信は今、菊乃屋の張見世(はりみせ)の前にいた。
 陽が沈み鈴の音が鳴ると、遊郭に灯りがともり三味線の音が響き始める。
 灯りが影を色濃く見せているせいか、格子窓の向こうに見える遊女たちはひどく暗い顔をしていた。
 信は一人ひとりの顔を確認しながら張見世の前を歩く。
 張見世の真ん中あたりにきたとき、信はひとりの遊女に目を留め、男衆を呼んだ。

 部屋に案内されると、信は遊女に促され座敷に腰を下ろす。
 部屋が薄暗いせいか、遊女はひどく顔色が悪く見えた。

「聞きたいことがある」
 信が遊女を見て言った。
「……聞きたいこと?」
 遊女は初めて顔を上げて信を見た。
 やはり体調が悪いのか目の下のクマや荒れた唇が信の目に入った。
「鈴という女を探している。おまえと同い年くらいだと思うが、知っているか?」
 遊女の目が大きく見開かれた。
「鈴を……? あんた……あの子のお兄さんなの…?」
「いや。だが、鈴の兄が探している。鈴を知っているのか?」
「お兄さんが……」
 遊女は両手で顔を覆った。指の隙間から顔が歪んでいくのが見えた。
「もう……遅いよ…。どうしてもっと早く……」
「鈴はどこにいる? 先ほどの張見世にいたか?」
 遊女は顔を覆っていた手をゆっくりとおろした。
 その瞳は涙で濡れている。
「鈴はもう、ここにはいないの……」
 言い終えると、遊女は目を閉じた。
 溢れていた涙が頬をつたって畳に落ちた。


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「呼び出してすまない」
 咲耶は部屋に入ると、すでに中で待っていた遊女に声をかけた。
 遊女は顔を上げて咲耶を見た。
 遊女の目が大きく見開かれていく。
「咲耶…太夫……?」

 咲耶は、信に菊乃屋を探ってもらった翌日、裏茶屋に遊女を呼び出した。
 裏茶屋は男女の密会に使われるような場所だが、玉屋の外で話しがしたいときに咲耶はときどき裏茶屋を使っていた。
 信には事前に手紙を預け、もし鈴について何か知っている遊女がいたら渡してほしいと伝えていた。
 手紙には翌日昼前に裏茶屋で話しがしたいと書いておいたのだ。

「てっきり、鈴のお兄さんが来るかと思っていました」
 遊女は目を見開いたまま、そう言った。
 咲耶は微笑んで、遊女の前に腰を下ろした。
「その様子だと、鈴から兄の話を聞いていたんだな」
 遊女は悲しげに微笑む。
「はい。鈴はお兄さんを慕っていたので、ときどき話してくれました」

 咲耶は遊女を見る。
 信からは明け方に簡単に夜に話したことは聞いていた。
 座敷持ちだったらしいので、菊乃屋の中でも人気のある遊女なのだろう。
 儚げな印象の美人だった。
 しかし、信から聞いていたとおり、どこか身体が悪いのか顔色はよくない。

「どうして咲耶太夫が鈴のことを?」
 遊女は困惑したように聞いた。
「鈴の兄と知り合う機会があってな。玉屋に鈴を探しに来ていたから」
「ああ…。旗本の娘でしたからね。普通だったら大見世に売られるんでしょうね」
 遊女はまた悲しげに微笑んだ。
「鈴とは仲が良かったんだな。同じくらいの年だろう?」
 咲耶の言葉に遊女は少し顔色を悪くした。
「いえ……。売られた時期が同じくらいだったので親しかったですが……」
「おまえ、年はいくつなんだ?」
「に、二十です」
 咲耶は目を閉じた。
(やはり予想していたとおりか…)

「本当は……いくつなんだ?」
 遊女の顔が青ざめる。
「責めているわけではない。聞きたいだけなんだ……」
 咲耶がそう言うと、遊女の瞳から涙がこぼれた。
「十六です……」
「いつから客をとっているんだ?」
「十二から……」
 吉原の遊女は見世にもよるが、おおよそ十五から客を取り始める。
 十二は本来客をとらせる年齢ではない。
 おそらく菊乃屋では、売られてきたときに大人びて見えた子どもは年齢を偽らせてすぐ客をとらせていたのだろう。
「そうか……。よく頑張ったな」
 咲耶はそう言うと遊女の頭をそっと撫でた。
 遊女は目を見開いて咲耶を見る。
 両目からはとめどなく涙が溢れ出ていた。
 遊女は胸を押さえて、声をあげて泣き始める。
 咲耶は遊女が落ち着くまでずっと背中をさすり続けた。