「突然すぎるんだよ……」
佑助はトボトボと歩きながら、小さく呟いた。
「そう? 思い立ったが吉日って言うでしょ?」
隣を歩いていた茜が何でもないことのように言った。
「吉日でも何でもいいけど……。僕は一緒じゃなくてもよかったんじゃない?」
佑助は茜を見つめる。
茜はわざとらしいため息をついた。
「佑助が一緒じゃなきゃ意味ないでしょ?」
茜の思わぬ言葉に、佑助は思わずドキリとした。
「一緒じゃなきゃって……」
「見てもらわないと描けないでしょ?」
茜は佑助の言葉を遮るように言った。
佑助は目を丸くする。
「え? 描く……?」
「そう。蓮の絵を描いてほしいのよ」
茜は目を輝かせる。
佑助は目をパチパチさせた後、静かに苦笑した。
「ああ、なるほど……。だから、蓮見か……」
朝早く、奉公人とともに佑助の屋敷を訪れた茜は、佑助を蓮見に誘った。
夏になり、池に咲く蓮の花が見ごろを迎えていた。
春の花見と同じように、蓮を見るためにこの時期、池の周りが多くの人で賑わうのは知っていたが、佑助は実際に見に行ったことがなかった。
佑助が戸惑っているあいだに、茜は何を話したのか佑助の父親を説得し、気がつけば佑助は蓮見に行くことになっていた。
「私が強引に連れてきたみたいに言うけど、本当は見てみたかったんでしょ?」
茜は佑助の顔を覗き込むように言った。
「そ、それは……まぁ……。見てみたかったけど……」
佑助は茜から目をそらすと、ぼそぼそと呟く。
茜の言う通り、佑助は以前から蓮見に興味があった。
ただ、父親の性格を考えると許可されるわけがないと諦めていた。
佑助は茜をチラリと盗み見る。
(一体どうやって父上を説得したんだろう……)
「何? 何か言いたいことでもあるの?」
佑助の視線に気がついた茜が、ジトっとした目で佑助を見る。
「え、いや……何でもないよ……」
佑助は慌てて首を横に振った。
「そう? それならいいけど」
茜がそう言ったところで、前を歩いて案内してくれていた奉公人がこちらを振り返った。
「そろそろ着きますよ。ここから先は人が多いので、はぐれないようにしてくださいね」
奉公人が指さした方を見ると、そこには出店が立ち並び、祭りでもあるかのように賑わっていた。
「すごい人だな……」
佑助は思わず呟いた。
「はぐれないようにしないとね」
茜はそう言うと、佑助の腕を掴み、引きずるように池に向かって歩き始めた。
「ちょ、ちょっと……」
佑助はすれ違う人とぶつかりながら前に進んでいくことになった。
「ほら、ここならよく見える!」
茜が立ち止まり、佑助を振り返ったときには、佑助は多くの人とぶつかり謝り続け、疲れ切っていた。
「あ、着いたの……?」
佑助は力なく言うと顔を上げた。
佑助は息を飲む。
目の前には、この世のものとは思えない美しい光景が広がっていた。
大きな葉が池を覆いつくし、そのあいだから真っすぐに伸びた茎の先に薄紅色の大輪の花があった。
水の上に浮かぶように咲く無数の蓮の花は、まるでこの世のものではないようだった。
絵でしか見たことがなかった佑助は、清らかでどこか厳かなその光景にただ立ち尽くしていた。
「どう? 来てよかったでしょ」
茜は佑助の顔を覗き込むように聞いた。
「……うん」
佑助は素直に頷いた。
「ふふ、よかった」
茜は満足そうに笑った。
しばらく二人は蓮を見ていたが、茜が何かに気づいたように視線を上げた。
「あ……」
「ん? どうかしたの?」
佑助も茜の視線の先を見た。
そこには、池に向かってせり出した茶屋があり、より近くで蓮の花を楽しめるようになっていた。
「あの茶屋がどうかしたの?」
佑助が茜に視線を戻して聞いた。
「ああ……。あそこにいるの永世様だなと思って……」
茜の視線を追うと、そこには二人と同じくらいの年の少年が立っていた。
