奥様の埋葬を終えて十日ほど経ち、屋敷は日常を取り戻しつつあった。
隆宗は以前にも増して、弥吉や男の元にいることが多くなっていった。
「隆宗様はこちらにいらっしゃいますか?」
乳母が男の仕事場である小屋に顔を出した。
器の絵付けをしていた男は手を止めて立ち上がる。
「ああ、隆宗様は弥吉と一緒です。たぶん窯の方にいると思いますよ。呼んできましょうか」
男はそう言うと振り返り、乳母に向かって微笑んだ。
「ありがとうございます。では、お願いします。もうすぐ隆宗様の算盤の先生がいらっしゃるので。私は先に行って先生をお迎えする準備をいたしますね」
「ああ、算盤……。隆宗様もお忙しいですね」
「まぁ、この家の次期当主ですから」
乳母はそう言うと微笑み、一礼して小屋を後にした。
(奥様を亡くされて、それほど日も経っていないのに……)
男は小さくため息をつくと小屋の外に出た。
窯に向かって歩いていくと、弥吉と隆宗の楽しそうな話し声が聞こえてきた。
後ろ姿が見えてくると、二人がしゃがみ込んで笑い合いながら何かしているのがわかった。
(弥吉と話しているときだけは、隆宗様も年相応に見えるんだよな……)
男は小さく微笑んだ。
「弥吉、そろそろ遊ぶ時間は終わりだ」
二人の楽しそうなひとときに割って入るのを心苦しく感じながら、男は弥吉に声を掛けた。
男の声に、二人は同時に振り返る。
「え~、なんでだよ~」
予想通り、弥吉が不満げな声を上げた。
「隆宗様の先生がいらっしゃる時間なんだ。引き留めてご迷惑をお掛けしちゃダメだろ?」
隆宗がハッとしたような顔をする。
「もうそんな時間ですか。すみません……」
隆宗は申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ弥吉が引き留めてしまって……」
「俺は引き留めてねぇよ!」
弥吉が頬を膨らませる。
「おまえはまったく……」
男は呆れた顔で弥吉を見る。
「ふん!」
弥吉はわざとらしく鼻を鳴らすと、拗ねたように窯の方へと去っていった。
「あいつは、本当にもう……」
男は苦笑する。
「本当にすみません。隆宗様……」
「いえいえ、むしろ引き留めていたのは私ですから……」
隆宗は微笑んで男を見た。
(本当に隆宗様は大人びているな……)
男はただただ感心していた。
「あ、屋敷の方までお伴いたしますね。これから算盤を習うのでしょう。隆宗様は大変ですね……」
男と隆宗は、屋敷に向かって並んで歩き始めた。
「いえ、私自身もっと学ばなければと思ったのです」
「そうなのですか? それはまた素晴らしい……」
男は目を丸くした。
「ええ、弥一さんや弥吉のことも気になりましたし……」
「え?」
男は思わず足を止める。
「私と弥吉のこと……ですか?」
「ええ、弥一さんに支払われているお金……来ていただいた当初からほとんど上がっていないのでしょう? 正直に申し上げて、信じられないほど安いお金で働いていただいていると思っておりまして……」
隆宗は何か考え込むように目を伏せた。
「こちらにいらっしゃった当初は、確かに土や水、気候の関係で器がうまくできなかったと聞いておりますが、今では本当に素晴らしいものを作っていらっしゃいます。実際にうちのお庭焼きの評価は非常に高いのです。もともとこの焼き物は江戸では高級品として出回っているものですし、本来こんな安いお金で作り続けていただけるものではないと思います」
隆宗の言葉に、男は驚きで言葉を失った。
(こんな幼い子がそんなことを考えてくれていたなんて……)
「あ……えっと……隆宗様、そこまで考えてくださっていたとは、本当に驚きで……」
男は戸惑いながら、なんとか口を開いた。
「ただ、私たちは家があって、飢えることなく食べていければそれで十分なのです。私や今は亡き妻がこちらに移り住んだのは、お金のためではなく、この焼き物の良さを江戸の人々にも広めていきたいと考えたからです。だから……私たちは今のままでも大丈夫ですよ、隆宗様」
男はにっこりと微笑むと、隆宗の前に膝をついた。
「そこまで私たちのことを考えてくださり、本当にありがとうございます」
男の言葉に、隆宗は一瞬だけ何か言いたげな顔をしたが、やがて静かに目を閉じた。
「あ、いけない! 先生が来てしまいますね! 隆宗様、急ぎましょう!」
男は慌てて立ち上がると、隆宗を促し屋敷の中へ入っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
隆宗を屋敷に送り届けると、男は仕事場である小屋に戻った。
(それにしても驚いたな……。あの年であれだけ聡明なんて……)
男は思わずひとりで微笑んだ。
「本当に……将来が楽しみだな」
男は机の前に腰を下ろすと、絵付けのために筆を手に取った。
次の瞬間、筆はぽとりと床に落ちる。
「え……?」
(おかしいな……。しっかり掴んだはずなのに……)
男は床に落ちた筆を拾うと、いつもよりも力を込めて筆を持った。
男の手は小刻みに震えていた。
(あれ、どうして……。痺れた……のか……?)
