長屋を訪れた翌日、叡正は玉屋に足を運んだ。
「おまえの友人だったのか」
昨日のことを咲耶に伝えると、咲耶は目を丸くした。
「まぁ、友人ってほどではないが、俺の知り合いだったんだ。だから、弥吉に危害を加えるような心配はないと思う」
叡正は昨日の佑助の様子を思い出していた。
(危害を加えるようなやつではないが……様子はおかしかったよな……)
佑助はあの後、取り乱したことを繰り返し謝罪するだけで、過去に何があったのか二人に何も話さなかった。
(あんな痩せ方をして、長屋にひとりで住んでるくらいだ……。いろいろあったってことか……)
叡正は静かに目を閉じた。
「その……知り合いというのはおまえのその……親族だったのか……?」
咲耶の言葉は、珍しく歯切れが悪かった。
「ん?」
叡正は目を開けると咲耶を見る。
咲耶の表情はどこか叡正を気遣っているようだった。
「いや……、別に親族ってわけじゃ……」
言いかけて、叡正は気づいた。
(ああ、そうか……。妹の件で、うちの家の事情を知ってるからか……)
叡正は咲耶に向かって微笑むと、心配ないという意味を込めて首を横に振った。
「あいつは親族じゃない。あいつの友人と俺が知り合いで、そのつながりで知っているだけだ」
「そうか……」
咲耶は少しホッとしているように見えた。
「それに……親族には今も恨まれていると思うが……怒りを直接ぶつけてくるような親族は少ないからな……」
叡正は静かに目を伏せた。
叡正の父親が、母親や屋敷に来ていた親族たちを殺して行方をくらましてから、叡正と鈴を取り巻く状況は一変した。
皆、二人と関わることを避けるようになり、目が合えば視線をそらされた。
しかし、それでも憎しみを叡正や鈴に直接向けてきた親族は少なかった。
(まぁ、表面上は……というだけだったが……)
叡正は鈴の件で、親族が抱え込んだ憎しみ自体はまったく消えていないことを思い知った。
「悪かったな……。まさかおまえの知り合いとは思わなくて……」
咲耶は申し訳なさそうに呟く。
「あ、いや、本当にただの知り合いで、家同士は無関係だから……。会って気まずい相手でもないし、気にしないでくれ……」
咲耶の暗い声に、叡正は慌てて言った。
「なら……いいんだが……」
依然として咲耶の表情は硬かった。
「ああ、本当に大丈夫だ。それより……どうしてあいつが長屋に住んでるのかの方が気になるな……。武家の一人息子だったはずだから……」
「武家の一人息子が、今は絵師をしているってことか?」
咲耶は首を傾げる。
「しかも、地獄絵の」
(地獄絵……)
長屋で見た絵が叡正の頭に浮かぶ。
(あいつに……何があったんだろうな……)
叡正は再び目を伏せた。
「……今日は謝ろうと思っていたんだ」
咲耶は静かにそう言った。
「え?」
叡正は思わず顔を上げる。
「せっかく訪ねてきてくれたのに、いきなり頼み事をして悪かったな。おまえしか頼れる人間がいなかったんだ。許してくれ」
咲耶は申し訳なさそうに微笑んだ。
「え、そんなのいつものことじゃ……」
「は?」
「いや、なんでもない……」
叡正は慌てて視線をそらした。
「そ、それじゃあ、見世の邪魔になりそうだから、そろそろ行こうかな」
叡正はゆっくりと立ち上がると、そそくさと襖に向かって歩き始めた。
「叡正」
咲耶は襖に手をかけた叡正を呼び止めた。
「ん?」
叡正は首を回して軽く振り返る。
「ありがとう。それから、頼み事はあったが、それとは別に会いたかったのは本当だ。ここ最近おまえが来るのが当たり前みたいになっていたからな。どうしているのか気になっていたし、顔を出してくれて嬉しかったよ。まぁ、おまえはどうだか知らないが」
咲耶はそう言うと、楽しそうに笑った。
叡正は目を見開く。
慌てて顔を襖の方に向けると、叡正は軽く笑った。
「ハハ……、それなら、よかった……」
叡正はそれだけ言うと、襖を開けて部屋の外に出た。
後ろ手で静かに襖を閉めると、叡正は廊下を歩き始める。
階段を下りたところで、叡正は緑と鉢合わせた。
「あれ、叡正様、もうお帰りですか?」
「ああ、用は済んだからな」
「そうでしたか」
緑はそう言うと、何かに気づいたように叡正の顔を覗き込んだ。
「叡正様、顔が赤いですけど大丈夫ですか?」
叡正の顔は耳までに赤く染まっていた。
叡正は苦笑する。
「ただの風邪だから、気にしないでくれ」
叡正はそれだけ言うと、玉屋の戸に向かった。
「お大事にしてくださいね。あ、あと、くれぐれも花魁に移さないでくださいよ」
緑は叡正の背中に向かって言った。
「ああ」
叡正は苦笑した後、小さく息を吐く。
「絶対に移ることはないから大丈夫だ」
