「そういえば、最近刺繍はしてるのか?」
 山吹に酒杯を差し出しながら、雪之丞が何気なく聞いた。
 雪之丞の言葉に、山吹はビクリと体を震わせると申し訳なさそうな顔で雪之丞を見た。
「そ、その……まだ……完成していなくて……」

(ん? 何の話だ……?)
 雪之丞は山吹の反応に首をひねった。
(……あ、俺が何か贈ってほしいと言ったからか……)
 雪之丞は山吹が何を言っているのかを理解すると、苦笑した。
「違う。俺への贈り物はまだかって聞いたんじゃねぇよ。楽しんで刺繍できてるかって聞いただけだ」
「あ、そうなんですね……」
 山吹はホッとしたように笑った。
「はい、雪之丞様のおかげでたくさん刺繍ができて、毎日幸せです」
 山吹はそう言うと、銚子を手にとり酒を注いだ。
「そうか。それならいい」
 雪之丞は酒杯に口をつける。

「雪之丞様の羽織も次の秋までにには……」
 山吹はそこまで言ってハッとしたように口を噤んだ。
「羽織? 羽織って何のことだ??」
 雪之丞は山吹を見る。
「えっと……それは……」
 山吹は目を泳がせた。
「もしかして、羽織に刺繍しようとしてるのか? ん? ……もしかして羽織を仕立てるところからやってるのか?」
 雪之丞は目を丸くする。
 山吹の様子から、雪之丞は自分の予想が外れていないと悟った。
「そんなすごい贈り物望んでねぇよ! 布に少し刺繍を入れて渡してくれるだけでよかったのに……」
「そ、それは、その……。私が作ってみたくて……」
 山吹がおどおどしながら言った。
「羽織を、か?」
 雪之丞は呆れた顔で山吹を見た。
「ほ、本当です! 以前から仕立ててみたいと思っていたんです!」
 山吹は珍しく大きな声で言った。

(糸と布をもらったから気を遣ってるのか……)
 雪之丞は小さくため息をついた。
「それならいいけど……無理はしてないか? 見世が始まる前とかにやってるんだろう?」
「無理などまったく! 刺繍はもともと好きですから! 羽織も仕立ててみたいと思っていたので!」
 山吹が勢いよく答える。

(まぁ、これ以上何か言うのもな……)
 雪之丞は軽く頭を掻いた後、山吹を見つめた。
「そうか……。それならいい。……じゃあ、楽しみに待ってる」
「は、はい!!」
 山吹は目を輝かせると、嬉しそうに笑った。
「くれぐれも無理はするなよ」
 雪之丞も目を伏せて微笑んだ。
「はい!!」

「あ、ところでさ」
「はい!」
「寸法は?」
 雪之丞は再び山吹を見た。
「採寸してないだろ?」
「あ……それは……」
 山吹の顔はみるみる真っ赤になっていく。
「?」
「それは……その……しました……」
「え、いつだ? 俺が寝ているあいだにしたのか?」
 雪之丞は目を丸くする。
 採寸は長さの目安となる紐を体に巻き付けて行うことが多いが、寝ているあいだにそんなことをされれば、さすがに気づくだろうと雪之丞は思った。
「それは……その……」
 山吹は再び目を泳がせる。
「お、起きていらっしゃるときに……」
「は? 採寸された記憶なんてねぇよ。……おまえ、何で測ったんだ?」
 雪之丞の言葉に、山吹はうつむく。
 山吹は首筋まで真っ赤だった。
「その……、私の……腕で……」
 山吹はうつむいたまま絞り出すように言った。

 雪之丞はしばらく意味がわからずポカンとしていたが、やがて意味を理解すると目を見開いた。
「ああ! だからあんなに抱きついてきてたのか!」
「そ、そんなに抱きついておりません!」
 山吹は真っ赤な顔を上げると、首を勢いよく横に振った。
 雪之丞は思わず吹き出した。
「ああ、なるほどな! っていうか、普通に言えよ! 採寸くらい嫌がらねぇよ」
 雪之丞は笑いながら言った。
「それは……その……、羽織だとわからないように……。秘密にしておいた方が……見たときに喜んでいただけるかと思って……」
 山吹はうつむいて、小さく呟く。

 雪之丞は苦笑した。
(山吹が何かを秘密にするのは無理だろう……)
「羽織だってわかってても嬉しいよ。ありがとな」
 雪之丞はそう言うと、山吹の頭を優しくなでた。
 
「それで採寸は終わったのか?」
 雪之丞は両腕を広げた。
「ほら、もうわかったから、好きなだけ測っていいぞ」
 雪之丞は意地悪く微笑んだ。
 山吹は赤い顔のまま、目を丸くして激しく首を横に振る。
「も、もう羽織は仕上がってますから!」
「寸法、変わってるかもしれないぞ?」
「そんなにすぐ変わりませんよ……! そもそも羽織は少し大きめに仕立てていますし……」
 山吹は恥ずかしさからか少し涙目になっていた。
 それでも雪之丞は微笑みながら両腕を広げ、山吹を待っていた。
 山吹は目を泳がせる。
「ほら」
 雪之丞の言葉に、山吹はしばらくためらっていたが、やがて諦めたようにおずおずと雪之丞の背中に腕を回した。

「寸法、変わってるか?」
 雪之丞は楽しそうに聞いた。
「ですから……すぐには変わりませんと……言ったではないですか……」
 山吹は雪之丞の胸に顔をうずめながら小さく答えた。
「ふふ……、そうか」
 雪之丞はこみ上げる笑いを堪えながら、そっと山吹を抱きしめた。
「山吹、ありがとう」
 雪之丞はささやくように言った。

 いつか羽織を受け取ったとき、きっと今日のことを思い出して自分は笑うのだろう。
 雪之丞はそのとき、そう思っていた。