「男が生きている可能性が高くなった……ということか……」
 ひと通り叡正の話を聞き終えた咲耶は、小さくため息をついた。
 木島屋へ行った翌日、叡正と信は木島屋でのことを伝えるために咲耶の部屋を訪れていた。

「どう思う?」
 咲耶は信を見て聞いた。
 信は部屋の片隅で目を伏せて何か考えているようだった。
「……秋という女の話が確かなら、その姉はたぶん死んでいると思う」
「え!?」
 叡正は目を見開いた。
「……あの血は奥さんのってことか……?」
「ああ」
 信は目を伏せたまま短く答えた。
 咲耶はゆっくりと息を吐く。
「私もそう思う。普通に考えたら、それ以外ないだろうな……」
「そうなのか……?」
「ああ、生きていて自分の意思で姿を消したなら、隠しておいた金を置いていく理由がない……」
 咲耶は目を閉じて眉を寄せた。
「はぁ、どんどん胸くそ悪い話になっていくな……」
 咲耶はそれだけ言うと、信に視線を向ける。

「それで? 信は何を考えているんだ?」
 咲耶の言葉に、信がようやく咲耶を見た。
「……ひとりでできることじゃない」
 信は呟くように言った。
 信の言葉を予想していたのか、咲耶は小さく頷く。
「そうだな……」
 叡正は目を丸くする。
「え!? どういうことだ?」

 咲耶は叡正を見た。
「畳が新しいものになっていたんだろう? 遺体はもちろん、ほかの痕跡も消えていたから行方不明ということになったんだ。おまけに遊女の方も本当の心中じゃないとしたら、心中に見せかけるために縄や遊女の遺書の準備も必要だ。そんなことひとりで全部やっていたら、そのあいだに捕まっているさ」
「た、確かに……。でも、誰が……?」
 咲耶は少しだけ信を見た後、目を伏せた。
「……さぁな」

 叡正は咲耶を見つめる。
「まだ調べるのか……?」
 叡正の言葉に、咲耶は何か考えるように視線を動かした。
「私たちが調べられることはもうないな……。あとは生きている可能性が高い男を見つけるか、雪という女の遺体を見つけるかだ……」
 叡正は目を丸くする。
「見つけられるのか? 何も手がかりはないんだろう……?」

「男は俺が探す」
 信が唐突に口を開いた。
「心中騒ぎを起こした後にすぐ動けば目立つ。まだ江戸にいるはずだ」
「おいおい……。江戸にいるっていっても、どこにいるかなんてわからないんだろう?」
 叡正は慌てて言った。
 江戸中を探し回るのは、かなり時間がかかるうえ、そのあいだに江戸を離れてしまう可能性もある。
「居場所はわからないが、人目につかず隠れられる場所は限られている。そこを探すだけだ」
 信は淡々と答えた。
「そう……なのか……?」
 なぜそんな場所を知っているのか気にはなったが、叡正は何も聞かないことにした。

「気をつけろよ。そういう場所は……」
 咲耶はそれだけ言うと目を伏せた。
「ああ、気をつける」
 信は短く言った。

「ところで、顔はわかるのか?」
 叡正は気になっていたことを口にする。
 叡正はいまだに男の顔も雪という女の顔も知らなかった。

「ああ、それなら男の人相書が出ている」
 咲耶が、信の代わりに口を開く。
「人相書?」
「ああ。心中は未遂であっても死罪だからな。今回は男の遺体があがっていないから、男の人相書が出ているんだ。顔まではわからないが、顔や体の特徴が書き出されているから、男を探すのには役立つはずだ」
 咲耶の言葉に、信も小さく頷いた。

「見つかるかな……?」
 叡正が小さく呟く。
「見つける」
 信はそれだけ言うと立ち上がった。

「本当に気をつけろよ」
 咲耶が信の背中に言った。
「ああ」
 信は短く応えると、部屋を後にした。

「見つかるといいな……」
 叡正は咲耶を見た。
「ああ……」
 咲耶はなぜか不安げな表情を浮かべていた。
(そんな顔するの、めずらしいな……)

 叡正には、咲耶のその表情の理由がよくわからなかった。