叡正はそう言うと、戸を開けて玉屋を後にした。
「おまえの友人だったのか」
昨日のことを咲耶に伝えると、咲耶は目を丸くした。
「まぁ、友人ってほどではないが、俺の知り合いだったんだ。だから、弥吉に危害を加えるような心配はないと思う」
叡正は昨日の佑助の様子を思い出していた。
(危害を加えるようなやつではないが……様子はおかしかったよな……)
佑助はあの後、取り乱したことを繰り返し謝罪するだけで、過去に何があったのか二人に何も話さなかった。
(あんな痩せ方をして、長屋にひとりで住んでるくらいだ……。いろいろあったってことか……)
叡正は静かに目を閉じた。
「その……知り合いというのはおまえのその……親族だったのか……?」
咲耶の言葉は、珍しく歯切れが悪かった。
「ん?」
叡正は目を開けると咲耶を見る。
咲耶の表情はどこか叡正を気遣っているようだった。
「いや……、別に親族ってわけじゃ……」
言いかけて、叡正は気づいた。
(ああ、そうか……。妹の件で、うちの家の事情を知ってるからか……)
叡正は咲耶に向かって微笑むと、心配ないという意味を込めて首を横に振った。
「あいつは親族じゃない。あいつの友人と俺が知り合いで、そのつながりで知っているだけだ」
「そうか……」
咲耶は少しホッとしているように見えた。
「それに……親族には今も恨まれていると思うが……怒りを直接ぶつけてくるような親族は少ないからな……」
叡正は静かに目を伏せた。
叡正の父親が、母親や屋敷に来ていた親族たちを殺して行方をくらましてから、叡正と鈴を取り巻く状況は一変した。
皆、二人と関わることを避けるようになり、目が合えば視線をそらされた。
しかし、それでも憎しみを叡正や鈴に直接向けてきた親族は少なかった。
(まぁ、表面上は……というだけだったが……)
叡正は鈴の件で、親族が抱え込んだ憎しみ自体はまったく消えていないことを思い知った。
「悪かったな……。まさかおまえの知り合いとは思わなくて……」
咲耶は申し訳なさそうに呟く。
「あ、いや、本当にただの知り合いで、家同士は無関係だから……。会って気まずい相手でもないし、気にしないでくれ……」
咲耶の暗い声に、叡正は慌てて言った。
「なら……いいんだが……」
依然として咲耶の表情は硬かった。
「ああ、本当に大丈夫だ。それより……どうしてあいつが長屋に住んでるのかの方が気になるな……。武家の一人息子だったはずだから……」
「武家の一人息子が、今は絵師をしているってことか?」
咲耶は首を傾げる。
「しかも、地獄絵の」
(地獄絵……)
長屋で見た絵が叡正の頭に浮かぶ。
(あいつに……何があったんだろうな……)
叡正は再び目を伏せた。
「……今日は謝ろうと思っていたんだ」
咲耶は静かにそう言った。
「え?」
叡正は思わず顔を上げる。
「せっかく訪ねてきてくれたのに、いきなり頼み事をして悪かったな。おまえしか頼れる人間がいなかったんだ。許してくれ」
咲耶は申し訳なさそうに微笑んだ。
「え、そんなのいつものことじゃ……」
「は?」
「いや、なんでもない……」
叡正は慌てて視線をそらした。
「そ、それじゃあ、見世の邪魔になりそうだから、そろそろ行こうかな」
叡正はゆっくりと立ち上がると、そそくさと襖に向かって歩き始めた。
「叡正」
咲耶は襖に手をかけた叡正を呼び止めた。
「ん?」
叡正は首を回して軽く振り返る。
「ありがとう。それから、頼み事はあったが、それとは別に会いたかったのは本当だ。ここ最近おまえが来るのが当たり前みたいになっていたからな。どうしているのか気になっていたし、顔を出してくれて嬉しかったよ。まぁ、おまえはどうだか知らないが」
咲耶はそう言うと、楽しそうに笑った。
叡正は目を見開く。
慌てて顔を襖の方に向けると、叡正は軽く笑った。
「ハハ……、それなら、よかった……」
叡正はそれだけ言うと、襖を開けて部屋の外に出た。
後ろ手で静かに襖を閉めると、叡正は廊下を歩き始める。
階段を下りたところで、叡正は緑と鉢合わせた。
「あれ、叡正様、もうお帰りですか?」
「ああ、用は済んだからな」
「そうでしたか」
緑はそう言うと、何かに気づいたように叡正の顔を覗き込んだ。
「叡正様、顔が赤いですけど大丈夫ですか?」
叡正の顔は耳までに赤く染まっていた。
叡正は苦笑する。
「ただの風邪だから、気にしないでくれ」
叡正はそれだけ言うと、玉屋の戸に向かった。
「お大事にしてくださいね。あ、あと、くれぐれも花魁に移さないでくださいよ」
緑は叡正の背中に向かって言った。
「ああ」
叡正は苦笑した後、小さく息を吐く。
「絶対に移ることはないから大丈夫だ」
叡正はそう言うと、戸を開けて玉屋を後にした。