信は仕事のために、朝早く小屋を出た。
 ひとりになった長屋で、百合はうずくまった。
(信…………あんな体で、また……)
 昨日小屋に戻ってきたとき、信は明らかに怪我をしていた。
 怪我を隠すように、いつも通り振る舞おうとする信に、百合は気づかないフリをするしかなかった。
(私のせいで、信は帰ってきても気が休まらないのね……)
 百合は両手で頭を掻きむしった。

「まったく私は……役に立たないどころか……、生きているだけで害になるなんて……」
 百合の口から苦い笑いがこぼれる。
(わかっていたことじゃない……)
 百合は強く瞼を閉じた。
(私は……一刻も早く死ぬべきだって……)
 百合は込み上げる吐き気をなんとか抑えた。

 百合が片足を失ってから、信は半日かからず小屋に戻ってくるようになった。
 しかし、その代わり以前とは比較にならないほど信の怪我は増えた。
 足を引きずる音、浅い呼吸、寝返りを打ったときの痛みを堪えるような呻き声。
 音だけでも、信の身に何が起きているのかはわかった。
 毎回信が食事を入れ替えていること、食事に口をつけた信が小屋の外に出て吐いていることを知り、百合がすべてを理解するのに時間はかからなかった。

(そんなことしなくていいのに……!)
 百合は十字架を握りしめた。
 息が苦しかった。
 百合は目の前が暗くなっていくのを感じた。
(いっそ私のことを捨ててくれれば……!)
 百合はもう、どうすれば信を救えるのかわからなかった。

「私は……最初から間違えたのね……」
 百合は絞り出すように呟いた。
(いくら信が望んでいたとしても、気づかないフリなどするべきではなかった……)
 百合は苦しくなり口を開けたが、うまく息ができなかった。
(気づかないフリをしたことで……信を……ひとりに、本当の意味で孤独にしてしまった……)

「本当に……私さえいなければ……」
 気がつくと百合の頬は濡れていた。
「私は……一体何をしていたの……?」

 百合は母親から、信を頼り、支えて生きていくようにと言われていた。
 目が見えない百合は、そのように生きるのが普通なのだと思い、これまで生きてきた。
 しかし百合は、盲人ができる仕事があることを知らないわけではなかった。
 鍼や灸を学び按摩になる道、楽器を極め楽師になる道、女であるためにそれが難しいなら母親のように身を売る道もあると百合はわかっていた。

(私が……目が見えないことを言い訳にして……ひとりで生きる道を考えようとしなかったから……)

「私は……本当に、ただの荷物に成り下がってしまった……」
 百合は眩暈がして、片手で顔を覆った。

「ごめん……ごめんね、信……! 私さえいなければ……!」
 百合はもう片方の手で胸元を掻きむしる。
(わかっているの……。私は……)

「どうした!?」
 そのとき、頭の上から声が響いた。
 百合は目を見開く。
「大丈夫か!? 何があったんだ!」
 それは、藤吉の声だった。
 窓からうずくまっている姿が見えたのだと百合は悟った。

(気が……つかなかった……)
 百合は顔から血の気が引いていくのを感じた。
「あ……な……」
 百合は慌てて口を開いたが、うまく言葉が出てこなかった。

「今、そっちに行く!」
 藤吉が戸に向かう足音が響く。
(い、嫌……。こんな姿見せたくない……)
 百合は壁に寄りかかり立ち上がろうとしたが、体に力が入らなかった。

 小屋の戸が勢いよく開き、藤吉が近づいてくるのがわかった。
「大丈夫か!?」
 藤吉が慌てた様子で百合を抱き起こす。
「何があった!?」
「あ…………」
 百合はうまく声を出すことができなかった。
 藤吉の体からふわりとツツジの花の香りがした。
 百合は目の奥から込み上げるものを抑えることができなかった。

「おい、大丈夫か!? まず息を吸え」
 藤吉はそう言うと百合を優しく抱きしめて、背中をさすった。
「俺が支えてるから、ほら、ゆっくり」

 藤吉の体は温かった。
(信……ごめんね……。私もこんなふうに、ただ抱きしめてあげればよかった……。何を考えているかなんて知ろうとせずに……ただ受け入れていれば……)
 百合はゆっくりと息を吸った。
 ツツジの花の香りが、優しく百合を包む。
 百合は唇を噛んだ。
(ごめんね……。私は死ぬべきだって……わかってるの……。でも、もう少しだけ……)
 百合の耳に、藤吉の心臓の音が響く。
(もう少しだけ…………生きることを許して……)

 百合は優しい温もりに堪えきれず、声を上げて泣いた。
 百合が泣き止むまで、藤吉は何も言わずただ静かに百合の背中をさすり続けた。