少年が、少女を支えながら歩いていた。
少女は胸の十字架を握りしめ、しきりに何か呟いている。
二人は同じような薄茶色の髪をしていた。
少年は少女を見つめる。
「もう大丈夫……。俺がしっかり働けば、二人でちゃんと生きていける……!」
少女は少しだけ顔を上げると、ゆっくりと目を開いた。
少女の瞳は何も映してはいなかったが少年の言葉を聞き、呟くのを止めて少年の方を向いた。
「……私のことは、置いていっていいのよ……? いくら母さんに言われたからって、信が……すべて背負う必要はないわ……」
少女はそう言うと静かに目を伏せた。
「何言ってるんだよ。姉さんを置いていくわけないだろ? あの人についていけばきっと大丈夫だから……!」
少年は少しだけ声を大きくした。
「そう……かしら……?」
少女はどこか不安げな表情を浮かべる。
「あの人……あまり……」
少女がそう言いかけたとき、後ろから誰かが少年の肩を叩いた。
少年が慌てて振り返ろうとした瞬間、耳元で男の声が響く。
「そのまま、振り返らずに聞け」
男は声を潜めていたが、よく通るその低い声は少年の耳にしっかりと届いた。
「この先、おまえは……俺たちについてきたことをきっと後悔することになる……。でも、もしいつか……おまえが運よく逃げ出せたときには……腕に鬼の刺青がある人間には絶対に近づくな……」
「鬼の……刺青……?」
少年は戸惑いながらも、言われた通り前を向いたまま目だけを動かして男の方を見た。
「後悔する……? それに逃げ出すって一体どういう……」
「今はわからなくていい……。あいつらはみんなつながっている……。あいつらは、この世の…………」
男の声が遠のき、チラリと見えた男の顔が歪む。
驚いて目を凝らすと、見ていたはずのものは消え、やがて見慣れた天井が見えてきた。
信はそこで、目を覚ました。
「夢……か……」
信は布団からゆっくりと体を起こす。
「いや……夢……ではないか」
それは夢ではなく、記憶だった。
「あ、信さん起きたんだ!」
長屋の戸が開き、眩しい光を背にした弥吉が姿を現した。
信は思わず目を細める。
「珍しくよく寝てたね!」
信は開いた戸から長屋の外を見た。
差し込んだ光から、すでに朝と呼ぶには遅い時間だということがわかった。
「まぁ、信さんの場合、いつ寝てるのかいつもわからないからあれだけど……」
弥吉は戸を閉めると、信の方に向かって歩いてきた。
「俺、もう出るね。文使いの仕事に復帰して早々に遅刻はできないからさ」
弥吉は少しだけ照れくさそうに笑った。
「あ、握り飯用意しておいたからちゃんと食べてよ! 放っておくと本当に何も食べないんだから、信さんは……」
弥吉はそう言うと、身支度を整え始めた。
「わかった……。後で食べる……」
信の言葉に、弥吉がジトっとした視線を向ける。
「ホントに食べてよ……? 帰ってきたときそのまま残ってたら許さないからね」
「ああ、わかった」
弥吉はまだ疑いの眼差しを向けていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「あ、そうそう!」
弥吉が何かを思い出したように信を見る。
「さっき、竜さんの娘だっていう人とうちの前で会ったんだけどさ……」
「竜さん?」
信は眉をひそめる。
「竜さんだよ、竜さん! 信さんに漆を塗る仕事をきゅうり三本とかで依頼してくる竜さん! 何回も会ってるのに名前も覚えてないの!?」
弥吉は目を丸くする。
「ああ、きゅうりの……」
「きゅうりの人って覚えてるの!? 失礼すぎるでしょ! 竜さんだからちゃんと覚えてよ! ……ってそうじゃなくて、その娘さんが信さんを訪ねてきてたんだ。ほら、このあいだのことで皿に絵付けができるってこの一帯の長屋で広まったからさ。何か信さんに手伝ってほしいことがあるんだって」
「手伝う?」
「うん、娘さんはお屋敷に奉公に出てるみたいだから、お屋敷で何かあったんじゃないかな? 竜さんと違って金もちゃんとくれるみたいだよ! また日を改めて来るって言ってたから、そのときにくわしく聞いて」
「ああ、わかった」
信が頷くのを見て、弥吉は微笑んだ。
「じゃあ、行ってくるね」
「ああ」
弥吉は再び戸を開けると、足早に長屋を出ていった。
弥吉を見送った信は、片手で顔を覆うと小さく息を吐く。
信は夢で見たことを思い返していた。
「どうして今さら、あんな夢……」
静かな長屋に信の声だけが響く。
信の呟きに答えられる者は誰もいなかった。
