(信さんは……最初から気づいてたってことだよな……)
弥吉はどんよりとした空の下、目的の場所へと足を進めていた。
まだ日は高かったが空を覆う雲は厚く、道はどこか薄暗かった。
(そっか……。信さんが俺に言ったことって……)
弥吉は思わず足を止めて苦笑した。
「『生きたいか?』って……俺がやろうとしてること……わかった上で言ってたのか……」
弥吉は片手で顔を覆った。
信と出会った日。
正確に言えば、弥吉はもっと以前から信のことを監視していたが、信に接触を図った日を初めて会った日とするなら、信はそこから気づいていたことになる。
あの日、弥吉は信がよく通る道で待ち伏せて、あえてボコボコにされている姿を見せた。
そこで信に縋りつき、助けを求める予定だった。
しかし、弥吉が縋るより先に信が聞いてきた。『生きたいか?』と。
「ホント、化け物か……あの人は……」
弥吉はひとり呟いた。
(あの時は、ボコボコにされてるからそう聞いてきたのかと思ったけど……)
弥吉はゆっくりと息を吐いた。
「……監視役だってわかってて自分の家に置くなんて……ホントどうかしてるよ……」
ポツポツと雨が降り始め、弥吉の足元を濡らす。
着ていた服が濡れ始めたのを感じて、弥吉は我に返った。
(ヤバ……、急いで行かないと……)
懐に入れたものを濡らすわけにはいかなかった。
弥吉は雨に濡れないように、懐に手を当てると目的の場所へと急いだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
雨足はしだいに強くなった。
弥吉が長屋の軒先に着いたときには、弥吉の着物はぐっしょりと濡れていた。
弥吉は懐に手を入れると、薬包紙を取り出す。
「薬は……なんとか無事か……」
弥吉はホッと胸を撫でおろす。
薬包紙は湿っていたが、濡れてはいなかった。
水を含んで重くなった着物の裾を軒先で絞っていると、ふと小さな木が目に入った。
その木は弥吉が物心つく前からこの長屋の前にあったが、ずっと枯れていて何の木なのか弥吉にはわからなかった。
(枯れてるし……もう抜いてもいいのかな……。まぁ、そんなことどうでもいいか……)
弥吉は呼吸を整えると、静かに長屋の戸を開けた。
長屋の中は灯りがついておらず、外よりずっと薄暗かった。
「……父さん」
弥吉がそう呟いた瞬間、足元で勢いよく何かが割れる音がした。
「何しに来た……?」
薄暗い中で、ゆっくりと人が動いたのがわかった。
弥吉は慎重に足を進めるとしゃがみ込み、手探りで割れたものを探す。
指先に割れたものの破片が触れた。
「薬を……持ってきたんだ」
弥吉は慎重に破片を拾い集める。
「薬?」
長屋の奥で男が鼻で笑った。
「何度も言ってるだろ? そんなもの必要ないって! 俺はもうすぐ死ぬんだよ! こんな状態で生きながらえて何になる!? もっと生き恥をさらせって?」
「……薬を飲み続ければ……もしかしたら、良くなるかもしれ……」
「なるわけないだろ!! 良くなったところで……もう何も元には戻らないんだよ……」
破片を拾いながら、弥吉はそっと目を伏せた。
「なぁ、弥吉。もう……死なせてくれよ」
男の言葉に、弥吉の手が震える。
手がすべり、破片を持つ指先に鋭い痛みが走った。
「俺を開放してくれ……」
男の声が長屋に響く。
弥吉は震える唇を静かに噛んだ。
目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。
「薬……水瓶の横に置いていくから……。飲んで……。割れたやつは危ないから、俺が外に捨てておくよ……」
弥吉は残りの破片を拾い集めると立ち上がり、薬を水瓶の横に置いた。
「じゃあ、俺は行くから……。ゆっくり休んで……」
弥吉はそれだけ言うと、破片を持って長屋の外に出た。
雨は激しさを増していた。
弥吉は割れた破片に視線を落とす。
それは幼い頃、弥吉がよく使っていた皿だった。
「俺は…………」
弥吉は軒先にしゃがみ込む。
弥吉の手の中で、血のついた皿の欠片がカシャリと小さな音を立てた。
