「久しぶりだな」
 玉屋に入ろうとしていた弥吉は、背後から突然肩を叩かれ、慌てて振り返った。
「え……?」
 そこには、黒の紋付羽織を着た男がにこやかな笑顔で立っていた。
「俺のこと覚えているか?」

(覚えてはいる……)
 弥吉は男の腰にある刀と十手をじっと見つめた。
「あ、はい。町奉行所の同心の……」
「ああ、門倉だ。元気そうだな」
 門倉兼継は弥吉に向かってにっこりと微笑んだ。

(ああ、そんな名前だったっけ……)
 兼継は、弥吉がいずみ屋の客を殺したと疑われたときにやってきた同心だった。

「はい、元気ですが……今日はどうしてこちらに……?」
 弥吉は引きつった顔で兼継を見た。
 弥吉にとって兼継はできればもう会いたくない存在だった。
「まぁ、そう警戒しないでくれ」
 兼継は少し寂しそうな表情を浮かべる。
「仕事で来てはいるが、今日は咲耶太夫に少し聞きたいことがあるだけだ」
「咲耶太夫に?」
 弥吉は眉をひそめる。

「ああ。まぁ、おそらく違うとは思うんだが……」
 兼継はそう言うと、懐から紙の束を取り出し、弥吉に差し出した。
 弥吉は紙の束を受け取ると、兼継を見る。
「これは何ですか?」
「まぁ、開いてみてくれ」
 弥吉は言われた通りに紙を開く。
 それは手紙の束だった。

「これは咲耶太夫の字か?」
 兼継は手紙を見ている弥吉に聞いた。
「え……?」
 弥吉はまじまじと書かれている字を見つめた。
 咲耶太夫の字と似ているような気もしたが、少し違うような気もした。
「似ている気はしますが……」
 弥吉は首を傾げた。
「そうか……。ちなみにこの手紙を届けた記憶はあるか?」
「え!?」
 弥吉は目を丸くする。
(なんだ? また何か疑われてるのか!?)
「あ、違う違う! 本当はもうおまえじゃないって確認がとれているんだ。念のためにな……」
 兼継は慌てて言った。

(念のためってなんだ? 何を探られているんだ?)
 弥吉の心を読んだように、兼継は困ったような顔で笑った。
「いや、勘違いさせるような言い方をしてすまない。最初に言った通り、咲耶太夫に少し話しが聞きたいだけなんだ。この手紙が本当に咲耶太夫が書いたものなのか確認したい」

 弥吉は警戒するように兼継を見た後、もう一度手紙を見た。
 手紙は、咲耶太夫がお客に宛てて書いていてもおかしくない内容だった。
 何気ない日常のことを交えつつ、また会える日を楽しみにしているという内容が何通にもわたって綴られていた。

「では、咲耶太夫にこれから門倉様とお話しする時間があるか確認してきます」
 弥吉は手紙の束を兼継に返すと、しぶしぶそう口にした。
「ああ。すまないが頼む」
 兼継は申し訳なさそうに頭を下げた。

 弥吉は重い足取りで二階に向かう。
 夜見世までにはまだ時間があった。
(おそらく咲耶太夫は会うって言うんだろうな……)
 弥吉はため息をついた。
(咲耶太夫……また変なことに巻き込まれなきゃいいけど……)



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 咲耶の部屋に入ると、兼継は落ち着かない様子でキョロキョロとしていた。
 咲耶は兼継と向かい合うように座ると、品よく兼継に微笑んだ。
「ご無沙汰しております、兼継様。それで、簡単に弥吉から話は聞いたのですが、私にもその手紙を見せていただけますか?」
 咲耶は部屋の隅にいる弥吉を少しだけ見て言った。
 ぼんやりと咲耶を見ていた兼継は、慌てて懐から手紙の束を取り出して咲耶の前に置いた。
「こちらです」

