「ようやく慣れたみたいだな」
 紫苑は食事をする手を止めると、チラリと宗助を見た。
「ああ、慣れた」
 宗助は食事をする手を止めることなく答える。
 紫苑の見合いから数日が過ぎ、宗助はようやく普通に紫苑に接することができるようになった。

(まぁ、至近距離はあまり大丈夫じゃないが……)
 宗助は紫苑に気づかれないように、なるべく近づくことは避けていた。

「ふ~ん、あれはあれで面白かったが」
 紫苑は楽しそうに笑った。
(まったく人の気も知らないで……)
 宗助は紫苑に気づかれないように、そっとため息をついた。

「そういえば……」
 宗助が話題を変える。
「もうすぐ御前様が江戸から戻ってくる時期じゃないか?」
「ああ、父上が……。もうそんな時期か……」
 紫苑は箸を置くと、何かを考えるように目を伏せた。
「お見合いのこともあるし、この際はっきりと言っておくか……」

 宗助の箸を持つ手がピタリと止まる。
「待て……。何を言う気だ……?」
 宗助は恐る恐る紫苑を見た。
「え? おまえを婿にもらうつもりだと……」

「いやいやいや……!!」
 宗助は慌てて首を横に振る。
「だから、前にもやめろと言っただろう……。許されるわけがないんだよ。俺がクビになって終わりだ!」
「そうか?」
 紫苑が首を傾げる。
「……そうなんだよ」
 宗助はそう言うとため息をついた。

 紫苑は宗助を見つめる。
「おまえはどうなんだ? ……父上が良いといえば、おまえはいいのか?」

「俺……?」
 宗助は目を丸くする。
「俺は……」

 二人のあいだに沈黙が流れる。
 宗助は目を伏せた。
 そんな未来があるわけがないと思っているため、宗助は自分がどうしたいかなど考えたこともなかった。
(俺がどうしたいか……?)

 紫苑は小さく息を吐く。
「おまえが望むことは何かないのか?」
「俺が望むこと?」
「ああ。金を稼ぐために奉公人になったのは知っているが、金以外に何か望むことはないのか?」
 紫苑は真っすぐに宗助を見つめていた。

「そうだな……。奉公人になったのも、前に話した剣術を教わった近所のじいさんに勧められたからだし……。俺はただ流されるままに生きているだけだからな……」
「その方は、どうしておまえに奉公人になることを勧めたんだ?」
 紫苑は首を傾げる。

「まぁ、農家の次男だからな。奉公に出るのは普通なんだが、じいさんはもったいないから行けって言ってたかな……」
「もったいない?」
「『才能を活かす道がないのはもったいない』って……。奉公に出ているあいだは、一応身分としては武士になるからな。奉公に出れば道も広がるだろうって」
「ああ、なるほどな……」
 紫苑は小さく頷いた。
「まぁ、武士って柄でもないけどな」
 宗助は軽く笑ったが、紫苑は真剣な顔で宗助を見つめた。
「そんなこともないさ。『守れる力は持っておいた方がいい』と言ったおまえを見て、武家とはこうあるべきものなんだと私が学んだくらいだ」
「守れる力……? ああ、最初に会ったときか! おまえ、よく覚えているな……そんな昔のこと……」
 目を丸くする宗助を見て、紫苑はフッと笑った。

「昔でもないさ。……まぁ、それならいいな」
「ん? 何がいいんだ?」
「おまえが未来の御前様になっても問題ないなということだ」
 紫苑はにっこりと笑った。
「は!?」
 宗助は思わず持っていた箸を落とした。
「問題しかないだろ!? ていうか、本当に無理だから!」
「それは聞いてみないとわからないだろう?」
「いやいや、聞いた時点で俺がクビになるから!」
 宗助は箸を拾いながら言った。

「フフ、大丈夫さ」
 宗助は額に手を当てた。
「どこから来るんだ、その自信は……」
 宗助はため息をついた。
 


 数日後、紫苑の父は奉公人たちとともに、江戸から屋敷に戻ってきた。
 屋敷に残っていた奉公人たちは、すぐに笑顔で出迎えたが、戻ってきた者たちの顔は一様に暗く、江戸でのことを誰も語ろうとはしなかった。
 翌日、紫苑はその理由を知ることになる。