(ここは……?)
 咲耶が目を開けると、霞んだ視界の向こうに見慣れた天井が見えた。
(私の……部屋……?)

「花魁!? よかった……」
 緑の声が響く。
 声が聞こえた方に顔を向けると、緑が泣きそうな顔で咲耶を見ていた。
 少し前まで泣いていたのか、緑の目は赤く瞼が腫れていた。

(そうか……。助かったのか……)
 咲耶は裏茶屋で見た信のことを思い出した。
(あれは……夢……?)

 緑は、掛け布団の上に出ていた咲耶の手を取ると強く握りしめた。
「もう……目を覚まさないんじゃないかと思いました……。本当に……本当によかった……!」
 緑の目から涙が溢れ出す。

「……み……どり……」
 咲耶は緑を安心させようと名を呼んだが、その声はひどくかすれていた。
「あ、まだ声は出さない方がいいかもしれないです! 良庵先生が外傷はないけど、煙をかなり吸い込んでるみたいだって言ってましたから!」

(ああ……そうか……)
 咲耶は緑の言葉に頷くと小さく微笑んだ。
 咲耶の笑顔を見て、緑も涙を流しながら微笑む。

「あ、楼主様を呼んできます! 花魁の目が覚めたら知らせるように言われているので」
 緑はそう言うと、咲耶の手をそっと離して部屋を出ていった。

 ひとりになった部屋で咲耶は窓の方を見た。
 窓からは明るい日差しが差し込んでいる。
(あの火事からどれくらいの時間が経ったんだ……?)
 咲耶はゆっくりと布団の上で体を起こした。

(……私以外の者は大丈夫だっただろうか? 裏茶屋にいたほかの人は? ……あれが夢でないなら……信は?)
 頭の奥がズキリと痛み、咲耶は顔をしかめた。
(あの火事は偶然ではないだろう……。狙われたのは私か? それとも信? 裏茶屋にいたほかの誰かか……?)
 咲耶はため息をついた。
(ここで考えたところで答えは出ない……か)

 そのとき、襖が開く音がして、咲耶は振り返る。

「咲耶……」
 そこには楼主の姿があった。
 楼主の顔色は悪く、慌てて走ってきたのか少し息が上がっている。
 いつも落ち着いている楼主らしくない姿だった。

「……ひどい……顔……」
 咲耶は思わずかすれた声で呟いた。
 咲耶の言葉を聞き、楼主は目を丸くした後、長いため息をついた。
「おまえな……、それが二日間心配していた人間に掛ける言葉か……?」
 楼主は呆れたような顔で、咲耶に近づくと布団の横に腰を下ろした。

「……ふつ……か?」
「そうだ。おまえ、あれから二日眠っていたんだ」
 楼主は咲耶を見た。
「大丈夫か?」
「ああ……、声……以外は……」
 咲耶は頷くと、自分の両手を見つめた。
「……悪……かった……。心配……かけて……」

 楼主は苦笑すると、咲耶の頭をポンポンと叩いた。
「謝ることでもないだろう? おまえが無事でよかった」
「ほかの……人たちは……?」
 咲耶は顔を上げると、楼主を見つめた。
「みんな無事だ。おまえを助けてくれた信も、火傷は負っていたらしいが無事のようだ」
「無事のようだ……ってことは、会って……いない……のか?」
 咲耶は不思議に思い首を傾げる。
「ああ、おまえをここまで運んだのは叡正という男だ。その男が、信が助けたと言っていた」
(叡正……? どうして叡正が?)
 首を傾げている咲耶を見て、楼主は息を吐いた。
「とにかく、しっかり礼を言うんだぞ。信にも叡正という男にも」
「あ、ああ……」
 咲耶は微笑んで頷いた。

「……私のことは……良庵が診てくれたのか?」
「おい、呼び捨てにするな。ああ、良庵先生が診てくれた」
「また……借りができたな……」
 咲耶はうつむくと、小さく呟いた。
「ん? なんだって?」
「いや、なんでもない……」
 咲耶は慌てて首を横に振った。

「信の様子を見に長屋に行くって言っていたから、今日あたり行っているかもしれないな」
 楼主は思い出したように言った。
「そうか……。火傷……ひどいのか……?」
 咲耶がポツリと呟く。
 楼主は咲耶を見つめた後、目を伏せた。
「さぁな。今度会ったときに確かめろ」
 楼主はそう言うと立ち上がった。
「俺はそろそろ戻るから、おまえはもう休め。みんな心配している。早く元気になって姿を見せてやれ」
「ああ……、わかった」
 咲耶の言葉を聞くと、楼主は静かに頷き、部屋を後にした。

 ひとりになると、咲耶はゆっくりと体を倒した。
(今はとにかく体調を整えないとな……)
 咲耶は静かに目を閉じる。
 長く眠っていたはずなのに、横になると咲耶の意識は一気に遠のいていった。

『桜……』

 咲耶は懐かしい夢を見た。
 温かく心地よい夢だった。
 しかし、再び咲耶が目を覚ましたとき、咲耶は夢を見たことさえ覚えてはいなかった。