闇の中で、人が近づいてくる気配がした。
(ああ、ついに私は死ぬのか……)
 縛られた手も足もまったく動かすことはできなかった。

「わからないとでも思ったのか?」
 暗闇の中に、ぼんやりと男の姿が浮かび上がる。
 その声は低く落ち着いていたが、抑えきれない怒りがかすかに感じられた。
「おまえのせいですべてが台無しだ」

 男が目の前でしゃがんだ。
「どうしてあんなことをした? それに、おまえひとりでできることではないだろう? 協力者は誰だ?」

(おまえに言うわけがないだろう。私を守ろうとしてくれたあの人を売るようなこと……)

 男は、相手が何も答えるつもりがないことを悟ったのか、ゆっくりと立ち上がった。

「残念だよ。最期に何か言い残すことは?」

 闇の中で金属のこすれる音が響く。
 月明かりに照らされて、男が振り上げた刀の先が妖しく光った。

(ここまでか……)
 ゆっくりと目を閉じ、男に聞こえるようにはっきりと口を動かす。
「地獄に、落ちろ」

 男はフッと笑った。
「地獄に落ちるのは、おまえだろ?」

 刀は光を纏いながら、勢いよく振り下ろされた。

(どうか、あなたは幸せに……)
 閉じたまぶたの裏に浮かんだのは、懐かしい幸せな思い出だけだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「あれ、いつ戻ってきたんだ?」
 翌朝、目を覚ました叡正は、座敷の隅で座ったまま休んでいる信を見て目を丸くした。
「おまえ、まさか寝てないのか……?」

 信はゆっくりと叡正に視線を向ける。
「いや、寝ていた」
「寝ていたって……まさかずっとその姿勢で……?」
 叡正は恐る恐る聞いた。
 信が静かに頷く。

「……おまえは戦国時代の武将か何かなのか……? 襲われることなんてないんだから、普通に寝てくれ……」
 叡正はため息をつくと立ち上がり、使っていた布団を畳んだ。
「それで弥吉はいたのか?」

「ああ」
 信は短く答えた。
 叡正は目を丸くして信を見る。
「戻らないっていうのは嘘だったのか……。それで、話しはできたのか?」

「ああ、朝になったらこの部屋に来ると言っていた」
「そうか……。じゃあ、俺たちはここで待っ……」


「だから!! 話しを聞けって言ってるだろ!?」
 叡正の言葉を遮るように、座敷の外で弥吉の声が響いた。

 叡正と信は静かに顔を見合わせる。

「ちゃんと説明しろよ!! 一体何があったんだよ!?」
 弥吉の声は二人のいる座敷のすぐそばで聞こえた。

「失礼いたします」
 弥吉とは対照的に、落ち着いた隆宗の声が響く。
 ゆっくりと襖が開き、隆宗と弥吉の姿が二人の視界に入った。
「弥吉を連れてまいりました」
 隆宗は落ち着いた声で言った。

 叡正は目を見開く。
 隆宗は声こそ落ち着いていたが、顔は土気色をしており、昨日会ったときとは別人のように生気がなかった。

「あの……、どうかされたのですか……?」
 叡正がおずおずと聞いた。
「いえ、どうも……しておりません」
 隆宗は引きつった顔でそう言うと、静かに目を伏せた。

「だから!! そう見えないから聞いてるんだろ!?」
 弥吉は隆宗の肩を掴んだ。
「一体何があったんだよ!? ちゃんと説明しろよ! なんで何も言わないんだよ!?」

 叡正は隆宗の首筋に目を留めた。
 隆宗の首に何か黒いものが点々と付いていた。
 それは乾いた血のようだった。
(怪我は……してなさそうだよな……。じゃあ、あの血は……?)

 隆宗は弥吉から視線を逸らしたまま口を開いた。
「おまえには……関係ないことだ」
「関係ないって……そんな……」
 弥吉は少したじろぐ。

 隆宗は叡正に視線を移した。
「弥吉を連れ戻しに来たのですよね。よろしければ、もうこのまま連れていってください」

「おい……、何言ってんだよ……」
 弥吉は不安げな表情で隆宗を見つめる。

 隆宗は肩に置かれた弥吉の手を振り払うと、弥吉を見つめ返した。
「正直迷惑なんだよ。おまえはもうこの屋敷の人間じゃない。住み込みで仕事があるなら、さっさと出ていってくれ」
 隆宗はそれだけ言うと弥吉に背を向けた。

 弥吉は、ただ青い顔で隆宗の背中を見つめていた。

「それでは、私はこれで失礼します」
 隆宗はそれだけ言うと、座敷を後にした。


「一体、何があったんだよ……」
 弥吉の苦しげな声に、二人は何も答えることができなかった。