弥吉が屋敷の門を出ると、そこには信と叡正が立っていた。

「あ、弥吉……」
 弥吉が出てきたことに気づいた叡正が、弥吉のもとに駆け寄る。
「信が行くと言ってきかないんだが……大丈夫か……?」

 弥吉はまじまじと叡正を見つめた。
(心配してくれてるのか……。叡正様も俺のためにここまで来てくれたんだよな……)

「弥吉?」
 何も言わない弥吉に、叡正はもう一度声を掛けた。
「あ、いえ……! 大丈夫です! 俺も……このままでいいとは思っていなかったので……」
 弥吉は叡正を見て微笑んだ後、静かに目を伏せた。

「弥吉」
 少し離れたところで信が口を開く。
「早く行くぞ」
 信は弥吉に案内するように目で促した。

「あ、うん。わかった……。こっちだよ」
 弥吉は信に駆け寄ると、行く方向を指差した。

 弥吉を先頭に横に叡正、後ろに信という順で、三人は弥吉の父の住む長屋に向かうことになった。

「ところで、ずっと気になっていたんだが、その風呂敷包みは何だ?」
 少し歩いたところで、叡正は弥吉が抱えている風呂敷に目を留めた。

「ああ、これは割れた皿です。俺の父親に直してほしいって依頼があって……」
 弥吉は風呂敷を見つめて言った。
 叡正は目を丸くする。
「弥吉の父親は割れた皿も直せるのか……。それはすごいな……」

「あ、病気が進んで、もう今は皿を直すなんてできないんですけどね……」
 弥吉は苦笑した。
「隆宗が……俺の父親のこと気遣ってくれて……。直せないのがわかってて、父親に金を渡す口実として依頼したんだと思います……」
 弥吉はそう言うと懐から巾着を取り出し、少しだけ叡正に見せた。

 叡正は目を見張った後、そっと目を伏せた。
「そうか……。隆宗様はとてもいい方なんだな……」
「はい、いいヤツです。いいヤツ……なんですけど……最近は何を考えているのかよくわかりません」
 弥吉は風呂敷に視線を落とした。
「どうして……俺に何も言ってくれないのか……」
 風呂敷包みを持つ手に自然と力が入っていた。

 叡正は弥吉を静かに見つめると、そっと口を開く。
「何か事情があるんだよ、きっと……」
 叡正はそう言うと、弥吉の頭を優しく撫でた。
「何があったにしても、信じてくれる人がひとりでもいれば、救われることもあるだろうからさ……」
 弥吉が驚いて叡正を見ると、叡正はどこか寂しげな顔でただ前を見つめていた。
 その言葉は、叡正自身に言い聞かせているようにも聞こえた。

(叡正様も昔、何かあったのかな……)

 弥吉は少しだけ微笑むと目を伏せた。
「お坊様の有難いお言葉ですね。ありがとうございます」
 弥吉の言葉に、叡正は苦笑した。
「それは何かの嫌味か? まぁ、いいけど……」

「嫌味じゃありませんよ。叡正様はいつからそんなひねくれた捉え方をするようになったんですか?」
「いやいやいや、あんなに咲耶太夫に嫌味を言われてきたら、ひねくれもするだろう……」
 叡正は続けて何か反論しようとしたが、思い直したように慌てて首を振って静かに息を吐いた。
「まぁ、そんなことより……この皿は弥吉の父親が作ったもの何だよな。少し見てもいいか?」
 叡正は興味深そうに風呂敷包みを見た。

「大丈夫ですよ。叡正様が焼き物に興味があるなんて意外です」
 弥吉はにっこり笑うと、叡正に風呂敷包みを差し出した。
「だから、それが……。まぁ、いいや……」
 叡正は弥吉から風呂敷包みを受け取ると、片手で底を支えながら慎重に風呂敷を開いた。

「綺麗な皿だな……」
 叡正は割れた皿を見ながら呟いた。
「これは古伊万里(こいまり)か? 江戸で作れる職人なんているんだなぁ」
 叡正は感心したように言った。
 弥吉は目を丸くする。
「叡正様、本当にくわしいんですね!」
「くわしいってほどじゃないが、俺の父親も焼き物は好きだったからな……」
 叡正はどこか寂しげに目を伏せる。
「描いてあるのは南天か……。難を転じるっていう縁起物だな……。あれ……?」
 叡正は割れた皿を見つめ、首を傾げた。
「どうしたんですか?」
 弥吉も叡正の視線の先を見た。

「これって……」
 叡正は慎重に皿の欠片に触れる。
「柄……じゃないよな……?」
 弥吉も叡正が手に取った欠片を見た。
 その欠片は全体が赤黒く、赤や青が鮮やかな皿の中で、ほかの欠片とは少し色が違っていた。
「これは……血か?」
 叡正が小さく呟く。

(血……?)
 弥吉の脳裏に、隆宗の部屋で見た血まみれの着物が浮かぶ。
 弥吉の顔からサッと血の気が引いた。

「欠片を拾うときに、誰か指を切ったのかもしれないな」
 叡正はそう言うと、それほど気にする様子もなく欠片を風呂敷に戻した。

 叡正は丁寧に風呂敷を包み直すと、礼を言って弥吉に差し出した。

 弥吉は今まで抱えていた大切な焼き物が、得体の知れない何かに変わった気がして、風呂敷包みをなかなか受け取ることができなかった。
 そんな弥吉の様子を、信はただ静かに見つめていた。