「花魁、叡正様がいらっしゃいました」
 咲耶の部屋に緑の声が響く。
 布団で横になっていた咲耶は、返事をすると体を起こした。
(手紙が届いたか……)
 火事から十日ほどが経ち、喉の調子も良くなった咲耶は、叡正に手紙を出していた。

 襖が開き、叡正の姿が目に入る。
 入口で立ち尽くす叡正の顔色はひどく青ざめていた。
(なんだ……? 私より叡正の方が調子が悪いんじゃないのか……?)
 叡正はただ咲耶を見つめていた。

「えっと……、心配かけて悪かったな。もうすっかり元気なんだが、まだ布団で寝ていろと楼主がうるさくてな……。来てもらったのに、こんな格好で申し訳ない」
 咲耶は叡正に向かって微笑む。
 叡正は部屋の入口で咲耶を見つめたまま、何も言わなかった。

(え……? どうして何も言わないんだ……?)

 緑はお茶を淹れるため部屋を出ていったため、二人の間に重苦しい沈黙が流れる。

「えっと……、そんなところにいないでもう少しこちらに来てくれ」
 咲耶の言葉に、叡正はゆっくりと咲耶のいる布団に近づいてきた。
 咲耶はホッと息を吐く。
「今日来てもらったのは前に言っていたお礼の件だ。少し待っていてくれ」
 咲耶はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。

 戸棚に向かおうと叡正に背を向ける。

 その瞬間、咲耶は後ろから温かいものに包まれた。

(え……?)

 少し振り向いた咲耶の頬に、叡正の長い髪がかかる。
 咲耶は目を見開いた。
 叡正の腕が咲耶をやわらかく包んでいた。
 長い髪に隠れ、叡正の表情は見えない。

「……た」
 咲耶の耳元で叡正のかすれた声が響く。
「……よかった。本当に……よかった」

 咲耶を抱きしめる叡正の手はかすかに震えていた。
「叡正……」
 咲耶は思わず呟く。

(ここまで心配されているとは……思っていなかったな……)

 咲耶はしばらくそのままじっとしていたが、やがて目を閉じると、叡正の手に自分の手を重ねた。

 叡正の体がビクリと震える。

「心配かけて悪かった……」
 咲耶は叡正の方を見ながら小さく呟く。
「それから……ありがとう。心配してくれて」
 咲耶の言葉に、叡正が弾かれたように咲耶を見る。

 互いの顔が触れそうな距離で、二人の視線が重なった。

「わ、悪い!!」
 叡正は慌てて咲耶から手を離すと、後ずさりして両手を上げた。
「こんなことするつもりは! わ、悪かった!」
 叡正の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。

「あ、いや、そんな気にすることでは……」
 叡正のあまりの反応に、咲耶は目を丸くする。

「いや! 悪かった!! 本当に申し訳ない!」
 叡正は両手で顔を覆うとその場にうずくまった。
 叡正の顔は耳まで真っ赤だった。

 しばらくポカンとしていた咲耶は、叡正の反応に思わず吹き出した。
 叡正が指の隙間から咲耶を見上げる。
「わ、悪い……。おまえの反応があまりにも(せわ)しないから……」
 咲耶は笑いながら叡正を見た。
「青い顔をして入ってきたかと思えば、急に真っ赤になって……。でも、なんだろう……。ホッとした」
 咲耶は笑い過ぎて滲んだ目元の涙を拭うと、叡正を真っすぐに見た。
「うん、ホッとしたんだ。ありがとう、叡正」
 咲耶は叡正に向かって微笑んだ。

 咲耶の様子を指のあいだから見ていた叡正は、顔を覆っていた両手を下ろした。
「その……、よくわからないが……、笑ってもらえたならよかった」
 叡正は咲耶から視線をそらしながら呟くように言った。

「フフ……、まぁ、とりあえず布団の横に座って待っててくれ」
 咲耶はそれだけ言うと、戸棚に向かった。

 背後で叡正が長い息を吐く音が聞こえ、咲耶はそっと微笑んだ。
(心配されて嬉しいと思ったなんて、申し訳なくてとても言えないな……)
 咲耶は戸棚の扉を開けると、目的のものを取り出す。
 なぜかうなだれて座っている叡正の方を向くと、咲耶は口元を引き締めて叡正のもとに向かった。