 咲耶は手紙の束を手に取ると一枚目の手紙を開いた。
「これは……私が書いたものではありませんね……」
 咲耶は文字を見つめながら、眉をひそめる。

「そうですか……」
 兼継は残念そうに肩を落とした。

 一枚目を読み終えた咲耶は、二枚目、三枚目と手紙を確認していく。
 ふと、文字を目で追っていた咲耶の動きが止まった。
「何かありましたか?」
 兼継が不思議そうに首を傾げた。
「……いえ」
 咲耶は目を伏せて微笑んだ。
「ところで、どうしてこの手紙を持って私のところにいらっしゃったのですか?」

「あ、はい……。実は、この手紙を持っていた人物が誰なのか探るためにここまで参りました。咲耶太夫が書いたものでないのなら、誰か特定するのは難しそうですが……」
 兼継は困り果てたように頭を掻いた。
「手紙を持っていた人物が誰かわからない……とは、どういう意味でしょうか?」
 咲耶は首を傾げる。
「手紙の持ち主は……死体で見つかっているのです」
 そこまで言うと、兼継は言いづらそうに咲耶から少しだけ視線をそらした。
「しかも、顔を潰された状態で……」

「ああ、そういう……」
 咲耶はゆっくりと目を伏せた。
「服装から、その男が泊まっていた宿屋まではわかったのですが、身元のわかるものを何も持っておらずで……。その宿屋から唯一見つかったのが、咲耶太夫の署名のあるこの手紙でした」
 兼継は咲耶が手にしている手紙を見つめた。
「それと……宿屋にいる男のところに十くらいの子どもが出入りしているのが目撃されていて……」
「え!?」
 弥吉が思わず声を上げる。
「あ、すみません……」
 弥吉は慌てて二人に謝った。

「あ、このことについてはもう調べてありまして、目撃された日に弥吉がほかの場所にいたことはわかっているので、関係がない別の子どもなのでしょう。咲耶太夫の手紙もおそらく何者かが咲耶太夫の名を語って出したのだろうと考えています。ただ、身元を特定するための唯一の手掛かりなので、もし何かわかればとこうして参ったしだいで……」
 兼継は申し訳なさそうに頭を下げた。

「いえ……、こちらこそお力になれず申し訳ありません……」
 咲耶も兼継に頭を下げる。
「ただ……手紙の内容からして差出人は遊女だと思いますから、筆跡から手紙を出した遊女は誰かわかるかもしれません。もしよろしければ少しのあいだ、この手紙をお預かりしてもよろしいでしょうか?」
 咲耶の言葉に、兼継は目を輝かせた。
「わ、わかる可能性があるのですか!? ええ! ぜひお願いします!」
「ご期待に応えられるかわかりませんが……できる限りのことをしてみます」
 咲耶は上品に微笑んだ。
「ありがとうございます!」
 それから兼継は何度も頭を下げて、咲耶の部屋を後にした。

 部屋に残された弥吉も、仕事に戻ろうと立ち上がる。

「弥吉」
 咲耶が真っすぐに弥吉を見た。
「少し仕事を抜けても構わないから、信を呼んできてくれないか? できる限り急ぎで」

「え?」
 弥吉は目を丸くする。
(手紙を出した遊女を信さんに探してもらうのか……?)

 咲耶は手紙に目を落とし、どこか悲しげに微笑んだ。
「これは信に宛てた手紙だからな」

「え!? どういう……」
 戸惑う弥吉を見て、咲耶はそっと微笑んだ。
「弥吉、頼む」
 咲耶はそれだけ言うと、弥吉に背を向けて部屋の奥に行ってしまった。

(どういうことなんだろう……? 死んだ男が持っていた手紙なのに、信さんに宛てた手紙? どういう意味なんだ……?)
 いくら考えても答えはわからなかった。
 弥吉はため息をつく。
(まぁ、考えてても仕方ないか……)
 弥吉は考えることを諦め、言われた通り仕事を抜けて信の元に向かった。