(これでよかったんだ……)
 鈴は女衒の背中を見ながら、ぼんやりとそう思っていた。
 吉原に売られるとわかったときは一瞬言葉が出なかったが、今冷静になって考えると、これが一番誰も不幸にならずに済む形なのだと鈴には思えた。
 女衒とともに屋敷を出た鈴は、女衒に促されるまま暗い通りを歩く。
 月が出ているためか、それほど歩きにくくはなかった。

 叔母を恨む気持ちは鈴にはまったくなかった。
 そもそも恨まれることをしたのは鈴の父だ。
(将高様は怒るかもしれないな……)
 鈴は悲しげに微笑んだ。
 それでも、これでよかったと鈴は思う。
 将高は優しい。このまま鈴が屋敷にいれば、将高は自分の立場を危うくしても助けようとしてくれるだろう。
 鈴はもう誰かが不幸になるところを見たくなかった。

「おい、今日はもう遅いからここで休むぞ。明日見世に行くから、今のうちにせいぜい休んでな」
 女衒は下卑た笑みを浮かべて、宿を指さした。
「それにしても、おまえ本当に顔が良いな」
 女衒は鈴に顔を近づけた。
「もったいないねぇ。ホントなら大見世にだって売れそうなんだが、売るのに条件出されちゃってるからな……。大見世で大金持ちに身請けでもされたら幸せになれたかもしれないのに、かわいそうに」
 鈴はその言葉に目を伏せた。
「幸せになる資格なんて、私にはありませんから。叔母様の希望通りにしてください」
 女衒は肩をすくめた。
「ご立派だねぇ。まぁ、それなら望み通りになるだろうよ」
 女衒が宿屋に入ると、鈴も続いて宿屋に入った。
 道をぼんやりと照らしていた月はしだいに雲に隠れ、いつしかそこは暗闇に包まれていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「いいね、いいねぇ! かなりの上玉じゃないか! 訳ありか?」
 菊乃屋の楼主は上機嫌で、鈴の顔をまじまじと見ていた。
「訳ありみたいっすね」
 女衒はニヤニヤしながら答えた。
「元旗本で器量良しなのに、うちに売られてくるぐらいだもんなぁ。おまえ、いくつだ?」
 楼主は鈴に顔を近づけて聞いた。
「十二です」
 鈴は楼主から視線をそらしながら答える。
「そうか、そうか。まぁ、問題ないだろう」
 楼主は笑って女衒を見る。
「言い値で買うよ。いやぁ、最近ツイてるな。昨日買った女も暗いがなかなかの美人で、これからひと儲けできそうだよ」
 楼主は顔を歪めて笑う。
 女衒は金を受け取ると礼を言って満足そうに去っていった。

「さて、今日からここがおまえの家だ。つまりみんな家族だ。家族のために一生懸命働けよ」
 楼主はニヤニヤとした笑顔を鈴に向けた後、男衆に声をかける。
「さぁ、連れてけ」

 男衆に立たされると、鈴は腕を引かれ座敷に通された。
 そこには気だるげな雰囲気の遊女が何人も座っている。
 遊女はこちらを一瞥すると、すぐに興味を失ったように目をそらした。

 鈴が部屋の中を見回すと、部屋の隅で泣いている子に目が留まった。
「大丈夫ですか?」
 鈴が声をかけると少女が顔を上げた。
 自分と同じくらいの年だろうか、と鈴は感じた。
「私は鈴と言います。あなたも最近売られてきたんですか?」
 少女は涙で濡れた瞳を鈴に向ける。
「……私は…美津です。…昨日売られてきたんですけど……聞いてた話しと違って……」
 美津と名乗った少女は、堪え切れなかったのかまた泣き出した。
「何が違ったんですか?」
 鈴は美津の背中をさすりながら聞いた。
「私はまだ……お客がとれる年じゃないから……最初は下働きみたいな仕事だって……そう聞いてたのに……」

「おまえら、何してるんだい?」
 美津の言葉を遮って、女が鈴と美津を見下ろして言った。
 鈴は女を見上げる。
「あ、彼女が泣いていたので……」
 鈴が口を開く。
「さっさと準備しな!もうすぐ見世が始まるんだ」
 女は鈴の言葉を聞き終える前に、そう言うと美津の腕をつかんで立たせた。
「……準備?」
 鈴も立ち上がり、聞き返す。
「今日からおまえらも客をとるんだよ」
 女が笑う。
「私まだ十二なんです! 吉原ではだいたい十五からなんでしょ!? 客をとるのは! 私にはまだ遊女はできません!」
 美津がそう女に言うと同時に、美津の頬が鳴った。
 女に叩かれ、美津はよろめいて座敷に倒れる。
「美津さん!?」
 鈴が慌てて、美津を抱き起こした。
「うちは十二から客がとれるんだ。嬉しいだろう? 早く働けるから、早く借金も返せるんだよ。まぁ、子どもを嫌がる男もいるからね。見世では十六で通しな」
 女はそう言うと、再び美津の腕をとって立たせた。
「ほら、おまえも早く準備しな」
 女は鈴に視線を移して言った。
「あ、はい……」
 鈴は茫然としながら立ち上がる。
 女に促されるまま、鈴は化粧道具の並んだ鏡の前に座った。
 鏡にはひどく顔色の悪い女が映っている。

 隣で髪を結っていた遊女が鈴を見てそっと呟いた。
「かわいそうに……。あんたは綺麗なだけに、私らよりずっとずっと不幸になる……」
 遊女は静かに目を閉じた。