長屋の戸口にひとりの男が立ち尽くしていた。
 昨夜まで鈴のいた長屋だった。
 信はゆっくりと男に近づき声をかける。
「鈴を探しているのか?」
 男がゆっくりと振り返った。
「……あなたは?」
 鈴ほどではなかったが、男の顔色はひどく悪かった。

「一緒に死ぬつもりだったのか?」
 信は男の問いかけに答えず聞いた。
 男の目が見開かれる。
「どうして、それを……?」
「美津という女に聞いた」
「彼女から……?」
 男は戸惑った表情を浮かべる。
「おまえは鈴の恋人なんだろう?」
「恋人……と呼べるかどうか……」
「鈴のために一緒に死のうとしたんだろう?」
 将高は悲しげに微笑んだ。
「……自分のためです……。鈴を亡くして生きていく自信がなかったから……」
「そうか」
 信は淡々と言った。
「生きるのも死ぬのも好きにしたらいい。ただ、鈴はまだ生きたいようだったぞ」
 将高は弾かれたように顔をあげる。
「鈴は今どこにいるんですか? ……亡くなったんですか?」
 将高は顔を歪める。
「まだ生きている。鈴のところに案内するから一緒に来てくれ」
 信は将高に背を向けて歩き出す。
「ただ、その前に寄るところがある」
 将高はとまどいながらも鈴に会うため、何も聞かず信の後を追った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 叡正は緑に案内され、咲耶の部屋に足を踏み入れた。
 案内を終えた緑は、一礼して部屋を出ていく。

 咲耶は窓辺に腰かけて、窓の外を見ていた。
 まだ見世に出るのに時間があるためか、咲耶は長い髪を軽く後ろで束ね、長襦袢を着ていた。
「ああ、来たか」
 咲耶は視線だけ叡正の方に向けて言った。
「もう少しだけ待ってくれ。……もう少しで役者が揃う」
 咲耶は視線で叡正に座るように促した。
「妹は……妹は生きているのか……?」
 緊張のせいか叡正の声がかすれる。
 咲耶はゆっくりと立ち上がると、叡正の前に腰を下ろした。
「ああ、まだ生きている」
「……まだ?」
 かすれる声で叡正が聞いた。
 咲耶は少し困ったように目を伏せる。

「……生きてはいるんだな……。……会えるのか?」
 叡正はすがるように咲耶を見た。
「ああ、これから案内する。詳しくは今から来る男に聞いてくれ」
「男……? 誰が来るんだ?」
 咲耶は悲しげに微笑む。
「おまえがいないあいだ、妹を支え続けた恩人だ……」

 咲耶がそう告げるのと同時に、咲耶の部屋の襖が開いた。
「来たか」
 咲耶が小さく呟く。
 そこには薄茶色の髪をした男と髷を結った若い男が立っていた。
 髷を結った男は叡正の姿を見つけると、目を大きく見開く。
「永世様……?」
 叡正は名を呼ばれ、髷を結った男を見つめ返した。
「……将高……なのか?」
 叡正の家が取り潰しになる前に、たまに屋敷に遊びに来ていた可愛らしい少年の顔と、目の前の男の顔が重なった。
「永世様……」
 将高の顔はみるみる青ざめていく。
「永世様……、誠に……誠に申し訳ありません!」
 将高は崩れるように叡正の前に膝をつくと、頭を座敷にすりつけた。
「お、おい……」
 訳がわからない叡正は、顔をあげてもらおうと将高の肩に手をかけた。
「鈴を守れず、誠に申し訳ありません……。母上がしたことも……私がしようとしたことも許されないことだとわかっています……。本当に、本当に申し訳ありません……」
 将高は涙で声を詰まらせながら言った。
 叡正はその姿に何も言えず、ただ将高を見つめる。

「将高といったか……」
 落ち着いた声で咲耶が名を呼ぶと、将高は少し顔をあげた。
「こいつはまだ何も知らないんだ。妹の七年間のこと教えてやってくれ」
 将高はハッとしたように叡正を見る。
 将高は涙を着物の袖で拭うと、今度は真っすぐに叡正を見た。
「わかりました。私の知る範囲のことになりますが、すべてお話しします」

 叡正はただ静かに将高の話しを聞いていた。
(将高は何も悪くない……。むしろ悪いのは七年も何も気づかなかった俺だ……)
 将高の話しを聞き終えた叡正は、自分への怒りで震えていた。

「おい」
 静まり返った部屋に咲耶の声が響く。
「後悔はあとにしろ。妹はまだ生きてるんだ。今できることをちゃんとしろ。時間はあまりないぞ」
 咲耶はそう言うと信に視線を移した。
 信は静かに頷くと、座り込んでいる叡正と将高の腕をとる。
「行くぞ」
 信はそれだけ言うと部屋を出ていった。
 将高と叡正はなんとか立ち上がると信の後を追う。

(そうだ……まだ生きている……)
 叡正は顔を上げ、今度こそしっかりとした足取りで信の背中を追った。