「今日は外に出るぞ」
 小屋に着いて早々、藤吉は百合に向かって言った。
「……え?」
 百合は驚いた様子で目を開く。
「外……ですか?」
「ああ。山は下りられないが、今日なら少し外に出るくらいは大丈夫だ」
「本当……ですか? 藤吉さんに何か……迷惑がかかるのでは……?」
 百合の言葉に、藤吉は笑った。
「バレなければいいだけだ。それに山を下りない限りは別にお咎めもないだろうから」
「しかし……」
 百合が反論しようと口を開いた瞬間、藤吉は持ってきた大きめの着物で百合を(くる)んだ。
「え!?」
 百合のくぐもった声が布越しに響く。
「よし……」
 頭から足まで着物で包むと、藤吉は頭と膝の裏を支え百合を抱き上げた。
「えぇ!?」
 百合は抱き上げられたことに驚いたのか、足をバタバタと動かした。
「おい、おとなしくしてろよ」
 藤吉は百合に向かって囁いた。
 藤吉の声に、百合はビクリとした後、静かに足の力を抜いた。

「……重く……ありませんか?」
 百合は躊躇いがちに口を開く。
「軽すぎて心配になるくらいだ。もう少しちゃんと食えよ」
 藤吉はそう言うと、百合を抱きかかえたまま歩き、小屋の戸を開けた。
「フフ……、軽いならよかったです。足を切り落とした甲斐もありました」
 百合の言葉に、藤吉は目を見張ると思わず足を止めた。

「おまえ……それは、さすがに笑えねぇよ……」
 着物の中で、百合がハッとした様子で顔を上げたのがわかった。
「ごめんなさい……!」
 着物がガサガサと動き、布の隙間から百合の白い腕が伸びた。
 百合の手がそっと藤吉の頬に触れる。
「こんな顔……させたかったわけじゃないのに……。ごめんなさい……」

 藤吉は軽く息を吐くと、また歩き始めた。
「まったく……。だから言っただろ? おまえには冗談の才能がねぇって。黙っておとなしくしてろ」
「はい……」
 百合はそれだけ言うと、腕を着物の中に戻し静かに藤吉に身をゆだねた。

 心地よい風が藤吉の頬を撫でる。
(もうすっかり秋だな……)
 山の上にある屋敷での生活は何かと不便だったが、木々が色づく美しいこの季節だけは山での生活も悪くないと藤吉は思っていた。
(この景色を見せられたらいいんだが……)
 藤吉は布越しに百合を見る。
(光ぐらいか……感じられるのは……)

 藤吉は目的の場所に着くと、ゆっくりと百合を座らせた。
 包んでいた着物から百合の顔を出す。
「着いたぞ」
 藤吉は百合に声を掛ける。
 百合は辺りを見渡すように、顔を動かした。
「ここは……どこですか……?」
「俺の気に入ってる場所だ」
 藤吉は百合の横に腰を下ろした。

 藤吉が来たのは見晴らしのいい丘の上だった。
 山を下りるための山道とは逆方向にあり、この先は切り立った崖しかないため屋敷の人間は滅多に来ない場所だった。
 景色がいい場所ではあったが、百合がどう感じるのかは藤吉にはわからなかった。
 藤吉は百合の顔を覗き込む。
「悪いな、こんな場所ぐらいしか連れてこれなくて……。少しでも外の空気が吸えれば、いつもよりはマシかと思って……」

 百合は目を閉じ、ただじっとしていた。
 暗い顔ではなかったが、その表情から百合が何を考えているのかはわからなかった。
 百合がゆっくりと口を開く。
「すごく……素敵な場所ですね……」
「ああ、見晴らしはいいんだが……見せられなくて悪いな……」
 藤吉の言葉に、百合は微笑んだ。
「見えなくても……感じています。吹き抜ける風も、木々が揺れる音も、虫の音も、草の香りも……すべて感じます」
「そうか……」
 藤吉はホッと胸を撫でおろした。
「あの……大きな木々が揺れる音と一緒に、低い位置で何かが揺れている音もするのですが、背の高い草が生えている場所があるのですか……?」
 百合は辺りを見渡しながら聞いた。

(さすがに耳がいいな……)
 藤吉は小さく微笑んだ。
「ああ、草じゃねぇが、おまえから見て右側の一帯に彼岸花が咲いてるんだ」
「花ですか……。匂いはしないのですね……」
「ああ、確かに。彼岸花から匂いを感じたことはねぇな……」
「手に取ってみてもいいですか?」
 百合はそう言うと四つん這いで、右に向かって進み始める。
「あ、手に取るのはやめておけ」
 藤吉は慌てて、百合の手首を掴んで止めた。
「彼岸花は毒があるから」
「毒……ですか」
 百合は藤吉の方を振り返ると、少し悲しそうな顔をした。
「花には、毒があるものが多いのですね……」
「まぁ、花も動物の食い物にはなりたくねぇだろうからな……。植物は動けねぇし、毒を持つくらいしか身を守る方法がないんだろ」
「そう……ですか……」
 百合は少しうつむくと、ゆっくりとその場に腰を下ろした。

「彼岸花は食べて死ぬやつがいるせいか、幽霊花とか地獄花とか言われてるくらいだ。触るのはやめとけ」
「地獄花ですか……」
 百合はひどく辛そうな顔をしていた。
「藤吉さん……、私……」
 百合は躊躇いがちに口を開く。
 そのとき、強い風が吹いた。

 藤吉は百合の言葉を待ったが、百合の口から続く言葉はなかった。
「どうした?」
 藤吉の言葉に、百合は首を横に振るとぎこちなく微笑んだ。
「いえ……、なんでもありません……」
 百合は静かにうつむく。
 藤吉は少しのあいだ百合を見つめていたが、そっと目を閉じた。

 二人はしばらく、ただそうしていた。