つめながら、同時に深いため息をついた。