「知り合いなの?」
佑助は首を傾げる。
「そうね……。知り合いってほど知らないけど、檀家として支えてる寺が同じなの。旗本の家の人だし有名なのよね。それにカッコいいから……」
「へ~、そうなんだ」
佑助が今いる場所と茶屋は少し距離があるため、顔ははっきりとわからなかったが、言われれば整った顔をしている気がした。
そのとき、茶屋にいる少年の横に少女がいることに気づいた。
少女は少年に親し気に話しかけていた。
「隣の子も知り合い?」
佑助は茜に向かって聞いた。
「隣? ああ……鈴様ね。永世様の妹よ。この距離だとわからないかもしれないけど、とんでもなく可愛い人よ」
「へ~」
佑助は目を凝らしたが、やはりそこまではよく見えなかった。
「まぁ、私たちにはどちらにしろ高嶺の花よ。鈴様が可愛いからって好きになっちゃダメよ」
茜はクスッと笑うと佑助を見る。
「こんな距離でチラッと見ただけで好きになんてならないよ……」
佑助は呆れたように言った。
「それもそうね」
茜はそう言うと、もう一度蓮の花に視線を向けた。
「もう少し見ていたいけど、そろそろ帰りましょうか」
佑助は蓮の花を見た後、ゆっくりと茜に視線を移した。
「ねぇ、どうして蓮の花を描いてほしいと思ったの? 好きなの? 蓮の花」
茜は花を見つめたまま、静かに微笑んだ。
「そうね……。こんなふうに……この花みたいに凛と……生きていけたらって……」
茜の横顔はどこか悲しげだった。
「ふふ、目標みたいなものね。目標として飾っておきたいから必ず描いてよ、蓮の絵。待ってるから」
茜はそう言うと佑助を見て微笑んだ。
「あ、うん……」
佑助は茜の悲しげな表情に戸惑いながら、小さく頷いた。
佑助はもう一度池に視線を向けた。
いくつもの蓮の花とともに、茶屋で楽しそうにしている少年と少女の姿が視界に入る。
美しい光景だった。
その光景は、佑助の頭にいつまでも残り続けた。
佑助はトボトボと歩きながら、小さく呟いた。
「そう? 思い立ったが吉日って言うでしょ?」
隣を歩いていた茜が何でもないことのように言った。
「吉日でも何でもいいけど……。僕は一緒じゃなくてもよかったんじゃない?」
佑助は茜を見つめる。
茜はわざとらしいため息をついた。
「佑助が一緒じゃなきゃ意味ないでしょ?」
茜の思わぬ言葉に、佑助は思わずドキリとした。
「一緒じゃなきゃって……」
「見てもらわないと描けないでしょ?」
茜は佑助の言葉を遮るように言った。
佑助は目を丸くする。
「え? 描く……?」
「そう。蓮の絵を描いてほしいのよ」
茜は目を輝かせる。
佑助は目をパチパチさせた後、静かに苦笑した。
「ああ、なるほど……。だから、蓮見か……」
朝早く、奉公人とともに佑助の屋敷を訪れた茜は、佑助を蓮見に誘った。
夏になり、池に咲く蓮の花が見ごろを迎えていた。
春の花見と同じように、蓮を見るためにこの時期、池の周りが多くの人で賑わうのは知っていたが、佑助は実際に見に行ったことがなかった。
佑助が戸惑っているあいだに、茜は何を話したのか佑助の父親を説得し、気がつけば佑助は蓮見に行くことになっていた。
「私が強引に連れてきたみたいに言うけど、本当は見てみたかったんでしょ?」
茜は佑助の顔を覗き込むように言った。
「そ、それは……まぁ……。見てみたかったけど……」
佑助は茜から目をそらすと、ぼそぼそと呟く。
茜の言う通り、佑助は以前から蓮見に興味があった。
ただ、父親の性格を考えると許可されるわけがないと諦めていた。
佑助は茜をチラリと盗み見る。
(一体どうやって父上を説得したんだろう……)
「何? 何か言いたいことでもあるの?」
佑助の視線に気がついた茜が、ジトっとした目で佑助を見る。
「え、いや……何でもないよ……」
佑助は慌てて首を横に振った。
「そう? それならいいけど」