少女は胸の十字架を握りしめ、しきりに何か呟いている。
二人は同じような薄茶色の髪をしていた。
少年は少女を見つめる。
「もう大丈夫……。俺がしっかり働けば、二人でちゃんと生きていける……!」
少女は少しだけ顔を上げると、ゆっくりと目を開いた。
少女の瞳は何も映してはいなかったが少年の言葉を聞き、呟くのを止めて少年の方を向いた。
「……私のことは、置いていっていいのよ……? いくら母さんに言われたからって、信が……すべて背負う必要はないわ……」
少女はそう言うと静かに目を伏せた。
「何言ってるんだよ。姉さんを置いていくわけないだろ? あの人についていけばきっと大丈夫だから……!」
少年は少しだけ声を大きくした。
「そう……かしら……?」
少女はどこか不安げな表情を浮かべる。
「あの人……あまり……」
少女がそう言いかけたとき、後ろから誰かが少年の肩を叩いた。
少年が慌てて振り返ろうとした瞬間、耳元で男の声が響く。
「そのまま、振り返らずに聞け」
男は声を潜めていたが、よく通るその低い声は少年の耳にしっかりと届いた。
「この先、おまえは……俺たちについてきたことをきっと後悔することになる……。でも、もしいつか……おまえが運よく逃げ出せたときには……腕に鬼の刺青がある人間には絶対に近づくな……」
「鬼の……刺青……?」
少年は戸惑いながらも、言われた通り前を向いたまま目だけを動かして男の方を見た。
「後悔する……? それに逃げ出すって一体どういう……」
「今はわからなくていい……。あいつらはみんなつながっている……。あいつらは、この世の…………」
男の声が遠のき、チラリと見えた男の顔が歪む。
驚いて目を凝らすと、見ていたはずのものは消え、やがて見慣れた天井が見えてきた。
信はそこで、目を覚ました。
「夢……か……」
信は布団からゆっくりと体を起こす。
「いや……夢……ではないか」
それは夢ではなく、記憶だった。
「あ、信さん起きたんだ!」
長屋の戸が開き、眩しい光を背にした弥吉が姿を現した。
信は思わず目を細める。
「珍しくよく寝てたね!」
信は開いた戸から長屋の外を見た。
差し込んだ光から、すでに朝と呼ぶには遅い時間だということがわかった。
「まぁ、信さんの場合、いつ寝てるのかいつもわからないからあれだけど……」
弥吉は戸を閉めると、信の方に向かって歩いてきた。
「俺、もう出るね。文使いの仕事に復帰して早々に遅刻はできないからさ」
弥吉は少しだけ照れくさそうに笑った。
「あ、握り飯用意しておいたからちゃんと食べてよ! 放っておくと本当に何も食べないんだから、信さんは……」
弥吉はそう言うと、身支度を整え始めた。
「わかった……。後で食べる……」
信の言葉に、弥吉がジトっとした視線を向ける。
「ホントに食べてよ……? 帰ってきたときそのまま残ってたら許さないからね」
「ああ、わかった」
弥吉はまだ疑いの眼差しを向けていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「あ、そうそう!」
弥吉が何かを思い出したように信を見る。
「さっき、竜さんの娘だっていう人とうちの前で会ったんだけどさ……」
「竜さん?」
信は眉をひそめる。
「竜さんだよ、竜さん! 信さんに漆を塗る仕事をきゅうり三本とかで依頼してくる竜さん! 何回も会ってるのに名前も覚えてないの!?」
弥吉は目を丸くする。
「ああ、きゅうりの……」
「きゅうりの人って覚えてるの!? 失礼すぎるでしょ! 竜さんだからちゃんと覚えてよ! ……ってそうじゃなくて、その娘さんが信さんを訪ねてきてたんだ。ほら、このあいだのことで皿に絵付けができるってこの一帯の長屋で広まったからさ。何か信さんに手伝ってほしいことがあるんだって」
「手伝う?」
「うん、娘さんはお屋敷に奉公に出てるみたいだから、お屋敷で何かあったんじゃないかな? 竜さんと違って金もちゃんとくれるみたいだよ! また日を改めて来るって言ってたから、そのときにくわしく聞いて」
「ああ、わかった」
信が頷くのを見て、弥吉は微笑んだ。
「じゃあ、行ってくるね」
「ああ」
弥吉は再び戸を開けると、足早に長屋を出ていった。
弥吉を見送った信は、片手で顔を覆うと小さく息を吐く。
信は夢で見たことを思い返していた。
「どうして今さら、あんな夢……」
静かな長屋に信の声だけが響く。
信の呟きに答えられる者は誰もいなかった。