行燈部屋の戸が開け放たれていた。
 遊女たちが行燈部屋の前ですすり泣く中、桜はその横でただ立ち尽くしていた。

「桜、大丈夫か?」
 宗助は桜の横にしゃがみ込むと、そっと桜の肩を抱いた。
 桜は宗助を見ることもなく、ただ誰もいなくなった行燈部屋を見つめ続けていた。

 やがて遊女たちが昼見世の準備のためその場から離れると、桜はそっと口を開いた。
「……どうして?」
「え?」
 宗助は桜の顔をのぞき込む。
 桜はただ行燈部屋を見つめ続けていた。

「どうしてお医者様は治してくれなかったの?」
 桜の言葉に宗助はわずかに目を見張ると、静かに目を伏せた。
「お医者様でも治せる病気と、治せない病気があるんだよ……」

 桜は宗助の言葉を聞いてもまったく表情を変えなかった。
 子どもらしくない桜の表情に、宗助は言いようのない不安に襲われた。
「さく……」
「どうして霞姐さんは病気になったの?」
 宗助の言葉を遮るように、桜が聞いた。
 桜の視線はずっと行燈部屋に向けられたままだった。
「……客から移ったんだと思う……」

「客……」
 桜は少しだけ目を伏せた。
「どうしてお客様は病気なのにここに来たの?」
「それは……」
 宗助は言い淀む。
「自分が病気だと気づいていない客も多いし……、病気だという証拠もないのに来るなとも言えないから……」
「どうして来るなと言えないの?」
 桜の声は淡々としていて、桜に宗助を責める意図がないのはわかっていたが、桜の言葉は宗助の胸をえぐった。

「それは…………力がないからだ」
 宗助は目を伏せた。
「見世にも……俺にも、遊女たちにも……」

「力って何?」
 桜の言葉に、宗助が視線を上げると、桜は真っすぐに宗助を見ていた。

「力は……」
 宗助は続く言葉を見つけることができなかった。
 以前の宗助は、守る力とは剣術や武術といった物理的な力だと思っていた。
 しかし、物理的な力ではどうにもならないことがあると知り、宗助にはその答えがわからなくなっていた。
 宗助はきつく目を閉じる。
「すまない……。わからない……」

 沈黙が二人を包んだ。
「そうか……。力があればいいのか……」
 桜がポツリと呟いた。
「え?」
 宗助は目を開けて桜を見る。

 桜は真っすぐに宗助を見つめ続けていた。
「楼主様、霞姐さんの体……桜の木の下に埋められる?」
「え?」
 宗助は目を丸くする。
「あ、ああ……。移る病だから燃やして供養してもらうが、骨なら……。でも、どうして……」

 桜は宗助に向かって少しだけ微笑むと、再び行燈部屋に目を向けた。
「霞姐さん、桜が好きだったから。それに、桜のそばなら人がたくさん集まるから、姐さんも寂しくないでしょう? 私もほかの姐さんたちも春には会いにいけるし……」

 宗助は目を見開いた。
「そうか……。そうだな……」

 桜は行燈部屋を見つめ続けた。
「霞姐さんには明るい陽の差す場所で眠ってほしいの……。必ず会いに行くから……。私の成長する姿、ちゃんと見ていてね……」

 日は高くなり、見世には光が差し込んだ。
 開け放たれていても行燈部屋の奥はやはり薄暗かったが、戸からは確かな光が差し込んでいた。