男は屋敷の外に出ると、小さく舌打ちした。
(さっき帰ってきたばかりでもう仕事って……。どれだけ殺せば気が済むんだよ……)
男は空を見上げて、ため息をつく。
空は高く、雲は穏やかにゆっくりと流れていた。
男は静かに目を閉じる。
(仕方ねぇ……。これが俺の役割なんだから……)
男はゆっくりと目を開けると、山を下りるために足を速めた。
いつも通りの道を歩いていると、ふと小屋に目が留まる。
(そういえば、このあいだのガキ……あそこで暮らしてるんだっけ……)
男は数日前に連れてきた二人の子どものことを思い出した。
(あんな家畜小屋みたいなところに住まわせるなんて……。ホントにあの人は鬼畜だな……)
男は再び深いため息をついた。
(同情して、もし逃げ出せたら…なんて話をしちまったけど……逃げられるわけねぇんだよな……)
男は苛立ちを抑えきれず、頭を乱暴に掻いた。
どうしても気になった男は、方向を変えて小屋に向かって歩みを進める。
二人に悟られないよう、男は気配を消して小屋の格子窓に近づいた。
男はそっと窓から中を覗き込む。
その瞬間、男は小屋の中で座っていた少女と目が合った。
正確にいうと少女の目は閉じられていたため、目は合っていなかったが、少女は確実に男が覗き込んだ瞬間に男の方を向いた。
(気づかれた……のか?)
少女は穏やかに微笑んだ。
「……この前、私たちに声をかけてくれた方ですね? 様子を見に来てくださったんですか? わざわざ、ありがとうございます」
男は目を見開く。
(なんだ……? どうして俺だと……? 目は……見えないはずだろ……?)
「どう……して……?」
男はなんとかそれだけ口にした。
「え?」
少女は不思議そうな顔をした後、ハッとしたように口元に手を当てた。
「あ、突然過ぎましたね! すみません……! 私、目が見えない分、耳はいい方なんです……。あなたの足音は少しだけほかの人と違うので、このあいだの人が来てくださったと思ったら嬉しくて、思わず声を……。驚かせてしまったみたいで、本当にすみません……」
少女は申し訳なさそうに、少しだけうつむいた。
(足音……?)
男は思わず自分の足元を見た。
小屋の中にいる人間に聞こえるほど、大きな足音を立てた覚えはなかった。
むしろ男は普段から足音を立てないように歩いているはずだった。
男は戸惑いながら、なんとか口を開く。
「あ……いや……そうなのか……。ところで、俺の足音は……ほかのやつらと何が違うんだ……?」
少女は目を閉じたまま、顔を上げる。
「あ……そんなに大きな違いではないのですが、どちらかの足……怪我をされていますよね? あ、もう治っているのかもしれませんが、少し庇うように歩くクセがついているのか……左右で少しだけ音が違うんです。あ、本当にわずかな違いですよ!」
少女の言葉に、男は言葉を失う。
少女の言った通り、男は以前右足に大きな怪我を負ったことがあった。
しかし怪我は治り、今では自分でも意識することはなくなっていた。
今日まで誰かにそんな指摘をされたこともない。
(何なんだ……こいつは……)
男は目を見開いたまま少女を見た。
髪を振り乱し、十字架を握りしめて何かブツブツと呟いていたときも怖かったが、それよりも身なりを整え、何もかも見透かしたように微笑んでいる今の方がよほど怖かった。
「あ、あの……、言ってはいけないことでしたか……?」
少女が不安げな表情を浮かべる。
「あ、いや……ただ驚いただけだ……。よく見ている……じゃないか……。よく聞いているんだな……。いや、ビックリだ……ハ、ハハ……」
男は乾いた声で笑う。
「本当にすみません……」
少女は両手で顔を覆った。
少女に泣かれるのは面倒だと思った男は、慌てて声を掛ける。
「あ、本当に驚いただけだから気にするな……。そ、それより元気そうで安心した……」
男は心にもないことを言った。
男の言葉に、少女は顔を上げる。