弥吉はどんよりとした空の下、目的の場所へと足を進めていた。
まだ日は高かったが空を覆う雲は厚く、道はどこか薄暗かった。
(そっか……。信さんが俺に言ったことって……)
弥吉は思わず足を止めて苦笑した。
「『生きたいか?』って……俺がやろうとしてること……わかった上で言ってたのか……」
弥吉は片手で顔を覆った。
信と出会った日。
正確に言えば、弥吉はもっと以前から信のことを監視していたが、信に接触を図った日を初めて会った日とするなら、信はそこから気づいていたことになる。
あの日、弥吉は信がよく通る道で待ち伏せて、あえてボコボコにされている姿を見せた。
そこで信に縋りつき、助けを求める予定だった。
しかし、弥吉が縋るより先に信が聞いてきた。『生きたいか?』と。
「ホント、化け物か……あの人は……」
弥吉はひとり呟いた。
(あの時は、ボコボコにされてるからそう聞いてきたのかと思ったけど……)
弥吉はゆっくりと息を吐いた。
「……監視役だってわかってて自分の家に置くなんて……ホントどうかしてるよ……」
ポツポツと雨が降り始め、弥吉の足元を濡らす。
着ていた服が濡れ始めたのを感じて、弥吉は我に返った。
(ヤバ……、急いで行かないと……)
懐に入れたものを濡らすわけにはいかなかった。
弥吉は雨に濡れないように、懐に手を当てると目的の場所へと急いだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
雨足はしだいに強くなった。
弥吉が長屋の軒先に着いたときには、弥吉の着物はぐっしょりと濡れていた。
弥吉は懐に手を入れると、薬包紙を取り出す。
「薬は……なんとか無事か……」
弥吉はホッと胸を撫でおろす。
薬包紙は湿っていたが、濡れてはいなかった。
水を含んで重くなった着物の裾を軒先で絞っていると、ふと小さな木が目に入った。
その木は弥吉が物心つく前からこの長屋の前にあったが、ずっと枯れていて何の木なのか弥吉にはわからなかった。
(枯れてるし……もう抜いてもいいのかな……。まぁ、そんなことどうでもいいか……)
弥吉は呼吸を整えると、静かに長屋の戸を開けた。
長屋の中は灯りがついておらず、外よりずっと薄暗かった。
「……父さん」
弥吉がそう呟いた瞬間、足元で勢いよく何かが割れる音がした。
「何しに来た……?」
薄暗い中で、ゆっくりと人が動いたのがわかった。
弥吉は慎重に足を進めるとしゃがみ込み、手探りで割れたものを探す。
指先に割れたものの破片が触れた。
「薬を……持ってきたんだ」
弥吉は慎重に破片を拾い集める。
「薬?」
長屋の奥で男が鼻で笑った。
「何度も言ってるだろ? そんなもの必要ないって! 俺はもうすぐ死ぬんだよ! こんな状態で生きながらえて何になる!? もっと生き恥をさらせって?」
「……薬を飲み続ければ……もしかしたら、良くなるかもしれ……」
「なるわけないだろ!! 良くなったところで……もう何も元には戻らないんだよ……」
破片を拾いながら、弥吉はそっと目を伏せた。
「なぁ、弥吉。もう……死なせてくれよ」
男の言葉に、弥吉の手が震える。
手がすべり、破片を持つ指先に鋭い痛みが走った。
「俺を開放してくれ……」
男の声が長屋に響く。
弥吉は震える唇を静かに噛んだ。
目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。
「薬……水瓶の横に置いていくから……。飲んで……。割れたやつは危ないから、俺が外に捨てておくよ……」
弥吉は残りの破片を拾い集めると立ち上がり、薬を水瓶の横に置いた。
「じゃあ、俺は行くから……。ゆっくり休んで……」
弥吉はそれだけ言うと、破片を持って長屋の外に出た。
雨は激しさを増していた。
弥吉は割れた破片に視線を落とす。
それは幼い頃、弥吉がよく使っていた皿だった。
「俺は…………」
弥吉は軒先にしゃがみ込む。
弥吉の手の中で、血のついた皿の欠片がカシャリと小さな音を立てた。