昼見世が終わると、鈴は将高の手紙にあった檜屋に足を運んだ。
 案内された座敷に入ると、そこにはすでに将高の姿があった。
「鈴!」
 将高は立ち上がると鈴に駆け寄った。
 鈴は将高を見上げる。
(背……高くなったな…)
 二年の間に将高は背が伸び、がっしりとした体つきに変わっていた。
「鈴、大丈夫か? ずっと、ずっと探していたんだ……。母上がこんなことをするなんて……。本当に、本当にすまない!」
 将高は深く頭を下げた。
「将高様……、頭を上げてください。謝ることなんてありません。私は……元気でやっていますから」
 鈴は目を伏せて言った。
「とりあえず座りましょう」
 鈴は将高に座るように促した。

 将高は顔を上げて、促されるままに座布団に腰を下ろした。
 鈴も将高と向かい合うように座る。
 将高の表情は暗かった。
「顔色が悪いが、大丈夫なのか? 体は…ツラくないか?」
「はい、大丈夫です。将高様こそ……顔色が良くないですよ」
「私は問題ない……。昨夜眠れなかっただけだ」
 鈴は将高を見た。
 顔には疲労の色が強く出ており、鈴には昨夜だけの問題には思えなかった。

 将高はしばらくうつむいていたが、顔を上げてゆっくりと口を開いた。
「今はまだ力がなく何もできないが、必ず鈴を自由にするから……。もう少しだけ待っていてくれ。今、いろんな仕事をして金を稼いでいるから、元服したら身請けでもなんでもして必ず鈴をあそこから出す! だから……」
「身請け……?」
 鈴は将高の言葉を待たずに呟いた。
 鈴の言葉に将高はハッとしたように顔を赤らめる。
「あ、いや! 鈴が嫌なら私のところに来る必要はないんだ!そういう意味ではなく、鈴をただ自由にしたくて……」
 鈴は静かにうつむいた。
 二人のあいだに沈黙が流れる。

「もうやめて……」
 鈴は畳を見つめたまま呟いた。
「……鈴?」
「もうやめて!」
 鈴はうつむいたまま叫んだ。
 将高は鈴が声を荒げるのを初めて見た。
「私のことはもういいんです! 放っておいてください!! もう……大丈夫ですから」
 鈴は顔を上げて将高を見る。
 涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。
「鈴……、私は……」
 将高が鈴の手に触れようとすると、鈴がサッと身を引く。
 傷ついたような将高の瞳に、鈴は思わず顔をそむけた。
「私は……もう将高様に触れるような人間ではないんです」
 鈴はなんとかそれだけ口にした。
「鈴は……私は……」
 将高はまっすぐに鈴を見て言った。
「……好きなんだ。鈴のことが……」
 将高が絞り出すように言った。

 鈴は言葉が出なかった。
(私には、そんなふうに言ってもらう資格はないのに……)
 鈴は目を閉じ、意を決したように将高に背を向けた。
「将高様……」
 鈴は背を向けたまま将高の名を呼ぶと、長い髪を前に流して着物の帯を解き始める。
「鈴、何を……!?」
 襟元を開き、着物を腰までおろすと鈴の背中が露わになった。
 背中には一面にただれた赤い斑点があった。
 将高が息を飲む。
「……梅毒です」
 鈴は振り向いて将高を見た。
「わかりましたか? これが今の私です」
 美津にはまだ首元しか見られていなかったが、鈴の皮膚のただれはすでに背中一面に広がっていた。
 鈴は目を閉じる。
「私は大丈夫ですから。もう私のことは忘れて自由になってください。将高様はこれからどのようにでも生きていけるのですから」
 鈴はそう言うと、着物を羽織り直そうと襟元をつかんだ。

 その瞬間、鈴は温かいものに包まれる。
 将高に抱きしめられたのだと気づいたとき、鈴は思わず声をあげた。
「将高様!?」
 将高は鈴の背中に頬をつけるように、鈴を抱きしめていた。
「や、やめてください! 私……汚いですから」
 鈴が身をよじると将高は鈴をより強く抱きしめる。
「汚くなどない……。本当にすまない……。こんなに苦しめてしまって」
「あの、私は本当に大丈夫なので…」
「何が大丈夫なんだ?」
 将高は鈴の言葉を遮り、顔を上げて鈴を見つめた。
「一体どこが大丈夫なんだ? 今も二年前も、まったく大丈夫ではないだろう? どのようにでも生きていけるなら、私は鈴と生きていきたい! ……鈴が嫌なら無理にとは言わないが、それでも鈴が自由に選んで生きていけるようにしたいんだ……」
 将高の真剣な眼差しに、鈴の心が揺らぐ。
(やめて……。優しくしないで……)
 鈴は顔をそむけた。
(助けてとすがってしまいたくなる……)
 鈴はきつく目を閉じる。
 
 鈴は今になって気づき始めていた。
 鈴が菊乃屋にいるは、すべて鈴自身が選んだ道の結果だった。
 最初から叔母に泣いてすがる道があった。
 そもそも叔母は鈴が泣き喚いて許しを請う姿が見たかったのだと、鈴は最近になって気づいた。
 それなのに鈴はすべてを受け入れるように何も言わず、ただ叔母に従った。
 気を晴らすどころか、ただ子どもをいたぶっているような状態は、叔母を罪悪感でさらに苦しめていた可能性さえある。
 女衒に鈴を引き渡すとき、最後に見せた叔母のためらった顔は今でも鈴の記憶に新しい。
(あれはきっと売らないでほしいと泣いて懇願することを望んでの行動だったんだ……)
 鈴は自嘲的な笑みを浮かべる。

 女衒に引き渡された後も、泣いてすがれば菊乃屋ではなく大見世に売られ、今よりは良い環境にいたかもしれない。
(幸せになる資格がないなんて言いながら、不幸になる覚悟なんてまったくできていなかった……)
 鈴は涙とともに笑いがこみ上げてくるのを感じた。
(私はどこまで愚かなんだろう……。すべてを受け入れるふりをして、何ひとつ受け入れられていない。大丈夫と言いながら、何ひとつ大丈夫にできていない)

 将高は鈴の様子を見て、抱きしめる腕に力を込めた。
「大丈夫だ。必ず私がなんとかするから……」
 鈴は将高の腕にそっと触れる。
 背中に感じる将高はとても温かかった。
 鈴の視界が涙で歪む。
(どうあがいても、この人を不幸にしてしまうなら、このちっぽけな誇りなど捨てよう……。心のままに最後まで…。最後だけはちゃんと生きよう……)
 鈴は将高の腕の中で声をあげて泣いた。