「はい……皆さんに大変良くしていただいています」
少女は小さく微笑んだ。
(良く……ねぇ……。どうだか……)
家畜小屋で飼われるような暮らしが良いものだとは、男には思えなかった。
「あ、あの……!」
少女は意を決したように口を開いた。
「お名前を……伺ってもいいですか……?」
「え、俺?」
男は目を丸くする。
名前を聞かれるとは思っていなかった。
少女はコクコクと頷く。
「ああ……、藤吉だ……」
「藤吉……さんですね……。ありがとうございます」
少女は嬉しそうに笑った。
(何がそんなに嬉しいんだか……)
「おまえは? 名前は何だ?」
藤吉は礼儀として名前を聞くことにした。
「あ、すみません! 申し遅れました! 私は百合と申します。百合の花のゆりです」
百合は少しだけ首を傾け、照れたように笑った。
色素の薄い髪に、抜けるような白い肌。
可憐なその姿によく似合う名だと思ったが、藤吉はあえて口にはしなかった。
「もしよろしければ、ときどきこうしてお話ししていただけませんか……? 信は……あ、弟はここにいないことが多いので……」
百合はどこか寂しげに微笑んだ。
(ああ……、そろそろ仕事を始める頃だろうからな……)
藤吉は思わず小さくため息をついた。
「あ、ご迷惑でしたよね! す、すみません……!」
百合が慌てて口を開いた。
「え! あ、いや、ときどきなら……別に問題ねぇよ。また来るから……」
藤吉は咄嗟にそう答えた。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
百合は心から嬉しそうに微笑んでいた。
(しまった……つい……)
藤吉は口にしたことを後悔したが、百合の喜ぶ顔を見て訂正するのを止めた。
(まぁ、ときどきなら……いいか……)
嬉しそうな百合を見ながら、藤吉は少しだけ微笑んでいた。
(さっき帰ってきたばかりでもう仕事って……。どれだけ殺せば気が済むんだよ……)
男は空を見上げて、ため息をつく。
空は高く、雲は穏やかにゆっくりと流れていた。
男は静かに目を閉じる。
(仕方ねぇ……。これが俺の役割なんだから……)
男はゆっくりと目を開けると、山を下りるために足を速めた。
いつも通りの道を歩いていると、ふと小屋に目が留まる。
(そういえば、このあいだのガキ……あそこで暮らしてるんだっけ……)
男は数日前に連れてきた二人の子どものことを思い出した。
(あんな家畜小屋みたいなところに住まわせるなんて……。ホントにあの人は鬼畜だな……)
男は再び深いため息をついた。
(同情して、もし逃げ出せたら…なんて話をしちまったけど……逃げられるわけねぇんだよな……)
男は苛立ちを抑えきれず、頭を乱暴に掻いた。
どうしても気になった男は、方向を変えて小屋に向かって歩みを進める。
二人に悟られないよう、男は気配を消して小屋の格子窓に近づいた。
男はそっと窓から中を覗き込む。
その瞬間、男は小屋の中で座っていた少女と目が合った。
正確にいうと少女の目は閉じられていたため、目は合っていなかったが、少女は確実に男が覗き込んだ瞬間に男の方を向いた。
(気づかれた……のか?)
少女は穏やかに微笑んだ。
「……この前、私たちに声をかけてくれた方ですね? 様子を見に来てくださったんですか? わざわざ、ありがとうございます」
男は目を見開く。
(なんだ……? どうして俺だと……? 目は……見えないはずだろ……?)
「どう……して……?」
男はなんとかそれだけ口にした。
「え?」
少女は不思議そうな顔をした後、ハッとしたように口元に手を当てた。
「あ、突然過ぎましたね! すみません……! 私、目が見えない分、耳はいい方なんです……。あなたの足音は少しだけほかの人と違うので、このあいだの人が来てくださったと思ったら嬉しくて、思わず声を……。驚かせてしまったみたいで、本当にすみません……」
少女は申し訳なさそうに、少しだけうつむいた。
(足音……?)
