「鈴!」
 将高は小屋の中に鈴の姿を見つけると、ひと目がないことを確認して声をかけた。
 鈴が振り返ると、将高は微笑む。
「将高様!こんなところに来てはいけません!叔母様に見つかりますよ」
 鈴は慌てて将高に駆け寄る。
「母上は先ほど出かけて屋敷にはいない。大丈夫だ」
 将高に向かってもう一度微笑んだ。
「それより、おにぎりを持ってきた。今日もあまり食べていないだろう?」
 将高は笹の葉で包んだおにぎりを鈴に差し出す。
「私は大丈夫ですよ! ご飯も十分いただいてますから」
 鈴は困ったように首を振った。
「一緒に食べてほしいんだ。ひとりで食べるのは味気ないから。一緒に食べるのは嫌か?」
 将高はそう言うと小屋の中で腰を下ろし、笹の葉の包みを開いた。
 鈴は少しの間、将高を困ったように見ていたが、諦めて将高の隣に腰を下ろした。
「それでは、少しだけいただきます」
 将高は鈴の言葉を聞き、満足そうに微笑んだ。

「ツラくはないか?」
 将高はおにぎりを口に運ぶ鈴を見ながら言った。
 鈴に対する将高の母の態度は、鈴を引き取って三年経った今も相変わらず酷いものだった。
 時間は何ひとつ解決してくれなかった。
 おにぎりを持つ鈴の手は痛々しいほど荒れている。
「引き取っていただけただけで十分です」
 鈴はにっこりと微笑んだ。
 鈴の大人びた笑顔に将高は自分の頬が熱くなるのを感じた。
 十二になった鈴は少女らしいあどけなさを残しつつも、蕾が花開くように華やかに美しくなっていた。
 動揺を隠すように、将高は一度咳払いをする。
「無理して笑う必要はない。それに今は二人なんだから、敬語はなしだ」
「そうでしたね」
 鈴はふふっと笑った。
「直す気ないだろう…。三年も経ったのに全然直らない」
 将高は拗ねたように少しうつむいた。
「直す気がないわけではないんですが、なんだかその気恥ずかしくて……」
 鈴は慌てて将高の顔をのぞきこむように言った。
「では、まず名前を呼んでくれ」
「将高様?」
「様はなしで」
 ためらう鈴を将高が真っすぐ見つめる。
 将高の視線に耐えられず、鈴はときどき目を伏せながら上目遣いで口を開いた。
「ま、将…高……」
 将高が満足そうに満面の笑みを浮かべる。
 鈴の顔がみるみる赤く染まった。
「もう呼びません!」
 鈴は勢いよく残りのおにぎりを口に運ぶ。
 将高はそんな鈴の様子を目を細めて見ていた。

 将高はまだ十一だったが、鈴をなんとかこの家から逃がしたいと考えていた。
「もう少し待っていてくれ……」
 将高が呟くように言った。
「将高様?」
「私が元服すれば、もう少しできることも増えるはずだ。そうしたら、必ず鈴を自由にするから。あと少し待っていてほしい」
 元服まであと四年だった。
 将高は鈴の手に触れる。
 その手は思ったよりも小さくてひどく冷たかった。
「将高様……、ありがとうございます」
 鈴は少しうつむいて微笑む。
 長いまつ毛が涙で濡れていた。

 これが、二人が屋敷で過ごす最後のときとなった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「母上! 鈴はどこですか!」
 翌朝、将高は母の部屋の襖を勢いよく開けた。
「騒々しいな。どうしたんだ?」
 いつから飲んでいたのか、母は酒を注ぎながら薄く笑った。
「鈴をどこにやったんですか?」
 将高は怒りを抑えながら口を開く。
 朝、鈴の姿がどこにも見当たらなかった将高は、使用人に話しを聞き、昨夜鈴が母に連れていかれたと知っていた。
「母を疑うなんて悲しいな」
 母は酒をあおりながら笑う。
「母上!」
 将高は怒りで声を荒げた。
「売ったよ」
「売っ……た?」
 将高の顔から血の気が引いていく。
「ああ、吉原に売った。昨日の夜、女衒(ぜげん)が連れていった」
 母はまた薄く笑った。
「なぜ……そのようなことを……?」
 将高は自分の身体が震えているのを感じた。

「もう限界だったんだよ!!」
 母が声を荒げた。
「あいつの家族のせいでうちはめちゃくちゃになったのに、あいつはまだ生きている! あいつを傷つければ気も晴れるかと思ったのに、傷つけても傷つけてもダメだった! もう視界に入るだけで耐えられなかったんだよ!!」
 母は言い終えるとまた酒をあおった。
 将高はそんな母の様子を茫然と見ていた。

(どうしてこんなことに……)
 将高は無力な自分をただひたすらに呪い続けた。