藤吉は傷口を押さえながら、目的の場所へと向かっていた。
 足はまだ動かせていたが、少しずつ指先が麻痺してきているのを藤吉は感じていた。

(この感じだと……刃先に毒が塗ってあったんだろうな……)
 藤吉は小さく息を吐く。
(毒なら殺せる確率は上がるからな……。いい判断だ……)
 藤吉は苦笑した。
(俺が人を庇う日が来るとはな……)

「おまえのせいだぞ……百合……」
 藤吉は小さく呟いた。
 重くなっていく足をなんとか動かし、藤吉は山道を登り始める。
 藤吉は百合の墓に向かっていた。

「また来るって……言っちまったからな……」
 藤吉はため息をつく。
「俺はおまえと違って……言ったことは守る方なんだよ……」

 藤吉は思ったことをすべて口に出しながら歩いた。
 口を動かしていないと、気を失ってしまいそうだった。
 吹きつける風が、藤吉の体温を奪っていく。

「なぁ……見てたか?」
 藤吉は空を見上げる。
 木々のあいだから差し込む日差しは藤吉を温かく照らしていた。
「おまえの弟のこと……大事だって……言ってるやつがいた……。信が死ぬより……自分が死んだ方が……マシだとも言われてたよ……。愛されてたんだ……信は……。よかったな……。おまえの死は無駄じゃなかった……。初めて……神様ってやつに感謝したよ……」
 藤吉は目を細める。
「あいつはもう……大丈夫だ……」

 藤吉は再び前を向くと、引きずるように足を前に進める。
 百合と過ごした小屋の跡はすでに通り過ぎていた。

 墓のある丘はもうすぐそこだった。
 丘に近づくほど強い風が吹き、藤吉の体を揺らす。
「寒いな……」
 藤吉は思わず目を閉じた。
 指先はもうまったく感覚がなかった。

 ゆっくりと目を開けると、このあいだ来たときと変わらず、そこには赤い彼岸花が咲いていた。
「あと……少し……」
 藤吉は足を引きずり、一面に咲く彼岸花の中に足を踏み入れる。
 次の瞬間、藤吉はその場に倒れ込んだ。
「ほらな……。ちゃんと来ただろ……?」
 藤吉はかすかに笑った。

 そのとき、強い風が吹いた。
 彼岸花の揺れる音が響き、それと同時に藤吉は人の気配を感じた。
(こんなところに……誰が……)
 藤吉は腕に力を込めると、なんとか体を起こし顔を上げる。

 藤吉は目を見開いた。
(は…………?)

 そこには、百合が立っていた。
 薄茶色の髪が風になびき、光を受けた髪はところどころ金色に輝いて見えた。
(夢……それとも……幻覚か……?)
 茫然としている藤吉の前で、百合はゆっくりと膝をついた。

 百合の両手が藤吉の頬を包む。
 頬を撫でるように、百合の両手が優しく動く。
 もう忘れかけていた懐かしい温かさだった。

(ああ……夢とか幻覚とか……もうどうでもいいか……)
 藤吉はかすかに微笑んだ。

 ふいに、頬に触れていた手が止まる。
「百合……?」
 藤吉が百合を見つめると、百合はゆっくりと目を開いた。
 薄茶色の瞳に涙が溢れ、頬を伝う。
 藤吉は目を見開いた。
 伝う涙がこぼれる前に、百合の口元には笑みが広がった。
 その笑顔は、涙を堪えているようにも、喜びを嚙みしめるようにも見えるぎこちない笑顔だったが、明るい日の光を浴びて笑う百合は、今まで見てきたどんなものより美しかった。

「おまえ……なんて顔してんだよ……」
 藤吉は絞り出すように言った。

 涙がこぼれ落ち、百合の薄茶色の瞳に藤吉の顔が映る。
 藤吉は目を見張った後、静かに苦笑した。
「なんて顔……は……お互い様か……」

 百合の両手がゆっくりと藤吉の頬を離れ、藤吉の体を優しく抱きしめた。
 藤吉は驚いて目を見開いたが、やがて静かに目を閉じる。
 百合の体は温かく、胸からは鼓動の音が聞こえる気がした。

「ああ……、神様を信じるのも……悪くはねぇな……」
 藤吉は百合の胸に体を委ねると、眠りに落ちるようにそっと意識を手放した。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 冷たい風が吹きつける中、ひとりの男が丘に立った。
 男の足元には、咲き乱れる彼岸花の中で息絶えた藤吉の亡骸があった。

「せっかく……俺が見逃してやったっていうのに……」
 男は、額の傷を掻く。
「おまえの命の使い方は……これでよかったのか……?」
 男は亡骸の横に片膝をつくと、目を閉じて静かに両手を合わせた。

 男はゆっくりと目を開ける。
「もし来世があるなら、次は……もっとうまく生きろよ……」
 男はそれだけ言うと立ち上がり、静かに丘を去っていった。