男は思わず自分の足元を見た。
小屋の中にいる人間に聞こえるほど、大きな足音を立てた覚えはなかった。
むしろ男は普段から足音を立てないように歩いているはずだった。
男は戸惑いながら、なんとか口を開く。
「あ……いや……そうなのか……。ところで、俺の足音は……ほかのやつらと何が違うんだ……?」
少女は目を閉じたまま、顔を上げる。
「あ……そんなに大きな違いではないのですが、どちらかの足……怪我をされていますよね? あ、もう治っているのかもしれませんが、少し庇うように歩くクセがついているのか……左右で少しだけ音が違うんです。あ、本当にわずかな違いですよ!」
少女の言葉に、男は言葉を失う。
少女の言った通り、男は以前右足に大きな怪我を負ったことがあった。
しかし怪我は治り、今では自分でも意識することはなくなっていた。
今日まで誰かにそんな指摘をされたこともない。
(何なんだ……こいつは……)
男は目を見開いたまま少女を見た。
髪を振り乱し、十字架を握りしめて何かブツブツと呟いていたときも怖かったが、それよりも身なりを整え、何もかも見透かしたように微笑んでいる今の方がよほど怖かった。
「あ、あの……、言ってはいけないことでしたか……?」
少女が不安げな表情を浮かべる。
「あ、いや……ただ驚いただけだ……。よく見ている……じゃないか……。よく聞いているんだな……。いや、ビックリだ……ハ、ハハ……」
男は乾いた声で笑う。
「本当にすみません……」
少女は両手で顔を覆った。
少女に泣かれるのは面倒だと思った男は、慌てて声を掛ける。
「あ、本当に驚いただけだから気にするな……。そ、それより元気そうで安心した……」
男は心にもないことを言った。
男の言葉に、少女は顔を上げる。
「はい……皆さんに大変良くしていただいています」
少女は小さく微笑んだ。
(良く……ねぇ……。どうだか……)
家畜小屋で飼われるような暮らしが良いものだとは、男には思えなかった。
「あ、あの……!」
少女は意を決したように口を開いた。
「お名前を……伺ってもいいですか……?」
「え、俺?」
男は目を丸くする。
名前を聞かれるとは思っていなかった。
少女はコクコクと頷く。
「ああ……、藤吉だ……」
「藤吉……さんですね……。ありがとうございます」
少女は嬉しそうに笑った。
(何がそんなに嬉しいんだか……)
「おまえは? 名前は何だ?」
藤吉は礼儀として名前を聞くことにした。
「あ、すみません! 申し遅れました! 私は百合と申します。百合の花のゆりです」
百合は少しだけ首を傾け、照れたように笑った。
色素の薄い髪に、抜けるような白い肌。
可憐なその姿によく似合う名だと思ったが、藤吉はあえて口にはしなかった。
「もしよろしければ、ときどきこうしてお話ししていただけませんか……? 信は……あ、弟はここにいないことが多いので……」
百合はどこか寂しげに微笑んだ。
(ああ……、そろそろ仕事を始める頃だろうからな……)
藤吉は思わず小さくため息をついた。
「あ、ご迷惑でしたよね! す、すみません……!」
百合が慌てて口を開いた。
「え! あ、いや、ときどきなら……別に問題ねぇよ。また来るから……」
藤吉は咄嗟にそう答えた。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
百合は心から嬉しそうに微笑んでいた。
(しまった……つい……)
藤吉は口にしたことを後悔したが、百合の喜ぶ顔を見て訂正するのを止めた。
(まぁ、ときどきなら……いいか……)
嬉しそうな百合を見ながら、藤吉は少しだけ微笑んでいた。