「また来てくださったんですね!」
 藤吉が小屋の窓からそっと顔を出すと、百合が嬉しそうな声を上げた。
(またバレた……)
 藤吉は片手を額に当てた。
 今回は意識的に足音を消し、歩き方も変えたつもりだった。
(なんでこれでわかるんだよ……)
 藤吉は肩を落とした。

「どうかしましたか……?」
 返事がないことで不安になったのか、百合の表情が曇る。
「あ、いや、なんでもない……。元気そうだな……」
 前に来たときからまだ十日ほどしか経っていなかったが、藤吉はほかに言うことが見つからず、とりあえずそう口にした。
「はい、皆さんのおかげです」
 百合はにこにこしながら答える。

「そりゃあ、よかった……。じゃあ、俺はこれで……」
 藤吉はそれだけ言うと、小屋に背を向けた。
 そもそも藤吉は、百合の様子を気にして小屋に来たわけではなかった。
 足音を立てないようにしても、百合に気づかれるのかを確かめたかっただけだった。

「あ……もう行かれるのですか……?」
 どこか寂しげな百合の声が響く。
 百合の言葉に、藤吉は振り返り百合を見た。
 百合は何か言いたそうに藤吉の方を向いている。

「あ、あの……!」
 百合はなぜかモジモジしながら口を開いた。
「もしご迷惑でなければ、小屋の中でお話ししませんか? 弟は今日も外に出たままなので……」

 藤吉は目を丸くする。
(警戒心ってものがねぇのか……? 知らない男を家の中に入れるなんて……)
 藤吉が戸惑っていると、百合がひどく暗い顔をした。
「やはりダメ……ですよね……。すみません、こんなことを言って……」
 藤吉は百合を見つめる。
(まぁ、子どもだしな……。それだけ寂しいってことか……)
 藤吉は軽く息を吐いた。
「少しだけなら……。この後、用もあるしすぐ戻らないといけねぇから」
 藤吉の言葉に、百合が嬉しそうに笑った。
「は、はい! ありがとうございます!」

 藤吉は小屋の戸の方に回ると、ゆっくりと戸を開けた。
「邪魔するぞ」
「あ、はい」
 百合は立ち上がると、片手で壁に触れながら藤吉のもとに駆け寄った。
「おい、危ないから座ってろ」
 藤吉は舌打ちすると、百合の手を取り、先ほどまで座っていたところまで手を引いていった。
「あ、すみません……」
 百合は腰を下ろすと、藤吉に自分の横に座るように促した。
 藤吉は少し迷ったが、言われた通り百合の横に腰を下ろした。

「で、何の話がしたいんだ?」
 藤吉は胡坐をかき頬杖をつきながら聞いた。
「あ、はい。藤吉さんのことが知りたいのです」
 百合は嬉しそうに微笑んだ。
「は? 俺のこと?」
 藤吉は眉をひそめる。
「はい! 少し触っても大丈夫ですか?」
「は!?」
 百合の言葉に藤吉は驚いて身を引いたが、百合の両手が藤吉の顔を包み込むように伸びてきた。
 百合の白い手が、頬を撫で、ゆっくりと耳に触れる。
(おいおいおい……!)
 藤吉は、驚きで声が出なかった。
 百合の五本の指が形を確かめるように顔を撫でていく。
(何をしてるんだ……!?)
 百合の指が瞼に触れ、鼻に触れる。
 藤吉は思わず息を止めた。
(なんでこんな……!?)

 百合の手が藤吉の口と顎に触れたとき、百合が驚いた様子で手を引いた。
 百合の様子に、息を止めていた藤吉も驚いて息を吐く。
「ど、どうした……!?」

 百合は戸惑った様子で、藤吉の方を向いた。
「か、顔に……たくさんの棘が……」
(棘……?)
 藤吉は自分の顎に触れる。
「顔にたくさんの棘って……俺は化け物か……! 普通に髭だろ!?」
 藤吉は思わず声を大きくした。
「ひげ……?」
 百合は恐る恐る藤吉の口元に触れる。
「男は口の周りに髭が生えるんだよ……」
「顔に……!」
 百合が藤吉の口元に顔を近づけた。
(ち、近ぇな……!)
 藤吉は思わず身を引いた。

「なるほど……」
 百合はそう呟くと、両手を藤吉の首元に滑らせた。
(え……?)
 百合の柔らかな手が首筋を撫でていく。
 ゾクリとしたものが背筋を走り、藤吉は上がってきた唾を飲み込んだ。
 上下する喉仏さえ、百合の指が優しく撫でていく。
 百合の手は肩に下り、着物の下の胸元に伸びた。
「お、おい! いい加減にしろ!」
 藤吉は思わず百合の手首を掴んだ。
「おまえは痴女か!」

 百合は驚いた様子で顔を上げ、目を見開いた。
 焦点の合っていない瞳は何も映していないようだったが、髪と同じ薄茶色の瞳が小刻みに動く。

「痴女……?」
 百合はそう呟くと、何を思ったのか突然吹き出した。
「痴女……! フフフ……」
 百合は声を上げて笑い出す。
 藤吉は呆気に取られ、ただ呆然と百合を見ていた。

「た、確かに、突然こんなにベタベタ触ったら痴女ですね……! フフッ……、ごめんなさい。そんなこと初めて言われたので……、可笑しくなってしまって……」
 百合はひとしきり笑うと、目尻の涙を拭った。
「本当にごめんなさい……。私が言われるのはいつも目のことだけだったので、痴女と言われたのは初めてで……。みんな私に気を遣ってなのか、何も言われたことがなかったのです。気がつかなくて、すみません……。普通嫌ですよね……」
 百合は心から申し訳なさそうに頭を下げた。

「いや……まぁ、嫌ってわけじゃねぇけど……」
 藤吉は頭を掻いた。
「世の中危ないやつもいるからな……。あまり不用意に触るのは……。あ、あとむやみに家に入れるのもやめておけよ……」

「そうですよね……。ありがとうございます。藤吉さんは本当に良い人ですね」
 百合はにっこりと笑った。
 藤吉はわずかに目を見張った後、視線をそらす。
「おまえは……人を見る目を養った方がいい……」
 藤吉は小さく呟いた。

 藤吉の言葉に、百合は少し驚いた顔をした後、クスッと笑う。
「私が見る()を養うのは難しいかもしれませんね。私にできるのは心を感じ取ることだけです」
 百合はそう言うと、藤吉の胸に優しく手を当てた。
 藤吉の体がビクリと震える。

「藤吉さんは、間違いなく良い人です」
 百合は少しだけ目を開け、微笑んだ。

 藤吉は目を見開いた後、静かに目を閉じた。
「本当に……見る目がねぇんだな……」
 藤吉の言葉に、百合は笑う。
「そう言われてしまうと、否定はできませんね」
「なんだそりゃ」
 藤吉は苦笑した。
(らしくねぇことしてるな……)
 藤吉は額に手を当てると、小さく微笑んだ。