男は手の震えが止まるのをじっと待ったが、その後、震えが止まることはなかった。
隆宗は以前にも増して、弥吉や男の元にいることが多くなっていった。
「隆宗様はこちらにいらっしゃいますか?」
乳母が男の仕事場である小屋に顔を出した。
器の絵付けをしていた男は手を止めて立ち上がる。
「ああ、隆宗様は弥吉と一緒です。たぶん窯の方にいると思いますよ。呼んできましょうか」
男はそう言うと振り返り、乳母に向かって微笑んだ。
「ありがとうございます。では、お願いします。もうすぐ隆宗様の算盤の先生がいらっしゃるので。私は先に行って先生をお迎えする準備をいたしますね」
「ああ、算盤……。隆宗様もお忙しいですね」
「まぁ、この家の次期当主ですから」
乳母はそう言うと微笑み、一礼して小屋を後にした。
(奥様を亡くされて、それほど日も経っていないのに……)
男は小さくため息をつくと小屋の外に出た。
窯に向かって歩いていくと、弥吉と隆宗の楽しそうな話し声が聞こえてきた。
後ろ姿が見えてくると、二人がしゃがみ込んで笑い合いながら何かしているのがわかった。
(弥吉と話しているときだけは、隆宗様も年相応に見えるんだよな……)
男は小さく微笑んだ。
「弥吉、そろそろ遊ぶ時間は終わりだ」
二人の楽しそうなひとときに割って入るのを心苦しく感じながら、男は弥吉に声を掛けた。
男の声に、二人は同時に振り返る。
「え~、なんでだよ~」
予想通り、弥吉が不満げな声を上げた。
「隆宗様の先生がいらっしゃる時間なんだ。引き留めてご迷惑をお掛けしちゃダメだろ?」
隆宗がハッとしたような顔をする。
「もうそんな時間ですか。すみません……」
隆宗は申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ弥吉が引き留めてしまって……」
「俺は引き留めてねぇよ!」
弥吉が頬を膨らませる。
「おまえはまったく……」
男は呆れた顔で弥吉を見る。
「ふん!」
弥吉はわざとらしく鼻を鳴らすと、拗ねたように窯の方へと去っていった。
「あいつは、本当にもう……」
男は苦笑する。
「本当にすみません。隆宗様……」
「いえいえ、むしろ引き留めていたのは私ですから……」
隆宗は微笑んで男を見た。
(本当に隆宗様は大人びているな……)
男はただただ感心していた。
「あ、屋敷の方までお伴いたしますね。これから算盤を習うのでしょう。隆宗様は大変ですね……」
男と隆宗は、屋敷に向かって並んで歩き始めた。
「いえ、私自身もっと学ばなければと思ったのです」
「そうなのですか? それはまた素晴らしい……」
男は目を丸くした。
「ええ、弥一さんや弥吉のことも気になりましたし……」
「え?」
男は思わず足を止める。
「私と弥吉のこと……ですか?」
「ええ、弥一さんに支払われているお金……来ていただいた当初からほとんど上がっていないのでしょう? 正直に申し上げて、信じられないほど安いお金で働いていただいていると思っておりまして……」
隆宗は何か考え込むように目を伏せた。
「こちらにいらっしゃった当初は、確かに土や水、気候の関係で器がうまくできなかったと聞いておりますが、今では本当に素晴らしいものを作っていらっしゃいます。実際にうちのお庭焼きの評価は非常に高いのです。もともとこの焼き物は江戸では高級品として出回っているものですし、本来こんな安いお金で作り続けていただけるものではないと思います」
隆宗の言葉に、男は驚きで言葉を失った。
(こんな幼い子がそんなことを考えてくれていたなんて……)
「あ……えっと……隆宗様、そこまで考えてくださっていたとは、本当に驚きで……」
男は戸惑いながら、なんとか口を開いた。
「ただ、私たちは家があって、飢えることなく食べていければそれで十分なのです。私や今は亡き妻がこちらに移り住んだのは、お金のためではなく、この焼き物の良さを江戸の人々にも広めていきたいと考えたからです。だから……私たちは今のままでも大丈夫ですよ、隆宗様」
男はにっこりと微笑むと、隆宗の前に膝をついた。
「そこまで私たちのことを考えてくださり、本当にありがとうございます」
男の言葉に、隆宗は一瞬だけ何か言いたげな顔をしたが、やがて静かに目を閉じた。
「あ、いけない! 先生が来てしまいますね! 隆宗様、急ぎましょう!」
男は慌てて立ち上がると、隆宗を促し屋敷の中へ入っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
隆宗を屋敷に送り届けると、男は仕事場である小屋に戻った。
(それにしても驚いたな……。あの年であれだけ聡明なんて……)
男は思わずひとりで微笑んだ。
「本当に……将来が楽しみだな」
男は机の前に腰を下ろすと、絵付けのために筆を手に取った。
次の瞬間、筆はぽとりと床に落ちる。
「え……?」
(おかしいな……。しっかり掴んだはずなのに……)
男は床に落ちた筆を拾うと、いつもよりも力を込めて筆を持った。
男の手は小刻みに震えていた。
(あれ、どうして……。痺れた……のか……?)
男は手の震えが止まるのをじっと待ったが、その後、震えが止まることはなかった。