茜がそう言ったところで、前を歩いて案内してくれていた奉公人がこちらを振り返った。
「そろそろ着きますよ。ここから先は人が多いので、はぐれないようにしてくださいね」
奉公人が指さした方を見ると、そこには出店が立ち並び、祭りでもあるかのように賑わっていた。
「すごい人だな……」
佑助は思わず呟いた。
「はぐれないようにしないとね」
茜はそう言うと、佑助の腕を掴み、引きずるように池に向かって歩き始めた。
「ちょ、ちょっと……」
佑助はすれ違う人とぶつかりながら前に進んでいくことになった。
「ほら、ここならよく見える!」
茜が立ち止まり、佑助を振り返ったときには、佑助は多くの人とぶつかり謝り続け、疲れ切っていた。
「あ、着いたの……?」
佑助は力なく言うと顔を上げた。
佑助は息を飲む。
目の前には、この世のものとは思えない美しい光景が広がっていた。
大きな葉が池を覆いつくし、そのあいだから真っすぐに伸びた茎の先に薄紅色の大輪の花があった。
水の上に浮かぶように咲く無数の蓮の花は、まるでこの世のものではないようだった。
絵でしか見たことがなかった佑助は、清らかでどこか厳かなその光景にただ立ち尽くしていた。
「どう? 来てよかったでしょ」
茜は佑助の顔を覗き込むように聞いた。
「……うん」
佑助は素直に頷いた。
「ふふ、よかった」
茜は満足そうに笑った。
しばらく二人は蓮を見ていたが、茜が何かに気づいたように視線を上げた。
「あ……」
「ん? どうかしたの?」
佑助も茜の視線の先を見た。
そこには、池に向かってせり出した茶屋があり、より近くで蓮の花を楽しめるようになっていた。
「あの茶屋がどうかしたの?」
佑助が茜に視線を戻して聞いた。
「ああ……。あそこにいるの永世様だなと思って……」
茜の視線を追うと、そこには二人と同じくらいの年の少年が立っていた。
「知り合いなの?」
佑助は首を傾げる。
「そうね……。知り合いってほど知らないけど、檀家として支えてる寺が同じなの。旗本の家の人だし有名なのよね。それにカッコいいから……」
「へ~、そうなんだ」
佑助が今いる場所と茶屋は少し距離があるため、顔ははっきりとわからなかったが、言われれば整った顔をしている気がした。
そのとき、茶屋にいる少年の横に少女がいることに気づいた。
少女は少年に親し気に話しかけていた。
「隣の子も知り合い?」
佑助は茜に向かって聞いた。
「隣? ああ……鈴様ね。永世様の妹よ。この距離だとわからないかもしれないけど、とんでもなく可愛い人よ」
「へ~」
佑助は目を凝らしたが、やはりそこまではよく見えなかった。
「まぁ、私たちにはどちらにしろ高嶺の花よ。鈴様が可愛いからって好きになっちゃダメよ」
茜はクスッと笑うと佑助を見る。
「こんな距離でチラッと見ただけで好きになんてならないよ……」
佑助は呆れたように言った。
「それもそうね」
茜はそう言うと、もう一度蓮の花に視線を向けた。
「もう少し見ていたいけど、そろそろ帰りましょうか」
佑助は蓮の花を見た後、ゆっくりと茜に視線を移した。
「ねぇ、どうして蓮の花を描いてほしいと思ったの? 好きなの? 蓮の花」
茜は花を見つめたまま、静かに微笑んだ。
「そうね……。こんなふうに……この花みたいに凛と……生きていけたらって……」
茜の横顔はどこか悲しげだった。
「ふふ、目標みたいなものね。目標として飾っておきたいから必ず描いてよ、蓮の絵。待ってるから」
茜はそう言うと佑助を見て微笑んだ。
「あ、うん……」
佑助は茜の悲しげな表情に戸惑いながら、小さく頷いた。
佑助はもう一度池に視線を向けた。
いくつもの蓮の花とともに、茶屋で楽しそうにしている少年と少女の姿が視界に入る。
美しい光景だった。
その光景は、佑助の頭にいつまでも残り続けた。