(あれは絶対に鈴だ……)
 張見世の奥に去っていく鈴を見ながら、将高はそう確信していた。
(しかし、なぜ……。鈴はまだ客をとる年ではないはずなのに…)
 二年ぶりに見る鈴は、変わらない華やかな美しさで張見世の中でも人目を引いていた。
 しかし、以前にも増して痩せてしまったためか、顔には暗い影が差していた。

(鈴はいつから見世に出ているんだ……)
 この二年、将高は鈴を探し続けていた。
 まだ元服を迎えていない十三の将高は遊郭に入ることはできない。
 そのため吉原を行き交う人に禿や若手の振袖新造(ふりそでしんぞう)留袖新造(とめそでしんぞう)の噂を訊ねては、見世の前をうろついて鈴ではないかを確認していた。
 菊乃屋の張見世に来たのはまったくの偶然だった。

 将高は、はやる気持ちを抑え一旦屋敷に戻ることにした。
 先ほど名前を呼んだせいで、菊乃屋の男衆から将高は不信な目で見られている。
 鈴の隣にいた遊女もこちらを怪訝な顔で見ていた。

 将高は屋敷に戻ると鈴に宛てた手紙を書いた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「鈴、昨日はどうしたの?」
 朝、客の見送りを終えて戻ってきた鈴を見つけると、美津は駆け寄って声をかけた。
「ああ……、ごめん。見世に入る前の知り合いがいて…、ちょっと動揺しちゃって……」
「ああ、そっか…。その…恋人か何かだったの……?」
「まさか!」
 鈴は目を丸くした。
「こんな私を気にかけてくれた優しい人だったから…、今の姿を見られたくなくて……」
 鈴は悲しげに目を伏せた。
「そっか……」
 美津は鈴の様子を見て、そっと鈴を抱きしめた。

 鈴の肩に頭を乗せた美津は、ふと鈴の首の後ろに目を留める。
「あれ?」
「どうしたの?」
「ああ…、赤い湿疹みたいなのがあるよ、ここ」
 美津は鈴から体を離すと、鈴の首の後ろを指して言った。
「ああ、うん。梅毒みたい。放っておけばそのうち治るだろうって」
 鈴は首を触りながら微笑んだ。
「まぁ、梅毒になってようやく一人前みたいに言われてるけど……。鈴は無理しちゃダメだよ? もともと体弱いんだから……」
 美津は心配そうな眼差しを鈴に向ける。
「……ありがとう。でも、大丈夫だよ」
 鈴はそう言うと微笑んで美津の手を引いた。
「ほら、今のうちにしっかり寝ておこう! ちょっとしたらまた昼見世が始まっちゃう!」
「あ、うん……」
 美津は鈴に手を引かれて二階にあがっていった。


 少し眠った後、鈴と美津は朝食をとり身支度を整えると、昨夜と同じようにまた張見世に出た。
 昼見世は夜に比べると客も少ないため、鈴は美津と並んでゆっくり話すことができた。
「そういえば、鈴には兄弟とかいるの?」
「うん! お兄様がいる」
 珍しく目を輝かせている鈴の様子に、美津は思わず笑った。
「よっぽど素敵なお兄さんなんだね」
「うん、強くて優しくてカッコいいの! 昔、うちの屋敷に遊びに来てた私の友だちなんて、ほとんどみんなお兄様目当てだったんだから。美津も会ったらきっと好きになるよ」
 滅多にないほど饒舌な鈴に、美津は微笑む。
「すごい好きなんだね。鈴の初恋の人はお兄さんかな?」
「ふふ、そうかも」
「羨ましいな。私は兄弟とかいないから…。お兄さんは今どうしてるの?」
「お兄様は出家したから、今も遠縁の住職のところでお世話になってると思う。お兄様は……私が吉原にいることは知らないし」
 鈴は悲しげに微笑んだ。
「……お兄さんに会いたい?」
 美津は鈴の手を握る。
 鈴は一度美津を見てから、ゆっくりと首を横に振った。
「絶対に会いたくない」
 鈴は真っすぐに美津を見る。
「お兄様にはお屋敷にいた頃の私の姿だけ覚えていてほしいの」
「そっか……」
 美津は目を伏せた。

「おい」
 ふいに男衆が鈴に声をかけた。
「音羽、おまえに手紙だ」
 鈴は立ち上がると男衆から手紙を受け取る。
「なんか若いのが持ってきたんだ。親父からの手紙を預かってきたとかって言ってたぞ。自分の息子に遊女への手紙を持たせるなんて、なかなか腐った客持ってるんだな、音羽は」
 男衆はそう言うとおかしそうに笑った。
 鈴はそんな男衆を無視して手紙を開く。
 手紙は一見、客のひとりが鈴を想って書いたような内容だった。
 しかし、鈴にはこの筆跡に見覚えがあった。
(将高様……)
 手紙は一文の頭だけを読んでいくと、言葉になっていた。
(夕刻、裏茶屋の檜屋(ひのきや)にて待つ……将高……)